神谷、髪を切る4
中川夫婦が二人とも去ると、急激に脱力感が増した。茜の口からは大きなため息が漏れた。なんだかよくわからないが、パワフルな夫婦だった。
「すみませんでしたね。友人が邪魔をして」
「いえ。ちょっとびっくりしましたけど」
神谷は、友人と言葉にしていた。本人の前ではあんなことを言っていたが、やはりなんだかんだで仲はいいのだろう。中川といるときはいつもの神谷とは違い、気心の知れた友人とじゃれあっているような幼さがあった。そんな姿に、この人にもこういう一面があったのかと、茜は意外に思っていた。
「いつもああなんですよ。なにかというと夫婦喧嘩をしては、うちに逃げ込んでくるんです。まったく仕様のない男です。それをつい助けてしまう僕もまたいけないんですけどね」
神谷はそう言って、苦笑いを浮かべた。それは、まるで手のかかる子供を持った保護者のような表情だった。そんな様子に、神谷と中川の関係性がなんとなく垣間見えたような気がした。
その後、他には特に変わったこともなく午前中は過ぎ、茜が昼の休憩から帰ってくると、神谷は髪を切るために美容室ユキへと出かけていった。
髪を切って欲しいなんて余計なお世話だったかなと、茜は神谷の姿が見えなくなってからふと思った。しかし、誰かが言わねばさらに酷い状態になっていたかもしれないと思い直して、自分は間違ってはいないはずだと頷いた。
茜はレジカウンターの内側に座り、そこに置いてある店のノートパソコンの画面を見つめた。今日は急ぎの仕事もあまりなかったので、この前言っていた店のホームページのほうを少しリニューアルしたいと考えていたのだ。神谷には先程おおまかなことは訊いておいた。好きなようにしていいとのことだったので、茜としてはもう少し今風のお洒落なデザインに変えたいと思っていたのだ。
あらためて現行の黒猫堂古書店のホームページを見ると、あまりにも古風でシンプル過ぎた。昔ながらのお客さんなら気にはしないだろうが、やはり少々味気なさが漂う。なんとかこの味気ない感じを変えたいと、茜としては思うのだった。
しばらくパソコンとにらめっこしながら、脳内でシミュレーションを繰り返していると、ドアベルの音が響いた。そちらを振り返ると、さっき出ていったはずの神谷が再び店に帰ってきていた。
「あれ? 神谷さん、もう戻ってきたんですか」
「ええ。早々に帰ることになってしまいました」
それもそのはず。髪の毛はまだ出ていったときのままの状態だった。
「もしかして、お休みだったんですか?」
「はい。でも定休日ではないはずなんですけどね。都合によりしばらく店を休みにするという旨の張り紙がされていました」
「どこかへ旅行にでも行ってるんでしょうか。海外旅行とかだったら、何日か店を空けるつもりなのかもしれませんね」
茜はがっかりして肩を落とした。別にがっかりするようなことでもないのだが、実は少し楽しみでもあったのだ。神谷の髪を短くした姿を見ることが。
そんなことを考えて、茜ははっと我に返り小さく頭を横に振った。
「松坂さん?」
「あ、すみません。なんでもありません」
「そうですか」
まともに神谷の顔を見ることができず、茜は少し顔を俯けた。
楽しみだなんて、どうしてそんなことを思ったのだろう。自分でもよくわからず、茜は戸惑っていた。
そんな茜の心の乱れなど知るよしもない神谷は、構うことなく言葉を続けていた。
「休みなら仕方がありませんからね。また、今度のぞいてみることにします」
「つ、次は営業してるといいですね」
「そうですね。……本当にそうだといいのですが」
その神谷の台詞に、茜は俯けていた顔をあげた。それは、なにか含みがあるような言い方だった。視線の先にとらえた神谷は、なんとなく悄然としているようにも見える。
なにか気になることでもあるのだろうか。
しかしなにかよくない予感がして、そのときはそれ以上なにも訊くことはできなかった。




