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お嬢様、未知の遭遇

 黒い闇の中をビルの光が星々のように点々と散らばるいつもの遠くの夜景に、その日は一か所だけ変化があった。

 他の光を押しのけるようにして、いつもはない筈の赤い光が一際強く輝いて、距離が離れていても今日のアウロン市街では異常な出来事が発生しているのだとすぐに理解が出来る。

「どうかされたのですか? マルグリテ様」

 部屋に唯一ある一メートル四方の窓からその光景を眺めていた少女の背後から、ルームメイトの女子生徒が眠そうに目をこすりながら話しかけてくる。

「ご覧になって、シュイさん」

「はい……あ、なんでしょうあれは、火……のように見えますけれど」

「おそらくその通りだと思いますわ。突然あのような明るい光が発生したので、何事かと思い眺めていたのです。爆発のようにも見えました」

「まぁ、恐ろしいですわ……テロでなければ良いのですが」

 シュイと呼ばれた女子生徒は、高級ブランド製のドレス風の寝巻に包まれた体を両腕で抱くようにして大袈裟に怖がってみせる。

「……安心なさって、シュイさん」

 先程まで無言で窓の外を眺めていた少女、アジア系の顔立ちに白人の面影が見られる端正な美貌を持ち、セミロングのブロンドヘアの彼女は、ルームメイトを諭すように優しい声で語りかける。

「仮にそうだとしても、この聖クーロン女学院は四方を高い壁に囲まれ、徹底した警備体制があります。そう簡単に危険に脅かされるような脆い施設ではありません」

「そう、ですよね」

「えぇ、だからこそこうして生活の全てをこの学園の中で送る事が出来ているのではないでしょうか」

「はい……はい! 安心しました、ありがとうございますマルグリテ様!」

 別に大した事は言ってないのだが、と金髪の少女マルグリテは思ったものの、話を続けるのも面倒なので愛想笑いを作ってからシュイに先に眠るように促した。

 それから約二十分後、部屋の向かいのベッドで完全に眠りに就いたシュイを確認してから、寝たふりをしていたマルグリテは起き上がって、室内にあるトイレで寝巻から動きやすいシャツとジーンズというラフな服装に着替えて、抜き足差し足で気づかれないように部屋から出た。

 既に消灯時間は過ぎており、本来部屋を抜け出した時点で校則違反なのだが、当の本人は気にする事もなく軽い足取りで廊下を駆け、中庭を抜け、アウロン市内との接触を拒む五メートル弱の高さを誇る壁の元までやってきた。

 消灯時間後の学園内は常に警備員が往来し、監視の目を凝らしている。

 本来なら見つかった時点で教師達へ報告され、由緒正しい伝統ある女学院の生徒としてのあるべき振る舞いについて一日かけて説教を受け、何らかの謹慎を受けるものなのだが、この少女にはそれを恐れる思考がそもそも存在していなかった。

 南に位置する正面の校門の反対側にある、両開きの格子状の裏門に近づいたマルグリテは、傍に備え付けられている警備員用の詰所の中を少し離れた距離から探り、中にいる人間の顔を確認してから駆け寄っていった。

 数分後、裏門のすぐ隣に造られた、学校関係者専用の押し引きするタイプのもう一つの扉から彼女は学園の外へと飛び出し、前を走る車道を横切って足早にその場から立ち去ろうとする。

「分かりやすいお人ですねぇ、お嬢様は」

 が、車道の真ん中に差し掛かったところで、一人の男に呼び止められ、マルグリテは一瞬脱走がバレたのかとハッとするも、振り返って声の主を確認し、強張った表情をすぐに崩す。

「っ……待ち伏せですか? 趣味が悪いですわよ」

「学園脱出の常習犯には言われたくないですねぇ、夜のアウロンは徒歩じゃ危険です、お乗りになってはいかがです?」

 道の脇に駐車させていた紺色のスポーツカーにエンジンをかけながら、声の主の男は口元をにやけさせて言葉を返す。

 その反応は明らかにマルグリテと面識のある人間もので、彼女が学園から抜け出してきた事には驚く様子もなく、ここから離れようとしているのを分かりきったように乗車を促してきた。

 マルグリテが躊躇わずに助手席に乗り込むと、車は甲高い排気音を数回鳴らしてから急加速して発進し、夜の道を駆け抜けていく。

「よくワタクシを見つけられましたね。今日この時に脱出する事を予め知っていましたの?」

 バックミラーで学園の姿がみるみるうちに離れていくのを確認しながらマルグリテが尋ねると、スポーツカーを軽やかに飛ばす男は正面を向いたまま肩を竦めて、

「お嬢様は分かりやすい人ですからねぇ。目に見える範囲で派手な事件や事故が起きれば猟犬のように嗅ぎ付けて、興味本位で近づいていこうとするその性格から察すれば、消灯時間を過ぎて行動に出る事ぐらい容易に想像出来ますよ」

「それは何だか、行動パターンが見抜かれているようで悔しいですわね」

「お嬢様だって、どうせ自分に見つけてもらえると思って飛び出してきたんでしょう?」

 フフ、と小さく笑って、マルグリテは自慢のウェーブがかった金色の長髪を手で弄びつつ、もう一方の手でフロントガラス越しにある方向を指差す。

「あそこへ向かってくださいまし、タテワキ」

「言うと思いましたよ、了解です」

 タテワキと呼ばれた運転手は、仕事帰りのサラリーマンのようにやつれた紺色のリクルートスーツに身を包んでいたが、東洋人風なその顔立ちはビジネスの世界に生きている人間には似つかわしくない、サバサバとした快活な雰囲気を持つ男だった。

 彼はマルグリテの目的地も予想の範囲内だったようで、車は既に彼女が示す進路に乗っているらしい。

 彼女が見据える先には、黒い煙を絶え間なく夜の空に吹き上げながら燃え盛る一つの高層ビルがあった。

 寮の部屋から見えたあの赤い光の正体はあれなのだろう、タテワキが点けた車内のテレビにもその火事に関するニュース映像が流されており、それによると燃えているのはブロッサムベンチャーという名の投資企業で、発火時の様子からテロによる爆発との見方が強いとされているらしい。

「けど今更ながら不謹慎ですねぇお嬢様は。テロに心を躍らせているんですか?」

「否定はしませんわ。けれど、ワタクシが気になっているのは爆発事件自体ではなく、その現場なのでしてよ」

 現場? と首を捻るタテワキに、マルグリテはジーンズに隠していたスマホを取り出して、何度か画面をタッチしていく。

「クー女は携帯端末の持ち込みも禁止の筈じゃないんですかぁ?」

「部屋から持ち出さない限りは安全なのです。さすがにプライベート空間にまで立ち入っては来れないでしょうから」

 容姿や言葉遣いだけならお嬢様学校の優等生の典型なのだろうが、会話の内容からも分かるようにこのマルグリテという少女は校則を当たり前のように無視する、むしろ問題児と言った方が良い。

 普段学内では規律を守り礼儀正しく振る舞っていながら、隠れてこうした校則違反を繰り返すのは彼女にとってもはや日常茶飯事の事で、まさに猫を被った学園生活を送ってきた。  

 理由は簡単、本心では彼女はあんな生活の全てをお上品に振るまう事を強制される環境の中にいるのを望ましく思っていないからだ。

「あの企業は前々から色々とネットでネタにされていたのです。今でこそ有名な投資会社ですが、大手になったのはここ二年、あまりに急な成長に加え、顧客の殆どが公的私的問わずマグメルという宗教団体の信者という情報があり、布教のための資金稼ぎをしているのではないかと言われてたようです」

「根も葉もある情報なら、面白い話かもしれないですけどねぇ」

「加えて、急激な経営発展をする直前に社内の取締役以上のメンバーがほぼ解雇され、その約三分の一が一年以内に事故死したという話もあります。経営陣の大半が変わってから突然の発展、それに元々オカルティックな噂の絶えない新興宗教マグメルとの関係の親密さが、怪しさに拍車をかけたのでしょう」

 正直言ってマルグリテはそんな噂など半分も信じてはいなかった。

 ただ、前にオカルト系のネット掲示板で名前を見かけてちょっと噂の内容を確認した事があり、爆発したのがその企業だとスマホのニュースで知った際に思い出し、現場が学園から近いというのもあって突き動かされるように飛び出してきたのだった。

「とってつけたような噂をよく信じれますねぇ」

「信じているのは半分だけです。ワタクシが好むのは、怪しい噂のある出来事について調べる事なので、空振りでも構わないんです」

 自慢げに豊満な胸を張ってみせるマルグリテに、タテワキは相変わらず苦笑をやめないまま、それでも立場上仕方なく彼女の目的地へ車を急がせた。

 やがて警察や消防の車両が何台も集まる現場の周辺までやってくると、歩道や一部車道にはみ出してまで上層部が燃え上がるビルを眺める野次馬による混雑を避けるようにして近くの別のビルの陰に車は止まった。

「おーおーここまで近づくとさすがに迫力がありますねぇ」

「まだ消火は出来ないのでしょうか」

「はしご車でもあんな高い場所にはホースの水は届きませんからねぇ。ポンプ車と何本ものホースを繋ぎ合わせて、中から現場まで上がって直接水をかけるぐらいしか出来ないらしいですよ」

「そうなのですか、大変ですわね」

 感心するように、しかしそこまで興味もないように呟いたマルグリテは、ネットでリアルタイムに投稿されている火災関連のコメントを流し見て、ある一文で目を止めた。

「タテワキ、あのビルを中心として、アウロン中央駅の方面はどちらですか?」

「はい? そりゃ、あの交差点を左折して真っ直ぐ行って……何かあったんですかぁ?」

「気になる情報がありまして。あのビルから脱出した社員の一部の姿が見当たらないと、現場の消防関係者が騒いでるようなのです」

「はぁ……逃げ遅れとかではなくてですかぁ?」

「脱出して、消防の方の保護を拒否してその場から走り去ったとか。複数の野次馬の方々によって掲示板のその旨のコメントが今複数投稿されていっています」

 ははぁーん、とタテワキはマルグリテの意図を理解したようにいやらしく笑って、

「で、中央駅の方へ逃げて行ったって、そうスマホの画面に開いてるページには書かれてるんですねぇ?」

「えぇ、気になりませんか? 曰くつきの会社の人間の、あからさまな逃走」

 世の中のお嬢様はそんな事気にかけたりしませんよ、と言いながらもタテワキはアクセルを踏み込むと、彼女の言った火災ビルの北東へ車を走らせる。

 いくつかの交差点を経て、火災ビルから逃げた社員がどこかにいないかを走る車の窓から探していたマルグリテは、とある大通りに差し掛かったところで歩道に複数の人影を発見し、タテワキに接近するように指示する。

「あれぇ、路地裏に駆け込んでいきましたよぉ?」

「分かっています。止めて下さいまし」

 落ち着いた言葉遣いとは裏腹に、マルグリテは早く外に飛び出したいとばかりにドアノブに既に手をかけていた。

 タイヤが止まり、鍵が開くと同時に車から降りたマルグリテは、雑居ビル同士の隙間に入っていった人影を追いかけるべく走り出す。

「あ、待ってくださいお嬢様! 危ないですよぉー!」

 タテワキが焦って呼び止めるが、走り去った人間がもしかすると火災現場から脱出しながらも消防に保護されるのを拒んだ怪しい人物かもしれないという好奇心に突き動かされ、マルグリテは運動音痴な体を必死で動かし、ろくな明かりすらない暗く細い道へと入っていった。

 火災ビルに人が集まっているせいか、少し離れたこの辺りはやけに閑散としていて、幸か不幸か彼女の突飛な行動を怪しむ通行人等はいなかった。

 じめじめとした入り組んだ路地裏を、前方に微かに見える人影を頼りに進むマルグリテだったが、普段学園から出ずに生活していて土地勘のない彼女は当然のように道に迷ってしまう。

「どこへ行ったのかしら」

 周囲に溢れる汚れと湿気と暗闇に薄気味悪さを感じ、自然とマルグリテの足も速くなる。 

 慣れない運動に速くも息を上げている彼女は、自らの足音ばかりが響いて聞こえる中で、一瞬だけ違う種類の音が混じっているような気がして立ち止まる。

 それは男同士の喋り声のようで、今マルグリテが立つ場所から数メートル先にある角の向こうから発せられているようだ。

 何かがある、相手に気付かれないようなるべく足音を立てないよう意識しながら、マルグリテが曲がり角まで近づき、声がする方を覗き見た、その直後。

「……っ!?」

 彼女は自身が捉えた光景に、思わず胸を穿たれたような衝撃を受けた。

 確かにそこには、何者かがいた。数は五、六人くらいだろうか、互いに向かい合うようにして並び立っていたように見えた。

 その彼等の姿が、視界に映ってから一秒も経たないうちに、なくなったのだ。

 物陰に隠れたのではなく、パラパラ漫画のページが途中から全て白紙になったかのように、見えていた男達の姿が前触れもなく文字通りに消え去ったのだ。

「あ、あれ……今の方々は一体……?」

 幻覚でも見たのかと自分の目を疑うマルグリテだが、すぐに首を横に振ってそれを否定する。

 思い込みだとか、そんな曖昧なものではない。顔や服装をはっきり見た訳ではないが、それでも見たのは間違いないと、それくらいにはっきりと彼女は目で捉えたのだ。

 消えた男達はどこへ、マルグリテはまだ収まらない衝撃に突き動かされるようにどの方向を見ても似たような景色の広がる路地裏を走る。

 と、静まり返っていたその空間に、ドスンと鈍く重い音が響き、地面に僅かながらの震動を感じ、マルグリテは足を止める。

「衝突音? こっちの方から……」

 あまり良いイメージの湧く音ではなかったが、好奇心旺盛な彼女の足がそれで止まる筈もなく、ビル同士の間を駆け抜けて音がしたと思われる広い通りへと飛び出した。

 目の前には片道二車線の公道、その歩道沿いにシルバーのミニバンと黒塗りのセダンの姿が視界の端に映った。

 だがそれは並んで駐車しているのではなく、ミニバンの右側面にセダンが頭から突っ込んだような形で互いに歩道の上に乗り上げている異様な状態の様子であった。

 つまりは、事故を起こしていたのだ。

 おそらくぶつけられた方のミニバンはその衝撃で歩道沿いに立つ電柱に助手席辺りが食い込む形になっていて、一方ぶつかった側と思われるセダンもボンネット部分が豪快にへしゃげてフロントガラスが粉々に砕け散り、大ダメージを負っているのは見て明らかだった。

 ただ、衝突されたミニバンよりも、衝突したセダンの方が接触部分の被害がやけに大きいようにも見えた。

「まぁ、大変……!」

 上品に口に手を当ててマルグリテが驚き唖然としていると、電柱とセダンに挟まれるような形で動けなくなったミニバンの左側面のスライド式のドアがゆっくりと開き、一人の少女が中から姿を見せた。

 マルグリテと比べるとやや黒みがかったストレートの金髪を肩の辺りまで伸ばし、黒のミニスカートから伸びる細く長い脚が美しい、大きなヘッドホンを頭にかけた東欧系の白人の少女で、このアジアの街にいたら誰もが一度は目を引かれてしまうような美しい容姿をしていた。

 少女はゲホゲホと何度も咳を繰り返しながらミニバンから脱出すると、片手を額に当てながら不安そうに周囲に視線を走らせている。

 怪我でもして助けを求めようとしているのかと最初は思ったマルグリテだったが、その後少女の背後に現れた複数の人物の姿を見てそれは間違っているとすぐに気づかされた。

 ミニバンにぶつかったセダンの左右の後部座席のドアが開き、地味な黒っぽい服装をした二人の男が何かを小脇に抱えながら飛び出し、滑るような動きでミニバンを回り込むようにして少女の方へと向かっていく。

 それに気付いた少女は、一度ハッとした表情を見せると、歯を食いしばるようにして彼等から逃れるようにおぼつかない足で無理矢理に走り出した。

 男達も彼女に反応するように動きを早め、手を伸ばして肉薄しそうになる。

(追われてる?)

 理由は分からないが、なぜか事故を受けた側である少女が事故を起こした側の男達に追われているのは明らかだった。

 そう理解した瞬間、マルグリテは小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせると、

「っ……痴漢よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 肺の中の空気を全て使って、甲高い叫び声を上げてみせた。

 マルグリテの存在に気付いていなかったのだろう、ヘッドホンの少女は勿論彼女を追う男二人も面を食らったようにピタリと動きを止めた。

 そして夜の街に響く少女の叫びに他人が無関心を装う事など不可能だ、事故の音を聞きつけてきた通行人がこちらに視線を向けていて、男達がヘッドホンの少女に手を伸ばして捕まえようとしている姿も無論目撃したに違いない。

 しまったという顔を見せる男達、その隙にマルグリテはヘッドホンの少女に手招きしながら、

「こっち!」

 そう呼びかけて、男達から離れるよう促す。

 ヘッドホンの少女はすぐにマルグリテの意図を察したように足を進め、路地裏の方へ駆け込んできた。

「待て!」

 叫び声で怯んでいた男達もすぐに動きだし、ヘッドホンの少女を追って路地裏めがけて走ってくる。

「これは、いわゆるヤバイ状況というものでしょうか」

 明らかに面倒な事に巻き込まれそうになっているのを悟り、冷や汗を一筋額から流しながら、マルグリテはヘッドホンの少女を扇動するように入り組んだ路地裏の中を駆け抜ける。

 何度も曲がらなければならない迷路のような地形は、追われる側からすればラッキーだった。大の大人相手に少女二人が直線勝負で勝てるとは思えない、現に両者の距離は常に五メートルもないくらいに近く、少しでも気を抜けば追いつかれてしまいそうだ。

 それでもなんとか逃走を続けながら、マルグリテはヘッドホンの少女に話しかける。

「もう少し頑張ってください、すぐにワタクシの仲間が駆けつけてくれますから!」

「あんたの……仲間?」

 ヘッドホン少女の容姿はヨーロッパ系だが、この国の言葉は流暢に喋れるらしい。

 彼女の問いにマルグリテは「はい」と小さく笑って返事したその直後、耳とつんざくような爆音が路地裏に鳴り響いた。

「っ!?」

 必死で走っていた二人も、その音が自分達にとって命に係わる危険な音だと本能的に気づき、立ち止まって体を硬直させてしまう。

 視線を動かせば、すぐ近くのビルの壁に小銭ほどのサイズの小さな穴がいくつか開いているのが見えた。

 ハッとして振り返ると、彼女達を追っていた男達もまた足を止め、抱えていた何かを構えている事に気付く。

 黒光りしたメタリックかつ重厚そうな見た目をしたそれは、アクション系の映画やドラマで登場する兵器の形によく似ているように思えた。

 高速で弾丸を連射する、機関銃と呼ばれる兵器に。

「おっと、まさか本物でしょうか……?」

「何呑気な事言ってるの……!」

 緊張感のないマルグリテと対照的に、控え目ながらも苛立ちの募った声を漏らすヘッドホン少女。

「両手を頭の後ろに回して跪け」

 男のうちの一人が、抑揚のない無機質な声で指図をしてくる。

「っ……なぜでしょう」

「早くしろ」

 反論も許さない冷淡な態度、民間人に向けて銃を構え発砲する躊躇のなさ、彼等が冗談抜きで危険な連中だという事に今更ながら気づくマルグリテ。

「……うふふ、これはピンチですわね」

 だというのに、彼女の口から思わず零れていたのは、慄きの声ではなく笑み、それも苦笑というよりは押さえていた抑えていたものが堪えられなくなったといった感じのものであった。

「あなた、何か悪い事でもしたのですか?」

「……別に、それよりあんただけでも逃げて。あんたは部外者だし」

「生憎それを彼等が許してくれるとは思えないですけれど……!」

 さてどうするか、二人が考えているうちにも男達はじりじりと距離を詰めて近づいてくる。

 いつ火を噴いてもおかしくない、二人に真っ直ぐに向けられた銃口、この狭い路地で弾丸を連射出来る銃の射線から逃れるのは至難の業だろう。

 とりあえず従うしかないのか、マルグリテが奥歯を噛み締めながら状況の打開を模索している最中だった。

 ドカンと、今度は豪快な爆発音が近くから聞こえてきたのは。

 何事かとその場の四人がそれぞれ怪訝そうな表情をした直後、

「あっ」

 マルグリテは今度こそ目撃したのだ。

 自らの眼前に、唐突に複数人の別の男達が姿を現したのは。

「っ……!」

 銃を構えた男達が険しい表情をしながら引き金にかけた指を動かそうとしたが、それよりも早く状況は動いた。

 今度はその男達共々、突如出現した者のうちの半分ほどの姿が再びその場から消え去ったのだ。

 何が起こったのかマルグリテの頭は全く理解出来ず、思わず開いた口が開いたまま立ち尽くしていると、残った男達がこちらに向けて駆け寄ってきた。

「レイナ、無事か!?」

 声を発した者を含め、全員二十前後の青年で、彼等はマルグリテの隣のヘッドホン少女に焦った様子でそう声をかける。

「……えぇ。なんとか」

「すまん、隙を突かれた! ラファエラがいない以上、もっと警戒しておくべきだったってのに」

「……気にしないで。あたしも目標に集中し過ぎて、接近に気付けなかったし」

 右手でヘッドホンに手をあてながら、目を逸らして素っ気なく返事をする、レイナと呼ばれた少女。

 どうやら彼女と突然現れた男達には面識があるらしく、今目の前で起こった『人が突然現れて消える』現象については全く気にしている様子はない。

「そっちの子は?」

 リーダー格らしき青年がちらりとマルグリテの方へ警戒するような視線を向けながらレイナに尋ねた。

「……巻き込んじゃって。部外者だから、大丈夫」

「そのまま帰すつもりか? 見られてたんじゃ……」

 何か意味深な言葉を言いかけた彼の前に一歩進み出て、レイナは自身の唇の前に人差し指を突き立て、無言で「喋るな」のジェスチャーをする。

 常に伏し目がちだった碧眼に、その時だけは力を入れて訴えかけ、青年も彼女の意図を察したように静かに頷いて、

「なら早いとこ引き上げるぞ。お前の乗ってた一号車はもう使えない、三号車の待機場所まで走る」

「……分かった。でも先に行ってて、少し話すから」

 青年達は早くこの場から立ち去りたいようでそわそわしていたが、レイナの意見にはなぜだか逆らう気はないようで、初対面のマルグリテに奇異な目を向けつつも足早に路地の向こうへ走っていった。

「……騒がせてごめん」

「いえ、別に構わないのですが、今の殿方達はお知り合いですか?」

「……うん」

「そうですか。何やら物騒な方々に追われていたようなのでお助けしようとしたのですが、余計なお世話だったみたいですわね」

「……そんな事ない。時間稼ぎになったし」

 にこにこと笑顔のまま喋るマルグリテに対し、レイナは体を横に向けたままヘッドホンに手を当ててわざと視線を合わせないようにしながら言葉を返してくる。あまり喋る事に気が乗らないのだろうか。

「ところで一つお聞きしたいのですが、あなたのお知り合いの方々が、急に目の前に現れたように見えたのですけれども、ワタクシの見間違いではないかしら? あなたも確認なさいまして?」

「……ん」

「もし見間違いのではないのでしたら、どういった現象が起きたのか、教えてもらいたいのですが」

「……そっち、なんだ」

 質問を受けたレイナは、じろりと綺麗な碧眼だけを動かしてマルグリテの方を見てから、ふぅと小さく溜め息をついた。

「そっち、とは?」

「……あんた、銃で撃たれそうになった事はあまり気にしてないみたいね」

「うーん、そうでもないと思いますけれど、人が突然現れては消えるなんて超常現象に比べれば、銃なんて珍しくもなんともないではないですか。特にこのアウロンの中では」

 今のマルグリテの胸中は、自分がもしかしたら機関銃で撃たれていたかもしれない恐怖など微塵もなく、眼前ではっきりと捉えた不可思議な現象への関心でいっぱいであった。

 人が突然現れては消える、そしてその人物と知り合いであり現象に対して驚いていない様子を見る限り、このレイナという少女は何か普通の人間では知らない何かを知っていると、マルグリテは直感していた。

 レイナは力のない目でマルグリテの全身を一瞥すると、

「……そう」

 何かを納得したように呟いて、彼女の目の前に一気に距離を詰めてきた。

 そして鼻と鼻がぶつかるぐらいに顔を近づけてきて、忠告するようにこう告げた。

「……好奇心は得をしない」

「はい?」

「……あなたはオカルチックな事が好きな人、でもオカルトはオカルトのままでいた方がいいと思う。どれだけすごいマジックでも種を知ったら飽きちゃうし」

 勘ぐろうとしたのがバレたのか、レイナの目は淀みなくマルグリテを見つめ、彼女の言葉がふざけたものではないというのを威圧という形で示していた。

 僅かに怯んだマルグリテだが、すぐに口元を吊り上げて笑みを作ると、

「ご忠告感謝します。ですがその言葉はオカルトマニアには逆効果かと思います。人間は制限に抗いたがる生き物ですから」

「……それでも、やめた方が良い。あたしを含め、今見た事は忘れて。これは助けてもらったから言ってる、怪しい事に首を突っ込んで危険な目にあって欲しくないし」

「余程ご心配なされるのですね」

「……まぁね、あんたとは助けた助けられたの関係のままでいたいし」

 頭上に疑問符を浮かべ、レイナが何を言いたいのか分かりかねるマルグリテ。

「……仇に関わりたくないだろうし。逆鱗の娘なら特に」

「……えっ!?」

 だがレイナのとある言葉を聞いた直後、思わずマルグリテは驚きの声を漏らしてしまっていた。

 銃を向けられても殆ど揺れ動く事のなかった彼女の心臓が、ビクリと大きく跳ねるように動いたのが分かった。

「え、と……あなた、一体……?」

「……そういう事だから、ごめん」

 レイナはすぐに目を逸らすと、尻すぼみに声を小さくしながらそう言って、体を翻して離れていく。

 一瞬引き留めようと思ったマルグリテだったが、数秒前に耳に飛び込んできたレイナの言葉が頭の中で反芻して、受けた衝撃に体を硬直させてしまっていた。

 あっという間にコンクリートの壁の向こうに消えたレイナと入れ替わるように、マルグリテの背後から何者かが走って迫ってくる足音が聞こえてきた。

「お嬢様、ご無事でしたかぁ!?」

 正体はタテワキ、長い脚でダンダン地面を踏み鳴らして、焦った表情で駆け寄ってくる。

「遅すぎますわ、スクランブルとメッセージした筈ですけれど?」

「スクランブルは五分以内に出撃すればいい訳ですから、セーフじゃないですかぁ?」

 マルグリテが無事であるのを確認し、安心したように再びにやけた顔つきに戻るタテワキ。

「何があったんですか、なんか物騒な臭いがしますねぇ」

「えぇ、銃で撃たれましたの。ファミリーの皆様が普段経験している恐怖を少し体験した気分です」

「笑い事じゃないですよぉ、バレたら自分、お嬢様の父さんに殺されちゃいますってぇ」

 へらへらするのは変わらないものの、タテワキの顔には一種の恐怖に近い感情がどろりと纏わりついているのが、表情の硬さから見て取れた。

「お気になさらず。危険と引き換えにワタクシ、とても貴重な体験をしましたのよ」

 しかしマルグリテはタテワキが遅れて駆けつけた事など気にもせず、この場を立ち去っていった少女の言葉の事ばかりを考えていた。

「そりゃあ銃撃なんてそうそうされるもんじゃないですよぉ。お嬢様ぐらいの方なら」

「そこではありません。先程ワタクシは一人の女の子と出会いました。ワタクシと共に銃で撃たれ危険な思いをした、外国人らしき方です」

「はぁ……外人と出会ったのが貴重って事ですかぁ?」

 違います、とキッパリ否定してから、マルグリテは勿体ぶるようにニヤリとした笑顔をタテワキに向け、それから言った。

「彼女、気づいていたようなのです。ワタクシが、お嬢様だという事に」

「? それはクーロンの生徒だって気付かれたって意味ですかぁ?」

「いいえ、もっと的を射た意味です。ワタクシが、お父様の娘である事に気付いた、とね」

 マルグリテの言葉の意味が最初は分からないといった感じできょとんとするタテワキだったが、その回りくどい言い方の意図を読み取ろうと少しの間思案した後、途端に眉根に皺を寄せ、顔からふざけた雰囲気を消し去ってから、

「……そりゃあまずいですねぇ、ワンさんに言ったら指でも潰されそうだ、怖い怖い」

「さすがにそれは言い過ぎなのではないですか?」

「何言ってるんですか、自分はお嬢様のお目付け役ですよぉ? 素性を知られないように注意を払えと命令されてたのに、それが出来なかった。懲罰ものですよぉ」

 笑いながらも嘆く彼の声音や眼光には、強い殺気と危機感が宿り、ピリピリとした空気を静かに放っていた。

 それでいて尚、マルグリテはのほほんとした笑みを絶やさない、タテワキが困っている理由などどうでもよいという風に。

「少しは危機感持ってくださいよぉ」

「申し訳ありません。ですが私は今とても興奮しているのです。だって何も教えていないのにも関わらず、気づいたのですよ? おそらくあれはテレパス、相手の心を読む精神系能力を利用し、私の素性を探ったのでしょう!」

 興奮気味に語る彼女の想像は、端から聞いていると幼稚で支離滅裂なものだと思われるかもしれない。

 だが当の本人はいたって真面目であり、オカルトマニアとして目の前で人が消えたり現れたり、そして自分の正体を教えてもいないのに見抜かれてしまった不可思議な現象の連続にテンションが高ぶっているのだ。

「これでは隠していたのが水の泡になってしまいますわ、ワタクシが逆鱗の令嬢だという秘密が」

 高貴な清潔さの中に、悪さを楽しむ子供のような意地悪さを混じった笑顔に口を歪めるマルグリテ。

 彼女の父親はこの国際的にも経済的にも犯罪的にも有名なアウロンという都市において、決して表舞台には現れないながらも多くの者に名を知られた男であり、彼が率いる組織の名もまた有名であった。

 逆鱗、それがアウロンを初めこの国の沿岸部の地域に広く勢力を広げるマフィアの集団、そしてマルグリテという少女の父親がトップに立つ犯罪組織の名前であった。


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