招待状2
松坂茜がその電話を受け取ったのは、派遣社員として働いている会社からアパートに帰宅して、そのままベッドに倒れ込んだときのことだった。その週の金曜日のことである。
鳴り続ける携帯は、少し離れた場所に置いた鞄の中に入っている。一度横になった体を起こすのは億劫だったが、放っておくわけにもいかず、茜は起きあがって鞄から携帯を取り出した。
実家からの着信。思わずどきりとする。実家には当分帰っていない。複雑な思いを感じながら、とりあえず電話に出てみた。
「はい」
「茜?」
茜の母親の声だった。少しだけほっとする。
「お母さん? 久しぶり。なに? 電話してくるなんて珍しいね」
「茜、あんた随分帰って来てないけど、ちゃんとやってるの? 食事とかちゃんと食べてる?」
茜の母親は人の話をあまり聞かない。にも関わらず自分の言いたいことだけはこちらの都合も考えずに言ってくる。特に悪い人ではないのだが、そういうところだけは直したほうがいいと娘としてはつくづく思う。
「ちゃんとやってるよ。ご飯もちゃんと食べてるから心配しないで」
「そう。それならいいけどたまにはこっちに顔を見せに来なさい。家族みんな、あんたのこと心配してるんだからね」
疲れているときにこういう話は余計に聞きたくない。母親は茜が家を出たことをあまりよく思っていないのだ。きっとこの電話の口ぶりからして、いまだになぜ茜が家を出て一人暮らしを始めたのかわかっていなさそうだった。
「電話したのってそれだけ? 特に用ないんなら切るよ。ちょっと今会社から帰ってきたばっかりで疲れてるから」
茜がそう言って通話を切ろうとすると、携帯の向こうから「ちょっと待って」という声が聞こえてきた。
「なんかあんたに手紙が届いてたから、それを教えようと思って電話したんだよ」
「手紙?」
「うん。なんだか小綺麗な封筒に入ってたし、大事な手紙なんじゃないかと思うんだけどね」
誰からだろう。友人の誰かからだろうか。
「宛名誰からになってる?」
なにげなしに茜はそう訊ねた。しかしその返事は、疲労して働きが鈍くなった茜の脳をたちまちにして目覚めさせるものだった。
「倉本楓っていう人から。知ってる人?」
知っているもなにも、忘れられるわけはない。それは、あの倉本先輩の名前だ。高校時代、茜の大好きだった先輩。美しく聡明な倉本先輩は、茜のあこがれの人だった。
「……うん。知ってる」
声がうわずっていることが自分でもわかる。電話の相手は自分の母親だというのに、緊張に携帯を持つ手が震えた。
「じゃあ、近いうちに取りに来なさいよ。封は開けずにおくから。わたしがいないときは、和室の茶箪笥の引き出しにしまってあるから持っていきなさいね」
「うん。わかった。早いうちに取りに行くよ。じゃあ」
母親のほうもそれを聞いて、「じゃあね」と言って通話を切った。茜は通話の切れた携帯をしばらく呆然と持ったまま、その場で固まってしまっていた。
倉本先輩からの手紙。それがなぜ今ごろ実家に届いたのか。中に書いてある内容がなんなのか。それを思うと茜の心は混乱した。
もう自分など忘れられてしまったと思っていた。遠いところへ行ってしまったはずの倉本先輩は、いったいなにを知らせてきたのだろうか。




