27.魔法の講義をする
それから二日間は、午前中は学校で授業を受け、午後からは研究室に顔を出すという日が続いた。ちなみに所長に頼んでおいた卵の殻はその日のうちに私の部屋の前に届いていた。…大量にだ。私が手を広げて示した3倍ほどの量がある。多いよ、所長。
私は卵の殻を砕いて水と小麦粉を混ぜ、練り込んでチョークを作った。明日は私が魔法の講義を行う日で、それまでには乾燥して使えるようになっているはずだ。
黒板もダニエルさんが届けてくれた。店の者に運ばせると言っていたはずだが、実際にはダニエルさん本人がやってきた。なんでもインクペンの試作がさっそく完成したようで、使い心地を教えてほしいとできたばかりの試作品を2本置いていった。
新しいインクペンは持ち手の部分も金属でできており、これまで私が使っていたものに比べて随分細身なので持ちやすい。試しにサラサラっとペンを走らせてみたが、さすがに職人が作ったものだけあって書き心地も滑らかで心地よい。インクが少し滲んだが私の万年筆も同様なので、これはインクの問題だろう。少し粘り気の強いインクを使った方がいいかもしれないと、今度会ったら伝えておこう。
「ラプラスさん、これを教室まで運んで下さい。所長もすみません」
休みが明けた翌日、午後の授業が終わる時間を見計らって私は所長の部屋へ向かった。そこで所長とラプラスさんと合流し、すぐさま研究所の私の部屋へ向かう。黒板を教室まで運んでもらうのだ。
「アインスター、この板は何に使うのだ?」
ラプラスさんと二人がかりで黒板を運びながら所長が聞いてくる。それにしてもわざわざ所長に黒板を運ばせて大丈夫なのだろうか。
「これに文字を書いて皆に説明するのです。複雑な内容や図を描いて説明する場面もありますから口頭では解りにくいと思うのです」
学校での授業は先生が教壇に立って話し、生徒はそれを聞きながら必要ならメモを取るという形式だった。歴史などはまだ良いが地理になると地形が想像しにくく大変なのだ。だから私の授業では黒板を使うことにした。
「黒板にこのチョークで書くと終わった後に消すことができるのです。何度も使えて便利でしょう?」
所長がふむふむ、と頷いている。黒板消しは用意してないが、雑巾で大丈夫だろう。教室に着くと既に授業を受ける面々が席についていた。ラプラスさんと所長に、壁に黒板を掛けてもらう。
「あ、アイン…私達も一緒に授業を受けていいんだろうか…」
ちょうど教壇の前に座ったリチャード君が周りをキョロキョロと見ながら尋ねてきた。一塊に5人のクラスメイトが座っていたが皆周りの雰囲気に緊張しているようだ。まあ、それはそうだろう、両側には研究所員と講師陣が、後ろには第八小隊の隊員が座っているのだから。
学生が5人というのは少ないように思うが、それは仕方のないことだった。一年生はまだ入学して間がない。試験を通っているのだからと読み書きなどは出来る前提で授業が進められるが、実際にはまだ書くことが覚束ない生徒もたくさんいる。
彼らは必死に授業に付いていこうと放課後にもそれぞれに見合った勉強をしているのだ。余分な事を覚える暇が無いというのが正直なところだろう。だからここにいる5人は主席のリチャード君を始めAクラスの中でも特に優秀な生徒なのだ。
「リチャード君、もちろん構いませんよ。ここにいる人たちは皆、私がこれから教える事については何も知りません。魔法についてもそうです。皆ゼロからのスタートです。だから心配はいりません。なんなら主席のリチャード君の方が早く覚えるくらいです」
私がそう言うとリチャード君はちょっと安心したように表情を和らげた。黒板を設置し終えたラプラスさんと所長が後ろの空いている席に座る。
あれ?ラプラスさんは授業に参加するって言ってたけど、所長もそこに座るの?私は後ろの席についた所長に視線を送る。
私に構わず始めるように、とでも言いたげに所長が一つ頷く。…仕方ない、このまま始めよう。
コホン。
静まり返った教室に私の咳払いが響く。
「ええ、皆さん、今日はお集り頂きありがとうございます。今日からしばらく魔法の講義を行うアインスターです」
ペコリ、とお辞儀をする私に、アインちゃん頑張れ!と小声で声援が飛ぶ。あれは小隊のナイトハルトさんだ。
…やめてください、余計に緊張します。
「講義の内容は、魔法の仕組み、自然科学、大きく分けてこの二つです。途中休憩を挟み、前半を魔法の仕組み、後半を自然科学とします。今日はこのまま魔法の仕組みについて話していきます。これは私の仮説ですが…」
最初こそ私の手が黒板の下あたりまでしか届かず、爪先立ちでプルプルとしている姿が皆の笑いを誘ったが、ラプラスさんがすぐに踏台を用意してくれて事なきを得た。
私は黒板を使いながら授業を進めていく。まずは大まかな魔法発動までの流れだ。
「このように魔法によって発生する事象を正確にイメージするということが非常に重要になってくるのです」
「アインちゃん、イメージといっても呪文詠唱から魔法発動までの流れの中で、それは魔法効果を少し補正する程度の役割しかないというのがこれまでの通説なのですけれど、それ以上の重要性があるということかしらぁ?」
途中、いくつかの質問が入る。まあ、質問してくるのは主に研究所の皆さんだ。
「サリエラさんのおっしゃることはもっともです。ですがこれまでの、そして今皆さんが使っている魔法の事は一旦全て忘れて下さい。後ほどこれまでの魔法の考え方と私の説を対比して説明します」
やはり既に魔法の知識が存分にある大人たちは私の考え方に馴染みにくいのだと思う。そういう意味では最初に言ったようにゼロから話を聞くリチャード君達の方が覚えが早いかもしれない。
「…というわけで、前半の講義はここまでにします。後半は自然科学についてお話しますね」
前半の授業が終わって、私がせっせと黒板を拭いているところでアイザック先生がこちらに寄ってきた。前に座るリチャード君が何か話をしたそうにしていたが、まあ仕方ない。
「アインスター君、ちょっといいですかね…いえ、講義の内容も興味深かったのですが、それよりも講義の進め方が素晴らしかったですね。この文字板…ああ、黒板というのですか、これはこのまま明日からの授業に使っても構いませんか?」
どうやらアイザック先生は黒板が気に入ったようだ。最初の授業の時に使っていた映写する魔道具は設置にも時間がかかり使い勝手が悪いそうで以降は使っていなかった。
「アイザック先生、構いませんよ。私も持ち運びが手間なのでこのまま置いておいてもらえると助かります」
ではそうしましょう、と所長のところへ許可をもらいに行ってしまった。
「リチャード君、どうでしたか?講義でわからないことがあれば他の方のように質問してもらって構いませんよ」
やることが無くなった私はリチャード君に講義の感想を聞いてみる。私は講義の進行スピードをリチャード君たち学生に合わせようと考えていた。学生達がついてこれるなら、大人たちも頑張ってついてくるだろう。
「ありがとう、アイン。イメージすることが重要なのはわかったが…その、どうやってイメージすれば良いのか、イメージで魔法が使えるとはどうしても思えないのだ」
「大丈夫ですよ、リチャード君。それはこれから自然科学の講義を聞いてもらえばわかると思います。今はイメージすれば魔法が発動するということだけ頭に入っていれば問題ないのです」
それでは後半の講義を始めましょうか、と私は再び教壇に立った。
「さて、先程の講義で、正確にイメージすると話しましたが…火はどうやって燃えるのでしょう?皆さん、イメージしてみてください」
ジョバンニさん、どうですか?と小隊に話を振ってみる。
「え?こう…メラメラと…」
「違うだろ、こう、ボウボウとだ」
ナイトハルトさんが横から口を挟む。ナイトハルトさんの方が熱い性格なのはわかったが…そんなことはどうでもいい。
「では、言い方を変えましょう。燃えるのには何が必要でしょうか?」
シズクさん、と仮面の少女に話を振ってみる。
「………火」
しまった、振る相手を間違えた。シズクさんは無口キャラだった。
「はい、ここにいる皆さんもだいたい同じように答えるでしょう。でもジョバンニさんがおっしゃったメラメラという炎、手を近づけると熱い、しかし掴もうとしても掴めませんね。火というのが一体何なのか、皆さん気になったことはありませんか?」
私は一同を見渡す。皆一様に首を捻っている。
「そういった何?何故?ということを解明していくのが自然科学です。先程の火はどうやって燃えるのか、それは核となる可燃物が熱によって酸素と化学反応を起こし、そのエネルギーが熱と光を生み、生まれた熱によってまた化学反応が起こるという連鎖が発生するのです…」
さわりだけなので難しい説明は極力省いたつもりだが、だんだんと皆の表情が難しいものになっていく。クラスメイト達も私が黒板に書いた文字を必死で書き写していた。
「…ということから空気中には酸素というものがあり燃焼には不可欠な要素と言えるでしょう。自然科学というのはこのようにこの世界の自然のルールを確かめていくことなのです。火の燃える仕組みというのは案外複雑なので、また実験を交えて説明したいと思います。次に…」
だいたい覚えて欲しいのは化学、物理の基礎、それに身体強化のためには人体の構造なども必要だろう。今日は、自然科学とはどういう事をするのかというのを話しているが、明日からはそれぞれの分野ごとに少し詳しい話を…あ、ベンジャミンさんが机に突っ伏してる…
「…というわけで…そこ、ていっ!」
「痛っ!!」
私はベンジャミンさんに必殺のチョーク投げを放つ。
「ベンジャミンさん!寝ないでください。大事なところですよ!」
頭にチョークが直撃し、椅子から転げ落ちたベンジャミンさんが起き上がって口を開く。
「隊長、すみません…ですが聞いていても何が何やらさっぱりで」
「わからなければメモを取るなりしてください!わからないままだと魔法が使えませんよ!特に第八小隊の皆さんは実戦でいろんな魔法を使わなくてはいけませんから、しっかり勉強してくださいね」
ベンジャミンさんの姿を見てクスクス笑っている周りの隊員達も自然顔が引き締まる。
「それでは今日はここまでにしましょう。次回は二日後です」
ご清聴ありがとうございました、と一礼をして今日の講義は終了した。この調子でやってくれ、と所長が教室を出ていく。他の面々も私に礼を言ってわさわさと退室していった。
「アイン、ちょっといいかな?」
私が黒板を掃除していると、最後まで教室に残っていたリチャード君達が話しかけてきた。リチャード君含め5人の生徒と、アイザック先生もいる。
「この学校には有志の研究会や運動サークルがあるのは知っているかい?」
私は首を横に振る。私は知らなかったが、この学校にもクラブ活動やサークルといったものがあるようだ。
「実はここにいるメンバーで実戦魔法研究会を立ち上げようと思うのだが、アインも参加してくれないだろうか?」
「誘ってくれて嬉しいのですが、今期は今日のように魔法の講義があります。講義は二日に一度ですが他の日も、その、やることがあって時間がありません」
残念ですが…と一応研究所や小隊の事は伏せながら答える。特に秘密だとは言われていないし、所長やラプラスさんの態度から私が研究室に通っていることは皆しっているかもしれない。念のため、と思ったのだが…
「アインが魔法の講義だけではなく、小隊のことで忙しいのは知っている。こちらの都合ですまないのだけど、ここにいる5人は全員、家が代々続く魔法師の家系なのだ。学校を卒業すると王国魔法師として国を守っていくことになる」
今のアインのようにどこかの小隊に入るのだ、という。魔法師の家系というのは貴族の中でも魔法の名門という意味だろう。
「だから今のうちに実戦で役に立つ魔法を習得しておきたいのだ。研究会を新しく立ち上げるには顧問になってくれる先生を探さなくてはいけない。アイザック先生に相談したところ、アインが参加するなら顧問を引き受けようとおっしゃってもらった」
私が第八小隊に所属することになった事を教えたのはアイザック先生だろうか。私がアイザック先生に視線を送ると、私の意図を読み取ったようで、首を横に振った。そして先生がリチャード君の話を引き継ぐ。
「私が話したわけではありませんよ。まあ、リチャード君達も今日のようにしばらくは講義に参加します。そこで当面はこの講義に参加することを研究会の活動とすれば良いのでは、と思ったのですよ。講義が一通り終わった後は研究会として魔法の研究を続けますけど、その時もアインさんにアドバイスをもらえれば心強いでしょう」
それにね、とアイザック先生が私に近づき、私の目を正面から見据えた。
「学校を卒業してからも同期生というのは何かと助け合うことが多いものです。彼らはきっと優秀な魔法師になりますから、アインスター君にとっても頼もしい仲間になると思いますよ」
仲間というアイザック先生の言葉に胸のどこかがざわつく。以前の世界での私は学校でも挨拶を交わす程度の人はいたが、友達や仲間と呼べるような人はいなかったと思う。
一人で本を読んでいるほうが落ち着いたし、早くに日本を離れたせいもあり、気が付けば引き籠って研究尽くめの毎日だった。それは私が望んだ毎日だったが、学生時代に後悔が全くないというと嘘になる。
「わかりました、そういうことでしたら…リチャード君、私も研究会に入れてください」
よろしくお願いします、と私が言うと、リチャード君はにこりと微笑んだ。
「良かった!こちらこそよろしく頼む」
「それで、私が小隊に所属しているというのはどこから聞いたのですか?」
そう尋ねた私に答えてくれたのは艶のある緑色の前髪をパッツンと揃えた小柄な少女だった。確かコノハちゃんといったか。
「……姉から聞いた。……新しい隊長が、私と同じクラスだと」
あれ?この感じは…もしかしてシズクさんの?
「……シズクは、私の姉」
やっぱりそうだった。…シズクさん、家では妹とお喋りするんだ、何だか想像できない。そうだ、シズクさんの謎の仮面について聞いてみよう。魔法の存在する世界だ、仮面を取ると真の力が解放されるとか、何か理由があるのかもしれない。
「……理由は、無い。……カッコイイから、と本人は言っていた」
無いのかよ!…でも良かった、本人に直接聞かなくて。私には上手く返せる自信がない。
「そうですか。よろしくお願いしますね、コノハちゃん」
「……よろしく、アイン」
リチャード君とコノハちゃん、他はデュークとルートリッヒという二人の少年とドロシーという少女が実戦魔法研究会のメンバーだった。他の三人とも挨拶を交わし、今日は解散となった。