67.アインスター、伯爵になる
「そういう事でモーリッツさん、頑張って下さい。当面の間、第二研究所の中心は第三研究室です」
今日は鉄道計画が一段落したところで研究室の再編を行った。プランカムパネルラを手掛けたケイト君をリーダーとする第一研究室は、カムパネルラコーポレーションからの依頼に備え最低限の人員を残し第三研究室に異動となる。
そして発電機と電球を完成させた第三研究室では王都に電線網を整備する計画に取り掛かっていた。
「アインスター所長、電線を長距離化することによる問題点をまとめました。一番の難点はやはり発電効率の低下が懸念されることです。私のほうで対応策を数点思案してみましたが、アインスター所長は何か良案をお持ちですか?いや、このような些事で所長の明晰な頭脳を煩わせるのは非常に心苦しいのですが…」
このところのモーリッツは、私に対する賛辞を最低限に留めている。意識の大半が研究の方に向いているのだろう、喜ばしいことだ。室長にして正解だった。
「まずはモーリッツさんの案を試してみましょう。コスト面を考えるとそのほうが現実的だと思います」
それに本当のところモーリッツさんは研究者として非常に優秀だ。既存の概念に囚われない発想、そしてそれを実現する行動力と忍耐力、これらのバランス感覚にとても優れているのだ。
それは第二研究所に所属する研究者の中でも群を抜いており、私はもちろんのこと、ラプラスさんやヴェルギリウス様をも凌いでいると思う。
「そんなことはありません、アインスター所長!私など所長の足元にも及びません。ですから、さあ、靴を舐めます!」
つくづく変態なのが惜しい。
「それでは私は研究室に籠りますので…あれ?ラプラスさんだ」
いつも落ち着いているラプラスが慌てた様子で駆け込んでくる。
「アイン所長!こんなところにいたんですね。なかなかお見えにならないので探しましたよ。何をのんびりしているのです!さあ、行きますよ」
ああそういえば今日は王宮で私に対する伯爵位の叙位式があるのだった。すっかり忘れていたよ。
「忘れていた!?ああ、うちの研究所は所長になると式典を忘れてすっぽかすという伝統でもあるのですか!」
ごめんなさい、ラプラスさん。式典といっても私の都合などを考えて、爵位の授与のみ細やかに執り行われるということになっていたので記憶から零れ落ちていたのだ。
でもヴェルギリウス様が所長時代に式典をすっぽかしていたのならそれは絶対わざとだよ、ラプラスさん。
王宮に到着した私達を恐い顔のヴェルギリウス様が出迎える。いや表情には出てないが、なんとなくわかる。
「遅いぞ、アインスター。君のための式典だというのに主役がいなくてどうする」
ほら、ラプラスさん、ヴェルギリウス様は自分に関係無いイベントには時間厳守なのだ。
「すみません、直ぐに参ります」
私はヴェルギリウス様に連れられて会場に向かう。今やヴェルギリウス様は私の保護者で後見人のような存在になっている。後ろ楯ともいう。
着いたのは謁見の間、前にヴェルギリウス様が勲章を授与されたのと同じ部屋だ。部屋の中にはギルベルト団長、それにお父様が控えていた。なんでもお父様は娘の晴れ姿を一目見ようと団長についてきたということだった。
実は私の爵位授与を巡って、フェルメールの実家を訪れた使者とお父様との間で一悶着あったらしい。
私がまだ未成年だということもあってお父様に話を通すために使者が訪れた。そこで突然私が伯爵になるということを聞かされたお父様は怒り心頭でその使者を追い返したらしい。
使者の回りくどい言い回しも悪かったのだが、どうやらお父様は私がどこぞの伯爵様と結婚すると勘違いしたらしいのだ。
まあそれももっともで、王国で新たに伯爵位が与えられるなんてことは稀で、しかも相手は王族になんの関係もない只の女の子である。伯爵家に嫁入りするということのほうがよっぽど現実味があるのだ。
そしてお父様の怒りは使者を追い返しただけでは収まらず、単身ヴェルギリウス様のところへ乗り込んだのだ。
信頼して娘を託したのに見ず知らずの相手と結婚とはどういう事だ!と意気込むお父様、状況もよくわからないヴェルギリウス様、ここに王国最強の盾と矛がぶつかり合ったのだ。怪我人が出なかったのは奇跡というほかない。
そして丁寧に説明を受け納得し平謝りのお父様だったが、結局事の詳細を家族に伝えていなかった私が一番悪い、ということで事態は終息したのだった。
そんなお父様も今はにこやかな表情でこちらに視線を向けている。いつでもどこでもお構いなしに大声で私の名を呼び手を振るお父様だが、さすがに今は自重していると見える。
「アインスター、余所見をするな」
小声でヴェルギリウス様の叱責が飛ぶ。と、間もなく王様が入場してきた。
「アインスター・アルティノーレ、前へ」
私は一歩前へ出る。
「アインスター・アルティノーレ、其方が王都魔法研究所で行った数々の研究成果は王国の繁栄に大きく寄与するものであり、特に王国の未来に新たな可能性をもたらすであろう鉄道計画に於いて中心的役割を果たしたことは称賛に値し…」
あれ?いつの間にか鉄道計画も私の成果ということになっているのか。いや、まあ本来はそうなのだけど。
「また先のレブラント王国との歴史的和解に於いても尽力を尽くしたその功績は誰もが認めるところであり…」
ふむ、同盟がそんなに良いことだったのなら、最初からレブラントと仲良くしてれば良かったのに。
「今後の活躍に期待し、ここにルーベンス王国魔宮伯の称号を授けるものとする。魔法研究に於いて一層の努力と研鑽を…」
魔宮伯…なんだか魔王様みたいな名前だが、魔法の宮殿の主、つまり魔法研究所の所長ということだろう。そのままじゃないか。
「アルティノーレ伯、ここへ」
私はさらに前に出て、王様から叙位の旨が記された位記と杖の形を模したオブジェを押し戴く。
「今ここルーベンス王国において新たな伯爵が誕生した。誠にめでたきことである」
下がろうとする私の耳許で王様が小さな声で囁いた。
「先刻のあれはカツサンドといったか。旨かったぞ」
はたして王様の食卓に小さく刻んだサンドウィッチが並んだのだろうか、それとも人目のつかないところでこっそり食べたのだろうか。
私は無言で笑顔を返す。
「非才の身に余る栄誉を賜りましたこと光栄に存じます。王国の未来に一層の献身を惜しまぬことここにお約束致します」
私の簡単な答辞を受けて、王様とそのお付きが退場していく。
「おおぉアイン、大丈夫だったか?疲れたんじゃないか?」
ヴェルギリウス様とギルベルト団長だけになった会場で直ぐ様お父様が駆け寄ってくる。
「ええ、王様の前だとやはり緊張しますね」
「そうだろう。父さんも騎士の称号を与えられた時には誇らしく思うと同時に随分緊張したものだ。それにしてもアインが伯爵様とは、未だに信じられないなぁ」
「いやですわ、お父様。伯爵といっても名前だけのものですよ。何か変わるわけではありませんから」
いや給金は変わるのだったか?
「ほら、アインは女の子だから、王国騎士になれないんじゃないかと思って父さんは随分心配していたんだ。それがこんなにも立派になって父さんは嬉しいぞ。それというのもここにいるギルベルト団長とシュレディンガ公爵のおかげだな。アインからもよくお礼を言っておきなさい」
お父様に言われて改めて二人にお礼を言う。ギルベルト団長はともかく、ヴェルギリウス様のおかげで私の今の境遇があるのは間違いない。
「パウル、俺は何もしていないよ。ヴェルギリウスのやつにアインちゃんを会わせただけだ。むしろこちらの方が色々と助けられているよ。ね、アインちゃん」
ね、と言われてもギルベルト団長を助けた覚えもない。まあ謙遜して言ってくれているのだろう。
「アインスターよ、其方の言う通り爵位など形だけのものだ。これからも自分のために研鑽を続けなさい」
そう言いながらもヴェルギリウス様は笑っている。形だけのものと言いながら、その爵位を私にくれたのは絶対にヴェルギリウス様だ。こんな前代未聞のことをやってのけることが出来るのは私が知る限りヴェルギリウス様しかいない。
だからこれは有り難く貰っておこう。きっと何らかの意味があるはずだから。
次回は7月12日17:00更新です