68.抗生物質と医療の大原則
「アインちゃんに頼まれたものをこうやって工房で作るのも久しぶりの気がするなぁ。よし、出来た、これでいいのかい、アインちゃん?」
ダニエルさんから出来たばかりの最後の部品を受けとる。うん、いい出来だ。
「問題ないです、ダニエルさん。そうですね、私もここに来るのは久しぶりです」
カムパネルラの製造は仮設線路の設置とともに屋外に移り、収納ドッグ内での作業が主だった。そのためダニエルさん自身、工房に戻ることさえ少なかったのだ。
「列車の貨物車両も順調のようですね。ジョバンニさんから聞いていますよ」
私はせっせと部品を組み立てながら尋ねる。中心にコアを据えそこから六方向に伸びる軸に最初のブロックを嵌め込んだ。
「ああ総帥はアインちゃんの小隊のメンバーなんだったな。そういえば魔法銃の調整でうちの店を訪ねてきたこともあったか」
ブロックどうしで挟むように別のブロックを嵌め込む。金属製だからやっぱり重いなぁ。
「貨物車両はいわば只の箱だからな、設計図がきちんとしていれば簡単さ。二号機のほうも問題なく進んでいる」
ダニエルさんはカムパネルラコーポレーションが手掛ける車両製造の総責任者ということになっている。
「ところでアインちゃん、今度は何を作っているんだい?また研究に必要な道具といったところかな」
最後に角のブロックを嵌めて、よし、これで形は完成だ。
「いえ、これは趣味で作っているようなものです」
私は出来たばかりのサイコロ状の物体を、がしゃがしゃと数度回転させ、ダニエルさんに渡した。
「六つの色がついているでしょう?ブロックを回転させてそれぞれの面に色を揃える遊びです」
そう、これはあの有名な玩具だ。
「うん?なるほど、どの方向にも回転するのか。不思議だな、どうなっているんだ?」
ダニエルさんが、ガチャガチャと手の中で玩ぶ。
「ああ、アインちゃん、揃わないよこれ。こっちを揃えようとするとああほらここが崩れた!」
貸して下さい、とダニエルさんからキューブを受けとる。そして六面綺麗に揃えてみせた。
これはいうなれば立体パズルで、他のパズルと同様解くにはコツが要る。その解き方のコツを知っていれば意外と簡単なのだ。
「へぇー、凄いな、本当に綺麗に揃った。どれ、貸してみて」
ああでもない、こうでもない、と言いながらダニエルさんは必死に手を動かしている。こういう単純な玩具に人は熱中してしまうものなのだ。
「これは面白いよ、アインちゃん。今度は玩具作りかい?」
だが趣味とはいっても私は遊ぶためにこれを作ったわけではない。中心のコアには既に魔法陣を刻み込んである。これはそれぞれのブロックの動きを制御するプログラムだ。そして各面にも魔法陣を刻む。面が揃った時に魔法が発動する仕組みである。
そう、これは私の新しい武器だった。一つの面が揃った時には主体から一定の距離を保ちながらランダムに動く。まあ、ただ近くをふわふわと浮いているだけだ。
二つ目の魔法陣には映像をモニターに転写する、つまりカメラのような役割を、三つ目には防御魔法を展開する機能を設定している。そしてフェーズファイブ、全ての面が揃った時、魔法で反撃を行う。
ちなみにフェーズファイブのみ音声ロックがかけてある。合言葉は『解放』。まあ、勝手に魔法撃っちゃったら危ないからね。
「アインちゃんの作るものはいつも面白いな、以前の魔法銃はまだ一応武器らしい形をしていたからね」
でも形こそ違えど組み合わせで状況に応じた魔法を展開するという基本コンセプトは同じだ。要は魔法陣を立体化し機能をオートメーション化しただけなのだ。
「設計図は置いていきます。同じものをあと三つお願いします」
久しぶりにダニエルさんとお喋りを楽しんだ私は、意気揚々と研究所へ引き揚げた。
研究所に戻った私を待っていたのは第二研究室のマルキュレさんだった。
「所長、お待ちしておりました。こちらへ」
「マルキュレさんご苦労様です。もしかしてあれ成功しましたか?」
マルキュレさんに連れられて第二研究室の研究エリアに入る。研究室にはサリエラさんや他の研究員、それにフローレンスさんが控えていた。
黒板にはNやOの文字が散らばりそれらを結ぶ直線がところどころで六角形を描いている。化学式、ああなんて美しい…
「ええ、所長、抽出した物質の効果が確認できました。他の細菌の増殖を阻害しています」
医療改革に取り組む第二研究室で最初に手掛けたのは抗生物質の開発、そうフレミング博士が発見し、奇跡の薬と呼ばれ医学の世界に革命をもたらした、ペニシリンである。
「まさかカビからこのようなものが作れるとは思いませんでした。ああ、実験結果はこちらに纏めてあります」
魔法とはやはり便利なもので様々な種類の病原菌を擬似的に再現することが出来た。それらを用いて効果の検証を重ねているのだ。
もちろん魔法を使えば抗生物質を造り出すことや、そもそも病気自体を治してしまうことは可能だ。しかし感染し拡大するような病原体に対して魔法師の対応ではとても間に合わないのだ。
過去の文献などを漁った結果、やはりこの世界においても病気の集団感染という事例は多くみられた。町が一つ、丸ごと壊滅したということも珍しくない。
そのような状況ではたとえ知識があり適切な魔法が使えたとしても対処が追い付かない可能性がある。
「この結果次第では医療改革が一気に加速する可能性もあります。時期を早めて運用の体制を整える必要がありそうですね」
抗生物質に鎮痛剤それに麻酔薬などがあれば医療機関としての活動が始められる。一度医療という考えが国民の間に広がれば民間の参入も見込めるし、そうなれば新しい薬の開発などが一気に進むことだろう。
私はこの医療改革においては、先の鉄道計画のように土台を作って運営を丸投げするという方法は考えていない。国を豊かにするためのあらゆる事業と医療に関するそれは、その本質において全く異なっているからだ。
「アイン所長、引き続き成分研究を行い効果の高いものを正式採用致します。同時に診療を開始するにあたっての基準も纏めていくということでよろしいですね。先日、王都の教会からも話し合いを持ちたい旨の打診がありましたので、そちらも調整致しましょう」
国民の生活を豊かにする活動という点ではどちらも同じだ。しかしそれによって王国が利益をあげることが出来なければいずれ財政が破綻してしまう。だからどこかの時点で何らかの形で採算がとれる、これが国が行う事業には最低限必要となる。
一方、医療の本質その根源は人の生命を守る、これに尽きる。もちろん実際の現場でこの建前を貫いて無償で奉仕を続ければ、そこに携わる者はいなくなってしまうから、治療が行われれば治療費をとるし薬を売れば薬代をもらう。
しかしそれもまた一種の建前で、もしも目の前に倒れた人がいたら、代金を請求する前にまず生命を守る手立てを考えるだろう。いや、考えなければならない。それが医療だ。
「わかりました、マルキュレさん。教会との話し合いには私も参加します。私とマルキュレさん、それにラプラスさんですね。教会と話を詰めているのはラプラスでしょう」
私はこの研究所で医療に係わる研究を始めるにあたって、三つの原則を示した。
一つ、人の生命は何ものにも優先される。一つ、個別の生命においてその重さに差異は存在しない。一つ、いかなる場合でも生命を用いた実験をしてはならない。
この三つの大原則、アインスタープリンシプルが国民の意識に根付くまでは研究所が主体となって活動を推し進めていかなければならないと考えていた。
次回は7月19日17:00更新です




