黒猫堂、万引きに遭う7
昼ご飯を小学校近くのラーメン屋で済ませてから黒猫堂古書店に行くと、神谷はレジカウンターのテーブルの上で帳簿かなにかをつけているところだった。入ってきたのが茜だと気づくと、驚いたように口を開けた。
「松坂さん? 今日は休みのはずだったんじゃ?」
神谷は慌てて立ちあがり、レジ横に置いてあった手帳をめくり出した。
「あ、大丈夫です。間違ってないですよ。でも用事が済んだので、こちらにも寄ってみたんです。それに、待ち合わせしている人物があとでここに来る予定になってますから」
「待ち合わせ?」
神谷はその言葉に手帳をめくる手を止めた。茜は少し迷ったふうに唇に人差し指を当てていたが、決心したように神谷に頷いてみせた。
「すみません。本当はこれ、この前言わなければならなかったことなんですけど」
茜はそこでひと呼吸置いた。今朝まで黙っているつもりだったのに、なぜ打ち明ける気になったのか自分でもよくわからない。けれど少年に会ってから、気持ちが変わった。
「この前わたしが店番を頼まれていたとき、実はある少年に商品を万引きされてしまったんです」
神谷は黙って聞いていた。茜は怒られる覚悟を決めていた。なぜそのような大事なことを言わなかったのかと、問いつめられることを予想していた。
「これからその少年が、この店にその盗んだ商品を返しに来るはずなんです」
少年には偉そうに謝れと言った自分が、店主の神谷に嘘をついている。そのことに気づいた茜は、神谷に正直なことを話そうと決めたのだった。このまま黙ってやり過ごそうとしていた自分とあの少年と、いったいどれほどの違いがあるのだろう。
茜は自分のやり方の卑劣さに腹が立ち、同時にとても恥ずかしくなったのだった。
「黙っていて、本当にごめんなさい」
茜は神谷に向かって深々と頭をさげた。怒られなければいけない。あの本を手に入れることばかりを考えて、きちんと仕事に向き合っていなかった自分は、とてもいやらしい人間だと思った。なりゆきとはいえ、この店で働くことを決意したのは他でもない自分なのだから。
「顔をあげてください」
神谷の落ち着いた声が茜の耳に届いた。茜がゆっくりと顔をあげると、そこには柔和な笑顔を浮かべる神谷の姿があった。
「万引きがあったことは、すでに気づいていました」
茜の胸に、まさかという思いとやはりという思いが同時に交錯した。
「花屋のおじさんから聞いたんですか?」
「いえ。前川さんからはなにも聞いていませんでしたけど、前川さんもご存じだったんですね。この間から僕の顔を見てはなにかを言いたそうにしていましたが、それだったんですか。ようやく謎が解けました」
「え? じゃあどうやって知ったんですか?」
「松坂さん。あの棚の本をこの間構いましたよね」
神谷が視線で示した棚は、少年が万引きをしたところだった。
「あ、……はい」
茜がそう返事をすると、神谷は頷いた。
「それならば、おのずと答えは導き出されます」
確かに茜はあのとき、少年がばらまいた本を差し直した。しかし、特にその並べ方に問題はなかったはずだった。作者の名前で五十音順になっているようだったので、その通りにしておいたのだ。
一応おおまかに出版社毎にわけてあるが、特にこれといってなんてことのない普通の並べ方に思えた。しかし神谷がこんなことを言うということは、茜のやり方にはなにか問題があったのだろう。けれど、それがなんなのかはまるでわからなかった。




