7.街に買い物にいく
私が魔法に慣れたころ、お兄様達が騎士学校に行く日がやってきた。
この世界では一年は八の月に分かれている。ひと月が基本的に45日あり、一年が365日というのは前の世界と同じで一の月と五の月で一年の日数が調整されているようだ。
その一の月と五の月は騎士学校がお休みで二の月から授業が始まる。騎士学校は王都にあるのでこれからお兄様達は王都で寮生活を送るのだ。また五の月になったら帰ってくる。
王国騎士であるお父様も1の月と5の月は隊ごとに交代で長期の休みを取るそうで、二の月になると仕事が忙しくなり家を空けることが多い。
ちなみに私が住むこの街はフェルメールという名で、王都までは馬車で半日ほどかかるらしい。
「リヒャルトお兄様、エーリッヒお兄様、お気をつけていってらっしゃいませ」
私がそう言うとエーリッヒお兄様が、ふん、と胸を張る。
「ああ、アインのおかげで身体強化を使えるようになったのだ。今年は学校に行くのが楽しみだ」
身体強化が使えるようになり、お父様達との稽古で随分と強くなったエーリッヒお兄様は、早く学校で剣の腕を試したいらしい。
「エーリッヒの学年で身体強化を使いこなせる者はほとんどいないからな。私も今年は同学年では負ける気がしないよ。優秀な成績が取れるように頑張ってくるよ」
リヒャルトお兄様もそう言って馬車に乗り込んだ。
「お前たち、あんまり調子に乗るなよ。学校で教わる基礎は騎士になっても大事なことが多いからな。しっかり勉強してくるように」
「怪我しないように、体には気を付けるのよ」
お父様とお母様も声をかける。
「それでは行って参ります」
馬車の中からリヒャルトお兄様が手を振ると馬車は動き出した。明日にはお父様も仕事で王都まで行ってしばらく帰ってこないらしい。皆がいなくなってしまうこの季節は毎年ちょっと寂しくなる。
「アイン、明日は母さんと一緒に街の市場まで買い物にいきましょうか」
家に戻るとお母様が買い物に誘ってきた。人見知りの私は実はこれまで家から出ることはほとんど無く、人の多い街の市場などには一度も行ったことが無かった。
ちょっと不安だなぁ、どうしよう。と少し考える。でもお兄様達がいなくなるこの季節、魔法の研究に打ち込むためには、いろいろな材料や知識を得るために一度街に出なければいけないと考えていたところなのだ。
「わかりました。明日は買い物に行きましょう、お母様。私、市場に行くのは初めてなので楽しみです」
そう言って私はにっこりと微笑む。
「アインも騎士学校に行く前に、街の様子も知っておかなくてはいけませんものね」
私は前の世界での記憶があるため一人でも暮らしていけるとは思う。前の世界でも研究室に通いながら一人で暮らしていたのだ。一人でご飯も作っていたし、一人で洗濯もしていた。
…ぼっち言うな!
でもこちらの世界では勝手も随分違う。家にあるものである程度科学の水準が低いということは察しがついているが、街に出るとまた違った発見があるかもしれない。
「もしかしたら魔法の道具なんかがたくさんあるかもしれない。そう思うとちょっと楽しみかも」
電気が無い代わりに家の明かりや調理道具には魔法の道具が使われていたりもするのだ。
案外魔法文明も凄いのかもしれない。
翌日、早朝からお父様が仕事に出るのを見送る。新しい月になるにあたって騎士が一堂に王都に集まるらしい。その後各自任務に就くようだ。
「お父様、気を付けて行ってらっしゃいませ」
私はお父様を見送るとお買い物の準備にかかる。見たいものや買いたいものは昨日のうちにリストにまとめてあるので私自身は準備することもさほどないのだけれど、ターニャにいつもより良い服を着せられ、髪を整えられる。
いつもは外に出ることもなく剣術の稽古もあるので動きやすい服装だが、外に出るときは貴族らしい
服装でなければいけないとお母様にも言われてしまった。
「お母様、これで大丈夫でしょうか。少し袖が短くなってしまったようですが…」
あまり着ない服なので久しぶりに袖を通すと少し短くなっていた。私も少しは成長したのかな、うふふ。
「そうね、アインも大きくなったものね。今日は新しい服も買うつもりだから今日のところは我慢して
ちょうだいね」
私も来年には騎士学校に行く準備をしなければならないようで外回り用に見栄えの良い服も何着か必要なのだそうだ。本当はずっと引きこもっていたいので服はいりません…なんて言えない。
「ありがとうございます。でもまたすぐに成長して着れなくなってしまわないでしょうか?」
「その時はまた買えばいいのよ。子供のうちはいくつも服が要るものよ」
そうしてお母様と朝食をとってから街に出かける。私の家は貴族街でも領主様のいる中央からはだいぶ離れた貴族街の入口付近で市場のある下町までは歩いて行けるようだ。街の道は所謂石畳でお兄様達が乗った馬車が凄く揺れていたのを見て、馬車には乗りたくないと思っていたので良かった。
このフェルメールの街は三角の扇形をしていて頂点の部分が領主様の屋敷になっている。屋敷といっても半ば要塞のような佇まいなのだけれど。そこから放射線状に爵位貴族の屋敷が広がり、さらに下級貴族の家が続く。私の家がその辺りだ。以降は下町で貴族街の境が市場になっており、さらに平民の住居や職人の工房があって一番外側が農場になっているようだ。街全体は壁で囲われていて中央の大門が主な出入り口となっている。
街全体が城壁のような壁で囲われているのは、外に魔物と呼ばれる生き物が存在するからだそうで他の街や王都に行く場合は大勢でまとまって護衛を連れて行かなければならない。
…魔物、何それ?コワい。さすがファンタジー世界。
「お母様?市場が近いのですから下級貴族のほうが良い場所に家があるのではないでしょうか?」
「あらあら、大貴族は普通あまり市場に買い物に行ったりしませんよ。家の者が買い出しに行ったり市場の人間が欲しい物を届けてくれるのよ。」
市場まで歩く道すがら、大貴族は買い物に行くのも大変だねぇ…と思っているとお母様が答えてくれた。そうだよね、うちも普段はハンスが買い物に行ったりしているからお母様が市場に行くのも珍しいのかも。
「お母様もいつもは市場に行かれないのですか?」
「そうねぇ、うちは下級の貴族だからたまには下町にも行くけど…それほど多くはないわ。今日はアインの服を決めなくてはいけないでしょう?採寸に職人を呼んでもよかったのですけど、たまには下町に出るのもいいでしょう?」
そういってお母様は、うふふと笑う。下町といっても市場辺りは下級貴族もよく来るので治安も比較的良いらしい。
「ですからまずは社交用の服を見に行きましょう」
そうこうしていると辺りがガヤガヤと騒がしくなってきた。道の両側に露店のような店が広がる。どうやら市場に入ったようだ。様々な野菜や肉、調味料なんかがそれぞれの店で売られている。
お母様やターニャが作る我が家の料理は基本的に塩味で素朴な味だが市場を見ると香辛料などは多く売られているようだ。
「お母様?これは何のお肉でしょう?」
店先に巨大な肉の塊が吊るされて売られている。
「これは野生の猪肉ね。必要な分だけ切り分けてくれるのよ」
それにしては大きい。これが魔物か!と思ったけどただの猪だったようだ。
「アインは食材に興味があるのかしら?買うのは帰りにしましょう」
私がいろいろな店の前で珍しそうにきょろきょろと見ているとお母様がほほ笑んだ。
「わかりました。お母様」
ひとつひとつ見て回ると時間がいくらあっても足りないので一旦服屋を目指すことにする。露店エリアを抜けるとブティックのような店舗がいくつか見えてきた。お母様の足取りはぶれないのでどうやら行く店は決まっているようだ。
「アイン、ここですよ」
店先には服と帽子の絵が描かれた木の看板がぶら下がっている。
「これはこれは。アルティノーレ夫人、お久しゅうございます」
店に入るとここの主人だろうか、丁寧な物腰で話しかけてくる。
「あら、こちらに寄らせてもらうのは久しぶりだったけど覚えていて下さったのね。嬉しいわ」
お母様がにっこり微笑む。私はその後ろにそそくさと隠れるように回り込む。やはりぐいぐいくる店員さんは苦手なのだ。
「覚えておりますとも。奥様にお越しいただくのは珍しい限りですが、ターニャ様にはいつもご贔屓にして頂いておりますれば」
一通りの社交辞令のような挨拶が終わって、店主らしき男が私に顔を向けた。
「おやおやこちらもお可愛らしいお嬢様で…それで奥様、本日はどのような御用向きで?」
「アイン、こちらはこの店ボルボワ商会の店主でボルボワさんよ。私の娘のアインスターです。今日は娘の社交用の服を数着拵えて頂きたくて」
私はお母様の陰からぺこりとお辞儀をする。
「左様でございましたか、いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます。まずはどのような生地がよろしいか、こちらでご覧になってくださいませ」
そういってボルボワさんに案内されて奥に向かう。途中には出来合いの服がずらりと飾られているが、どうやら私の服は生地から作るようだ。
「お母様?わざわざ生地から作らなくてもこちらに飾られているものから選べばいいのではないでしょうか?」
子供用と思われるサイズの服もたくさん飾ってある。
「駄目よ、アイン。女性のドレスは体に合ったものでないと。アインは可愛いのだからドレスも良い物を作らなくてはね。大丈夫よ、ここの生地はどれも素晴らしいものだからボルボワさんに任せておけばきっと良いものができるわ。ほら、こっちにきて一緒に生地を選びましょう」
おふっ、どうやら今日買いにきたのはドレスだったようだ。社交用って言ってたから豪華な洋服だとは思っていたけど…せめてフリフリのついたワンピースくらいでいいのに…
「お母様、私どんな色が似あうかわかりませんのでお母様が選んで下さいませ」
「そうねぇ、アインは綺麗な紅い髪をしているから紅い色も似あうと思うわ。それとやっぱり白もいいわね」
お母様がとても楽しそうに生地を見てまわる。私もその後ろからてくてくと付いていく。
はあ、お母様には言えないけど、こういうショッピングは疲れるんだよねぇ。以前の私もショッピングなんかには全く縁がなかった。持っている私服も少なかったし…
そうしているとボルボワさんがやってきた。
「奥様のお目に適う生地はございましたでしょうか?」
「こちらとこちらを考えているのですけど、どうかしら」
お母様が先ほどの紅い生地と白い生地を見せる。紅い生地は広げると濃淡のついたグラデーションになっていた。
「さすがは奥様、こちらの紅い生地など着こなしが難しいのですがお嬢様のお美しい紅い髪にぴったりでございますね。お任せください、お似合いの衣装に仕立ててみせますよ」
「そう、それではお願いするわ」
「かしこまりました。さ、さ、お嬢様、採寸の準備が整いました。こちらに」
そう言って私を奥の部屋へと連れて行く。そこには数人の女中さんが採寸道具を持って待ち構えていた。完全オーダーメイドだけあって私は頭の上から足の先まで細かに採寸されてゆく。両手を伸ばしてじっとしているだけで疲れてくる。思わず、ふえぇ、と溜息が漏れた。
採寸が終わって部屋を出るとお母様とボルボワさんがデザインについてああだこうだと話し合っていた。
「お母様、採寸が終わりました。ちょっと飾ってある服を見てきてもいいですか?」
実は私の欲しいものリストにエプロンがある。色々な実験をするのに汚れても良い服が欲しかったのだ。エプロンならお母様の手伝いにも使えるし…
「ええ、構わないわよ」
お母様に了解をもらって店の中を物色する。へぇ~、この世界ではこんな服が流行っているんだねぇ。生地は先ほど私のドレスに決まった光沢のある絹のような素材から綿や麻のような素材がある。当然ポリエステルのような化学繊維はない。これは洗濯とか大変だね。全体的に単色の服が多く、女性用だと飾りにフリルやリボンが付いていたりする。
「絵が入ったTシャツなんて無いよね、やっぱりエプロンがいいかな?エプロンはここには無いか……あ!!」
店内をうろうろしていると一着の服が私の目に留まった。
「これ!白衣?…白衣っぽい!生地もしっかりしてる。いいなぁ、これ」
男の子用のコートだろうか、綿と絹を混ぜたような手触り、真白でなんの飾りっ気もない。ポケットは…無いか、でも後で付ければいいし…
研究をするのにはエプロンよりも白衣の方が断然いい。私はこの服が無性に欲しくなった。お母様におねだりしてみよう。
「お母様!私この服がとても気に入りました。買って欲しいのですけど駄目でしょうか?」
そう言って私は白衣をお母様に見せる。
「あら?これは男の子が着る服よ。本当にこんなのがいいの?」
「はい。とても気に入りました。お家の中だけで着ますのでこれを買ってくださいませ。あ、もしかしてこれはお高いのでしょうか」
「そんなに高くはないと思うけど…どうかしらボルボワさん」
さすがのボルボワさんも困ったような顔で応える。
「え、ええ、こちらは男の子向けの普段着で…いや、どんな場面でも使えまして、素材は高級ではないのですが、その、しっかりはしています、はい。お値段はお手頃で銀貨3枚と大銅貨2枚です」
「アインは変わった服が好きなのねぇ?」
「はい、とても動きやすそうなところが気に入りました」
「しかし、お嬢様には少し大きいサイズになっておりますが…」
「大きいくらいでちょうどいいのです。すぐに背も伸びますし」
「わかったわ。そんなに気にいったなら買っていきましょう。せっかく街まで来たのですものね」
「お母様!ありがとうございます!あとボルボワさん、これと同じか似たような生地を少し分けてもらえませんか?このくらいです」
私はボルボワさんに両手で大きさを示す。
「余りの生地でよろしければお付けいたしますよ。それでは奥様。お代は如何いたしましょう?」
「この分は今お支払いいたしますわ。それとドレスの手付のお金です」
そう言ってお母様が金貨1枚と銀貨3枚、大銅貨2枚をボルボワさんに渡す。
そういえばお金のやり取りをしているのは初めて見た。この世界のお金は銅の粒、銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、そして今渡した金貨がある。それぞれ10枚で一つ上のお金と交換できるのだ。物価がわからないから何とも言えないが先ほどの白衣からして銀貨1枚が1000円から3000円といったところではないか。
「奥様、確かに受け取りました。ではできましたらいつものようにお届けに伺います」
「宜しく頼みますね」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
白衣を買ってもらった私はボルボワさんに見送られながらウキウキで店を後にした。