1-3 チュートリアル=お約束
「さてさてヨータロー、ここまで結構いろんなイベントがあったよね? 積もる話なり聞きたいことなりたくさんあるんじゃないかい?
というわけでだ、親睦を深める意味も込めてここはゆっくりお茶でもしようじゃないか」
というフェノの言葉に流され、案内されたのはオープンテラスのカフェだった。
大きな道路に面してはいるが、車道と歩道の間にある植え込みと並木のおかげか空気はさほどに悪く感じない。
トレーに乗せたアイスコーヒーをテーブルに置き、テラスのラタンチェアに体重を預ける。籐の網目の軋む音。コーヒーの注がれたグラスを持てば、結露した水滴が指先を濡らした。
コーヒーを飲みながら、店の様子を窺う。壁一面に張られたガラス越しに見えるのは、ライトな木目調をベースとした内装。客の入りは、多くもなく少なくもなく。
口に広がる冷たさと苦みを味わって、一息。依然として頭は鈍く思いが、それでも幾分か気分は楽になって。
……そのせいか、ふと頭に疑問符が浮かんだ。
「金は払わなくていいのか」
「必要ない必要ない、まったくもって必要ない。何回も言ってるじゃん、ここは夢の世界なんだよ?
お金を払うよりタダのほうがいいに決まってる。誰でもそう望むのが当たり前。だったらそうなるのが当然なんだよ。みんながみんなそう願ってるなら、そうならなければおかしい。この世界の理に適ってないことになる。
だからタダ、ロハ、無料、フリー。安心してガバ飲みしちゃっていいよ?」
――――ちゅー、ずぞぼぼぼぞぞぼぞぼぞぞ。
と、太いストローからわざとらしく音を立ててタピオカミルクティーを勢いよく啜るフェノ。
文字通りフワフワと浮ついていた先ほどまでと違い、今の彼女はちゃんとチェアに体を落ち着けていた。席に座って飲み物を飲むのは至って常識的なのだが……それがかえって意外に感じるのは気のせいだろうか。
「そりゃあキミ、今でこそ夢の世界のガイド役を誰ぞから仰せつかってるつもりでいるボクだけれども、元はただの一般ぴーぽーなんだよ? お茶するときとかご飯食べるときくらいはちょこんと大人しくしてますって。可愛らしい置物のようにさ。
……キミ、『今なんで俺の考えてることが分かったのか』って思ったでしょ?
わからいでか! なにせここは夢の世界だからね。ボクが知りたいと思ったんだからわかって当然ってやつだよ」
その言葉に思わず眉を寄せ、顔をしかめる。
つまりはなんだ、俺の考えていることは全て筒抜けになっている、と?
「……プライバシーは無いのか」
「いやいや、そんなわけないじゃん。誰だって自分の内心はおいそれと晒したくなんてないでしょ? だったらそれも簡単には暴かれないのが当たり前。夢の世界ってのはそういう場所だよ。実際、キミの心の内が聞こえたのはさっきが初めてだし?
なんてーの? 要は競り合いなんだよ」
――――ずぞぼぼぼぼぼぼ、ぢゅるるっ。
と、瞬く間にタピオカミルクティーを飲み切ったフェノは、店内へ向けて片手を挙げ「おかわり!」と声を張ったあと、こちらに向き直り。
「さっきのキミの内心は『あえて口に出さないだけで別に伝わっても構わない類の皮肉』だったでしょ? 進んで晒したくはなかったろうけど、隠したいという気持ちそのものはかなり薄かった。それはつまり、願いそのものが弱かったってこと。
だから『キミの内心を知りたい』っていうボクの願いが、『自分の内心を隠したい』っていうキミの願いに一時的に競り勝って、心を読むことが出来たわけ。あんだすたん?」
「…………はは、意味が分からない」
頭のキャパシティはとっくに振り切れて、最早乾いた笑いしか浮かばなかった。
脳にへばりつく鈍痛は変わらず。それが無意味とわかっていても、右手はこめかみを抑える。
お待たせしました、と二杯目のタピオカミルクティーを運んできた店員の顔を横目で見て、かすかな違和感。
制服とエプロンを付けた、なかなかの美人な女性店員。
整った顔付きの彼女は、ぺこりと頭を下げた後に踵を返して店内へと戻っていく。
その後ろ姿を視界の端に捉えながら、ふと。俺はその違和感の正体に気付いた。
――――思い出せない。
つい先ほど俺はあの店員の顔を「美人だ」と評した。なのに、思い出せない。
お待たせしました、という言葉を発したその声色すらも思い出せない。
印象に残っていない、というレベルではない。
どういう目鼻立ちをしていたか、表情はどうだった、声は高かったか。そんなことまで何一つ、あの店員のことが記憶に残っていないのだ。
戸惑いを抱き、反射的にフェノに疑問をぶつけようとする。
「なあ、あの店員は――――」と、俺が言い切る前に。
フェノはにやにやとした表情で、早口に俺に語り掛けてきた。
「モブだよ。中身の入ってないお人形。『なにもかもがタダのお洒落なカフェ』に必要な要素として組み込まれたパーツだね。お店だけあったって店員さんが居ないと味気ないじゃん? 洒落たカフェなんだから洒落た制服を着た美人の店員さんはいるべきだ、いてほしい。みんなだいたいはそう思う。だからいるんだよ。そうじゃなきゃおかしいからね?
ちなみにキミも気付いたとは思うけど、あの店員さんはとっても美人だ。けど全然全くこれっぽっちも印象に残らない。誰が見ても美人なのに。美人には違いないのに。これはなぜかというと――――」
「ああ、そうか」と。その気付きに自然と口が開いた。
説明を遮られる形となったフェノの紫色の眉が、興味深げにぴくりと動く。それが次を促す様に見えて、俺は続く言葉をぼそぼそと紡いだ。
「どういう顔つきを美人とするのかは、人による」
「へえ」と、感心を含んだようなフェノの相槌。
「美人ってのはほとんど好みの問題だろう。なら、お前の言った『願いの競り合い』ってのが起こるはずだ。『自分好みの容姿の美人であれ』という願いの結果は、必ずしも一つに収束しない」
誰かにとっての美人が、他の誰かにとってそうであるとは限らない。だから、大本が同じ願いであってもそれが複数集まれば当然、競り合ってしまう。
あくまでフェノが言っていた事が全て正しければ、という但し書きが付くが。
「多数の願いが競り合うと『自分好みの容姿』という部分が相殺されて、『美人であれ』という願いのみが残る。
結果店員は、『美人だ』という印象以外が何一つ存在しない不確定な容姿になる。
容姿を確定してしまうと、それを誰かが『美人でない』と判断する余地が生まれるから」
「じゃあ」と、フェノはさらににやついて。「この店のインテリアやエクステリアにはっきり形があるのはなんで? 『洒落たカフェ』にも好みがあるんじゃないのかい?」
「モデルがあるから。ここ、スタールコーヒーだろ。チェーン店の」
元となる形があるなら話は別だ。『スタールコーヒーみたく洒落たカフェ』なら、形はほとんど一つに収束する。
加えて、これは想像に過ぎないが、モデルがあればその形をイメージしやすい分願いも具体的になるんじゃないだろうか……と、頭を回したところで。
――――ぱちぱちぱちぱち。気の抜けた拍手。フェノの口角が吊り上がる。
「正解。キミ、なかなか冴えてるねえ」
「別に」
こんなものは所詮パズルだ。フェノの言葉を組み合わせれば誰だってそれらしい答えに辿り着ける。それに気付くまでの時間だって、要は慣れ。この手の考え事の数をこなしているかどうかだ。
いくら頭が鈍っているといっても、与えられたヒントを繋ぐ程度のことは出来る。褒められるようなことではないだろう。
「まだ寝起きのはずなのにそこまで頭が回るのは素晴らしいよ、ウン。寝ぼけた返事しか打てない陰気で根暗なだけのやつかと思ってたら、存外にそうでもないらしいね? 人は見かけによらないとはこのことだ。下の下だと思ったら存外頑張れるじゃないかヨータロー?」
「……褒めるなら手放しにしろよ」
「NOだね。諧謔や皮肉を交えて言葉数を水増ししてこそのお喋り屋さんだよ。シンプルに言い切れることをもってまわってややこしく語る。急がば回れ、急いでなくとも回れ、最短距離なんてガン無視して同じところを二度三度ぐるぐるするのがフェノちゃんのチャームポイントなのさ♪ あんだすたん?」
「あんたは一度魅力の意味を調べたほうがいい」
「おやおや冷たいなあヨータローくんってば。口の悪い人は性格も悪いって思われるんだよ? もうちょっと思いやりのある言葉を掛けてほしいなあ? それがたとえ表面上だけの薄っぺらい嘘の言葉でも、本心がバレずに済んでかつ相手に好印象を与える嘘ならそれはじゃんじゃんばりばり吐きまくってもいい嘘だっていうのがボクの四十八あるポリシーの一つなんだ。そしてそれは真理でもあるのさ♪」
「皮肉は隠してもバレるんだろ。なら口に出した方がいくらか建設的だ。俺の気も晴れる」
「うわお、これ以上ないくらい清々しいねえ? 陰で言わなきゃ陰口じゃないってそりゃまあそうだけども。秘めても無駄だからって直で詰ることを選ぶあたり底意地汚いよね? キミの気分が晴れること以外なんのプラスにもならないのに。ああ、キミにとっては自分の気分がなにより大事ってこと? それ以外はノー眼中ってわけ? それはそれは素晴らしいクズっぷりだね恐れ入るよ参った参ったあっぱれあっぱれ!
ところでヨータロー、ずいぶんと口がなめらかになってきてるじゃないか。皮肉を吐いて気が晴れたついでに頭の重さも吹っ飛んだかい?」
「喋りの滑りに関して言えばお前には負ける。頭の調子は……マシにはなってるな」
いまだに頭の奥が霞んでいる感覚があるものの、あの草原に居た時よりかはいくらか楽だった。本調子とはいかないが、普通に行動する分には問題ないだろう。
「それは重畳よかったよかった。加えてキミ、なんだかんだで夢の世界の仕組みもわかりつつあるみたいじゃないか。キミの存外に回る頭のおかげでボクの喋る手間が省けたのはうれしいようなつまらないような感じだけれどもそれはさておき。悲しいかなボクが担当するチュートリアルなレッスンも一足どころか三足飛びくらいのスピードで佳境に差し掛かってしまってるわけだよ。で、だね。キミ、ゲームはやる方?」
突然脈絡のないことを聞かれややどもりつつ「……まあ、嫌いじゃない」と返せば、フェノはぱちんと指を鳴らし、ことさら芝居がかった口調で「なら話は早いね」と嗤い。
「だったらわかると思うけど、大抵のRPGって導入部がテンプレ化してんだよね。いかにも意味深に始まる感じの冒頭、そっから説明的に続く最序盤の流れはそのまま操作説明のチュートリアルになっていく、ってな具合に。ま、それが陳腐だなんてボクは言わないよ? むしろ展開が定型化してるのはそれなりの理由があってのことだと思うんだよね。つまりはそう、その方がわかりやすくて親切だから。プレイヤーをゲームの世界にいち早く没頭させるためのセオリーとしてそういう手法が成長したんだよ。で、その先人達の知恵を利用しない手はないよねっていう話でさ。
ああつまり、ボクもそれを踏襲してテンプレ通りのチュートリアルを構成しているわけなんだよ。でだ、その定型的ゲームチュートリアルのクライマックスに大抵発生する出来事と言えば――――」
――――――――突如、轟音、突風。
右から頬と体を打ち付けたのは空気圧の衝撃。ガラスが派手に割れる音。フェノの紫髪が大きくなびく。一拍遅れて、小さな葉がぶわりと舞う。
痛みすら呼び起こすその風と音。暴威の巻き起こった方向に目を遣れば――――
「脈絡のないエンカウントと――――」
いくらか葉を散らされた植え込み越しに、男の姿。
黒いパーカーのフードを目深に被った、嫌に図体の大きな男。陰の掛かった目元からでもありありとわかる眼光、殺気。
巨漢は舌を打つ。――――瞬間、体中を悪寒が駆けた。
そして、案内人の少女は飛び上がり嗤う。ベレー帽を片手で抑え、紫の髪を振り乱し、宙を舞い、大きく笑う。
「――――取って付けたようなイベントバトルってわけさ」