疑心のナターシャ
「っ~、では、この件に関してもあなた方は何の関与もしていないと?」
取っ手にすら触れられずに冷めていく、振る舞われたインスタントコーヒーの黒い液体の表面に、ナターシャの疑念の感情がこめられた眼光が映し出されていた。
「はっはっはっ、勿論ですとも。そのような物騒な事件に加担するような者は、我々同志の中には誰一人として存在しませんよ」
カップの置かれたガラスのテーブルを挟んだ向かい側のソファに座って、彼女の言葉を軽くあしらってみせたのは、いわゆるクールビズな装いをした二十代後半くらいの、朗らかなビジネススマイルがよく似合う青年であった。
彼の両脇には若い少年と少女がそれぞれ衛兵のように仁王立ちし、鋼鉄のように堅苦しい表情を浮かべてナターシャの方を睨みつけてきている。
負けじと敵意を剥き出しにて眼光に力を込めようとしたナターシャだったが、隣に座る先輩ジャンにさりげなく足先を靴で小突かれ、なんとか思いとどまった。
路地裏での乱闘騒ぎの翌日、アウロン警察刑事課の特異事件対策科の一員であるナターシャとジャンは、捜査の一環でアウロン中心部のとある建物を訪れていた。
そこはまだ建てられて三年も経たない地上十五階建ての高層マンションで、国内トップクラスの人口集中地であるこのアウロンにおいて、居住者の数を増やすべく無造作に乱立して作られた集合住宅の一つだが、この建物は今現在一つの共通した思想を持つ団体の人間によって事実上支配下におかれていた。
ナターシャ達がこのマンションを訪れたのは、昨日の事件で逮捕された人間がこのマンションを拠点とする組織と通じている可能性が高いと読んでの行動であったのだ。
「そもそも、この件に関してもと言われましたが、それではまるで我々が他の何らかの事件にも関与しているみたいな発言ではありませんか」
にこやかに笑いながら大袈裟に両腕を広げてみせたクールビズの男は、組織の中でも上の立場の人間であり、ナターシャ達が過去数回ここを訪ねた時も全て彼が対応に出てきた。
新興宗教団体マグメル。近年急速に信者を増やし、資金源であるスポンサーに有名な企業や資産家がついている事で話題になっている組織で、超能力を利用して社会をより良い姿へ変えていく事を最終目標と掲げる一種のカルト教団である。
自分達は選ばれし者であり、特別な力を使える。そんな謳い文句で信者を募り金を集める宗教はこの国にも腐るほど存在し、時に狂信者が暴走して事件を起こした事もかつて何度かあった。故に選民主義など過激な思想を持つ団体は常に警察から睨まれ、少しでも関与が見られると難癖をつけてでも強引に捜査に入られるのは決して珍しい事ではない。
だが、ナターシャ達がこのマグメルという名の組織の本拠地にわざわざ乗り込んでまで喧嘩を売りに来たのは、決して『妄信者が思想に取り付かれた事による犯行』という適当な予想が理由などではない。
なぜなら、彼女達は実際に何度も見て、感じて、確認してきたからだ。マグメルがしきりに口にする『異能』とやらを。
「……今回逮捕されていた男は、ライターも使わずに手から火を生み出すという能力を使って警察関係者五名に軽傷を負わせました。この手の能力者の存在については前回あなた方にお話しした事件でも同様のものが確認されましてね。それで気になってこうしてお話を伺いにきたんですよ」
ジャンは頭ごなしに食ってかからないよう控え目な笑みを浮かべたまま、しかし話を逸らされないよう注意しながら言葉を返した。
「その男が発火能力者だから、マグメルの人間だというのですか? それはとんだ言いがかりです。確かに我々は能力者の集団ですが、能力者全員が仲間ではないのです。以前から私は何度も述べた筈ですよ? 我々は能力を反社会的な行為には決して行使しないという誓いの元に集っていると。超常的能力は、人類の社会の発展に貢献するために存在すると、ね」
大仰な彼の言葉にジャンは曖昧に笑い、ナターシャは吐き気がするといった感じで露骨にしかめ面をした。
「これまでアウロンで発生した五つの事件全て、被害に遭った人物または企業団体はあなた方マグメルと過去に何らかの接触もしくは敵対関係にあったものである事は間違いないですよね?」
「はっは、刑事さん。他人と関わる事のない人間などいませんよ。人間の集合体である組織ならば尚更だ、どれだけ国際的に発展したIT企業でも、製品製造に必要な部品や材料は賃金の低い工場を頼ったり治安の悪い国まで調達に行ったりと、住む世界の違う様々な立場や環境の社会と繋がっている。我々は同じ思想を持つ者を探し、共に活動の幅を広げようとする同志を常に集めています。事件に巻き込まれた方々がたまたま、我々がかつての活動の中で接触していた方ばかりだった、というだけでしょう」
胸の前で両手を重ね合わせ、ジャンの探りをさらりとかわしてみせるクールビズの男。
彼等の会話には、超能力というものが実在するという事が前提に含まれていた。
少なくともこの場にいるナターシャやジャン、そしてマグメルのクールビズの男は超能力というものを信じており、それによって実際に何らかの事件事象を引き起こす事が可能だという思考回路が働いているのも事実だった。
「そもそも、昨日あなた方が捕まえたとされる発火能力者が我々の仲間だという証拠はあるのでしょうか。本人がマグメルの一員だと言っていたとしてもそれは認められません。我々はマグメルに所属する者は全てパソコンのデータベースに個人情報を登録してありますが、我々の中にいる発火能力者は全員健在、昨日はアウロンの別の場所でそれぞれ職場や学校などに行った事を既に確認してあります。せめて、その逮捕した男の顔写真で持ってきていただければ、確認ぐらいは出来たのですが」
最後の部分だけクールビズの男の言葉がやけにゆっくりで、わざわざ強調するようであった。
思わず舌打ちしそうになったのを寸前で踏みとどまり、代わりにギリと奥歯を噛みしめるナターシャ。
昨日ナターシャが取り押さえた発火能力者は、あの後怪我の手当のため一旦警察病院へと送られた。それからひとまず留置所へ移動するため護送車に乗せられた際、新たなハプニングがあった。
(っ……逃げられてさえいなければ……!)
護送車が止まった一瞬の隙を突かれて、容疑者である発火能力者は仲間と見られる集団によってまんまと連れ去られてしまったのだ。
といっても車をぶつけられたり銃で襲撃された訳ではない、信号待ちをしている間に彼等は突如その場に現れ、その直後車内の容疑者を警備の人間ごと『移動』させ、その後容疑者だけを連れて姿を消してしまったのだ。
取り調べもしてないというのに容疑者に逃走され、行方は今のところ分かっておらず、その者の素性も判明していない、そんな中での捜査では犯人に関する情報を把握する事は簡単ではない。
「よろしければ彼等の情報を公開しても構いませんよ、アリバイ捜査にお使いいただければよろしいのでは?」
「ははは……是非」
仲間の事を調べてくれとあっさり言ってのけるクールビズの男に、ジャンはぎこちないながらも素直に彼の『ご厚意』を受け入れた。
どうせ渡される情報に昨日逮捕した男の事などなく、同時に自分達の仲間が事件の時間に現場でない場所にいた事をご丁寧に示そうという魂胆なのだろう。
これはいつものマグメル側の対応であった。これまで彼等の関与が疑われる事件について問い詰めた際は必ず、事件発生時の信者全員のアリバイをきっちりと公開され、さらにそれが虚偽でないためそれ以上踏み込む事が出来ず捜査が滞ってしまう。
確かにアリバイは存在する、事件の時に別の場所で一般の人間の目のつくところで働いたり遊んだりと何らかのアクションを起こしており、犯罪に関与した痕跡が存在しないのもまた事実だ。
本来ならここで彼等はシロとなる。
やはりそう簡単にボロは出ないかと、ジャンが軽く嘆息していると、
「っ、ですが! あなた達が超能力を本当に利用出来るんだったら、いくらでも誤魔化す事が出来るんじゃないですか……!?」
平行線を辿る会話に苛立ちを抑えられないといったように、ナターシャがやや語気を強めてクールビズの男に尋ねていた。
「誤魔化す、と言いますと?」
「これまでの五件の事件では、いずれも発生の前後に周辺にて人が消えたり現れたりしたという怪奇な情報が頻発しています。聞き取り調査では周囲にいた人間の一部には記憶に欠落した部分があったと判明しています。マグメルには多種多様な能力者がいると、前回言ってましたよね?」
「勿論、我々は能力者の集いですので」
「だったら、瞬間移動能力者を利用すれば、アリバイ作りなどいくらでも出来るんじゃないですか……!」
感情的になって問い質そうとするナターシャだったが、クールビズの男の顔には欠片ほどの変化もない。彼女の攻めなど意に介していないと示すような、余裕に満ちた柔い笑顔のままだ。
「それは、実行出来る力があるから我々の中に犯人がいるという推論に過ぎないのでは? 例えば一人の人物が顔を殴られ打ちどころが悪くて死んでしまったとして、人を殴るだけの力があるからお前は犯人だと言っているのと同意義なのではないですか?」
「っ……何を」
「はっきり言いましょう、やろうと思えば出来るかもしれません。あなた方が疑っている五つもの事件を実行しつつ、実行した者のアリバイを作る事は。ですが、実際にやったという確固とした証拠をあなた方は何一つ出していない。そんな予測で容疑をかけられても、我々は首を横に振る以外に取る対応はないのですよ」
口の形は歪めたまま、しかし向けてくる視線にははっきりとした拒絶の意を乗せて、彼はナターシャの問いを一蹴した。
「このっ……!」
頭に血が上ってさらに言い返そうとした彼女の眼前に、ジャンが手のひらをかざして制止を促してくる。
「申し訳ありません、こちらも事件の連続で少々気が立っておりましてね。お気に障られたのなら謝ります」
ジャンの謝罪は遠まわしにナターシャが失言をした事を咎めており、失態だったと彼女の頬が赤らむ。
「はっはっは、お気になさらず。こちらも宗教法人という立場上、色々とあらぬ噂を立てられる事には慣れておりますので」
クールビズの男は結局終始話のペースを崩す事なく、ナターシャ達の質問に対して丁寧に受け答えしながら、自分達は事件と関係ない事をはっきりと示した。
彼等の粗を探すための情報はもう持ち合わせていない、ナターシャ達は諦めて今回は引き上げる事を視線を交わらせて決定し、帰り支度をする。
「リュウ君、玄関まで送って差し上げなさい」
クールビズの男がそう指示すると、彼の隣に座っていた少年が無言で頷いて立ち上がり、ナターシャ達を先導するように部屋の扉を開けた。
「あ、そうそう」
先に部屋から出たジャンが、何かを思い出したように立ち止まってクールビズの男の方へと振り返った。
「はい? どうかされましたか?」
「いえ、今回の事件は発火能力者が容疑者だったので話題に上がらなかったのですが……いなくなったのですか? 異能の申し子と絶賛していた少女は」
ジャンの言葉は比較的軽やかなものだったが、対してクールビズの男を初めその場にいたマグメルの人間の顔は、その瞬間だけ皆一様に強張っていた。
今まで余裕綽々だった彼等の放つ空気が一気に質量を持ったように重くなり、ジャンの背後のナターシャも眉をひそめて息を呑む。
「……はは、そんなガセを最近耳にしますね」
「行方不明者届を出されてはいかがです? 誠意をもって警察は捜索させていただきますよ」
「はは、お気持ちはありがたいのですが、彼女は今も我々と共にいます。少し目立ち過ぎてしまったせいで疲れたので、休養をとっているだけです」
「そうですか、大事になる前に早めの対応をオススメしますよ」
噛み合っているようで少しズレた返しをしてから、ジャンはにっこり笑って歩き出した。
少年に見送られながら車でマンションを後にしてから一分ほどして、運転席のジャンが溜め息をついてから口を開く。
「中々治らないね、そのカッとなる性格は」
「……すいません」
怒られたというよりも呆れられた感じでジャンに開口一番指摘され、ぶすっとして窓の外へ顔を向けたまま謝るナターシャ。
「仕事に熱心なのは良い事だし、クローネさんにも見習って欲しいくらいだけど、熱さの使いどころを見極めないと」
「……はい、焦っちゃいまして。申し訳ないです」
「まぁ昨日せっかく捕まえた犯人が逃げちゃって、しかもマグメルの一員であるっていう証拠を掴めなかったのは僕も頭に来てるけどね。正直大事なのは発火能力者じゃなくて、発火能力者も参加していた銃撃騒ぎについてだから」
ナターシャが捕まえた発火能力者はあくまであの現場から立ち去ろうとして警察官を襲っただけで、本来ナターシャ達が任される事になった事件はそれ以前に発生した、発火能力者も関わっていたとされる銃撃を伴った路地裏での乱闘であった。
一応一般市民への被害は報告されていないものの、街中で銃などを使った破壊行為を見過ごす事は出来ない。そして今回の乱闘騒ぎには銃とは別の、通常の事件には存在しない『力』の存在がある可能性が高いとされ、ナターシャ達の部署が担当となったのだ。
発火能力者の素性を探っていたのは、それをきっかけに乱闘騒ぎに参加していた勢力を特定するためである。
「昨日の乱闘はケースBに似てますよね。他の事件は全部予め仕掛けた罠によるテロでしたけど、Bだけは偶発的な戦闘って感じがします」
「僕も同感ですよ。彼等は事を起こす際は用意が良い、さっきのように当事者のアリバイは必ず用意していますし、確固とした証拠をこちらに掴ませない。だから端から見れば彼等の起こした事件は不運な事故と思われてもおかしくないくらい、事件性が隠れてる」
「はい、だからマグメルの起こした事件だと分かっていても、法的に容疑者として特定するための証拠が見つからない……」
「ケースBや昨日の……おそらくはケースEとされる事件のようにマグメル側が予期せずして発生した事件の中で、彼等の足を掴んでいかないといけない。言うなればチャンスなんだよね、今は」
ナターシャ達が口々にする『ケース』という単語は、彼等特異事件対策科、通称特事科が現在抱える未解決事件のうち、同一の勢力によって引き起こされていると予測されているものを指す便宜上の呼び名であった。
それはAからEまでの五つが存在し、その全てにおいて同一の勢力……ナターシャ達が先程捜査で訪れたマグメルという宗教団体主導によるものではないかと現時点ではされている。
「やはりアリバイをなんとかして崩していきたいところですね」
「……ケースBの時みたいに、私達が直接顔を見合わせて対峙したにも関わらず、同時刻の他の場所で向こうの当事者が一般の人間に姿を確認されていた、普通ならそれ以上どう探りを入れても何も出てきませんよ」
普通なら、とナターシャは嫌味な感じに付け加えた。
「瞬間移動、もしくは幻覚や記憶の操作、といったあたりかな」
映画や漫画の世界でしか縁のないような言葉をジャンは当たり前のように口にする。
「人が消える、現れるの情報が頻発している以上、瞬間移動の能力が一番有力かと思います。やろうと思えば出来るって、奴等も言ってたじゃないですか」
ナターシャも当然といった感じに受け取って、自分の予測を先輩に伝える。
「はは、そうだね。わざわざ挑発じみた事を言ってきたのは、バレない自信があったからでしょう。ならばそこを突き崩すのが僕達の役目だよ、ナターシャちゃん」
「はい、絶対明かしてやります。超能力者だろうと、犯罪者である事は一緒です、警察がそれに屈する訳にはいきませんからね……!」
マグメルこそ自分達が抱えている未解決事件の首謀者と確信するような物言いをする二人だが、容疑者として特定するだけの証拠品や証拠となる決定的な情報は殆ど持ち合わせてはいなかった。
普通の犯罪では、目撃情報や監視カメラの映像といった視覚の証拠に、指紋やDNAといった科学的な証拠、それから動機や実行可能な立場にあったかという状況的証拠が上手く組み合わさって初めて容疑者を特定する事が出来る。
だがナターシャ達特事対科が相手をする犯罪者は、常識や科学では説明のつかない現象を引き起こす特異な能力を持っている。
異能、姿を見られずに、足跡を残さずに、離れた場所にいながら、破壊や発火といった物理的干渉に人の思考の読み取りや操作といった精神的な干渉など様々な非現実的現象を可能にする事が出来る能力。
その言葉や概念自体は神秘的だったり霊的だったりと、各地で名前は違えど古より語り継がれる奇跡の類として存在していたが、近年になってオカルトの域を密かに超えつつあった。
どの時代も超能力者を自称してパフォーマンスを行ったりテレビや新聞で話題になったりする事はあるが、所詮は嘘か真実か分からない怪情報止まりで、マニア以外には笑い話のネタ程度にしか使われない質のものであった。
それがここ数年になって変化が訪れたのだ。発端がどのようなものだったのかは今になっては分からない、ただ世界各地で超能力の存在が様々な現象という形になって人の目につくようになっていったのだ。
CGを利用したテレポートだったりサイコキネシスを使ったように見せた映像なら人は腐る程見てきており、それ故超常現象の映像がどれだけ精巧でも簡単に真実だと認めようとはしない。
だが反面、それだけ疑念を常に持っているからこそ、疑いようのない事実を目撃すれば信じずにはいられない。
ある日突然他人の考えている事が分かるようになった、感情的になった拍子に自分の周りが火の海になった、遠くの建物を凝視していたらその建物が突然崩れ去った、ありえないような出来事が各地で確認され、同時にその目撃者の数も増えていき、信じる者が徐々に増加していったのだ。
無論中にはデマもある、ネットや又聞きで偽りのない情報にも怪しさが纏わりつき、超能力者の存在はまだまだ都市伝説に近い。
それでも鼻で笑うだけであしらう事は出来ないくらいに、超能力者というオカルトはこの世界ににわかに溶け出し始めていた。
そんなご時世に現れたのが、マグメルという宗教団体であった。
未だ超能力者の存在が常識としては捉えられない世界の中では、超能力者は異常とされる。
一度超能力者と知られれば社会的に不利に立たされる、常識を超えた力を持っているからこそ想像のつかないトラブルの数々に見舞われるだろう。
それを防ぎ、超能力というものが現実のものだと認めた上で、超能力が人間社会にとって有益な効果をもたらす事の出来るものだとアピールするのを目的とし、同時に偏見や被害から超能力者を守る事を宣言したマグメルは、最初は乱立している新興宗教の一部でしかなかったが、彼等の名はあっという間に各地に知れ渡った。
ある時は怪我を一瞬で治癒させた、ある時は崩れた建物の中から人を救い出した、不幸な事故に遭う未来を予測し、それを回避するようアドバイスを受けたりもした、能力にとって恩恵を受けた様々なエピソードが人々の間で語られるようになっていった。
何かセンセーショナルな出来事や事件を起こした訳ではないが、社会の至るところでマグメルの名がいつの間にか現れるようになっており、実際にマグメルの恩恵を受けた人間の証言が噂となって、マグメルの善行が多くの人々の耳に入っていったのだ。
しばらくすると、好印象な話題の積み重なりがマグメルという組織自体のイメージアップにも繋がり、売名目的で企業や慈善団体、著名人などがスポンサーとして支援するようになる。
ここまでなら、マグメルは超能力を正しく使って社会に貢献する良心的な組織という印象をもたれるだろう。
しかしナターシャ達にとってのマグメルの印象は、それとは正反対のものである。
それは彼女達が捜査の中で何度も経験してきた『屈辱』によるもので、それは言いがかりでも妄想でもなく実際に彼女達が被った事実によるものでもあった。
超能力の有効活用、超能力者への被害を防ぐ、聞こえはいいが逆を言えばその名目さえあればどんな活動を行う事も構わないという考え方にも繋がる。
そして、彼等は常識を超える異能の持ち主の集まりである。サイコキネシス、パイロキネシス、テレパシー、瞬間移動、数えきれない程の種類が存在するといわれる超能力を複数操ってしまえば、警察の鑑識や推理など及ばない非現実的な方法で犯罪を犯す事が可能なのだ。
ナターシャ達がこれまでの捜査で煮え湯を飲まされてきたのは、超能力者のためと謳った、超能力者による未知の手口を使った犯罪的活動によるものであった。
「……っ」
彼等を追いつめられていない現状がもどかしくなり、窓に映っていたナターシャの表情が奥歯を噛みしめた歪んだものに変わった。
「足並みが乱れ出しているのも事実のようだけどね」
そこへジャンの一言が耳に入り、ナターシャは「え?」と声を漏らす。
「異能の申し子。組織のシンボルというか、マスコットみたいな感じで信者の集会や儀式に頻繁に登場していたという少女の事だよ」
説明を受けてナターシャは思い出し、それからピンと来たようにドアにかけていた肘を上げて姿勢を正した。
「奴等曰く、純粋にして至高の能力を授かった天上の存在って持ち上げられてた少女ですよね?」
「そう、信者の方が口を揃えて彼女は本物だ、次元が違う、神の力を持っていると大袈裟に感心していた女の子」
その少女の存在は特事科も以前から確認していた。マグメルの内情を探るための潜入捜査や情報捜査によって、組織の中でも特に上位の存在として扱われている能力者がいると、俄かに巷でも話題になっていたのだ。
理由は難しいものではない、その者の持つ力が他の超能力者の異能に比べて圧倒的に単純明快で、且つ驚異的なまでにインパクトのある強力なものだったから。
彼女の正体についてナターシャ達ははっきりとは掴めていない、少女であり、念動力と呼ばれる物体を破壊する類の異能を持ち、それがとてつもないパワーだという情報しか未だ得てはいない。
「なぜ突然マグメルに彼女の存在が確認出来なくなったのか、これは大きな変化だよ」
そんな特異な存在であった少女が最近、マグメルから姿を消したとの情報が裏社会に溢れるようになっていた。
理由は分からない、仲違いした、海外の犯罪組織へ入ろうとしている、力の使い過ぎに体が耐えれず消えてしまったなど、様々なデマが飛び交って真実は分からない。
だがマグメルから彼女がいなくなったのだけは間違いなかった、それは先程ジャンの問いに僅かな動揺を見せたクールビズの男の反応で充分に証明出来ている。
「異能の申し子がマグメルから離脱しているのなら、そこを突けばマグメルの綻びを突けるかもしれないね。変化は捉えようによっては綻びにもなる。まずはその辺から探っていこうか、ナターシャちゃん」
「はい、やります」
どこから捜査の手をつけていくか、その方針が大まかに固まり、ナターシャの胸にやる気のような熱い感情が湧き上がってきた。
(絶対暴いてやるんだから、犯罪者共……!)
正義感と呼ぶには暗過ぎる、怨念に近い執念の炎を心中に抱き、強く決意する。
彼女の瞳には超能力者を相手に捜査する事への不安や畏怖は皆無であり、容疑者の尻尾を掴んでやるという単純且つ確固とした意思しか映っていなかった。