82.リチャード君と後輩ちゃん
「アイン、丁度良いところに。ちょっといいかな」
魔法学校での午後の授業に出る為、教室に入った私にそう呼び掛けたのはリチャード君だった。
ちなみに二年生になって、学校では魔法学史、つまりこの国の魔法の歴史を学ぶ授業が始まった。それに私は欠かさず出席している。
「はい、何でしょうか」
私がにっこり微笑むと、リチャード君もキラリと白い歯を見せて笑う。彼は相変わらずクラスのリーダー的存在だ。
「今日の授業が終わったら研究会の方に顔を出してくれないかな? 今度の学校対抗戦の事で話があるんだ」
研究会とはリチャード君が中心となって行っている実戦魔法研究会で、これは学校の部活動に類する。私もそのメンバーに名を連ねてはいるが、実質幽霊部員といったところだった。
「わかりました」
私の返事にリチャード君が大きく頷く。学校対抗戦、そうか、もうそんな時期だったか。
これは王都にある二つの学校、騎士学校と魔法学校の懇親を目的に毎年行われる行事で、その年の暮れに各学年の選抜生徒が学んだ技術を披露し合うというものだ。
学年毎の魔法実践、それに騎士学校の生徒との球技大会、この二つがメインとなる。
私は昨年の球技大会で、張り切って参加したものの、開始早々にノックアウトという屈辱を受けた。ぐぬぬ、今年は挽回せねばなるまい。
学校には自習室というのがいくつか設けられている。リチャード君達、実戦魔法研究会はその内の一つを活動の為の部室として使用している。一年生の時は教室をそのまま使用していたが、二年生になり、新入部員も増えたというのがその理由だった。
「リチャード君、いますか?」
私はその扉を開く。ん? まだリチャード君は居ないようだ。
「見ない顔ですわね。リチャード様に何かご用かしら? それとも入部希望かしら? 止めておきなさい、この研究会は厳しいわよ」
小さい! いや私が言うのもなんだけど、小さくて可愛い! くるくるとカールした金髪、少しきつめだがぱっちりとした瞳、私とどっこいどっこいの身長。
まるでお姫様の様だ。 ……いや、多分お姫様だ。
「ああ、ええと、そんな厳しい場所だとは知らずにごめんなさい。私もこの研究会のメンバーなんです、一応」
リチャード君は普段どんなスパルタをしているのだろうか。私が参加した会は和気藹々としたものだったけど。
「メンバー? 嘘おっしゃい。私はもう皆様の顔も名前も覚えました。一年生だからと言って甘くみないで頂戴!」
そう言って彼女が鋭い視線を向ける。だが小さな胸を張ってピンと私に向け手を伸ばした姿もまた可愛い。
「実は私……」
そうして事情を説明しようと私が口を開いた時、私の後ろでばっ、と部屋の扉が開いた。リチャード君だ。
「ああ、すまない、アイン。待たせたようだね。ん? エマルフィーネも居たのか。いつも早いな、感心感心」
エマルフィーネというのか。そう呼ばれた少女が満面の笑みを湛えて応える。
「あら、リチャード様。そちらの女性はお知り合いでしたか。それは失礼を、ほっほっほ」
ほっほっほ、って、そんな言葉この貴族社会でも初めて聞いたよ。それに先程までのきつい表情はすっかり鳴りを潜めている。
「丁度良かった、アイン。紹介しておくよ。今年から研究会に入った一年生、エマルフィーネ・グレイスリー。グレイスリー伯爵家のご令嬢だ」
「エマルフィーネちゃん、宜しくお願いしますね。私はアインスター・アルティノーレです」
私も挨拶を返す。その私の言葉に彼女は、あっ! と声を上げた。
「あ、あなたがあのアインスターですの! リチャード様から話は伺っていましたが…… ふふふ、これはリチャード様のお話、やっぱり大袈裟でしたわね。こんな一年生かと思う程のちびっこ、リチャード様を超える程の魔法師の筈ありませんわ!」
おおぅ、久しぶりにちびっこ扱いされたよ。まあ背はあまり延びてないから仕方ないけど。でもエマルフィーネちゃん、もう取り繕った笑顔が剥がれてるよ、大丈夫かな。
そんな彼女の様子にリチャード君から笑い声が漏れる。
「あっはっは。エマルフィーネは凄いね。今をときめくアルティノーレ伯爵にそんな事が言えるのは君くらいのものだよ」
「アルティノーレ伯爵?」
エマルフィーネが首を傾げる。伯爵令嬢ではなく伯爵。その爵位は私に与えられたものなのだ。まあ、そんな肩書きはどうだっていいんだけど。
「アイン、このエマルフィーネは凄いんだよ。アインの無詠唱魔法を直ぐに覚えて、そしたら二つの魔法を同時に使えるようになったんだ」
そう言ってリチャード君が嬉しそうにはしゃぐ。
彼の言う通り、学校では今年から無詠唱による魔法を授業に取り込んでいる。尤も、従来の魔法理論に加えて希望者のみに行われるものだったが、これは指導する側の教員不足と自然科学の理解不足に依るところが大きい。
「だけどね、エマルフィーネ……」
リチャード君が今度はその視線を彼女に向ける。
「このアインスターには絶対に逆らっちゃ駄目だよ。どうなるかは知らないけど、きっとえらい事になるからね」
ちょっと、リチャード君、それは酷いんじゃないかな。そんな真面目な顔で言うから、ほら、エマルフィーネちゃんが口をぽかんと開けて固まってるじゃない!
「え、ええと、嫌だなあ、リチャード君。どうにもなりませんよ、あはは。それより、凄いですね、エマルフィーネちゃん。リチャード君は出来ますか? 二つの魔法を同時に展開するなんて」
そう言って私は咄嗟に話をずらす。
「やってみたんだけどね。上手く出来なかったよ。どうしても片方に意識が集中しちゃって、タイミングが合わない」
そりゃそうだ。それは右手左手で別のプログラムを同時に組み上げるようなもの。やって出来ない事は無いが、タイムラグをつけて魔法発動のタイミングを合わせるとか、私なら別の方法を考える。
「少し器用なだけですわ。元々私の家は魔力が少ない家系で大きな魔法が使えないのですけれど、その分魔法の扱いには長けておりますから」
なるほど、魔力が少ないというのは体内に蓄えられる魔素が少ないという事だ。魔力だけは豊富というシズクさんやコノハちゃん。彼女達姉妹のマツバノミヤ家とは丁度真逆という訳だ。
「授業で教えて頂いた自然科学といいますの? 水が熱によって膨張すると爆発する、それを聞いて水の魔法と火の魔法を同時に使えばいいんじゃないかと思いましたの。小さな魔法で大きな爆発が起こる、私にぴったりの魔法ですわ」
先程のリチャード君の暴言が効いたのだろうか、エマルフィーネちゃんの口調が大人しい。強気な彼女も可愛かったのでちょっと残念だけど、科学をしっかり理解してくれているのは嬉しい。
「リチャード君、良い後輩が入ってくれて良かったですね。研究所に欲しいくらいです」
やはり小さいうちから自然科学に触れておくというのは研究する上で大きな力になる。この世界の常識、それを振り払うのはなかなか大変だから。
「アイン、駄目だよ、彼女は魔法大隊の魔法師を希望しているからね。それより、今年の学校対抗戦の話をしていいかな?」
そうだった。その為に私は呼ばれたんだった。
「ええ、そうでしたね」
私とリチャード君でテーブルを囲む。
「今回の対抗戦だけどね……」
そうしてリチャード君はにこりと微笑みながら話始めた。部屋の隅ではエマルフィーネちゃんが羨ましそうにこちらを眺めていた。
次回11月8日17:00更新です。