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黒猫堂古書店物語  作者: 美汐
第三話 神谷、髪を切る
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神谷、髪を切る10

 茜は店番をしている間、レジカウンター内でパソコンと向き合っていた。黒猫堂古書店のホームページを作り替える作業の続きをやっているのだ。先日作った店のエプロンにつけたミケのアップリケが思いのほか好評で、商店街の人々から何度もお褒めの言葉をもらっていた。それに気をよくした茜は、この黒猫のデザインをホームページにも生かすことを思いついた。そして今、画面には黒猫堂古書店という文字の横に茜作の黒猫が登場している。


 ニャーという鳴き声とともに、モデルのミケが足元に近づいてきていた。最近少し距離が縮まったような気がして、茜としては結構嬉しい。まだあまり触らせてはくれないが、そのうちそれも許してくれるようになるのではと淡い期待を抱いていたりする。

 店の扉のガラス面に人影が映し出されたのに気づき、そちらに目をやると、見知らぬ男性が入ってきた。お客さんだと身構えてその場でじっとしていると、その人が声をかけてきた。


「松坂さん。店番、ありがとうございました」


 その声を聞いて、驚いた。あまりの変貌ぶりにぽかんと口が開いてしまう。


「やっぱり変ですか? おまかせでやってもらったので、自分でも似合ってるかどうかよくわからなかったんですけど」


 その人はいつも困ったときにやるように、頭をぽりぽりと掻いてみせた。茜は慌てて首を横に振る。


「変じゃないです。とてもその、似合ってると思いますよ」


「そうですか。それならよかった」


 そう言って微笑む神谷はいつにも増して輝いて見えて、茜はなんだかどぎまぎした。さっぱりと短くなった髪は、意外にも彼によく似合っていた。服装はいつもと変わりないが、髪型が違うだけでとても清潔感が増している。そして長い前髪で隠れていた綺麗な目元があらわになり、まるきり以前とは違う人物に見えていた。


「中川さん、いい腕もってますね」


 茜は素直にそう感想を述べた。


「はい。美容師として東京で修行を重ねていただけのことはあります」


「お店のほうは、とりあえずまだそのままでやられるんですか?」


「ええ。今は不定期営業という形で、続けていかれるそうです」


「そうですか」


 茜はほっとした。店がなくならずに済むのなら、やはり嬉しい。


「光司が入れるのは今勤めている美容室が休みの日だけになりますから、お母様の調子次第でまたいつ休むかわからないと言っておられました。でも、由紀ゆきさんはとても嬉しそうでしたよ」


 美容室ユキ。中川の母親の店だ。しばらく休んでいたが、最近また営業できるようになったらしい。ずっと伸び放題だった神谷の髪も、ようやく切りに行くことができた。


「中川さん。お父さんとも会われたんですよね」


「はい。長年のわだかまりもなくなり、お互いのことを認め合うことができたようです。孫が生まれることを聞いて、彼のお父様は大層喜んでいたそうです」


「それはよかったですね」


 わかりあえることなどないと思っていた親子がそんなふうになれるなんて、きっと本人たちも思いもしなかっただろう。それはある意味で奇跡のようなものだ。家族というものは、近すぎれば反発しあい、遠ざかれば気にかかる奇妙なもの。けれどそれはなにものにも代え難い存在であり、なによりも大切なものなのだ。

 そう思ってから、自分のことを振り返ってみる。自分はそんなふうに家族とわかりあえるようになれるだろうか。本当の意味で、あの人たちと家族になれるのだろうか。

 ふとそんなことを考えたが、茜は小さく首を振った。そんなことは考えても仕方のないことだ。これはまた、別の問題なのだから。


「そういえば神谷さん。あのとき弥生さんが妊娠してるってどうしてわかったんですか?」


 茜は気分を切り替えるためにも、神谷にそう質問してみた。そのことは前から気になっていたが、つい聞きそびれてしまっていたのだ。


「あれは半分勘だったんですけどね」


 勘と言い切るには随分自信ありげに見えた。


「弥生さんがこの店に来たとき、絵本を手に取っていましたよね。以前はそういうものに興味などなさそうでしたから、意外に思っていたのです。そしてそのあとで、光司からも絵本のことを訊かれました。きっとあの喧嘩のあとに妊娠のことを告げられたのだと思います。友達にあげるともなんとも言っていませんでしたから、そうなのではないかと疑いを強めました。そしてさらにそれを確信へと近づけたのは、光司が由紀さんから逃げたときです。彼は弥生さんが現れてすぐに逃げるのをやめたんです。普通なら構わず逃げていてもおかしくない状況でした。きっと、あのとき光司は弥生さんの体を気遣っていたのだと思うのです。弥生さんが走って追いかけてきたりしないようにと」


 なるほど言われてみれば確かにそういうふうにも考えられる。しかし、なかなかそこから妊娠のことまで結びつけることは難しいように思う。


「それに、弥生さんは以前は高いヒールの靴を好んで履いていました。しかしこの間からヒールの低いものしか履いているところを見ていません。すべてのことを合わせて考えれば、やはり妊娠しているという答えに着地するよりないと思ったのです」


 神谷のその深い観察力と洞察力に、茜はまたしても感心した。


「そういえばあの日、中川さんはグレープフルーツを買っていました。つわりのときって酸っぱいものが食べたくなるって言いますよね。あれはきっと弥生さんのために買っていたんですね」


「そのようですね」


 お騒がせな夫婦だったが、新しい命がその夫婦から生まれるということは、茜にとっても楽しみなことだった。無事に元気な赤ちゃんが生まれてくれるといい。


「あいつ、僕にこう言っていましたよ」


 神谷は目を細めていた。まるで眩しい未来でも眺めているみたいに。


「いつか、自分が母さんの店を継ぐんだって」


 あの家族は、きっともう大丈夫だ。それはきっと実現可能な未来だ。この先、あの家族にはたくさんの笑顔が溢れるだろう。茜はそんな未来を予感して、口元をほころばせるのだった。




第三話終了です。お疲れ様でした!

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