黒猫堂、万引きに遭う8
神谷はカウンターから出てきて、その問題の棚の前まで移動した。茜もそれに付き従う。目の前には、高く天井まで本が並ぶ棚がそびえ立っていた。
「基本的に、完結しているコミックは全巻揃ったものについてはセットとして売るため、棚の上段のほうに置いてあります。そして真ん中から下の部分にはばら売りの商品が並んでいます」
神谷の言うとおり、棚の上段にはセットものがあり、真ん中から下の取りやすいところには、ばら売りの商品が並んでいた。
「漫画の種類ではこの辺りは少年漫画の棚としています。松坂さん。ここに並べられている本は作者名の五十音順になっていることは知っていますよね」
「はい。そうですね。五十音順なの以外は、特に意味はない並びだと思ってましたけど」
「でも、その意味がなく見えるところにも、一応並べ方には五十音順以外にも法則があったことには気づいていましたでしょうか」
茜は首を傾げた。あらためて目の前の棚を見てみるが、そんな法則があるとは思えなかった。
「……わかりません。どういう方法で並べられていたんですか?」
彼はこう言った。
「判型の大きさと出版年数順です。判型の大きさについては、見ておわかりかと思いますが、この棚に関してはあまり関係ありません。ほとんどみな、同じ新書判のコミックですから。ということは問題は出版年数順のほうです。『あ』で分類されている作者が並ぶところでも、その作者の出した作品が古いものから順に、左から右に並べられているはずです」
茜は驚いた。そこまで考えて棚が並べられていたとはまるで考えていなかった。きっと神谷なりのこだわりなのだろう。
茜は盗られた商品があったであろう辺りの棚の並びを、もう一度よく見てみた。言われれば確かに、初期の作品ほど左に並べられていることがわかった。
「そういえば、そんなことを気にして差し直したりはしませんでした。全然気づかなかったですけど、神谷さんがまたここを直したんですね」
「ええ。神経質に思われるかもしれませんが、いつもやっていると癖になってしまって。それで直しておいたんです。ですから、おかしいなと思っていたんです。なんのためにわざわざ並びを変えたのか。または、そうしなければならなかったのか」
神谷は茜の顔を一度見て、再び棚へと視線を戻した。
「まずは前者のほうから考えてみました。松坂さんの意志がこの行為に入っている場合について。ひとつの可能性としては、ある本がなくなっていることを隠すために並べ替えたということが考えられます。並べ直しているときに、確かに一冊本が足りなくなっていることに気づきました。その日松坂さんが店番をしていたときに売れた本は、文芸書が二冊だけというお話でしたから、コミックの棚の本が一冊足りないのはおかしいと思いました。しかしこれは少し考えにくい。わざわざ並べ替えることによって、その棚に変化があったことを証明してしまう。隠す方法としては、あまりいい方法とは言えません。松坂さんが盗った犯人だとするなら、こんな方法は使わないでしょう」
確かにこの棚を見慣れている人だったら、明らかに場所が入れ替わっていたら気づくかもしれない。
「それに並べ替えるにしても、出版年数順だけを並べ替えるというのはやはり不自然です。そうだとすると、やはり後者のほうです。なんらかの意図しない理由で、その棚の並びを変える必要に迫られた。なんらかの事故により、そこの棚の本がばらまかれる事態になったということです」
そんなにいろいろ考えていたのかと、茜はある意味唖然とした。しかし神谷はそんな茜の様子にはかまわず、さらに続けた。
「並びがおかしい範囲は一列だけでしたが、この本棚の幅はゆうに一メートル以上はあります。その棚一列が人の力を介さずにばらまかれてしまうということは、大きな地震があって棚が倒れたということでもなければ考えにくい。あの日、そんな地震もありませんでしたし、もしあったとしても一列だけでは済まないでしょう。ということは、これは誰か人の意志によって故意にされたことだということが考えられます。そしてそこに一冊の本がなくなっているという事実を合わせれば、おのずと答えは導き出されます」
つまりその日、万引きがあったのだということ。さらにその万引き犯によって、本がばらまかれたということ。それをこの人は、それだけの情報から推測したのだ。
「じゃあ、もしかして、盗られたのがなんの本なのかもわかっていたりするんですか?」
茜は恐る恐るそう訊いてみた。
「ええ。わかっています」
神谷がそう言って、本のタイトルを教えてくれた。それは、少年漫画では有名な作家の作品だった。人気の高い作品で、かなりの巻数を数えている。少年が持っていったのは、現在まで発行されているうちの真ん中くらいの巻だった。ばらのところに並べられてあったものだから、巻もちゃんと揃っていなくて抜けているものが多かった。だからその巻がなくなっているということに茜は気づけなかった。しかし神谷はそれがなにかわかっていたのだ。
「すごいですね。これだけの本がある中で、なくなった本がなにかがわかるなんて。わたしだったらこの棚の中で一冊本が足りなくなっていても、気づけないと思います」
「いえ。今回はたまたまです。僕も好きな作品でしたからね。それに、単純にこの棚から一冊本がなくなったということだけなら、松坂さんでも気づけるはずですよ」
神谷がそう言ったとき、店内にお客さんが入ってきた。少年がやってきたのかと、茜はそちらを見たが、それはあの少年ではなく、中年の男性だった。手には買い取り希望らしき本の入った段ボールの箱を持っていた。神谷は客の対応のためにレジカウンターのほうへと戻ってしまったので、茜は話の続きを聞きそびれてしまった。




