86.学校対抗戦二年目 後編
「ではお父様、私は展示場に戻ります。お母様も後で見にいらしてくださいね」
「なんだ、アインはエーリッヒの剣舞は観ないのか?」
お父様が言う通り、剣舞ではエーリッヒお兄様が演者に選ばれている。その為にこの観覧席に居ないのだけど、剣舞は魔法の実演と違って、私の展示場から比較的近くで行われるので、そこからでも観れるのだ。
そうして私が展示場に戻ると、ヴェルギリウス様は飛行船ノーティラス号のリモコンを手に、様々な動きを楽しんでいた。しかも周りを大勢の貴婦人に囲まれている。
「おお、アインスターよ、丁度良かった。このご婦人方が熱気球の仕組みを詳しく聞きたいらしい。説明してやってくれ」
ん? 皆、一様にヴェルギリウス様を見詰め、気球に興味を示している様子は無いのだけれど。まあ、説明するのにやぶさかではないが。
「わかりました。この熱気球というのは空気の温度、熱い空気は軽く、冷たい空気は重いという性質を利用して浮力を得ていまして……」
「あら、いけない、そろそろわたくしは剣舞のほうを観てまいりませんと、おほほほ」
あらら、私が解説を始めると、ご婦人方は蜘蛛の子を散らす様に皆どこかに行ってしまった。その様子をヴェル様が可笑しそうに眺めている。
「ヴェル様! もう、何を笑っているのですか。ヴェル様が相手をしないから皆いなくなってしまったじゃないですか!」
せっかくのお客様が、って、あれ? お客様じゃないのか。そうだよね、研究にお金を出してくれる訳でも無いし。でもせっかく見に来てくれたのになあ。
「構わぬ。彼女等とて別に研究に興味があって来た訳では無かろう。彼女等がここに居たせいで見学しづらかった者もいたようだ。それにちゃんと見学に来た者達は皆感心して帰っていったぞ。また研究所を訪ねたいと口々に言っていたのでな、その時は本気で相手をしてやるとよい」
うん、彼女達はヴェル様を見に来たんだね。公爵だし独身だし、それに態度はともかく顔は端正だからそりゃモテるよ。ちぇっ。
そんな私の思いを余所に、当のヴェル様は相変わらず飛行船で遊んでいる。人気が去って急に展示場が静かになってしまったな、そう私が辺りを見渡していると、遠くからこっちに向かってくる見知った顔が視界に映った。
あれは! ウォーレン公爵、リチャード君のお父様だ。それともう一人の老人は、誰かな、知らないな。
「アルティノーレ嬢、いやアルティノーレ伯だったな。息災そうで何よりだ」
「ウォーレン公爵閣下もお元気そうで嬉しく存じます」
笑みは湛えているが、この人の前では何故か固くなってしまう。リチャード君のお父さん、という雰囲気では無い。そして私が公爵の隣に目をやると、一緒にいた老人が、ふん、と鼻を鳴らした。
「この小娘がこれまでの研究を行ったというのが未だに信じられんわい。儂ゃずっとシュレディンガの小僧がおかしな物ばかり作っておるのだと思っておったが」
おお! この傍若無人っぷりはウォーレン公爵よりも偉い人なのか。公爵も隣で苦笑いを浮かべている。
「父上、いきなり無礼が過ぎますぞ。申し訳ない、アルティノーレ伯爵。これはウォーレン家先代、まあ私の父親であるが、グスタフ・ウォーレン、伯爵の学校の校長でもある。最近は益々惚けてきたらしく、無礼な事を平気で口走ったりもするが、ご容赦願いたい」
「戯け、誰が惚け老人じゃ! ゲオルグもこんな小娘に気を使いおって。だからシュレディンガの小僧なんぞにしてやられるんじゃ」
あらら、このお爺ちゃん元気いっぱいだ。そしてご紹介の通りウォーレン君のお爺ちゃん、という事は第一研究所の所長という事になる。ちなみに魔法学校の校長という事だけど私は学校でその姿を一度も見た事が無い。
「それで小娘よ、今度はどんな研究をしたんじゃ? この儂が直々にみてやろう」
「アルティノーレ伯、親父殿はこう言いながらも今日の展示を楽しみにしておりましてな。ここ数日は珍しくウキウキと」
「こりゃ、ゲオルグ! 余計な事を言うでない」
そんなコントの様な二人のやりとりを眺めていると、私の頭の直ぐ上を、ぷうん、とプロペラの高音を響かせながらノーティラス号が横切った。
そして……
「あ痛! なんじゃい、こりゃ」
その先端がコツン、とグスタフさんにぶつかった。
「これはこれは、グスタフ卿。失礼しました、お越し頂いているとは気付きませんでした」
もちろんノーティラス号をぶつけた犯人はヴェル様だ。それなのにこの物言い、白々しいにも程がある。
「ぐっ、シュレディンガの小僧。よくもやって…… くれ…… え? う、浮いとる! 空中に浮いとるじゃないか。なんじゃ、これは!」
そう言ってグスタフ老人がぷかぷかと飛行を続ける飛行船を興味深そうに見詰め。
「これは飛行船と言いましてね、アインスターが今回の展示に用意したものですよ、グスタフ卿」
「ど、どうなっとるのじゃ? どんな魔法を使っとるんじゃ?」
「秘密です」
あ、ヴェル様が意地悪してるよ。
「ええじゃろ、減るもんじゃないし、こうやって公開しとるんじゃし」
「知りたいですか?」
「勿論じゃとも!」
「秘密です」
むきぃ、と唸るグスタフ老人。ヴェル様、この人の事嫌いなのかしら。でもそろそろ教えてあげてもいいんじゃないの、ちょっと可哀想だよ。
私がそんな思いで見詰めると、ヴェル様も意を汲んだのか、諦めた様に肩を竦めた。
「仕方ない、アインスターよ、この老人に少しご説明して差し上げなさい」
って、やっぱり私か! うん、しょうがないよね。ヴェル様の言葉を受けて、わかりました、と私。
「……という風に空気にも重さがあり、軽いものは浮かび重いものは沈む、これが原則です」
ふむふむ、と老人。意外にも私の説明を素直に聞いている。
「今回の展示では二つの方法で浮力を得ています。一つは空気より軽い気体を使う、もう一つは空気自体を軽くする。共に周りの空気よりも軽くという発想は共通しています」
「それを魔法でという訳じゃな。軽い気体というのは何となくわかるが、空気を軽くというのはどういう事じゃ? 空気は空気、同じ重さなのではないのか? 尤も儂ゃ空気の重さというのがまずわからんがの」
そう言ってグスタフ老人は両手を広げた。その手に空気を感じているのかも知れない。
「グスタフさんの仰る事はわかります。私達がこうやっていても空気の重さを感じる事は出来ません。ですが空気には温度によって重さが変わるという性質があります。正確には熱で体積が膨張し……」
そうして私は説明しながら展示してある熱気球を示した。
「なるほど、そういう事か。む、という事は先の魔法実演で我が孫のリチャードが見せた爆発魔法、同じ原理を利用しとるんじゃないのか」
その通り。高温の油に水滴を溢すと爆発するのと同じ。ほぅ、やっぱり只の惚け老人じゃないや。理解の早さと勘の良さはヴェル様をみている様だ。
「リチャード君達の魔法は見事でしたね。難しい事に挑戦していたんですが」
私がそう言うと、瞬く間に老人の顔が緩んだ。
「おお、お主にもわかるか! いや、リチャードは儂の自慢の孫での。そうじゃ……」
そうして少し考え込む素振りを見せたグスタフさんは、やがてヴェルギリウス様に視線を向けて言い放った。
「ヴェルギリウスの。この娘を儂の研究所にくれ。な、頼む!」
な!? いきなり何を言い出すんだ! 見るとヴェルギリウス様も唖然という表情を浮かべていて。
「グスタフ卿、何を仰っておられる。このアインスターは今や第二研究所の所長ですよ。立場上、もう一つの研究所所長であるあなたと同格という事になります。いち研究員でもあるまいし、出来る訳が無いでしょう」
「嫌じゃ、嫌じゃ! 儂も空を飛ぶ乗り物の研究がしたい、作りたい! シュレディンガばかりずるいぞ、この娘、とんでもない才能を秘めとる。お主の研究が讃えられておるのはその娘のおかげじゃろう。そ、そうじゃ、娘よ、リチャードの嫁になれ。うん、儂が許す。おお、これは良い考えじゃ、お主ならリチャードの嫁にぴったりじゃ!」
「父上、もうそのくらいでおよしなさい。当のアルティノーレ伯爵が困っているではありませんか。私も伯に我が家に入ってもらいたい気持ちはありますが、こればかりは当人達の問題。いや、リチャードはまんざらでも無い様子ですが、伯爵の気持ちというのもありましょう。それにシュレディンガ公爵にずるいと仰られても彼は研究所の所長職を退いている訳ですからな。こればかりは仕方ありますまい」
ふぅん、リチャード君がまんざらでも無いというのは公爵の勘違いだとしても、結婚を当人に任せるというような物言いはちょっと意外だな。政略結婚とかあるのかと思っていたけど、少なくともウォーレン公爵はそのような考えの人物ではないという事か。
でも良かった、家族ぐるみで嫁になれと迫られては困ってしまうところだった。リチャード君は何でも出来る人気者だけど、私からするとやっぱり子供には違いないからね。
「あの、ヴェルギリウス様。グスタフさんはこう仰っておりますし、どうでしょう、この展示が終わったら熱気球の模型をグスタフさんの研究所に貸し出すというのは。私のところは当面他の研究で手一杯ですし、ヴェルギリウス様も仰っておられた上空の観測などを行って頂ければ王国にとっても有意義なものになるのではありませんか」
そう、この気球ならば即座に軍事転用というのが難しい。それにこの世界に私が強引に持ち込んだ知識、ここで私がその技術を伏せてもいずれそれは必ずスタンダードなものになる。
非因果性関連の同時発生、シンクロニシティ。こことは別の国で今正に同じ発想が生まれたとしても私は驚かない。科学とは往々にしてそういうものなのだ。
「おお! この娘はなんと寛容な。研究者としての本分をよく心得ておる。益々感心じゃの」
私の言葉を受けてグスタフさんが諸手を挙げてはしゃぐ。
「アインスターがそう言うならそれも良かろう。私は研究所の人間ではないのだから、其方の好きにするがよい」
ヴェル様もそう言って肩を竦めた。これ以上この老人の相手をするのは面倒だと、そう顔に書いてある。
「ではそういう事で」
私がそうして最終判断を下すと、グスタフさんは顔をほくほくさせながら帰っていった。
「ヴェル様、疲れましたね」
「ああ、疲れた」
ヴェル様の口からも思わず本音が溢れる。滅多に見る事が出来ないヴェル様の様子に私の頬も自然緩んだのだった。
その後、対抗戦は予定通りに過ぎていった。エーリッヒお兄様は万雷の拍手の中、その剣舞を終え、リチャード君達も球技大会に於いて無事昨年のリベンジを果たした。
魔法学校二年生。所長として研究に明け暮れた私の一年間も、こうして溢れる愉しさの中、北からの冷たい風に消えていったのだった。
次回は12月6日17:00更新です。




