SS8.ギルベルト~魔王の暗躍~
「ふぅ、まさか卿の口からそのような言葉が出るとは思わなかったぞ。本気かヴェルギリウス?」
俺の問いにテーブルを挟んで向かい合った友人が頷く。
「卿はそのような煩雑を一番嫌っていると思っていたがな。研究所なぞに籠ったのもそのためだろう。どういう心変わりなのだ?」
頭はキレる、魔法の腕も相当なものだ。しかし社交に興味がなく公爵という立場を煩わしいだけのものだと考えているような男だと思っていたのだが。
「今の治世に何か不満でもあるのか?ルーベンス王は公明正大を良しとする良君だ。国民の信頼も厚い」
「ああ、私もそう思う。民を想い良く国政に励んでおられる。歴代の王にひけをとらぬ名君だと私も思う」
現ルーベンス王は俺やヴェルギリウスがまだ家督を継いでいない時分から、若いながらも文武に優れた王として他国に名を馳せていた。
数年前に起こった隣国レブラントとの大規模な戦争でも自ら兵を率いて先頭に立ちその勇名を内外に示すこととなった。そのため俺を含めて騎士団からの信頼も厚い。
「そうか、そうすると理由は…やっぱりアインちゃんか」
「…ああ。ルーベンス王は民を想う名君、だからこそいざという時アインスターを守りきれる保証がない」
我が友が研究所の所長職を退き何やら良からぬ画策をしているという噂は俺の耳にも入っていた。ヴェルギリウスの性格を熟知している俺だからこそ、そんなものは愚にもつかない噂だと一笑に付していたのだが、アインちゃん絡みだとなればなるほど頷ける。
ヴェルギリウスという男は基本的には人間嫌いだ。その例外が俺や研究所の研究員。奴が俺に気を許すのは幼馴染みの腐れ縁というやつだが、研究所の研究員は奴の分類ではどうやら一般人の枠に入らないらしい。
アインちゃんも元々研究がしたくて魔法学校に近付いたようなのでヴェルギリウスとは研究者として肌が合うのだろうと思っていたが、どうやらそれだけではないのかもしれない。ヴェルギリウスの過保護っぷりが度を越しているからだ。
いや、そもそもヴェルギリウスの奴が人の面倒をみるなんてなかったはずだ。ラプラスにしてもベンジャミンにしてもヴェルギリウスの何処に惚れ込んだのか知らないが、奴の無茶振りに勝手についてきているだけなのだ。
「それほどアインちゃんは危険な状況なのか?俺にはそうは思えんが、何か根拠でも?」
「わからぬ。だが一つには先のレブラント王国の動きの裏にギュスターブ帝国の影があったことが気にかかる。そしてもう一つ、こちらが最大の懸念事項なのだがアインスターはボグナーツ正教会の禁忌に触れている」
ボグナーツ正教会…我々が普段教会と呼ぶその組織は神聖ギュスターブ帝国内に総本山を置き、各国に進出している。ほとんどの街にそれは存在し人々の生活に無くてはならないものとなっている。
「教会の禁忌、治療魔法か!そういえばアインちゃんは医療チームというのを組織していたんだったな。だが王都の教会と問題を起こしたとは聞いていないが?」
騎士団はその性質上、回復の場となる教会とは関係が深い。アインちゃんが教会に協力している格好だという話だったように思うが…
「今はまだ問題は起こっていない。だがなギルベルトよ、治療、回復というのは教会の生命線だ。唯一治療が行える、その大義名分をもって他国に例外的に治外法権を認めさせているのがボグナーツ正教会なのだ。他に治療を行えるものが現れれば教会の存在意義は無くなる」
ヴェルギリウスの顔が深刻さを増す。
「ギュスターブ帝国にとって他国に教会を置くことの意味は大きい。信者の獲得はもちろん、他国の内情を探るのにこれほど適した立ち位置はないからな」
所謂スパイ活動。確かに人が集まるところには情報も集まる。
「いずれアインスターの存在はギュスターブ帝国にとって看過し得ないものとなるだろう。レブラントを挟んでその距離は遠いといえど、海では一本に繋がっている。例えば海岸の港町ヴィンセントなどを人質に取られればどうなるか」
ギュスターブ帝国が最強と謳われる所以は海上の覇権をその手中に収めているからだ。巨大な鉄鋼船六隻からなる魔法船団はそれだけで一国を屈服せしめるに十分な戦力を有している。
「だがヴェルギリウス、たとえそうなったとしても俺は騎士団を率いて戦うし、卿だってそうだろう?それにアインちゃんなら放っておいても解決すると思うがな」
ふふん、とヴェルギリウスが笑う。
「そうかもしれぬな。アインスターならば魔法船団ごときはどうにでもなるのかもしれぬ。だがな、たとえ本人にその力があったとしてもだ、一人の子供に総てを任せ黙って観ているような事は大人のする事では無い、そうは思わないか?」
ああ、確かにこれはヴェルギリウスの言が正しい。俺も相手がアインちゃんとなるとつい常識的な判断を忘れてしまう。
「すまない、お前の言う通りだヴェルギリウス。しかしだからといって卿が王になるというのは些か早計ではないか?俺に話を持ってくる前にどの程度暗躍は進んでいるのだ?」
うちの筆頭団長からはそのような話は聞いていないし、まさかすんなりと首を縦に振るとは思えない。とするとウォーレン公爵か…
「暗躍とは聞き捨てならないが、まあよい。ウォーレン公には了解ともとれる返事を得ている。今はイェーガー公の周囲を固めているところだ。その件でも卿に協力してもらいたいと思っている」
「そうか、よくあのウォーレン公爵が納得したな」
「ああ、あの御仁の腹の中は正直私にもわからぬ。だがこれで後はイェーガー公を落とせれば良し。それが無理でも直接ルーベンス王に談判する手もある」
ルーベンス王国の王座は完全な世襲ではない。王国の五大公爵家の選挙で次代の王が選出されることになっている。
俺が当主を務めるハインリヒ公爵家、ヴェルギリウスのシュレディンガ公爵家、イェーガー公爵家にウォーレン公爵家、それに現ルーベンス王を輩出したイグニア公爵家を加えて五大公爵家だ。
そしてその内の四公爵家、実質的には王家を除く四大公爵家の総意で王に退位を迫ることができる。
それにしてもイェーガー公爵ならともかく、現ルーベンス王の出身であるイグニア公爵家に退位を認めさせる算段を立てているあたり正気の沙汰とは思えないが、ヴェルギリウスはやるといったらやる男だ。
「話はわかった。すぐには返事が出来ないが、考えておこう。卿が本気だという事はよくわかったよ」
そして俺はヴェルギリウスに真っ直ぐ視線を向けた。
「しかし卿は本当にそれでいいのか?お前が真にやりたいことは研究で人々の生活を守ることではなかったのか?」
ヴェルギリウスが俺を見つめ返す。
「ギルベルトよ、私は…以前からわかっていた。わかっていたのだ。魔法に携わる者なら気付くだろう、魔法による治療、これがどれほど人々の役に立つかということを。しかしそれは教会の禁忌に触れる、だから私は避けてきたのだ。研究しても上手くいかないかもしれない、新しい魔法などできるわけがない、そう自分に言い聞かせて事を成さなかったのだ!!」
ヴェルギリウスの強く握られた拳が華麗を誇るテーブルに音を立てて突き刺さる。
「それをたった一人の少女が成した。しかも治療魔法の開発という小さな枠を超えて。もちろん教会の禁忌に触れる、それがどういう事なのかわかってもいないに違いない。だがたとえ理解していたとしてもアインスターは研究を続けただろう。そこに人々の幸福があるのなら一途にそこに向かっただろう」
「………」
「私には…俺にはそれが出来なかった。それでどうして人々の生活を守るなどと言えるのか!…だから私は私の出来ることをする。アインスターが自分のために研究を続けられる環境をどんなことをしてでも守る」
この男は自分の才能を無駄遣いしている、この男がその気になれば不可能な事は何一つ無い、俺はずっとそう思っていた。だがどうやらそうでもなかったらしい。
人一倍国を想い、誰かを想い、そして人一倍苦悩する。俺の友人はそんな当たり前の男だったようだ。
「激昂する卿を見るのも久しぶりだな。そうだなヴェルギリウス、卿には卿の出来る事をするといい。目が覚めたよ、俺も俺の出来る事をしよう」
俺の出来る事、そうだな、まずは………しよう。どう見たって奴は柄じゃないからな。
俺は一つウィンクをしてシュレディンガ公爵邸を後にした。
次回は9月13日17:00更新です




