招待状3
黒猫堂古書店には、ファックス兼用の電話機が一台ある。神谷了輔はその電話機一台をほぼ唯一の通話手段にしていた。客からの注文や組合からの連絡、個人的な用件まで、その電話機で済ませていた。
つまり、神谷は携帯電話というものを持っていないのだ。それを他の人に話すと、誰もが彼のことを珍妙なもののように見てくる。この通信手段にことかかない、携帯電話自体が飽和状態であると言われているような時代にあって、二十代という若さでありながら携帯を持たない自分のような存在は稀であるのだろう。神谷はそのことを自覚していた。
しかしだからといって、神谷はそれを持つ必然性をまったく感じなかった。出先で連絡を入れなければならないようなことはまずほとんどないし、そんな相手もいない。アルバイトに入ってくれるようになった松坂茜には連絡事項がある場合もあるが、それは出先から帰ってきてから伝えれば済む話だし、どうしてもという場合には公衆電話を借りればいい。公衆電話自体が数を減らしてしまっているとはいえ、探せばあるところにはあるのだ。それに、神谷がいつも行く場所にそれは設置されてある。だからやはり、携帯電話を持つ理由が彼にはなかった。
世間を見回すと、誰もが携帯電話をいじっている姿を目にする。その姿が神谷にはとても奇妙に映るのだ。その機械には、それほどまでに人を魅了してやまないものが備わっているのだろうか。人と常に繋がっていられるという安心感が、それを必要とさせているのだろうか。
自分は世間とずれている。そう感じるようになったのは、いつのころからだろう。思い起こせば、昔から神谷は変わり者だというふうに言われ続けてきた。
神谷がまだ幼いころ、黒猫堂古書店は神谷の祖父が経営していた。そこに入り浸っていた神谷が本の虫になるのは、当然といえば当然のことだったのだろう。祖父は神谷にたくさんの本の話をしてくれた。その話はとてもおもしろくて、神谷はそれを聞くのが大好きだった。
学校ではいつも一人で過ごしていることが多かった。他の同級生たちが話題にしているゲームの話や、テレビの話についていけなかったことが一番の原因だった。漫画のことなら多少は話すことはできたが、それでもやはり神谷は他の少年たちとは毛色の違う存在だった。成績がよかったのと、なぜか足だけは速かったのでいじめに遭うことはなかったが、寂しい少年だったことは確かだろう。
しかし一人だけ、そんな神谷と親しくしてくれる幼馴染みがいた。祖父の店の近所に住んでいた中川もまた、祖父の店の常連だった。中川が読むのは神谷とは違って漫画ばかりだったが、同じ店の馴染み同志ということもあって、二人はよく遊ぶようになった。
神谷は中川にいろいろなことを教わった。流行りのゲームやテレビ番組、芸能人やスポーツ選手のことまで神谷は彼から教わっていた。特に興味はなかったようなことでも、中川と話しているとなんだか楽しい気分になっていたのが不思議だった。そんな中川は学校でも人気者で、彼の周りには常に人が集まっていた。そんな中川が学校内でも神谷と親しく話をしてくれたことも、神谷がいじめられずに済んでいた一因だったのかもしれない。
神谷が中学一年の冬、祖父が他界した。
そしてそのあとすぐ、神谷の父親が、勤めていた会社を辞めて祖父の店を継いだ。しかしそのことが、神谷の家族を崩壊させてしまう原因になってしまった。
神谷の母親は、父が勝手に会社を辞めてしまったことを激怒していた。毎日のように夫婦喧嘩は繰り返され、とうとう神谷の両親は別れることになってしまった。
母親は最初神谷を引き取るつもりだったようだが、神谷は父親と一緒にいることを選んだ。祖父と父の愛した黒猫堂古書店から離れたくなかったのだ。神谷もまた、この黒猫堂古書店を愛していた。
父と母が離婚してから、神谷は黒猫堂古書店で生活をするようになった。家族三人で暮らしていたアパートは引き払われ、母親は違う場所へと移り住んだ。父と神谷二人だけの生活が始まったのだった。
そんなふうに神谷がつらつらと過去の記憶を思い浮かべていると、突然店内に電話の音が鳴り響いた。神谷が受話器を手に取って、「はい。黒猫堂古書店です」と通話口に話すと、耳元に松坂茜の声が聞こえてきた。




