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黒猫堂古書店物語  作者: 美汐
第六話 はるかなる物語
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はるかなる物語3

 正月休みも終わり、燈月通り商店街の店もちらほらと営業が再開していた。黒猫堂古書店の前まできて、相変わらず扉が閉まっていることを確認した茜は、重いため息を漏らした。

 今日も無駄足だったかとあきらめかけたそのとき、視界の端でなにか黒いものが動いたのが見えた。すぐにそちらを振り向くと、そこにはミケがいた。


「ミケ!」


 思わず茜がそう声をあげると、ミケはその場にちょこんと座った。まるで茜が近づいてくるのを待っているようにも見える。

 茜がミケの近くまで寄っていくと、ミケはつと立ちあがり、商店街の通りの真ん中を西側に向かって歩き始めた。その悠然と歩く姿は、まるで茜についてこいとでも言っているように思えた。


「ついてこいって……? まさかね」


 そうつぶやいて、茜はけれどもそれに従うことにした。どうせ他にすることもないのだ。猫のきまぐれにつきあってみるのもたまにはいいだろう。

 ミケはとことこと前を歩いていた。この寒空の中、外で出歩く猫も珍しい。しかし今日は最近では珍しく、空は晴れていた。

 頭上を見あげると、突き抜けるような青空がどこまでも続いていた。それを見て、茜は昔よく想像したことを思い出していた。


 この空のはるか遠くには、実は別の世界が広がっているのかもしれない。物語に出てくる遠い国の不思議な世界。魔法や不思議な動物や、そこで暮らす人々は実はどこかに本当にいて、その世界は今もこの空と繋がっているのだ。

 そんな夢想に心を躍らせていたあの少女は、今も胸のうちに眠っている。


 物語を読むということは、たくさんの人生をそこで疑似体験するということだ。平凡なつまらない少女は、そこでは大冒険をして活躍したり、国を救ったり、大恋愛をしたりする。事件を解決したり、ときにはピンチに陥って、九死に一生の目に遭うこともある。

 ドキドキしたりハラハラしたり、怒ったり涙を流したり。実際にはそんなにいろいろな出来事が目の前で起こったりしたら、パニックになってしまうだろう。だけど、本の中でなら許される。本の中でなら、すべてはありうることなのだ。


 本の中の登場人物は、みんななにかに一生懸命だ。目の前の出来事に、必死に立ち向かっている。自分もそんなふうになれたらと思う。なんのとりえもない、自慢できることなんてなにもない自分だけれど、一生懸命になることだけなら、真似できそうな気がする。


 本を愛していると言ったあの人に、伝えたいことがある。

 茜が抱いているこの気持ちを、あの人だったらわかってくれるだろう。

 目の前を歩いていた猫は、歩いていたと思ったら急に走り始めた。


「あ、ミケ。ちょっと待って!」


 茜は慌ててそんなミケを追いかけた。黒い小さな塊は、しなやかに伸び縮みを繰り返して走っている。どうやらなにかを見つけたようだ。

 前方に目をやると、そこに人影が見えた。ミケはその人に向かって走っていた。その人は黒猫の姿に気がつくと、すっとその場でしゃがみこんだ。そしてミケは、そのままその人の腕の中へと飛び込んでいった。


「ミケ。迎えに来てくれたんだね」


 そう言いながら、黒猫を抱いてその人は立ちあがった。少しやつれて、赤い目をしている。

 茜はその人の正面まで近づいていった。


「遅すぎますよ。現れるの」


「え? あ、松坂さん? なんでここに? というか、もしかしてなにか怒ってます?」


 神谷はそう言うと、困ったように頭を掻いた。


「連絡のひとつくらいくれたっていいじゃないですか。てゆうか、今までどうしてなにも教えてくれなかったんです? お父さんのこと」


「ああ、やはりばれてしまったんですね」


「神谷さん」


 茜がじろりと睨むように見ると、神谷は観念したように口を開いた。


「ええと、それはやはりシリアスな話題ですし……」


「だけど、三ヶ月近くも店で一緒にいたんですよ。わたしだけなにも知らないなんて、納得いきません」


「あ、そうですか。……そうですよね。すみませんでした」


 神谷はそう素直に謝罪した。茜はふるふると頭を振った。


「いえ。神谷さんが謝ることではないんですけど。でも、やっぱりわたしにもなにか手伝えたんじゃないかって。そう思うと言わずにいられなくて」


 茜がそう言うと、神谷は疲れた表情ながらも、少しだけ口元をほころばせた。


「……それで、どうなんですか? お父さんの具合のほう」


 茜の言葉に、神谷は口を結んで俯いた。そして、しばらくしてから言った。


「……もう、あまり残された時間はないようです。今は一旦帰ってきましたが、またすぐ病院へと戻るつもりです」


 神谷は気丈にそう言ったが、その肩はかすかに震えていた。茜はなんと声をかければいいのか一瞬迷ったが、すぐに意を決してはっきりとした声で言った。


「わたしも病院に付き添わせてもらえませんか?」


「え?」


「神谷さん。本当はあなたも心細いはずです。こんなときにたった一人でお父さんに付き添うなんて、つらすぎますよ」


「だ、駄目ですよ。そんなのは」


「家族じゃないから駄目だって言うんですか?」


「いえ。そういうわけでは……」


「それならいいですよね。一度ご挨拶に行かなければいけないと思っていたんです。お父様のやっていらした黒猫堂古書店に勤めるものとしては」


 神谷は茜の言葉に目を丸くした。そして、少しだけ笑って頷いた。


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