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69.ミケラン神父とマリーさん

 教会との話し合いは思っていたよりも早く実現した。ラプラスさんに調整をお願いしていたのだけれど、このタイミングを見ると先方の思惑のほうが強いと思われる。後手にまわってしまったというわけだ。


「所長、準備が整いました。お茶でもいかがですか?」


 今日のメンバーは私にマルキュレさんとラプラスさん、教会側から神父のミケランさんとシスターのマリーさんだ。場所はここ、研究所の第二研究室で行われる。

 以前教会の近くを通った際にちょっとした騒動があり、ミケラン神父とシスターのマリーさんとは面識がある。はたして先方が私の事を覚えているかはわからないけど。


「あら、アイン所長と少しでも関わった者なら、忘れるなんていうことは絶対にありませんわ」


 うん、どういう意味なのかな?マルキュレさん。


 しばらくしてラプラスさんと教会の二人がやってきた。ラプラスさんが案内してくれていたようだ。


「本日はお招き頂きまして…あ!やっぱりアインスターさんでしたか。お話を聞いて、もしかしたらと思っていましたが」


 物腰柔らかなミケラン神父が驚いた表情で私を眺める。先方も私の事を覚えてくれていたようだ。


「ご無沙汰しています。さあ、こちらへどうぞ」


 席に着きお茶を勧める。話し合いは穏やかな雰囲気で始まる、と思われたのだが。


「初めに教会としての見解を申し上げます」


 ミケラン神父が厳しい表情を見せた。


「こちらのラプラス氏より概要は伺いましたが、教会としては教会が所有する治癒魔法や魔道具において貴国との情報共有に応じることはありません。また教会が行う以外の治療行為を認めることも出来ません」


 うん、これはまあ想定内だ。教会がこれまで独占してきた治療行為を他に認めるということは教会の利益を直接犯すことにつながる。教会側として容易に認められるはずはない。


「そして教会は貴国が所有する回復魔法の情報開示を求めます」


 おっと、これは強く出たな。自分のところは秘密を守り、相手には秘密の公開を求める、強者の論理、最大のジャイアニズムだ。


「構いませんよ。もっともルーベンスには所有する回復魔法などありませんが。それはそちらが一番良くご存知でしょう?」


「存じています。でも貴女は使えるのでしょう?回復魔法を」


 以前にミケラン神父の前で治療のための即席魔法を使ったことがある。どちらかというと身体強化に近いものだが、神父はそのことを言っているのだろう。


「はい、私は使えます。でもそれはルーベンスが所有しているわけではありませんし、いや、どちらでも同じですね。いいでしょう、私の魔法をお教えしましょう」


 私は自分の魔法の使い方についてミケラン神父に話す。長くなるので人体の構造などの知識については大方省いた。要は私が呪文の詠唱無しに魔法を使っているということを簡単に説明したのだ。


「うーん、それが本当なら辻褄は合います。貴女は教会で魔法を使った際に呪文を唱えた様子が無かった。それに以前の貴女の魔法のお話しは、うん、そういうことでしたか」


 ミケラン神父が難しい顔で考え込む。隣に座るマリーさんは既に理解することを放棄したようだ。


「アイン所長、少し喋り過ぎでは?」


 ラプラスさんが私に声をかける。


「大丈夫ですよ、ラプラスさん。私の話を聞いたからといって、私と同じことが出来るわけではありませんから。そうですよね、ミケラン神父。教会の皆さんには魔法や魔道具が伝わっているだけで、病気や怪我に対する基本的な知識が足りません。なんなら私が使う魔法の魔法陣もお教えしましょうか?」


 私の言葉に神父が首を振る。


「いえ、良くわかりました。しかしそれではアインスターさんはいったい何を教会に求めているのでしょうか。今さら教会の魔法に関する知識は必要ないのでしょう?」


 ミケラン神父の言う通りだった。私は教会と魔法の話をしたかったわけではない。


「まずミケラン神父には私がやろうとしていることを知ってもらいましょう。この国が、ではなく私が、です」


 おそらく私の考えを全て押し出した時、この国は協力してくれない。それは構わないのだが…ラプラスさんはどうするだろう?そこが少し心配だ。


「私は医療改革として魔法を必要としない治療を実現させるつもりです」


 先刻マルキュレさんや研究室の皆にしたように医療という言葉について説明する。


「…というように病気や怪我を治す手段として選択肢を拡げたいと思っています。そのために病気に対する薬を研究所では開発しました」


「それは薬草のようなものでしょうか?」


 確かに薬草も薬といえば薬だ。しかしそれはどちらかというと漢方や或いは健康食品に近いと云えよう。魔素が働くこの世界ではそういったものがより大きな効果を示すのだ。


「薬草とは違います。特定の症状に対して特定の効果を示すもの、と考えて下さい。それによってこれまで教会では対処が出来なかった病気や怪我を治すことが可能になると考えています」


「アインスターさんに診てもらった先日の患者のように、ですか」


 そうだ。あの患者がどうなったかは聞いていないが、抗生物質があればもっと早くにまた確実に良くなっただろう。私は心配そうな顔を神父に向ける。


「ああ、ご心配には及びません。おかげさまで回復しました」


 うん、それは良かった。


「しかし一方で、この国では大きな病気や怪我を負うと教会を訪れるという習慣が根付いています。これはミケラン神父をはじめとする教会の方々が長年築き上げてきた信頼の証です。私達に一朝一夕に出来ることではありません」


 そこで私は一枚の紙を取り出しミケラン神父に示す。そこにはアインスタープリンシプルが書かれている。


「教会の協力が得られるのであれば私は研究によって得られた知識や開発した薬を教会に提供します。但しそれには条件があります。そこに書かれた原則を守って頂くこと、それが大前提となります」


 ミケラン神父は私のアインスタープリンシプルをしばらくの間、じっと見つめていた。やがて笑顔に戻り私を見つめる。


「アインスターさん、貴女の考えはよくわかりました。その上で改めて申し上げます。教会としては一切の協力を拒否します」


 予想はしていたが、こうもきっぱりと拒絶されると残念だ。神父の隣でマリーさんも驚いた顔をしている。


「ミケラン神父、理由を聞いてもよろしいですか?」


「アインスターさん、貴女は一つ勘違いをしておられる。教会の第一義は病気や怪我を治すことではなく神の奇跡を通して神の教えを広めることです。そして神の奇跡とは即ち魔法、魔法以外で治療を行うなど有り得ません」


 なるほどそういう事か。やはり最初から相容れる余地はなかったのだ。


「それに貴女が示した二つ目、これもいけません。神を崇めない者に救いはありません」


 私がこの世界で教会を避けてきた理由がはっきりとわかった。神様を信じていないからではない。その信仰心が煩わしいからでもない。寧ろ解りすぎるのだ。

 私も神様を信奉している。私の信奉する神の名は科学だ。私が科学の知識を用いて困っている人を助けようとする、その事と本質は同だ。


 私が考え込んでいるのを見てミケラン神父が続ける。


「そういった理由で教会は貴女に協力することはできません。私もギュスターブの出身で神の教えは絶対です。しかし…」


 神父がマリーさんに視線を移す。


「このマリーはこの国の者です。シスターといっても名ばかりで、遠く海を隔てた国の教えなどどうとも思っていないかもしれませんね」


 マリーさんが神父の言葉に、何を言っているんだとばかりに目を剥く。


「何を言ってるんですか、ミケラン神父!私は神父のことを尊敬しています。神父のためなら…」


「ほらね、アインスターさん、本来神の教えに従わねばならぬはずが、この娘は私のためにと言っています。いけませんね。そんないけないマリーさんなら私の知らないところでアインスターさんに協力してしまうかもしれません。例えばそうですね、教会を訪れた患者に研究所に行くことを勧めるかもしれない。または薬をもらって患者に飲ませるかもしれない」


 ミケラン神父が笑う。


「そうなっても私は気がつきませんし、たとえ気付いたとしてもどうもしないでしょう。私にはアインスターさんがおっしゃったような魔法以外の事はわかりませんから、わからないことを咎めたり、本国に報告をしたりすることはありません。わかったかい、マリー?」


 ミケラン神父の言葉にキョトンとした顔のマリーさんだったが、しばらく考えてはっと顔を上げた。


「神父、それはアインスターさんに協力せよということですね!」


「さあ、どうだろうねぇ。マリーの好きなようにするといいよ。というわけだ、アインスターさん。それでは今日は失礼させてもらいますよ」


 ああこのミケラン神父という人は本音と建前を上手く使い分けることのできる人だ。その上で建前を突き通す力を持っている。私なんかより数枚上手なんだなあ。



 終始ミケラン神父のペースで進んだ話し合いを終えて、私はほっと息を飲んだ。教会にシスターのマリーさんという協力者を得ることができたのだ。結果だけみれば満足のいくものだった。

 ついでにもう一つ用件を済ませておこう。


「ラプラスさん、今日はご苦労様でした。今後は教会との接し方は不要です。必要があれば私がマリーさんと話します。ところで私が掲げたアインスタープリンシプル、どう思いますか?」


 ずっとうかない顔のラプラスさんに尋ねる。


「ええ…難しいでしょうね。命の価値は同じ、正しい事を言っているように聞こえますが実行するのは難しい。ヴェルギリウス様は何と?」


「いえ何も。ヴェルギリウス様の許可が必要ですか?」


 ヴェルギリウス様には伺ってもいない。これは私が始めたことなのだ。


「これは失礼、アインさんは所長でしたね。仰る通りヴェルギリウス様は関係ありませんでした。一つだけ教えて下さい、所長は所長の大切な人と見ず知らずの人が共に命の危機に瀕していた場合に、そこに優先順位をつけずにいられますか?」


「ラプラスさん、難しく考えないで下さい。例えばラプラスさんが危機に瀕していたのなら、私は何をおいてもラプラスさんを助けます。私にとってラプラスさんは大切な人ですから。しかしそれはもう一方の生命を軽んじているわけではないでしょう?もっとも」


 私はラプラスさんに笑みを向ける。


「私はその後にもう一方も必ず助けてみせます。そうしないとラプラスさんにとっても後味が悪いでしょう?」


「ああそうですな。所長にならそれが出来るでしょう。わかりました、つまらないことを申し上げましたね、忘れて下さい。アイン所長のお考えのために私も全力を尽くすとしましょう」


 ラプラスさんは国との調整も行っている。私の考えが上層部と相容れないものであることはラプラスさんもわかっているはずだ。そしてラプラスさんが私の考えを受けても協力してくれるのか不安があったのだが、どうやらつまらないことを考えていたのは私のほうだったようだ。


「よろしくお願いしますね、ラプラスさん」


 そしてミケラン神父とラプラスさん、この二人はなんとなく似ているなあと、そう思うのであった。

次回は7月26日17:00更新です

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