遭遇
約一時間前、廃ビルにおいてエリシアの身柄を確保するロウを含む黒づくめの集団、つまりはポーン小隊とラファエラを初めとするマグメルの武闘派超能力者の集団がエリシアを巡って大乱戦を繰り広げた後、その場に居合わせたゴンはどさくさに紛れて廃ビルから脱出していた。
というのもポーン小隊はさすがに慣れた動きであっという間に用意していたと見られる車でビルから逃走し、後に残されたマグメルもそれを追いかけようとしたが負傷者や興奮で我を忘れた仲間達を落ち着かせるので手一杯になっており、その混乱を見計らってゴンは逃げ出したのだ。
「くそ……くそ!」
しばらくふらふらしながら走り、廃ビルが見えなくなったところで路上である事も気にせず大の字になって仰向けに倒れ込んだゴンの口から漏れたのは、悔いるような声。
(なんで逃げ出した……! エリシアに近づく絶好のチャンスだったのに……!)
エリシアを確保しているという黒づくめの集団と遭遇し、彼等を追うマグメルとも協力ではないにせよ行動を共に出来た。だというのに気付けばゴンの足はあの廃ビルから離れる事を選択した。
あのままラファエラやレイナといった連中にくっついていれば、いつかエリシアに再会する時が訪れたかもしれないのに、なぜ。
「……分かりきってる、怖かったんだろ。しょうがないだろ……!」
飛び交う銃弾に巻き起こる超能力による特異現象、鼓膜にこびりつくような怒気と殺気がこめられた声、その全てが今までフリーターとして生きてきたゴンには未経験の迫力と恐怖が伴っていて、体が拒絶反応を示してしまったのだ。
エリシアと会えるかもしれないという期待を押しのけて、身の安全を優先しろという直感に体が従ってしまった。危機察知という点では、本気の殺し合いと呼んでも良かったあの状況から離脱したのは間違った判断ではないと思う。
「どうする、俺はエリシアともう一度会いたいんじゃないのかよ……」
だが、彼の心情は逃亡という体の判断を愚策だと一蹴出来るくらい、あの場に残るべきだったと訴えかけてくる。
今ならまだ間に合うかもしれない、ラファエラ達はエリシアが心を許した相手と一定の評価をつけたからこそゴンにマグメルにとってのエリシアの存在価値を教えてくれたし、戦闘の最中でも見捨てずにいてくれた。
それでも、恐怖に耐え切れなくなってゴンは逃げ出してしまった。
彼女達は迷わず黒づくめの集団の後を追うだろう。周囲の情報を読み取れる力を持つというレイナや、その他にも様々な超能力者が団結すればそれくらい出来てもおかしくない。
合流するなら、急がなければ。
分かっているのに、上体を起こしたところで立ち上がろうとするのを躊躇ってしまう自分がいて、情けなさに歯を食いしばるゴン。
「何ビビってんだ、走って戻って一緒に行かせてくれって頭下げりゃいいだけの話だろ!」
白昼人の目がある中で、わざわざ言い聞かせるために大声で思った事を口にし、体を奮い立たせようとする。
エリシアと再会したところで、彼女の力になれるか分からない。マグメルや黒づくめから逃げようとする彼女のためにゴンがしてやれる事などない。気遣いの言葉をかけるくらいが関の山だ。
それでも、彼女がとてつもなく大きな騒動の真っ只中にいると知って、一度保護しておきながらもう無関係を装うなんて無理な話だった。
一目惚れした少女が未だ彼女にとっての敵の手に落ちているというのに、放っておいて気持ちが落ち着く筈もない。
立て、走れ、戻れ、追え。何度も何度も自分の手足に命令し、恐怖に怯える体を黙らせようとする。
「おーい! ゴンさーん!」
それを邪魔するように聞こえてきた、自分の名を呼ぶ女性の声に気付き、ゴンは我に返って立ち上がる。
正面に見えてきた声の主は、黒いコートを纏い全力疾走して黒髪のポニーテールを揺らす女性。
(あれって警察の……来てくれたのか!)
彼女は駅前でのラファエラ達やマグメルの超能力による乱闘騒ぎに巻き込まれた身としてゴンを聴取した刑事の内の一人で、事件に関する事で何かが分かれば教えてくれと携帯電話の番号を教えてくれていた。黒づくめに襲われ命の危機を察した時、ゴンは衝動的に彼女に連絡していたのだ。
「えっと、ナターシャさん!」
「無事だったのね! マグメルはどこ!?」
「あー……向こうの廃ビルの方です。俺は逃げてきたので……」
「そう、大変だったわね。よく連絡してくれたわ、一体何があったのか教えてくれる?」
肩を上下させ息を荒くしながら尋ねられ、ゴンは先程起きたマグメルと黒づくめの集団による戦闘について話す。
「本当に? こんな真昼間から……君はなぜマグメルと一緒にいたの?」
「え、だってそれは、あっ……」
普通に答えようとして、すぐに失言だったと顔をしかめるゴン。
なぜなら事情聴取を受けた時、ナターシャはマグメルがこの街で発生したテロを起こしたと睨んでおり、そんな奴等となぜ一緒にいたのかと怪しまれても仕方がないだろう。
そして彼女はエリシアをテロの主犯格だと疑っており、事実マグメルのリーダーであるブライアンが彼等にとって弊害となるものの排除といった『活動』にエリシアも参加させられていたと証言していた。
「……エリシアと一緒にいたからって事で、連れていかれたんですよ」
「へぇ、それは災難だったわね。ていうか誘拐? 詳しく聞かせ……」
「そ、そんな事どうでもいいじゃないですか! それより、エリシアを連れ去った奴等がいたんですよ向こうに!」
なんですって!? と目を丸くして思いっきり驚いてみせるナターシャ、やはりエリシアを見つけたい気持ちは強いらしく、簡単に話を逸らせてゴンとしては好都合だった。
「それは誰!? マグメルじゃないの!?」
「黒っぽい服装をして、布で顔を隠して、銃を持ってて……黒いセダンで乗って逃げて行って……」
「銃に黒いセダン……っ、早く案内して!」
「は、はい!」
鬼気迫る勢いで促され、ゴンは反射的に従って元来た道を走り出そうとする。
「っ……!」
だがまたしても、足が止まってしまった。銃と超能力による戦闘の恐怖が後を引き、鉛となって足に絡みつき体を動かそうとしないのだ。
「どうしたの?」
「い、いえ……」
何をやってる、警察の人が一緒に来てくれるというのに、それでもまだ戻る事を拒むのか。
エリシアを連れ去った連中に接触出来、エリシアに再会できる千載一遇のチャンスかもしれないというのに。
そんなゴンの葛藤を、すぐ後方から聞こえてきた甲高いタイヤ音が掻き消す。
振り返って見えたのは紺色のスポーツカー、側面が派手にへしゃげて折角のフォルムが台無しのそれは、どこか見覚えがあった。
「この色に形って……あ!」
どこで見たのか思い出したのと同時、ゴンは弾かれたように体を動かしガードレールを飛び越えて、車道の上に躍り出る。
スポーツカーはすぐに急ブレーキをかけ、白煙をタイヤから発生させながら急激に減速し、車体を器用に道の端に寄せながらゴンから五メートル程離れたところで動きを止めた。
「ちょっと君、何してるのぉ!?」
青ざめた直後に顔を真っ赤にして、ナターシャがゴンの突然の奇行に怒ってバタバタと駆け寄ってくる。
「おいおい青年、他人を巻き込む自殺は感心しないぞぉ」
スポーツカーの運転席から顔を出した男は怒るというより呆れたような言い方でゴンの行動を咎めてきたが、ゴンのはそんな事は全く耳に入っていなかった。
「っ……もしかして! 逆鱗の人……ですか!?」
ゴンの叫びに運転手の男の目が一瞬鋭いものに変わり、若干警戒する雰囲気を表情に浮かび上がらせながら、
「一体何を言ってるのかなぁ? マフィアはこんなボロの車になんて乗ってないだろぉ」
「えっと……俺、逆鱗のベールとクロスって奴を知ってる! エリシアを知ってる!」
何も自暴自棄になって道路に飛び出した訳ではない、この紺色のスポーツカーは駅前での騒動の際にエリシアを連れ去り、その後逆鱗の構成員二人にエリシアの知り合いという事から彼女の元に案内させられる途中に目撃した、黒づくめによる襲撃事件の際に襲われた車、つまりエリシアが誘拐される直前に乗っていた車であると気づいたから、思わず止めに入ったのだ。
「本当ですか!?」
後部座席の窓が開いて体を乗り出すように現れてそう尋ねてきたのは、金髪がよく似合うハーフ系の容貌の美少女だった。
「あっ、あぁ本当だ! ベールとクロスに案内されて、その車が襲われた後、エリシアが連れ去られたのをさっきまで追ってて……」
「という事は、あなたがエリシアの言っていた大切な人ですの!?」
「た、大切って……」
いきなりそんな恥ずかしい事を言われてドキっとしてしまうゴン、しかしエリシアを知っている人間ならばと頼る事にする。
「エリシアを連れ去った奴等が近くにいる。俺はそれを追いたい!」
「ワタクシ達も追っているのですわ! 知っているのなら、早く乗ってくださいまし!」
金髪の少女は迷わず勧めてくるが、てっきり強面の男達が乗っているかと思っていたゴンはマフィアの車から自分と同世代くらいの女の子が出てきて面を食らい、どう言葉を返すべきか悩んでしまう。
「あー、じゃ、じゃあ……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってあなた達! 勝手に話を進めないで!」
後先考えないままエリシアを追うため我を忘れそうになっていたのを、ナターシャが間に割って入ってきて一旦場を落ち着かせる。
「状況を整理して! あなた達、エリシアを追っているというけど、どういう関係なの? 逆鱗の名前が出てきたのはなぜ? マグメルの人間ではないとしたら、エリシアを追う理由は?」
「お姉ちゃん、聞くのはお勧めしないぜ~。厄介事に巻き込まれたくなければな~」
「失礼な、私も当事者です。マグメルの人間にはテロ主犯の疑惑がかけられています、私はその関係者とみているエリシアという名の少女を追っている、警察のものです!」
ナターシャがそう言って懐から警察手帳を取り出し見せつけると、スポーツカーに乗る少女は口元に手をあて驚く様な素振りをする。
「まぁまぁ、警察の方までエリシアを追ってらっしゃるのでして?」
「あなた達こそ、マフィアが彼女を追う理由が何かあるんですか? マグメルが起こしたとされる事件に何らかの関与を……」
逆鱗の人間らしい金髪の少女とナターシャが互いに質問を投げかけ正体と目的を牽制し合う中、ゴンはようやっと自分達が通行人や後続車から悪目立ちしている事に気が付く。交通事故未遂、車道の半分を占領した路上駐車、訳の分からない会話、昼下がりの街中でこんな事をして迷惑でない筈がない。
「青年にお姉ちゃん、とりあえず話があるなら乗ったらどうだい? 素性は知らないとはいえ、追っている人間の名だけは合致しているようだしねぇ」
不敵な笑みを浮かべる運転手の男に一抹の不気味さは感じるが、どのみちエリシアを早く追いかけるためにはこの場に留まっている訳にはいかない、エリシアを追う者同士だと分かっているのなら相乗りしても良いかもしれないと判断し、ゴンは意を決して助手席に乗り込む。
「くっ……本来ならマフィアと行動を共にするなんてありえないけど……目的のためよ!」
ナターシャは警察という身の上のせいで抵抗感はあったようだが、やはりエリシアを見つけたい欲求も強いようで後部座席に乗って金髪の少女の隣に腰を下ろした。




