87.教会の動き
魔法学校に入学して三年目。学校が始まるその日、三年目にして漸く、私はヴェルギリウス様からの呼び出しを免れた。尤も既に研究所の所長職に就いている以上、更に出世するという事も無いので当然と言えば当然なのだったが。
その代わり、私が王都に来るのを今や遅しと待ち構えていたのは、教会のシスターであるマリーさんだった。
「もう、アインさん! 王都を離れて何処へ行ってたんですか。随分待ちましたよ」
「そう言われても、私の家はフェルメールですから。学校が休みの間は帰りますよぅ」
学生なので当然だろう。家ではお母様が待っているのだ。それに研究所の方もこの時期は休みとなる。騎士団や魔法部隊は全員が一斉に休むという事が出来ないので交代で任務にあたる事となるが、私の小隊は大隊長であるヴェルギリウス様の差配で自主訓練のみという事になっていた。
「それでマリーさん、そんなに慌てて一体どうしたのですか? 教会の方で何かあったのかしら」
私がそう言うと、マリーさんは言い難そうにもじもじとしながら言葉を繋いだ。
「教会の問題という訳ではないのですけど。でもやっぱり教会の問題かしら。実は、教会の本部、ギュスターブ帝国の偉い人が居るところらしいのですが、そこからのお達しがあったようで」
神聖ギュスターブ帝国…… その言葉に私も眉を顰める。
「アインさんが進めているこの国の医療について情報を寄越せ、と言ってきているようなんです。ミケラン神父が医療チームとの関りをしつこく聞かれたと。神父は知らない、わからない、という事で押し通したようなのですけど」
ううむ、やはり教会としてはそれまで独占していた治療に関わる術を荒らされたくないという事だろう。神父が医療と関りを持たない姿勢を示したという事は、教会本部として私の考えを受け入れられないという事に違いない。
「教会本部はルーベンス王国を邪教認定するとまで言ってきているそうなんです。そうなるとこの国は教会にとって明確な敵、という事になってしまいます」
邪教認定、なんだか恐ろしい響きだけど。
「教会はこの国から撤退するという事でしょうか?」
教会は国から干渉を受けない完全な自治組織だ。王都だけではなくこの国の他の都市にも点在する。それらが行ってきた役割を、はたして医療チームだけで埋める事が出来るだろうか。
しかし私の不安に対してマリーさんは首を横に振った。
「撤退はしません。逆に教会本部から人員が派遣されてくるそうです。どれくらいの規模かはわかりませんが、ミケラン神父はその事をとても気にしておられました。それで自分は動けないからと、私に研究所への伝言を頼まれたのです」
邪教認定して敵対関係を明確にする、その上で撤退せずにこの地での教会機能を強化する。それは教会としてルーベンス王国を埒外に置くという事ではなく、その逆、支配するという事ではないだろうか。そしてその行動の中心にあるのが私の研究……
「ミケラン神父は一旦研究所との協力関係を白紙に戻すと言っておられました。王都の教会から医療チーム、研究所、ひいてはアインさんの内情が漏れるのを防ぐ為でしょう。その為、神父は自由に動く事が出来なくなりました。王都の教会としては知らぬ存ぜぬを通すから、アインさんには十分に注意して欲しいとの事です」
なるほど、ミケラン神父の判断は私にとっても有難かった。教会本部と王都の教会とが争う事は私としても好ましくない。無関係を貫いてくれれば、教会とルーベンス王国の対立という事で構造がすっきり明確化する。そうすると、教会本部、若しくはギュスターブ帝国に対して何か対策を取る必要が出てくるが……
「わかりました、マリーさん。しばらくは目立つ動きも控え、十分に注意する事にしましょう。神父にはそうお伝え下さい。それにマリーさんも気を付けて下さいね」
私はそれだけ言って、言葉を短く留めた。この件で私が何か行動に出る事はヴェルギリウス様から強く止められていたからだ。このタイミングでこの話、偶然にしては出来すぎている。このような事態になる事をヴェル様は見越していたのだろうか。あの人なら有り得る。
取り敢えずの伝言は終えたようで、それでは、と不安そうな顔を残し出てゆくマリーさんを見送る。すると彼女とすれ違うように次に私を訪ねてきたのは、レブラント王国のパンチョス侯爵だった。
侯爵はルーベンス王国との鉄道共同開発の為、度々この王都を訪れていた。ずんぐりとした体形は相変わらずだが、その顔つきは以前に比べて逞しさを増しているようで。
「アインスター伯爵、お久しぶりですな」
「パンチョス侯爵もお元気そうで。侯爵のおかげで貴国における鉄道開発も順調に進んでいると聞いております。ありがとうございます」
「いやいや、慣れぬ事で毎日往生しております。本当ならば今頃、辺境の領地でゆっくりと余生を過ごしている筈なのですが、これというのもアインスター伯爵のおかげという訳ですな」
なるほど、私の周りにいる人達は皆苦労が絶えないらしい。そうして見ると、冗談話に笑いを浮かべている侯爵もその表情には疲れが見え隠れしている。だがそのどこか浮かない顔も、仕事の苦労からくるものばかりではなかった。
「実はですな、伯爵……」
そう言って侯爵が声を潜める。
「我がレブラント王国軍部からの情報なんですが、かの神聖ギュスターブ帝国が貴国に向けて魔法船団を派遣したという事らしいのですな」
魔法船団、か。それは確かこの世界に残る古代魔法文明の遺産というような話だったような。その船団があるが故に、ギュスターブ帝国は海洋の覇権を握り、強国として他国にその存在感を示しているという事だった。
「と同時に、我が国に対して陸上から貴国へ再度侵攻するよう、要請があったようなのです。尤もこれは軍部がやんわりと退けたらしいのですが」
レブラント王国としてもルーベンスと再び事を構えるのは何としても避けたい、侯爵はそう言って私に苦笑いを見せた。
「レブラント王国は未だに帝国と同盟関係にあるのでしょう? その関係が拗れたりは致しませんか?」
「ええ、問題は無いでしょう。以前に我が国をけしかけて窮地に陥れた責任もうやむやになっておりますからな。軍部としても、はいそうですか、と言う訳には参りません。その事は先方もよく理解しておりますでしょう。当時とは状況が違うのです。まあ、レブラント王国が貴国に肩入れせぬようにとの忠告の意味もあったのかも知れませんな」
ふむ、という事は帝国は本気でレブラント王国に戦争を仕掛けるつもりなのだろうか。パンチョス侯爵の話では既に帝国の魔法船団がこちらに向かっているという。それは少なからず帝国の武力行使を意味する。
そしておそらくこの程度の情報はルーベンス王国の軍部も掴んでいる事だろう。既に準備を進めている筈だ。レブラント王国は先の戦いに懲りて参戦してくる様子は無いようだが。
「貴重な情報をありがとうございます、侯爵。それによって鉄道計画に支障がでるような事はありませんか?」
レブラントが今後どう動くかが読めない。おそらくは静観するのだろうが、万が一ギュスターブ帝国の侵攻によって鉄道計画に影響が出た場合、レブラントはどう動く? うう、戦力も未だわからないし、戦いに詳しくない私にはわからないよ。
「鉄道計画に支障が出る事は今のところ無いでしょうな。我が国では一大事業と捉えておりますから。しかし今後貴国と帝国が本格的な戦争となれば貴国の方で計画が中断してしまいましょう。そうなった際の我が国の動きは正直なところ私にもわかりません。そのまま静観を決め込むか、貴国に援軍を送るか、はたまた……」
そう、帝国有利とみたレブラントが再びルーベンスと対立する可能性もある。直接侵攻してこなくても、帝国の陸上部隊に領内の通行許可を与えるとか、補給面で協力するとか。レブラント王国としても、飛んできた火の粉を払うのにその選択を誤れば大きな被害を被る事だって考えられる。慎重にもなるだろう。
「わかりました、侯爵。私としても鉄道計画を邪魔される訳にはいきません。帝国の動きには注意しましょう」
「はは、アインスター伯爵ならたとえ相手がかの神聖ギュスターブ帝国でも何とかしてしまうのでしょうな。いやはや、私も伯爵を焚きつけている訳ではありません。むしろやり過ぎないように気を付けてくだされ」
最後にそう言って、侯爵は笑いながら帰っていった。どこかひょうきんさを拭えないパンチョス侯爵だったが、私の為にこうして情報を届けにきてくれたかと思うと嬉しくもなる。昨日の敵は今日の友というやつかな、ふふ。
だけどマリーさんの話とパンチョス侯爵の話、二つは密接に繋がっている。教会からの外交による圧力と、海からの武力による圧力。帝国はこれを同時に進めようというのだ。そして私はヴェルギリウス様の言いつけによって動けない。だけど……
「ヴェル様と話をするくらいはいいよね」
動くなとは言われたけど、何も考えるなとは言われていない。あれ? 何もするな、だったっけ。まあ、いいや。それに情報の収集は大切だ。そして……
そして何よりも私の身辺を騒がせるのは許せない。私は静かに研究がしたいのだ。そう私は決意を新たにしたのだった。
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loooko
次回は12月13日17:00更新です。