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黒猫堂古書店物語  作者: 美汐
第五話 招待状
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招待状13

「茜さん。あなたはそれでいいんですか。彼女とそんな関係のままで、この先も続けていくつもりですか」


 茜はふるふると首を横に振った。


「変えなきゃいけないとは思っています。あの本をとられそうになったときに、わたしはそう実感しました」


 彼女は唇をぎゅっと噛み締めた。


「今までいろんなものを葵に譲ってきたけれど、それをとられることだけは我慢することはできませんでした。なんとかそのときは阻止することができたんですけど、一緒に暮らしていてはあの本を隠し通すことは難しい。だからわたしは実家から離れて暮らすことにしたんです。実際距離を置くことで、葵の一方的な悪意からは一時は逃れることができました」


「でもそれは、根本的な解決にはならない」


「ええ、そうですね。だから今回のようなことが起きてしまったわけですから。それに……」


と言い添えて、彼女は眉間に皺を寄せた。


「葵には秘密にしていたアパートの場所がばれてしまった。わたしは再びあの本の隠し場所を考えなければいけなくなりました」


「もしかすると、そこで思いついた新しい本の隠し場所というのは……」


「はい。一時的に古本屋さんに置かせてもらうことです」


 神谷は天井を仰ぎ見た。皮肉にも、それを自分が買っていってしまったのだ。


「あの古本屋には知り合いがアルバイトに入っていて、いつもその人がわたしの本を預かってくれてたんです。だからわたしは葵がアパートにやってくるのが前もってわかっている場合は、その古本屋に本を持って行き、葵が帰ったらそれを引き取るということを繰り返していました。しかし、あの日はなんの手違いか、他のアルバイトの人がそれを間違えて商品として店に出してしまった」


 茜はそう言って、目を伏せた。


「今思えば他にもっといい方法はありました。けれど、そのときはそれしか思い浮かばなかったんです。木を隠すなら森へ隠せっていいますから」


 古本屋に本を引き取りに行ったとき、その本がすでにそこにないことを知った彼女の絶望はどれほどだったろう。きっと自分を責めたに違いない。


「その本が誰かに買われていってしまったことを知って、わたしは随分落ち込みました。そして自分の愚かさに腹を立てました。そのあとわたしはその古本屋さんに頼んで、どんな人に売ったのか訊いたり、その古本屋さんへ来るお客さんに声をかけて、その本を買ってはいないか聞いてまわったりしました。そんなことをしていたので、その古本屋の店長からは随分注意を受けましたが、わたしにとってはなによりも、その本を再びこの手に戻すことが大切なことだったのです」


 何気なくその本を買ってしまった自分の行為が、彼女をそれほどまでに困らせてしまったとは思いもしなかった。そんなにその本を捜し求めていたということも。


「そうしてその本を捜す日々が始まりました。他の古本屋さんを見に行ったり、ネットの古書店に問い合わせたこともあります。けれど、どんなに手を尽くしてもその本は見つからなかった。もう一生その本とめぐり会うことはないのかもしれない。そんなふうにあきらめの気持ちも芽生え始めたある日、あなたと出会ったんです」


 そのときの彼女の気持ちを考えると、あれほどまでに神谷の持っていた本を欲しがった彼女の行動も、わかる気がした。そのチャンスを逃したら最後、もう二度とその本は自分の手には戻らないのかもしれない。それを思えば、アルバイトを引き受けることなどたいしたことではない。神谷の出した条件を容易に受け入れた背景には、そんな事情があったのだ。


「しかしそうだとしたら、今回の件であなたが葵さんの出した条件を飲んだことは、非常に意外なことに思えます。その手紙というのは、あなたがそこまでしてこだわっていたあの本よりも、それほど大切なものなのですか?」


 その質問に、彼女は少しためらってからこう答えた。問題の手紙は彼女の座っている場所のすぐ横に置かれてある。


「……実はこの手紙は、あの本をわたしにくれた先輩からのものでした。あの本と天秤にかけるようなものではないんですけれど、わたしはどうしてもそれを見る必要がありました。本は一時的に葵の手に渡ることになっても今回は仕方ない。そう思いました」


 それは彼女にとっても苦渋の選択だったのだろう。彼女は眉根を寄せたまま、再び唇をきつく噛み締めた。


「その手紙の内容はなんだったのですか? それほど重要な内容だったのでしょうか」


「いえ。まだ内容はわかりません」


「わからない?」


 神谷はまたしても、彼女の言葉に意表をつかれた。


「はい。もう少し、落ち着いてから読もうと思います」


「そうですか」


 その手紙の内容がなんなのか。神谷には知るよしもないが、その先輩が彼女にとって至極特別な存在であることは理解できた。

 神谷は松坂茜の様子を見つめた。彼女は俯いたまま、じっと自分の握った拳を見つめている。


「ちょっと、新しいお茶を煎れてきますね」


 そう言って立ちあがったそのとき、彼女は顔をあげてこちらを見た。


「神谷さん」


「はい」


「わたしたちは変わることができるでしょうか。もっと……こんなふうじゃなくて、普通の姉妹みたいに」


 神谷はその言葉に、希望の光を見たような気がした。微笑んでそれに頷きで答えると、彼女は控えめな笑顔を浮かべた。


「変われます。変えたいと思う気持ちがあるのなら、きっと」


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