招待状9
長い沈黙が二人の間におりた。両者は互いに目を逸らすことはなかった。
沈黙を先に破ったのは、彼女のほうだった。彼女は突然けたたましく大声で笑い始めたのだ。
「うふふふふ。あーははははっ!」
彼女は持っていた本をカウンターの上に置いて、代わりに自分のお腹を抱えた。さもおかしいといわんばかりに笑い続けている。
神谷はそれを、冷静に見つめていた。しかしそれとは裏腹に、胸の底におき火のようなものが燻り始めたことを、かすかに感じていた。
「あっはっはっ。すっごおい! なんでわかったのお?」
ようやく落ち着いてきたらしい彼女は、後ろにあった本棚に身をもたれかけさせながらそう言った。そして、神谷の顔を睨むように見つめてきた。
「そうだよ。あたしは松坂葵。茜の双子の姉だよ」
神谷は目をすがめるようにして、彼女の姿を見た。松坂葵は笑い過ぎたせいで目の縁に浮かんだ涙を、人差し指でぬぐっていた。
「あーあ。それにしても、もうばれちゃったのかぁ。つまんないなー。で、いつ気づいたの? あたしが茜じゃないって」
「あなたが松坂茜さんではないのではないかと気づいたのは、あなたが今日ここにいらしてまもなくのことです」
「え? そんなに早く? 完璧だと思ってたんだけどなぁ。でもどうやって?」
神谷はカウンターの上に置いてあった、それを手に取った。
「これですよ」
「え? その猫の置物?」
「そうです。これは松坂茜さんから先日いただいたものですが、これは置物ではなく本当は箸置きなのです。買った本人からそう聞きましたから、このことを知らない人であればともかく、本人が置物とこれを呼ぶのは少し違和感を感じました。さらに言うならば、松坂茜さんはお昼の休憩に行く際、いつも制服のエプロンをつけたまま出て行かれます。はずして出て行かれたあなたと茜さんでは、やはり違います」
神谷の説明に、葵は感心したようにため息をついた。
「そっか。あなたにはへたな小細工は通用しないみたいだね。でもそれだけの理由じゃ、ちょっと説得力には欠けるかな。もしさっきのは嘘の演技で、やっぱりあたしが松坂茜だって言ったらどうする?」
葵がそう言うと、今度は神谷のほうがくすくすと笑って見せた。
「あなたはなかなか食えない人のようですね。けれど、心配には及びません。あなたが松坂茜さんではない証拠なら、いくらでも見つけ出せます」
「へえ。たとえば?」
葵がシニカルな笑みを浮かべながら、そう質問する。
「たとえば、歩き方。茜さんはあなたより少し歩幅が大きい。しゃべり方にしても、茜さんよりあなたのほうが早口です。そしてなによりも決定的だったのが、この本を手にしたときのあなたの行動です。その行動が、あなたと茜さんとの違いを物語っています。そもそも、あなたがこの本を松坂茜さんのものだと思った理由はなんでしょう?」
葵は、カウンターの上に置いた本に目をやった。
「それは、これが『はるかなる物語』だったからだよ。目の前にこの本が出されて、それが茜の本じゃないなんて、想像できなかった」
「ええ。そうでしょうね。しかし、茜さんだったとしたら、この本を目の前に出されたとき、まず始めにある行動をしたはずなのです」
「ある行動?」
「はい。松坂茜さんは、自分の持っていた本の特徴をよくわかっておいででした。それは、自らのつけたしるしに他ならなかったからです。本人であれば、それをすぐに確認したはずです。本人ではないあなたには、それがなにかわからなかったのでしょう。どうでしょう。そのしるしがどんなものなのか、あなたは答えられますか?」
松坂葵は右手の親指を口元へと持っていき、噛むような仕草をしていた。そしてそれをやめると、ゆっくりと首を横に振って見せた。
「そうだね。認めるよ。あたしは松坂茜じゃない。そのしるしがどんなものなのか、わからないんだから」
松坂葵は降参の意を込めてか、両方の手のひらを自分の胸の横で広げて見せた。
「でもさ。本人じゃないってわかったからって、なんであたしの名前まで知ってるわけ?」
葵がそう言ったところで、ドアベルの音が店内に鳴り響いた。入り口の扉が開かれたのだ。神谷と葵はそちらに顔を向けて、その人物を見つめた。
「それは、わたしが教えたからだよ。葵」
もう一人の彼女が、そこに立っていた。




