神谷、髪を切る3
「てゆーか、この子誰? お客さんじゃないの?」
「松坂茜さん。今アルバイトに来てもらっているんです」
「へえー。こんな寂れた古本屋にアルバイトに来るなんて、きみも物好きだねぇ」
「いえ、わたしも本が好きですので」
茜はつい冷たい声を出してしまった。しかしそれを気にすることなく、中川は話し続けた。
「それにしてもここに来るたび、この寂れた商店街でよく営業が続けられるもんだなーとある意味感心するよ」
「光司」
「ん?」
「用が終わったのならさっさと出ていけ」
「ええ? なんだよ。久しぶりに会ったのに、冷たいな」
神谷の声色が、心なしか怒っているように感じられた。
「弥生さん、随分怒っていたぞ。今度はいったいなにが原因なんだ」
「俺が新人の子の面倒見てたら、なんかその子に俺、気に入られちゃったみたいなんだよね。んで、しょっちゅうLINEが入ってくるようになっちゃって、それが気に入らなかったみたいなんだよ。完全な逆恨みだよな」
やはりこの男もてるのだ。しかもそれを当然のように思っている。茜がもっとも苦手とするタイプの人間だ。
「それはお前が悪い。だいたいなぜその子がお前の連絡先を知っている。お前が教えたからだろう」
「それは仕事仲間だから、連絡しあうことだってあるだろう。メッセージを送ってくるのは向こうからなんだ。こっちから連絡することなんかないんだぜ」
「お前、それに毎回返事をしているのか」
「そりゃあ、仕事のこととか悩みとかの相談だったら無下にもできないだろ。別にその子に気があるわけじゃない。それって俺が悪いことになるのか?」
神谷はカウンターの天板をばんっと叩いた。
「お前にその気がなくても、その子はどうだかわからない。そういう、誤解を生むような行動を取るからそういうことになるんだ!」
神谷は怒りに顔を歪めて、カウンターに置いた自分の手を見つめていた。その様子が、茜の目にはとても意外に映った。神谷がこんなふうに感情をあらわにするとは思わなかった。神谷の言い分は正しい。客観的に見た考えを口にしている。しかし、いつもならそれをこんなふうに声を荒げて言ったりはしない。普段の神谷なら、落ち着いてあくまでも冷静に話をするはずだ。
しかし今は違う。いったいなにが神谷の逆鱗に触れたのだろうか。
「なんだよ。そんなに怒ることないだろ」
中川も、神谷がそんな態度を取るとは夢にも思わなかったという顔をしていた。しかし基本的にシリアスな空気というものが苦手なのだろう。すぐにおちゃらけた笑い声をあげて、その空気を散漫なものに変えた。神谷もそのことに気がつき、表情を幾分和らげた。
「とにかく、弥生さんにはよく謝って、その新人の子とも少し距離を置いたつきあいをするのがいいと思う」
「そうだな。そうすることにする」
中川は素直にそう言ってみせた。こういうところはこの人物のいいところなのだろう。苦手なタイプではあるが、悪い人間ではなさそうだと、茜は個人的に中川のことを評価した。
「じゃあ、悪かったな。邪魔して」
中川はそう言って、店を出ようとした。それに、神谷はこう声をかけた。
「光司、実家には行ってるのか?」
その問いかけに、中川は少し困ったように口を歪めて黙り込んだ。
「……その様子だと、行ってないようだな。おばさん、きっと心配してるぞ。たまには顔を出してやれよ」
中川はそれに、「そのうちな」と答えて今度こそ店をあとにした。




