眩しい希望
「んじゃほいこれ、悪いけどどこに住むかはこっちで決めさせてもらったからね」
クローネはそう言ってエリシアに住所らしき文字が書かれた紙切れを手渡し、ゴンは後ろからそれを覗き込む。
「このマンション……俺の住んでるアパートの近くじゃんか」
「そっちの方が色々と都合が良いと思ったのよ。感謝しなさいね」
警察としてのエリシアの処分内容に、ゴンは直接的には関わっていない。だがゴンはエリシアに積極的に関わる気マンマンで、エリシアもそれを拒否はしなかった。クローネは釈放後も二人が関わる事を予想して、わざとエリシアの住居をゴンの住むアパートの近くにしてくれたのかもしれない。
「車で住む所まで送ります。あ、でも君は車で来たんでしたっけ」
「はい。だから、車でついて行きますよ」
ジャンにそう答えた後、エリシアとナターシャ達が乗り込んだ車の後に続いて、ゴンも愛車を走らせる。
三十分ほどして、目的のマンションに到着し、五階にあるエリシアの新しい住居に案内された。敵が容易に侵入しにくく、かつ何かあった時に警察が突入しやすい理由で五階の部屋が選ばれたらしい。
ゴンが住んでいる部屋よりも四倍くらい広く、一通り家具も揃えられていて、羨ましいくらいの好物件だ。警察が用意したらしいが、公的機関の力というのは恐ろしいものである。
「いい? 何かあったらすぐに連絡するのよ? 警察の番号じゃなくて、私達の誰かの携帯にかけてくれればいいから」
部屋の玄関で別れる際、ナターシャはゴンの手を取って顔の間近で訴えかけるような強い視線を向けながら、念を押してきた。
「はい、分かってます」
「君の身を案じるなら止めるべきなんだろうけど、どうせ止めても聞かないんでしょ? なら、ちゃんと責任を持って彼女を見張ってね」
「見張るって……」
「ゴンさんにとっては普通の女の子でも、私達にとってはまだ、事件の関係者って立ち位置なのよ。向けられる目は暖かくない、理解して関わりなさいよ?」
エリシアに関わる事は危険だと釘を刺され、ゴンは唾を飲み込んで動揺を抑えるようにして、返事を絞り出した。
「……二ヶ月も待ってたんです。それくらい、分かってますよ」
「ん~……分かったわよ。じゃあ、頑張ってね」
その言葉にナターシャは数秒だけ呆れるように嘆息して、苦笑いを浮かべながら立ち去って行った。
「んあ~、なんか疲れたな」
「すいません、付き合ってもらって……」
「いや、俺が勝手についてきただけだから……ん」
二人きりになった途端、何を喋ればいいか分からず気まずい雰囲気が部屋の中に漂い出す。
そういえばこうやって落ち着いた環境で会話出来る状況なんて、初めて会った晩に自宅に泊めた時以来だろうか。翌日は怒濤のハプニングの連続に見舞われて、言葉を交わす事も殆ど出来なかったから、本当に久々だ。
「えっと……とりあえず食い物とか風呂とか、生活に必要なものは揃ってるってクローネさんが言ってたけど、家事とかは出来るか?」
「はい、マグメルに入るまでは家でやってましたから多分大丈夫だと思います。久しぶりですけど……」
「そうか……俺がいてもしょうがないだろうから、今日のところはとりあえず帰るわ」
「あ、待ってください!」
いつまでも居座っても仕方ないと思い、自分も部屋を後にしようと立ち上がったところで、エリシアがゴンを呼び止めてきた。
「その、いいんですか? 本当に」
「何がだよ」
「あの騒動で危険な目に遭って、怪我もして……それでも私に関わって、いいんですか?」
エリシアの視線はゴンの左足に向けられていた。
貿易港でのエリシアを巡る騒ぎの中で、ゴンはロウによって左足を銃撃された。幸い骨に当たってはいなかったが、つい先月までは病院のベッドの上での生活を余儀なくされていたのだ。
杖なしに歩けるようになったのも最近で、少し我慢すれば歩き方もおかしくならないため、仕事の面接の際はなんとか怪しまれなかったものの、今でも左足には少し違和感が残っている。
「もう治ってるって、気にすんなよ」
「気にします! 結局私が巻き込んで、傷つけてしまった訳ですから……!」
「だから、それは俺が自分から……」
「ならせめてこれからは、ゴンに危ない目に遭って欲しくないんです。ゴンがいくら構わないと言っても、私は嫌です! 今の私は孤独で仲間もいない犯罪者で、そんな私を気にかけてくれるのは嬉しいですけど……ゴンが傷つくのはもう見たくないです」
エリシアは立ち上がり、今日初めて声を大きくして自身の願いを訴えかけてきた。
その目は真剣そのもので、頷いてくれるまで視線を逸らす事を許さない、それくらいの気概が瞳の奥に垣間見えるくらいだ。
まだ体力が回復していない中で急に動いたせいか、エリシアはすぐに体勢を崩しよろけてしまい、ゴンは慌てて土足のまま駆け寄って体を抱きかかえる。
「……一応、あそこで無茶したお陰でロウの注意を引きつけられたって、褒めてもらったんだがな」
港には予め警察の特殊部隊が周辺で待機していたが、相手も未確認の武装集団という事で、正攻法で攻めれば互いに甚大な被害が出る事は明らかであった。
そのため膠着状態が続く中、密かにロウ達の意表を突くための工作をいくつも準備していたらしく、コンテナ運搬用クレーンのフックが空中で爆発が起きたのもその一つだという。爆弾をフックにかかっていた荷物に投擲させたと言われているが、方法は教えて貰えなかった。
ともかく、ゴンがロウに絡んだ事でその場にいた者の注意が引きつけられ、特殊部隊も工作が楽に出来たという。
結局武装集団の大半には逃げられてしまったが、幸い銃撃戦で死者が出る事はなかった。それに貢献出来たと思えば、名誉の負傷と言ってもいいかもしれない。
「俺だって怪我したい訳じゃない、それは分かってる。けどお前の近くにいたら危険が及ぶかもしれないのを知ってて、平和に過ごせるって断言する自信もない。だから俺は、用意だけはしてるつもりだ」
「用意……?」
「あぁ、何か起きた時、痛い目に遭うかもしれないっていう心の用意をな」
「それは、言うだけなら簡単ですけど……!」
「簡単じゃない、現に俺は治療で入院してる間は何度か考えた。お前と関わらない方が互いのためなんじゃないかって」
ゴンの言葉にエリシアがハッとなって顔を上げる。
「怪我しても平気だって思える訳がない。撃たれた時の痛みが蘇ってきて、お前と縁を切って大人しく仕事を探そうと思った事もある……けど諦められないんだ、仕方ないだろ。俺はお前に……」
そこまで口にしてゴンはぐっと息を呑み、彼女の姿を再度確認する。
触れたくなるような亜麻色の長い髪、輝くくらいに澄んだ肌、可愛らしい顔立ち、自分が一目見て惚れた少女のそれを見失いたくなくて、ゴンは図々しいまでに彼女に関わる事を選んだ。
熱に侵されていると言われても仕方がないかもしれないが、彼女を目の当たりに出来るうちは、彼女の傍から離れるという選択肢を自分は選べない、選びたくない思考になってしまっているのだ。
「っ、ストーカーって思われてるなら、さすがにやめるけどよ」
「そんな事ないです! ゴンに出会って、匿ってもらって、私を助けようと必死に頑張ってもらって、感謝してもし切れません! ……あなたの覚悟、分かりました。本当に嬉しいです。私なんかのために……」
目頭に涙を浮かべながら、エリシアは微かに笑みを浮かべて、ゴンがこれからも関わる事を認めてくれた。
その瞬間安心して、体から力が抜けそうになるゴン。
「でもいつか返させてください、あなたから受けた恩を」
そこに涙を指で拭ったエリシアが、一つの要望を持ちかけてきた。
「返すって?」
「なんでもいいんです。借りを返す事になるなら、私はなんでもします!」
「なんでも……ん」
今更だがゴンはよろめいたエリシアを背中に手を回す形で抱えている。
彼女の顔は互いの鼻先が触れ合うくらいに近くにあり、美しい容姿がさらに照り映えて見える。
気づいた直後に湧き上がってくる、いかがわしい欲求を悟られないよう慌てて顔を背けるゴン。
「どうかしました?」
「いやっ! なんでもない! え、えーっと、借りを返す、だったっけ?」
「はい、私の力で出来る事なんて限られているかもしれませんが……それでも努力します!」
照れるゴンの事はいざ知らず、エリシアの表情と言葉は真剣そのものだ。
さすがにここでゲスな要求をする程ゴンに勇気はなく、顎に手を当て律儀にうーんと唸りながらしばらく考えた後、一つの結論が頭の中に浮かんできた。
「あー……じゃあ、ドライブしようぜ」
「は、はい?」
「お前はちょっとしか乗ってないだろうが、俺は車の運転は一応自信がある方なんだぜ? 初めて会った時、路地裏を脱出したテク覚えてるだろ?」
「テク、ですか?」
「そうだよ。免許取ってすぐの頃はよく制限速度を超えて飛ばしまくってたくらいだ」
「私は詳しくないですけど……それって、良くないんじゃないですか?」
「分かってるって。仕事の内心取れるかもしれないのに、スピード違反で台無しにするつもりはないさ」
エリシアと関わる事が出来る機会を無駄にする訳にはいかない、そう思ってゴンは騒動の後彼女の前に胸を張って登場出来るように退院後仕事探しに奔走したのだった。
「……稼いだら、もっと楽しそうな事させてやれるかもしれないしな」
「何か、言いましたか?」
「な、んでもねぇよ! あーっ、そうだ! これから行かないか? まだ昼間だし、車も少ないし」
「今から、ん……」
「あ、悪い。出てきたばっかで疲れてるよな、それに外汚いし……」
留置所生活の影響でまだ本調子じゃないのは分かっていたのに、失言だったと悔やむゴン。
「いいですね、行きましょう!」
だがエリシアから返ってきたのは予想外の、ゴンの提案を承諾する元気な声であった。
「いいのか? ゆっくりしたいんじゃ……」
「いいんです、好きな時に好きな事をする。私が求めてる自由は、そういうものですから」
決して血色が良くはないものの、エリシアは輝くように可愛らしく、そして綺麗な笑顔を浮かべていた。
そこに自分への遠慮は感じられない、そう思ったゴンはすぐさま抱えたままだった彼女の体を起こすと、手を引いて部屋の外へ導く。
戸締りをして、近くに停めていた愛車で走り出すゴン。
相変わらず会話はあまり盛り上がらなかったが、心を落ち着けて運転をしながら言葉を交わす事が出来ている現状にゴンは十分過ぎるほどに満足していた。
(見逃してくれよ、ラファエラにマルグリテ。お前達とエリシアが会っちゃダメだって約束なんだからよ)
エリシアを巡る騒動に関わっていた、マグメルと逆鱗双方の、エリシアを取り戻す事に固執していた少女達を思い出すゴン。
騒動の後彼等は警察に捕まらないよう雲隠れしたが、多分またエリシアの前に姿を現すに違いない。各々エリシアへの強い想いを持っている彼女達なら、絶対にやってくる。
その時また、彼女の日常が壊れないように、傍にいられる自分は尽力しなければならない。
マグメルや逆鱗に負けないくらいエリシアを大切な存在と見ているからこそ、エリシアが望む生き方をさせてやりたいから。
「……ロウ」
「え?」
「あいつを恨んだり、あいつはどうでもいいなんて思ってないからな」
敵対していたとはいえ、彼もまたエリシアを大切な存在として見ていた人間であり、親から捨てられた彼女を救った恩人でもある。
そんな彼を、自分とは考え方が違うから、エリシアと道を違えたからといって、彼の全てを否定は出来ない。
エリシアは彼が心の底から悪者だとは微塵も思っていないだろう。詳しくは聞いていないが、ゴンもロウという男の行動が常にエリシアの事を彼なりに考えたが故のものだと分かっているつもりだ。
それを否定してしまうのは、単なる嫉妬だ。エリシアを思いやるのは自分だけでいいなんてエゴを持つ人間を、エリシアが好む筈がない。
「ありがとう、ございます。ロウは……真面目で、賢いから、考え過ぎちゃって……でも私は諦めが悪いから、逃げたんです」
「……けど、あいつはお前を見捨てようとしなかったな」
「はい、だから逃げた私は、いつかロウに謝らないといけません。そしてロウに分かってもらいたい、超能力を持っていても、普通に生きていけるって」
「そう、か。まぁお前とあいつとの間にある事は、お前達で解決するべきだ。俺は、応援するからよ」
話せば話すほど、エリシアとロウの見えない繋がりが見える気がして、言葉がぎこちなくなってしまうゴン。
気持ちを誤魔化すために運転に集中しようとすると、エリシアが袖を引っ張ってきた。
「その機会を与えてくれたのは、ゴンが私を見捨てないでくれたからです。感謝してます」
「……お前はいつも必死だった、俺はそんなお前が眩しくて、見失いたくなかったんだよ」
一目惚れしたから、それが一番の理由だ。そして彼女の手助けをしたいと思ったのは、敵に追われる立場でありながらも、諦めようとしない強い意思が彼女の言葉と表情から感じられて、惹きつけられたからだ。
彼女にこだわってる時点で自分はロウと似たようなものなのだろう、ならばロウと違いエリシアが望む生き方を出来るよう、支えていかなければならない。
エリシアのために、その想いを糧にこれから行動していく。
それがロウやマグメル、逆鱗や警察と衝突し競い合って生き残り、彼女の傍にいる事を許された自分のやるべき事だと、勝手ながらも決意するゴンであった。




