暗躍する者達
「んふふ、所詮は粋がった若者の集まり。ハメを外したいから反体制デモに参加してる連中と同レベルね」
不健康そうなパソコンの青い光に囲まれる暗闇の部屋の中央に置かれた豪華な装飾の椅子に、妖しげな笑みを浮かべる髪の長い女性が座っていた。
ドレスらしき服を纏った彼女は前のめり気味の姿勢でお上品に両手を顔の前で組んで、今まで頭の中で見ていたとある光景を反芻させながら、一人で納得したような表情をする。
「何か分かったか」
その背後から足音もなく一人のスーツ姿の男が現れ、ドレスの女は一瞬だけ不快そうな顔をしてから、
「……あの偽善者達がエリシア様について何も知らないという事を、知っただけの事よ」
すぐさま引き攣った作り笑いに変化させ、首だけをぐるんと彼の方へ向けて言葉を返した。
「奴等はエリシアについての情報を掴んでいないのか?」
「んふふ、大袈裟に騒ぎながら街を駆けずり回って追いかけっこしてるだけよ。あのヤブ医者様も余裕ぶってはいるけど、まだ何も掴んではないと思うわ」
「……操り人形の目で見ただけで、よくも分かるものだな」
ドレスの女の眼にはスーツの男の姿が映っているが、彼女は彼を『見て』はいなかった。
彼女は自身が触れた人物が見ている景色を把握する事が出来る特殊な能力の持ち主である、例え地球の裏側にいる人間でも彼女に触れられた事があるのならば、いつでもどこでも視界をジャック出来るのだ。
それを利用して彼女が見ていたのは、このアウロンという街で活動する宗教組織マグメルに所属する一人の少年が見ていた景色。
彼の視界が映し出していたのは、マグメルの中でも権力を持つ一人の男の、マグメルという組織が立たされている状況を現す言動であった。
「人の考えなんて単純だもの。んふふ、たくさん『見て』きた私なら尚更ね」
ドレスの女の不気味な嘲笑を、スーツの男は眉一つ動かさず無機質な表情で眺めてから、
「……動きはそれだけか?」
「う~ん、サツも昨日の騒ぎのせいでピリピリしてるみたい、まぁ当然よね。明らかに超能力絡みってバレバレだし、特事科も匂いを嗅ぎつけて早速群がってきてる」
「マグメルにだけ目を向けてくれていれば助かるが……」
「んふふ、あなたはあんな力を持て余した素人達に怯えてしまうのかしら」
「……その集団にいた人間でいながら、よくそんな言葉が口に出来るものだな」
スーツの男が軽く溜め息をつきながら漏らした言葉に、消える事のなかったドレスの女のいやらしい笑みがピタリと停止し、一度感情が抜け落ちたような無表情へと変化してから、
「んふふ、人は成長するものよ。だから私もあなたも逃げ出す事が出来たんじゃないかしら?」
それからさらに深く粘っこい笑顔を彼に向けて、そう言葉を返した。不快感が現れた、いやらしい笑顔を見せつけるようにして。
スーツの男は特に反応をしようともせず、つまらなさそうに彼女を冷たい眼差しで眺めるだけだった。
口振りからも分かるかもしれないが、彼等二人は新興宗教団体であるマグメルに所属していた過去を持つ。
同時に二人共現在はマグメルからは脱退しており、マグメルと敵対する立場にあった。
その理由は、とある目的を叶えるためにマグメルとは袂を分かつ必要があると判断したからで、その点において共通項を持ったため二人はこうして同じ空間に存在しているのだ。
「大体、昨日あなた達がエリシア様を取り逃がしてしまったから、こうして私は今日も関わりたくのない低俗な連中の視界をジャックしなくてはいけなくなってるのよ? 少しは反省してくれる?」
「……あぁ、悪かった」
「マグメルに横槍されたとはいえ、見ず知らずの通行人に連れ去られるなんて、あなたもそうだけどあなたに借りられた下っ端共も使えないわね。あぁエリシア様、下賤の輩に酷い事をされていなければいいのだけど……」
お祈りするように両手の平を合わせ、この時だけは笑顔ではなく心配そうな表情を浮かべて目を閉じるスーツの女。
彼女の口にしたエリシアという言葉は、彼女達が行動を共にしている理由に最も関係のある人物の名前であった。
『オーゥ、おはようございマスー。期待に応えられなくて申し訳ないデスナーマヤ殿、ロウ殿。自分の兵卒達がせっかくのチャンスを棒に振ってしまいマシテー』
そこに、二人から離れた位置のテーブルに置かれたパソコンの一つから、野太いながらも軽快な男の大声が飛び出してきた。
音質が悪かった事もあって若干耳障りなノイズも混じっており、二人は一度顔をしかめてから、複数あるパソコンの中で男の声がしたものへゆっくり近寄っていく。
「んふふ、ビリー少尉、モーニングコールにしては少々時間が遅いですわ」
そのパソコンの前に座っていた男が無言で横へ席を立って避け、代わるようにドレスの女が座りながらパソコンから聞こえた声の主に話しかける。
『イヤハヤ申し訳ない、昨晩の後始末や上層部への説明と謝罪で時間を食ってしまいシテナー。本当、協力者であるあなた方に失望されても仕方ない事ばかりで本当に心苦シイー』
「終わった事をネチネチ言うのは私の趣味じゃないから今日は特に追求はしないけれど、何か手がかりは見つかったの?」
『ターゲットを連れ去った者の情報を元に、アウロン市街地を中心に複数の小隊で捜索中デスー。同時にマグメルや警察機構の動向も情報部が調査中デシテー、なるべく早く成果を上げてみせマスー』
ビリーと呼ばれた男は見るからにゴツイ鍛え抜かれた筋肉質な体の持ち主で、慣れないこの国の言葉を無理に使っているせいか語尾が伸び気味だったり喋りがいちいちオーバーだった。
彼は海外の国の軍人で、ドレスの女やスーツの男の目的に配下の兵士を引き連れて協力体制を取っている。どうやら軍からの直々の命令で遥々海を超えて任務のためにやってきたらしい。
『ロウ殿も、昨日は我々の不手際で危険な目に遭わせてしまい申し訳ありませんデシター』
「……気にしないでくれ、俺がついていくと言ったんだ」
営業マンのような真剣そうで形式ばった謝り方をするビリーに対し、ロウと呼ばれたスーツの男は目を閉じながら素っ気なく諭す。
『ニシテモー、自分は資料でしか確認していまセンガー、あのような小さい少女が、この街で発生した複数のテロ事件の元凶とは思えまセンナー』
「……」
『他国の政府のスキャンダルの発掘や発展途上国の反政府勢力に協力しての政権転覆の工作といった汚れ仕事ばかりさせられてきた我々をわざわざ動員してまで身柄を確保する価値があるナンテー、世の中オカシナ方向に進んでっちゃってマスネー』
「気に食わないか? 子供を追いかけるのは、社会の陰で人を殺し続けるよりよっぽど楽だと思うが」
『そりゃそうかもしれないデスネー。ハーッハッハ』
「んふふ、ビリー少尉、私も彼もこう見えて機嫌は良くないの。出来れば次の通信の時はエリシア様について何らかの情報が得られた場合にのみお願いしたいわ」
ドレスの女も、スーツの男・ロウも、ビリーと必要以上に会話する気はさらさらなかった。
表情こそ普段と変わらないものの、彼女達の内心を察したビリーは頭を掻きながら苦笑いして、
『オーゥ、申し訳ありまセーン。では全力で任務に当たらせていただきマスー、マヤ殿、ロウ殿』
わざとらしい敬礼をして、彼の方から通信を切った。
「んふふ、本当に任せられるのかしらね。エリシア様の価値を、余所の国の軍人なんかが理解出来ているとは思えないけれど」
部屋でパソコンを叩いて作業をしている数人の男達が余所の国の軍人であるビリーの部下である事を知りながら、ドレスの女・マヤはあえてはっきりと本音を漏らした。
「それでも、思いつく限りの最善の策だから協力しているんだろう」
「ロウ、確かに私とあなたとビリー少尉は手を組んでいるけれども……分かっているわよね?」
ロウの脇をすり抜けようとしてピタリと足を止めたマヤは、彼の耳元にぬるりとした動きで唇を近づけてから、こう尋ねた。
「エリシア様を手に入れたいという点は合致しているけど、その後エリシア様をどうしたいかってのは、お互いに相容れていない筈よ」
常に余裕を含んだ喋りだったが、その時の彼女の言葉にだけは、相手に対しての敵意に近いはっきりとした色が混ざっていて、間近で聞いたロウは片眉を動かし彼女が自分に対しての本心を覗かせた事を理解したようだった。
いや、本当は両者共に分かってはいたが、目的に近づくためにあえて伏せておいたのだ。
エリシアという、マヤにとってもロウにとっても何者にも変えられない重要な存在である少女を手に入れるために。
「せいぜい隙を見せない事ね、あのビリー少尉だって、腹の底で何を考えているか分からないのだから」
背中を向けたままひらひらと手を振って部屋を後にするマヤ。
扉の向こうに彼女の姿が消えたのを確認してから、ロウは彼女の囁きを捉えた方の耳を一度埃を払うように叩いてから、小さく呟いた。
「分かりきってた事だろ」