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彼と彼女の理想

 気絶して倒れ込み動かなくなったマヤの身柄を仲間に任せると、ラファエラの視線は彼女から少し離れたコンテナの集積地の傍に見える、銃を持った兵士達とスーツ姿の男の集団に向けられる。

「てめぇ! ロウ! 今度こそ返してもらうし!」

「フン、鬱陶しい連中だな。それにしぶとい、お前はさっきの戦闘で弾を三発位は食らっていたと思ったんだがな」

「ハッ! 私を殺したいなら脳天一発で当てる事だし!」

 ラファエラ率いるマグメルの能力者達とロウを含む兵士達の面々は、つい一時間前に市街地にある廃ビルの中でエリシアの行方を巡って衝突した。

 マグメル側は超能力を利用してロウ達からエリシアを取り返そうとし、ロウ達はそれを蹴散らさんと対抗して乱戦となった。ロウ達はまんまとその場から逃げ出したものの、ラファエラ達はとある人物からの情報で彼等の居場所がこの湾港であると突き止めたのであった。

「今度こそエリシアを返してもらうし。これは説得じゃなくて宣言なんだし、断るなんて許さないんだし!」

「追いつめたつもりで満足か? お前達もこちらの攻撃が届く範囲にいるんだぞ」

 ロウが眉一つ動かさない無表情のままそう言うと、ラファエラは左手に握っていたスマートフォンを耳にあて、通話状態のままのそれに話しかける。

「レイナ、この辺に隠れた敵とか、そういうのがいるかもしれないから探して欲しいし!」

 ロウには電話相手の言葉は聞こえないが、レイナというテレパスの能力者がいるのは彼も知っている。おそらく彼女に能力を使って得た情報でも求めているのだろうと安易に予測できた。

「ほー、ロウの仲間らしいセコいやり方だし!」

 言葉とは裏腹にラファエラは攻撃的な笑みを浮かべたまま、次の瞬間アスファルトの地面を蹴りつけて猛スピードでロウと兵士達めがけて突っ込んでいく。銃を向けられても高い治癒能力で傷つく事に耐性がついた彼女が怯む筈もなく、呼応するように他の超能力者達も素早く左右に展開した。

「チッ、非常識な連中に銃は脅しにならんか」

 一方ロウはそう吐き捨てると、すぐに兵士達に指示を出して再びコンテナ密集地の中にエリシアと共に姿を隠そうとする。

「逃げるんじゃねぇし!」

 発せられる言葉にはすぐさま殺しにかかりそうな気迫があるが、それでもエリシアに危害を加える訳にはいかないという思いからか無闇に能力等による攻撃は仕掛けてこない。それこそがロウがラファエラ達と対峙してもまだピンチではないと冷静でいられる理由であった。

 次の瞬間、夕闇の橙色に染まり始めていた湾港のコンテナ群に眩い閃光の爆発が巻き起こり、その直近にいたラファエラ達は皆目を潰されないようにと顔を発光源から背ける。

 正体はポーン小隊の兵士が標準装備していたかく乱用のフラッシュグレネードで、ラファエラ達を怯ませるべく投じられたのであった。

 その隙にロウ達はその場から駆け足で走り抜け、ポーン小隊が確保する脱出用の船に向かう。

 この港を脱出し、ポーン小隊が所属する軍の仲間が待つ合流地点まで辿り着けば、ロウ達の勝ちだ。逆鱗も警察もマグメルの連中も、アウロンから出てしまえば奴等が手を出す事は出来ない。

「ポーンリーダー、船までの道、確保してくれ」

『了解だー、マフィアも警察の機動隊も押し寄せてきてごちゃごちゃだー。流れ弾には注意しろー』

 インカムを通じて援護を取り付け、船が停泊している場所に向けて走るロウと兵士達。

 その途中横目でポーン小隊の面々を銃や火炎瓶で攻撃し派手に暴れまくる逆鱗の構成員達の姿を捉え、その苛烈さに苦笑してしまう。

「そこまでしてエリシアが欲しいか、こいつらも」

 一人の超能力者を手に入れようとする各勢力がぶつかり合った結果が、この湾港での大騒動だ。エリシアという存在がどれだけの人間に影響を及ぼしているのかが、縮図となって現れていると言ってもいいだろう。

 その中で勝つのは自分だとロウは決意を強くする。エリシアの事を一番に考え、エリシアのためにと考え行動してきた自分が最後はこの争いに勝たなければならないと、使命感に近い意思が彼を突き動かしていた。

「待ってろよ、エリシア」

 口も身動きも封じられた、かつて同じ超能力者として共に助け合っていこうと志しながら、袂を分かってしまった相手にロウは小さく語りかける。

 ロウがエリシアを手に入れたいと思うのは、彼女を自分の我が者にしたいというマヤの不純なものとは違う。

 彼の口から漏れた言葉はエリシアを励ますような優しい声音が混じっていて、機械的だった今までの彼に明らかな感情の変化が現れている一言でもあった。

 前方にようやっと目的の船が大きく見えてきて、一気に駆け寄ろうとしたところでロウは並走する兵士に肩を掴まれそのまま地面の上に無理矢理しゃがまされた。

「敵です」

 同時に横合いから周囲のコンクリートの地面に叩きつけられる銃弾の雨、飛んできた方向にいたのは他のポーン小隊の兵士の防衛線を突破してきた複数人の男数人に女一人、ラフな格好だったりスーツ姿だったり一般市民らしい格好に似合わぬ柄の悪さと銃やナイフで武装したその姿は、おそらくは逆鱗の構成員だろう。

 すぐさま彼等に向けて船上の兵士から銃撃が放たれ、構成員達が足止めされているうちに船めがけて再び走り出したロウであったが、今度はけたたましいエンジン音が後方から聞こえてきて新たな危機を察知する。

 それは高級そうな紺色のスポーツカーで、銃撃が起きる状況下にも全く怯む事なくロウ達の目の前に滑り込み、船への進路をあからさまに妨害する形でブレーキ音を鳴らしながら停車した。

(あの車体は……街での奪取作戦の時にエリシアが乗せられていたという車に特徴が似てるな)

 その車が現れてから、エリシアが再び強く暴れるようになり、車の方を凝視して驚くのを見てロウは察する。

 ポーン小隊がエリシアを手に入れたのは、逆鱗所属の車から彼女を奪ったからだ。それはアウロンでは逆鱗のお嬢様が乗っているスポーツカーとしてとそこそこ有名ですぐに特定出来るくらい目立ち、目の前に現れた車もその特徴と酷似していた。ポーン小隊が襲撃した時に受けたのか、車体の側面が大きく凹んでいる。

「タテワキ! マルグリテ様を、銃弾の中に、連れていくな……!」

「心配しなくても防弾だって、アイギスちゃんが一番分かってるだろぉ?」

 近づいてきた逆鱗構成員のうち、マフィアらしくないスーツ姿の女性が控え目ながらも怒気をこめて車に向かって叫ぶと、運転手はケラケラとした笑みと共に軽い感じで言葉を返した。

 スポーツカーの後部座席には金髪の少女が見える、おそらくは彼女が逆鱗のボスの愛娘マルグリテだろう。

 そこまでの重要人物が出張ってくる程エリシアが欲しいのか、そんな疑問が浮かぶ間もなく構成員達がロウ達と船に銃を向け、対するポーン小隊の兵士も車と構成員それぞれを銃口で狙い、牽制し合う。

「諸君、拘束している少女を、解放しなさい」

「フン、お前達は何の目的でエリシアを狙っている?」

 丁寧な喋り方をするスーツ姿の女性の命令にロウが質問で返すと、彼女は首を左右に振って、

「いいえ、私達はあくまで、あなた達武装集団が、標的です。その少女は、私達の標的に、含まれていませんから」

 女は躊躇いなくそう言ってのける。引き連れている構成員よりも落ち着いていながらも隙を見せない尖ったオーラを冷たく放つ彼女は、このような荒事に慣れているタイプの人間なのだろうとすぐに分かった。ひたすらに冷徹で、波一つ揺らぎのないはっきりとした攻撃的感情がその立ち姿から滲み出ていた。

「狙いは、俺達の方だって?」

「はい」

『協力者さん、実はさっき逆鱗と思われる奴等から無線を通じて言われた事があるんですよー、逆鱗の大事なお嬢様を傷つけた報復をしてやるって感じの宣言をねー』

 インカムで発言を聞いていたビリーにそう教えられ、ロウは一つ嘆息する。

(名目上は俺達への仕返し、って訳か)

 だが、一度エリシアを保護している事からも考えて百パーセント報復だけが目的とも思えない。わざわざ解放するように要求してくるあたり、エリシアの特異性を逆鱗も理解しているように見える。

「悪いが、こいつの身柄はこちらが預かっている。指図を受ける必要はない。それに状況はそちらの方が不利だと思うが」

「戦況は、関係ありません。私達逆鱗が、命のやり取りをするかどうかの判断は、優勢か劣勢ではなく、目的を達したいかどうか、です」

「立派な意思だが、俺は嫌いだ。無謀を勇気と履き違えるような考え方をする連中は」

「要求に、応じない相手と話す口は、私にはありません」

 そこで二人の会話は途切れ、代わりに明確な殺意が互いの眼光や表情、体全体からどっと溢れ出してぶつかり合う。それはすぐにその場にいる者全員に伝染し、少しでも指を動かせば銃撃が始まり誰かが血を流す未来を待つのみの、緊迫した状況が発生してしまった。

(こいつらは船の上の兵士の狙撃で十分潰せるが、抵抗した弾みでエリシアに危険が及ぶのは避けたい)

 向こうもそれを危惧して迂闊に動こうとしないのだろう、インカム越しのビリーも吐息を漏らすばかりで行動に出るよう指示が飛んで来ない。

 だが自分達がエリシアを諦めるまで逆鱗が待つなんて気の長い事は出来ないだろうし、逆鱗がエリシアを諦めるとも思えない。

 怪我を覚悟で船に突貫するか、そんな考えが頭に浮かんだ時、緊張と殺意が張りつめたこの場の空気にポーン小隊でも逆鱗でもない新たな風が吹き込んでくる。

(マグメルか……)

 ぞろぞろと聞こえる大勢の人物が走ってくる足音に、振り返らずにそう判断するロウ。

「エリシアー!」

 だが次に耳が捉えたのは彼にとって聞き慣れない、しかしつい一時間余り前に一度確かに聞いた、歳が同じくらいの青年がエリシアの名を叫ぶ声であり、反動的に顔を後ろに向ける。

 ロウから十メートル位離れた位置に見えた、こちらに駆け寄ってくるラファエラを初めとしたマグメルの超能力者達に混じって、見覚えのある男の姿が一つ。

「……エリシアを、たぶらかした奴か」

 見間違う筈もない、昨日エリシアをどさくさに紛れて連れ去り、ロウ達の作戦の妨害をした名も知らぬ青年だ。

 エリシアをアウロンから脱出させ、強力な超能力者である彼女にとって最もまともな生き方が出来る環境へ連れて行く、そんな自分の計画を邪魔してきた青年。

 そして会ってからたった一日しか会っていないというのに、エリシアが必死になって助けを求めるくらいに彼女の信頼を勝ち取った男。

「くそ」

 その言葉を呟いた時のロウの顔を間近で見た兵士はこう思っただろう。

 怒り、悔しみ、妬み、憎しみ、様々な感情が混ぜ合わせて作られた、言葉で形容しがたいぐらいに醜く顔を歪めていると。

 やがてロウ達を中心として、前方には逆鱗の令嬢を含む数人、後方にはマグメルの超能力者達、遠方ではポーン小隊の兵士と逆鱗の構成員、駆けつけてきた機動隊が相対して混沌とした喧騒に包まれる中、エリシアを巡る複数勢力が一堂に会する。

「……さて、どうするか」

 正念場だな、とロウは拘束されたエリシアに近寄り、彼女の表情を見つめる。

 自らがどうなってしまうのかという恐怖が九割方を占めた分かりやすい狼狽ぶり、だがそれでもつい数分前までのそれに比べるとマイナス面の感情が抜け落ちているのが分かった。

 理由は簡単だ、今の状況が先程よりも彼女にとって良いと彼女が判断しているから。

「お前は誰に、助けてもらいたがっている」

 この場に駆けつけた者全員が、エリシアを自分達のものにしようと血眼になっている。同じ超能力者として、一人の少女として、余所者には渡さないと殺気立って牽制し合っている。

 そんな彼等の中で、エリシアが助けて欲しいと思っている人物は果たして誰なのか。

 だがそういった疑問が浮かんだ時点で、一つだけ分かった事があって、ロウはつまらなさそうに眉をひそめた。

「そうか、少なくとも俺からは、離れたいんだな」

 独り言にも語り掛けにも聞こえる彼の小さな声にエリシアは首を縦にも横にも振らず、瞳だけを揺れ動かした。

 かつて彼女を迫害から救い、彼女と共に超能力者として強く生きようとしたロウに、彼女は今心を硬く閉ざしている。

 それが分かっただけでも、ロウにとっては気持ちを吹っ切らせる良いきっかけとなった。


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