58.新しい年の始まり
魔法学校に入ってあっという間の一年が過ぎた。明日からは私も二年生となる。先輩としての自覚も持たなければならないだろうと密かに緊張していた。
「副所長、アイン副所長!何を物思いに耽っているのですか?」
私の妄想を絶ちきるようにマルキュレさんが声をかける。そう私はマルキュレさん達の研究室へ来ていた。といってもお仕事ではない、マルキュレさん達のお茶会に誘ってもらったのだ。これはあれか、所謂女子会というやつか。
「ほら、マルキュレさん、私も明日から二年生になるのです。この研究所にも新しい一年生が入ってくるかもしれません。そしたら私は先輩になるのです。頑張らねば!」
ふんす、と私が意気込みを示すとマルキュレさんは顔をしかめた。
「…アイン副所長、普通学生は研究所に入ってきません。そんなのはアイン副所長だけです」
「そうですよぅ、アインちゃんみたいな学生さんが何人もいたら困りますぅ」
同調したようにサリエラさんが笑みを浮かべる。しかし言われてみれば確かにそうだ、学生は学校で勉強するものだ。もっとも私は早くから研究ができて嬉しいが。
「それで副所長、おっしゃっていた魔法陣の外部からの作用、別の魔法陣からの影響ですが」
マルキュレさんが優雅な手つきでお茶を口にする。研究者が集まればやはり研究の話になるようだ。
「結論から言うといくつかの成果が得られました。もっともアイン副所長はある程度予測がついていたのでしょう?魔力供給スキームも本質は同じですし」
「そうですね、仮定ですが。でも仮定だけでは意味がありません。マルキュレさん達の研究にはいつも助けられています」
緻密で隙のないマルキュレさんのチームは基礎研究に向いているのだ。
「ありがとうございます。魔法陣の書き換え、魔法陣の数値代入、そして魔法陣の破壊と、それぞれのパターンでデータをまとめてあります。後で目を通して下さい」
「もう、マルきゅんは研究の話ばっかりなんだからぁ。今日はもっと楽しい話をしましょうよぅ」
研究者は研究の話が大好きだと思っていたけどサリエラはどうやら違うようだ。でも考えてみると私も研究や魔法以外で何の話をしていいのかわからない。これが研究者の性なのだ。
「サリエラは研究の話は好きではないのですか?せっかくアイン副所長がいらっしゃるので魔法のお話などを聞きたいでしょう?」
「私はマルきゅんほどの研究大好き人間じゃありません。熱中するといつも研究室から出てこないんだから」
口を尖らせ反論するサリエラだが目が笑っている。
「確かに私は研究が好きですけれど人並み以上の変人のように言うのは止めて欲しいですわ。私など所長の足元にも及びません」
「まあ確かに。所長の研究好きにも随分苦労させられましたわねぇ。近頃は研究室にもあまりいらっしゃらないけれど、お忙しいのかしらぁ」
ふうむ、所長がそこまでの研究好きとは知らなかった。実際所長が研究しているところなんて見たことなかったし。
「所長がマルキュレさん以上の研究好きだったなんて知らなかったです。忙しくて研究できないなんて可哀想ですね」
「あら、それを聞けば所長も喜びますよ。それに昔に比べて随分楽しそうにしていらっしゃいますから心配はいりませんよ」
なんと、あれで楽しそうだというなら昔はどれほど尖っていたのだろう。
「そぅそぅ、研究の代わりにアインちゃんの世話をするのが楽しいのでしょう。アインちゃんは所長のお気に入りですからねぇ」
「そうなのですか?いつも怒られてばかりですけど…」
「うふふ、授章式に一緒に連れていったくらいですもの。それにこの間の学校対抗戦でもアインちゃんが気を失った時には顔を青くして心配していたのよ」
そういえば対抗戦には研究所の皆も大会のサポートとして来ていたのだ。皆に見られていたかと思うと恥ずかしい。
「対抗戦では失敗しました。やっぱり私に運動は向いていないと思います。これからは研究に明け暮れようと」
「いえ、明け暮れないで下さい。アイン副所長も所長と同じくらい研究好きなのは知っていますが、ほどほどにしてください」
「所長とアインちゃんは似た者同士ですねぇ」
私はあんなに無表情ではないと思うが。
「それに対抗戦での魔法実演は見事でしたよ。アイン副所長の魔法の知識が豊富なのは知っていましたが、魔法の腕があれほどとは思いませんでした」
それからしばらく私が使った魔法の話になった。サリエラさんも文句を言わずに耳を傾けている。
「なるほど、全く新しい魔法というわけではなかったのですね。相対位置をテンプレート化する…あ、いけない、もうこんな時間ですわ。今日はお開きにしましょうか」
気がつけばとうに日は暮れていた。もっとお喋りを楽しみたい気もあったが明日から学校が始まるし、マルキュレさん達も仕事が始まる。
明日も研究所を訪れることを告げて私は自分の部屋に戻ることにした。
翌日、なんだか新鮮な気持ちで席に着く。といっても周りの顔ぶれが変わったわけではない。変わったことといえば私の席が後ろの方になり少し目立たなくなったことだが、正直これは嬉しい。
「おはよう、アイン。対抗戦以来だけど元気そうでなによりだ」
「おはようございます、リチャード君。対抗戦では迷惑をかけてしまいました、すみません」
対抗戦の後、私はフェルメールに帰ったのでリチャード君と会う機会がなかった。私が少し調子に乗ったばかりに騎士学校との競技に負けてしまったのだ。
「いや、アインのせいではないよ。私ももう少しリーダーとして作戦を立てるべきだったと反省している。それに」
そこで言葉を切ったリチャード君が笑みを浮かべた。
「アインでも失敗することがあるんだと、ほっとしているよ」
私も失敗することはある。いや失敗することのほうが多いだろう。研究とは失敗の繰り返しなのだ。
そうやって雑談を重ねていると、先生が入ってきた。
「それではそろそろ始めましょうか。まあ今日はいくつか新しい学年になっての注意事項をお話しするくらいです。今更自己紹介もないですしね」
もちろん担任もアイザック先生のままである。
「新しく新入生が入ってくるので色々と教えてあげて下さいね。魔法の授業については一部が一年生と合同ということもありますから」
もっとも学校全体でいえば特に魔法のカリキュラムにおいて大きな変更がみられた。去年の私の講義を踏まえて、これから入ってくる学生と2年生や3年生といった低学年には積極的に無詠唱での魔法を教えていこうということになったらしい。
これは先の学校対抗戦で、リチャード君達の魔法実演が大きな評価を受けたことが影響している。ただし以前の内容で魔法の知識を深めている高学年においては、希望者のみを対象とすることになったようだ。
「それではこの後、魔法授業の概要をお話ししますが」
そこで先生がこちらに顔を向ける。
「アインスター君、今年も副校長がお呼びですから、ちょっと副校長室まで行ってきて下さい」
ああ、確か去年も同じようにヴェルギリウス所長に呼ばれて、そこで研究所の副所長を任されたり、魔法部隊の小隊長をやらされたりと…
あれ、何だか嫌な予感しかしない。
「わかりました。それでは行ってきます」
しかし当然だが嫌だとは言えず、私は教室を後にしたのだった。
次回は5月10日17:00更新です