4.身体強化
体に魔力を流す感覚を確かめながら待っているとお父様達3人がやってきた。何故かお父様だけはニコニコと笑顔だ。
「アイン、凄いじゃないか。リヒャルトから聞いたぞ、もう身体強化ができるようになったんだって?」
「父上!」
嬉しそうに話しかけるお父様をリヒャルトお兄様が困ったような顔で遮る。お兄様はどうしてそんな難しそうな顔をしているのかしら。
「まあまあ、リヒャルト。アイン、父さんにも見せてくれるか?」
「もちろんです」
身体強化に成功したと思ったけど、何かおかしなことがあったのかもしれない。お父様に見てもらうのが一番だ。
「それではいきます」
シュン、シュン、シュン。
今度は誰もびっくりさせないように、少し離れて何度か動いて見せた。体力の無い私は3往復くらいの動きで結構疲れてしまう。
「ふぅ、どうですか?お父様」
額の汗を拭いながらお父様の方に視線を向けると、さっきまでニコニコしていたはずのお父様が目を見開いて固まっていた。お父様…顔が怖いよ。
「お父様?」
私が近づき再度尋ねると、はっ!?としたようにお父様が口を開く。
「あ、アイン…今のは?」
「はい、速く動けるように足先を強化してみました」
「速く?一瞬消えたように見えたが…」
「父上、私の言った通りでしょう!」
困った顔のままリヒャルトお兄様が肩を竦める。エーリッヒお兄様はまだ口を開けたままで固まっていた。
「消えてはおりませんよ、お父様。消えたように見えたならそれは錯覚です。ちょっとしたトリックなのですよ」
そう、この動きは所謂トリックだ。瞬時に動いたように見せただけで、実際は多分お父様のほうが速いはずだ。人は走るときに当然走る動作をする。足を曲げ、体を前方に倒し、腕を振る。そういう動きを私は体全体を固定することで見せないようにした。そうすることで脳が止まっていると錯覚する。そして止まっているのに位置が動いていることから瞬間移動したように見えるのだ。
日本の古武術には、実際よりも速く見せる、強く見せる、といった技法が多くみられる。縮地法などの、秘伝や秘術の類とされている技も、錯覚を利用した、計算された技術なのかもしれない。
私は武道や武術にはまるで興味がないが、そういった秘伝や秘術のように、一見不可能なように見える
動きというのに興味を持ち、調べていた時期もあった。その中で得た結論の一つが錯覚によるものだ。
「……という感じで、身体強化する前よりはずいぶん速く動けますけど、消えてしまうほどではないですよ」
速さだけならお父様の方が速いですよ、とわかったようなわからないような、何とも言えない顔のお父様に説明する。
「うーん、俺にもできる、か…」
お父様はちょっとニヤついた顔で何やらぶつくさと独り言を言っている。どうしようかな、今日の稽古は終了でいいのかな。
「父上、身体強化とはアインの言っていたように足の先にとか個別に強化できるものなのですか?」
リヒャルトお兄様がお父様に尋ねる。
「うん?いや、そういえば難しいな、こう体中に気が満ちる感じだからな。アインはどうやってるんだ?」
「筋繊維を魔力…いや気ですか、気でコーティングするようにイメージしています。丈夫に、しなやかに。お父様は違うのですか?」
「違うな。気が満ちているのはわかるが…」
どうやら私の身体強化とは違うようだ。気の動きは感じているようだから、後は気を思ったところに動かせないのかな?
「お父様は剣を構えた時に腕に気が集まりませんか?」
私に言われてお父様が剣を構える。
「んん?、そうだな、確かに腕に気が集まっているように思える。普段は意識しないからわからないが…」
「きっと自然に必要なところを強化しているのでしょうね。多くの経験で体が覚えているのでしょう。
素晴らしいですね」
私が褒めると嬉しそうに頷いた。
「うむ。…ところでアイン、その身体強化をリヒャルトやエーリッヒに教えることはできるか?」
さあ、今日はもうお家に戻りましょう、と私が言おうとする前にお父様が尋ねた。お兄様達も、はっ!と目を輝かせてこちらに注目する。
しかし私の身体強化はまず人体の構造を知っていなければならない。ここでお兄様達に説明しても理解はしてもらえないだろう。
「できますよ。だけどここでは説明が難しいですね。もう日が暮れかかってきていますし、お家に戻って夕飯を食べてからにいたしませんか?」
夕日に薄っすら朱く染まった空を見上げて私が言うとお父様も頷く。
「ああ、そうだな、そうしよう」
お父様の言葉で、私たち4人は帰路についた。
夕飯を済ませてお母様が片付けをする頃合いを見計らい私は自室に紙とペンを取りにいく。ちなみに食事の準備や片付けはメイドのターニャと一緒にお母様もする。
私は数枚の紙とペンとインクを持って食卓に戻る。この世界でも少し貴重だけど紙はある。ボールペンやシャーペンのような便利なものはないので都度インクを付けて書かなければいけない。
「ではリヒャルトお兄様、エーリッヒお兄様、私のやった身体強化を教えますね」
お兄様二人が真剣な顔つきで私の前に置かれた白紙を覗き込む。
「んん?なんだか勉強会のようだな」
お父様がそう言ってお兄様達の隣に腰を下ろした。
「そうですね。まずは体の構造を覚えてもらわなければなりません。お兄様達は体の中に骨、関節、筋肉がどこにどのようにあるかご存知ですか?」
お兄様達は二人とも首を横に振る。お父様に視線を向けると、お父様も困ったように首を竦めた。
思った通りこの世界では医学は発達していないらしい。私が病気や怪我をしたときには草を煎じた薬草のようなものを飲まされた。すぐさま元気になったのだから今思えば魔力的な何かが込められていたのかもしれない。
この世界には魔法があるのだ。怪我も病気も魔法で治ってしまうとすれば体の中の事を詳しく知らなくても何とかなるのだろう。
「人間の体はこのようになっています」
私は紙に体の全体図を書いて、関節、筋肉を書き込んでいく。
「この辺りは内臓なので省きますね」
後は関係のなさそうな筋肉や顔の部分も省く。絵心が無いのでまるで何かの設計図のようだ。
「大事なのはこの辺りの筋肉でしょうか、ここが上腕二頭筋でここが…」
お兄様達が難しそうな顔をしているのがわかる。
「これらの場所とどういった役割があるのかはきっちり覚えてくださいね。さて、筋肉というのは一本一本の細い線が束になってできています」
私は別の紙に細かい線をいくつも書いて一本の太い線にしてみせた。
「私はこの細い線一本一本を気で包むように強化しています。筋肉の場所、役割を明確にイメージすると
上手く気が流れてくれるようです」
途中からはお父様も真剣な顔で紙を覗き込んできて、邪魔だなぁ、と思いながらようやく説明を終えた。
「後はお父様のようにたくさん経験を積むといいと思いますよ。私は疲れたので今日は休みますね、お休みなさいませ」
そういって私はペンとインクをもってそそくさと自室に引き上げた。