プロローグ
ツンとした薬品の匂いがする中、ガラス棚に並んだシャーレをうっとりと眺める白衣の女性。
研究員と思われるこれまた白衣の男性が彼女に話しかける。
「主任・・・、主任!」
「何だい?佐藤君。」
佐藤君と呼ばれた男性が呆れた表情で応える。
「何だ、じゃありませんよ。何度も呼んでるのに・・・まあいいですよ、それより夕飯にしましょう。ここは僕が見てるので先に夕飯買ってきてください。」
彼女は人差し指を顎に当て、ちょっと首を傾げる。
「うん、もうそんな時間か。悪いね、先に買い物行かせてもらうよ。」
そう言って手に持ったメモの束を自分のデスクに置き、研究室から出て行った。
「まったく、のめり込むと時間忘れちゃうんだから。平成のアインシュタインももうちょっと常識を身につけてくれるといいんだけどねえ・・・」
佐藤君は静まる研究室で珈琲を入れながらそっと呟いた。
彼女の名前は周藤亜衣奈。
とにかく研究が大の好物で、高校を卒業すると直ぐに単身アメリカにわたり、大学院までを物凄いスピードで卒業した所謂天才である。
本人は唯々研究にのめり込んでいただけなのだけど、片手間で始めた記憶領域に関する研究が大学のお偉方の目に留まり一躍脚光を浴びた。
ちなみに彼女の専門は物理学である。
そして21歳で日本に帰国し、研究都市であるここT市で主任研究員として働いている。アメリカにいた方がお給料も高かったんじゃないの、と佐藤君などは思ってしまうのだけどどうも彼女は根っからの引き籠りで、ちょっと有名になってからは取材やら何やらで引き籠っての研究がなかなかできなくなってしまったのだとか。
逃げるように日本に帰ってからは自分の研究をせずに、いくつかの研究室の手伝いをしている。此処、粘菌研究室もその一つなのである。
時間は深夜の2時を過ぎようかという頃、亜衣奈はいつものように研究所から歩いて5分ほどのコンビニに来ていた。カップ麺やらが置いてあるコーナーで足を止める。
今日もこれにしよう、これを考えた人は凄いな、焼いてないのに焼きそばとは・・・焼きそばの根底を覆しているなぁ、イッツァファンタスティック!
と、未確認飛行物体の名を押し戴いたカップ焼きそばをマジマジと見つめる。
そんなくだらないことを考えていたものだからレジの前の喧騒が全く聞こえていなかったのだ。
「おい!動くな、金を出せ!」
突然押し入ってきた目出し帽の男が店員に包丁のような刃物を突き付けた。
・・・てくてくてく
「は、はい・・・え!?」
強盗の言われた通りに金を出そうとしたコンビニのアルバイト君が思わず目を見開く。嬉しそうにカップ焼きそばを手にした白衣の女性が強盗の後ろにちょこんと並んだのだ。
「うわっ!」
つられて後ろを振り返った強盗も驚きの声を上げて亜衣奈と縺れるように倒れ込んだ。
「ひっ、ひぃぃぃ」
引き攣った声を上げながら走って逃げ出した強盗は入り口付近の棚に二度ほど体をぶつけながら自動ドアから出て行く。
「大丈夫ですか?お怪我は・・・っ!!」
カウンターから出てきたアルバイト君が倒れたままの亜衣奈を見て息を飲む。その胸には先ほど目の前に突き付けられた刃物が深々と突き刺さっていた。
5分程でサイレンを鳴らしながら救急車が到着した時には亜衣奈の意識は既になかった。
そして病院に到着した後、死亡が確認された。