茜、陶器市に行く8
「これは、言葉の響きによる先入観が誤解を招いたのでしょうね」
「先入観?」
「ええ。人は予備知識のない状態で未知の分野の話を聞いたとき、その内容はほとんど頭に残らない。理解ができないからです。たとえば未知の外国語を聞いても、なにを言っているのかわからない。その言葉を本気で勉強したことがないからです」
神谷がなにを言おうとしているのか、茜にはよくわからなかった。けれど、これはたとえ話をしているのだということだけは理解した。
「しかし仮にそこに、自分の知っている言葉、今の話の場合は外国語の間によく知っている日本語が紛れていた場合どうなるでしょう。きっと、その知っている日本語が強烈に印象に残るはずです。つまりは今回の場合もそれと同じだと思うのです。相手との電話がお互い聞き取りづらい状況にあったことも、それを助長したのだと思われます」
神谷の言葉に茜は、はっと気がついた。
「あっ、そうか。そういうことなんだ」
「え? 茜今の話でなんかわかったの? わたし、意味わかってないんだけど」
いまだ理解していない様子の珠恵に、茜は言った。
「つまり、珠恵は外国語を日本語に勝手に変えて解釈しちゃってたってことだよ。そういうことですよね。神谷さん」
「え? なに、どういうこと? 彼が外国語をしゃべってたとでも言うの? わたしたちお互い純粋な日本人なんですけど」
自分一人だけ取り残された珠恵は、憮然とした表情をしていた。
「森口さん。瀬戸物という言葉は聞いたことがありませんか?」
「せともの? あんまり聞いたことないんですけど……」
「瀬戸物というのは焼き物のことです。最近はあまり馴染みのない言葉かもしれませんが」
神谷がそう言うと、珠恵は「あっ」と叫んだ。
「セットものと瀬戸物。そういうことかー」
珠恵は脱力したように、その場に崩れ落ちた。
「もしかすると、森口さんはもともとこの辺りの人ではなかったのではないですか? 出身はどこか違う遠方だったとか」
「あ、そうです。昔からの地元民ではないです」
「瀬戸物という言葉を聞いて、年配のかたなどは、すぐにお茶碗など焼き物のことだとぴんとくると思います。昔はよく焼き物のことを東日本では『瀬戸物』、西日本では『唐津物』という呼び方をしていました。瀬戸物というのは、もともと愛知県の瀬戸周辺で作られていた焼き物のことをさしてそう呼んでいましたが、瀬戸が焼き物の産地としてあまりに有名だったために、必ずしも瀬戸のものでなくても一般的な焼き物のことを瀬戸物と呼ぶようになったのです。しかし、昔ほど現代では瀬戸物という言葉自体が使われなくなってきました。昔は普通にあった瀬戸物屋というものは衰退し、今は百貨店などの食器売り場で食器を買う時代です。哀しいことですが、今の子供たちは瀬戸物という言葉自体を知らない子も増えているそうです」
時代が変われば言葉も変わる。めまぐるしい現代では、昔の人の言葉などすぐに忘れ去られてしまうのかもしれない。
「ものの呼び方というものは、非常に流動的で曖昧なものです。時代や場所によって、同じものを表す言葉でも、まったく違うものになったりするのです」
「確かにそうですね。方言や時代で、いろいろものの呼び方とかって変わりますもんね」
「焼き物ひとつとってみても、それを陶器や磁器と言ったり、瀬戸物と言う人もいれば、有田焼、益子焼、美濃焼、瀬戸焼などと産地の名前で言う人もいます。志野、織部など釉薬の種類で言う場合もありますし。ですから本当に多種多様ですね」
「わたしからしたらみんな同じに思えてしまうんですけど。そもそも陶器と磁器の違いもいまいちわかってないくらいですし」
「陶器というのは、土を使った焼き物のことで、透光性のない厚手の焼き物のことです。透明感のある白くて固い焼き物は磁器といい、石の粉からできています。それらを総称して陶磁器と言うのです。けれどもそれも食器とひとくくりにしてしまう人たちにとっては、違いなどあまり関係ないものなのでしょう」
「なるほど。手にした食器ひとつとっても、人によってそれをなんと呼び表すかというのはまるで違ってくるわけですね。そう思うと、言葉って本当に曖昧なものなんですねえ」
茜は感心して神谷のことを見つめた。
「それより瀬戸物をセットものって勘違いしてたのはわかったけど、白い象さんっていうのは?」
珠恵が隣でそう問いただした。
「これも依頼者が瀬戸物という言葉を使っていたことから、焼き物で使われる言葉であると推測されます。ですからそれに近い言葉を当てはめると、たぶんこういうことだと思われます」
神谷はそう言って、手帳になにかを記し、それをこちら側に向けて見せた。
そこにはこう書かれてあった。
『象嵌』
「この場合の瀬戸物というのは一般に言う焼き物全般をさす言葉でしょうね。象嵌というのは、陶磁器に模様などを刻み込んでそこに違う色の土を入れ込む陶芸技法のことです。それに当てはめると、白い象さんの正体は白化粧土を象嵌で入れ込んだ瀬戸物ということになりますね」
「じゃ、じゃあ、あの謎の言葉にももしかして違うちゃんとした意味があるんですか?」
「ええ。『しまで』でしたか。きっとこれだと思います」
神谷は手帳の空白部分にさらにこう書き付けた。
『三島出』
「みしまで。最初の一字を聞き逃したのでしょうね。先程話した象嵌の技法のことをそう呼んだりもするようですよ」
それから神谷は店の棚から陶磁器図録と書かれた写真集を持ってきて、当該の焼き物の写真を茜たちに示して見せた。それを見た茜と珠恵は、ほぼ同時にため息をついた。どうして初めからここに相談に来なかったのか、茜はいまさらながらに悔やんだ。
「結局、ものすごい大きな勘違いをしてたってことだね」
「ホントだよ。うちら馬鹿過ぎるー」
「ちょっと待って。わたしと珠恵を一緒にしないで」
「ええ? ちょっと茜。わたしを見捨てないでよ」
茜と珠恵は笑い合った。馬鹿みたいに必死に見当違いのものを探していた自分たちがおかしかった。けれど、なぜか茜はそんなことをしていた自分たちがとても愛おしく思えた。それはたぶん、高校時代の自分たちを見ていたようだったから。あの輝いていた時間に戻れたような気がしていたから。
「これでようやく彼へのプレゼントを買えそうだね」
「これからが本当の意味での探し物だわ」
「それ、わたしもつきあうよ。ここまでつきあったんだから、最後まで見届けてあげる」
茜がそう言うと、珠恵は嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、茜。あんた、やっぱりいいやつだね」
茜たちはそうして再び陶器市へと向かっていった。




