特事科では当たり前の事
午後七時を夜の繁華街を、一台のワゴン車が何度も車線変更や右左折を繰り返しながら駆け抜ける。
辿り着いたのはビジネスビルの立ち並ぶエリアの中に通る、大通り同士を繋ぐ細い道、既に何台ものパトカーの姿があり、警官や鑑識の人間があちらこちらに見られる。
それらにぶつからないよう速度を落として、ワゴン車は道の端に停止する。
すぐに扉が開き、中から降りてきた運転手は、簡易なシャツとジーンズを覆うように膝上までの丈のある大きな漆黒のコートを羽織り、長い黒髪を後ろで束ねたポニーテールが見る者の目を惹く二十代前半くらいの女性であった。
彼女は早足で規制のテープの前に立つ警官まで近寄ると、懐から取り出した小さな手帳のようなものを見せる。
それは警察手帳、この国の警察組織に所属する警察官である事を示す証であった。
「ご苦労様です」
そして挨拶と敬礼をする時間すら惜しいという感じで、その女性は警察手帳をすぐにコートの内側に納め、流れるような動きで規制のテープをくぐり、奥にいる一人の青年に声をかけた。
「遅れました」
「ん、あぁ、ナターシャちゃん」
ワイシャツ姿の青年が朗らかに笑いながら、黒いコートを着た女性……ナターシャに言葉を返す。
「僕も今きたところだよ、さすが迅速だね」
「事案があった以上、早く駆けつけるのは当然ですから」
「真面目だね、先輩にも見習ってもらいたいよ全く」
そう言って苦笑する青年の名はジャン、ナターシャと同じ職場、つまりは警察組織内での先輩だ。
凛とした態度の彼女とは対照的に、彼の持つ雰囲気は比較的温和なもので、多くの警官が緊張感を持って活動しているこの場においてはやや浮いているように見えた。
二人の目の前、封鎖された道路の上には至る所にヒビが入ったり凹んだりした傷痕や、血が渇いた後のような赤黒い染み、何かが燃えた後らしき焦げ付いた壁など、物騒な痕跡が点在している。
「私達が呼ばれたって事は、ただの不良の行き過ぎた喧嘩という訳ではないんですよね?」
「みたいだね、とはいえ確定でもないけどさ」
彼女達が呼ばれたこの場所で、約三十分前にある騒動が起きた。
午後六時三十分頃、不動産の入るビルと売り手が付かず放置されている空きビルの隙間に走る道路の上で、大勢の人数による暴力沙汰が起きていると警察に通報があった。
警邏中のパトカー二台が現場へ急行すると、欧米系のガタイの良い男達と棒状のもので武装した若者達が乱闘しているのを発見、暴行と傷害の現行犯で駆けつけた警察官が取り押さえようとするも全員逃走を図り、確保には至らなかった。
「連中の一部は飛び道具を持ってたらしいよ、マフィア絡みかな」
「……にしては、救急車が少ないですね」
ナターシャは道の奥に見える一台の救急車を眺めながら呟く。
銃が使われるほどの過激な衝突があったにしては、辺りに飛び散っている血痕は少ない事にナターシャは違和感を抱いていた。
「死亡した者は無し、負傷者は確認できているので一人。ま、実際の銃撃戦はあんま人死なないとか言うから、これが普通なのかもしれないけどね」
あちこちに弾痕があるのを見ても、飛び交った弾丸の数は数多、それでも死人ゼロ怪我人一人というのは、ぶつかった勢力がどちらも銃撃が下手なのか、銃撃戦に慣れている危険な連中なのか。
「その負傷者は?」
「あの救急車で、今組織犯罪科が詰問してますよ。僕達は終わるまで待ってろ、って言われちゃいました」
「……でも、私達が呼ばれたって事は、ただのマフィアの抗争とかではないって事ですよね?」
そうだね、とジャンは控え目な笑顔のまま答える。
マフィア等の犯罪組織が起こしたとされる事件や事案の場合、刑事課の中でも専門の部署・組織犯罪科が担当する事になっている。実際に前方では鑑識に何か質問をしている組織犯罪科の刑事の姿が数人見られた。
ナターシャ達も同じ刑事課ではあるが、彼等組織犯罪科とはまた別の部署の所属なのだ。
「……と、ちょうど先輩も来たみたいだし、ちゃんと説明するよ」
ジャンが振り返るのを見て、ナターシャもまた顔を後ろへと向ける。
丁度大通りから、へろへろとした危うい足取りで歩いてくる一人の女性の姿が目に映り、ナターシャは若干目を細めてぎこちない表情をする。
二の腕まで露わにした白いノースリーブと膝上丈の藍色のスカート、カツカツと音のする黒いハイヒールに左肘にかけられた高級そうな鞄とこれからデートに行くかのような服装をした、ウェーブがかった小麦色のセミロングの女性は、小さくあくびをしてやけにくたびれているように見える。
「んぁーだっる……お疲れさん二人共」
規制テープを超え、右手だけを軽く上げつつも頭は垂らしたままでナターシャ達のそう挨拶をしたその女性こそ、ジャンが口にした先輩、クローネという女性刑事である。
「……またお金貢いでたんですか?」
「誤解される言い方すんなよナターシャ、愛する彼氏と至福の時を過ごしてたと言いなさい」
「お酒を頼むのが前提の彼氏、ですか」
ナターシャは今日は休みだったクローネが今までどこで何をしていたのか、聞かなくても分かっていた。
この先輩刑事クローネは暇さえあればホストクラブに通って金を注ぎ込む、いわゆるホスト狂いである。一晩で年収の半分を使い切った事もあると刑事仲間では噂になっているくらい有名で、本人もそれを隠そうとはしない豪胆ぶりだ。
ナターシャはチャラチャラとした夜の町の事柄には縁が無く、正直あまり関わりたいと思っていないため、初めてクローネがそういう趣味の持ち主だと知った時は、人の勝手だと思いながらも若干引いてしまった。
「キラ君に安いお酒は似合わないのよ、仮にも店のナンバーツーなんだから、それに見合った注文をしてあげないといけないの」
「……まだ二番目なんですね」
「あーうるさいわね! いちいち覚えてんじゃないわよ、キラ君はすぐにナンバーワンになるんだから!」
ジト目を向けるナターシャの頭を軽く叩いて、クローネは緩んでいた目を凝らし、現場を見回す。
「どういう状況?」
クローネの質問にジャンがここで起きた出来事について改めて説明する。
「銃が使われている以外は、チンピラの喧嘩と大して変りないと思うんだけど?」
「確かに。我々がわざわざ呼び出されたのはここでの騒動自体ではなく、その時寄せられた不可解な通報内容によるものです」
綺麗な字面の並ぶ手帳のページをめくって、ジャンは一拍置いてから続ける。
「この場所で乱闘騒ぎが起きている、その旨の通報が五件ほどがあった時の前後、それとは別に八件の気になる通報が警察へ寄せられていたようなんです」
「具体的には?」
気だるそうにしていたクローネの声色に、芯の通った緊張感がいつの間にか現れていた。ホスト遊びモードから仕事モードに移り変わった証拠である。
「組織犯罪科のグエンさんからの又聞きですが……急に火が見えたと思ったら消えていたが二件、ビルの上にいた人間が突然消えたが同じく二件、そして自分の近くの建物等が突然壊れたが四件です」
「は? なんだよそりゃ。いたずらじゃないの?」
「その線は当然考えましたが、証言だけでなく映像としても似たようなものがあるようなんです」
どういう事だ? とクローネが半信半疑のしかめ面で尋ねると、ジャンは懐からスマートフォンを取り出し、画面を見せてきた。
そこには世界的に普及した有名な動画サイトが開かれており、複数の動画のサムネイルが映し出されていた。
「チンピラ共の銃撃戦、アウロンで起きた謎の発火現象、屋上から人が消える衝撃の瞬間……全部この街の映像ですね」
眺めていたナターシャが、ふと気づいて声を漏らす。
「そうです。ほぼ同時刻に、別々のアカウントから、この場所に関する不可解な現象についての映像がアップされているんです」
「ネットの連中がグルになってふざけてるんじゃないの?」
気のせいだと決めつけたいのか、クローネは髪を手で弄びながら水を指すも、ジャンはすぐに首を振る。
「実は二人がここに来る前に、先に駆けつけていた警察官が周囲の市民に聞き込みをしたみたいなんですが、同様の目撃情報を証言したみたいで。端末で撮影していた方もいたようです」
「……不特定多数への聞き込みでも同じ情報が確認されたという事は、いたずらとも思えませんね」
ナターシャはなんとなく、自分達がここに呼ばれた理由を理解してきて、静かに目を細める。
「やれやれ、今月だけで何個懸案抱え込むつもりなのよ、うちの上司は」
「仕方ありませんよ。余所の部署では出来ないから、こっちに回されてる訳ですし」
「こういうのはオカルトライターに調べされりゃいいって、いつも言ってんだけどね」
「オカルトは存在するかどうか分からないものです、僕達が相手をするのは実際に存在する事案なんですから」
「あたしらみたいな部署を天下の警察機関が作るなんて、世も末だよ」
「それでお金貰えてるんですから、ありがたく思いましょうよ」
後輩のジャンに諭され、フンとそっぽを向くクローネ。
そんな先輩達のやりとりを眺めていたナターシャは、ふと周りから受ける視線に気付いて、やや顔を俯ける。
仲間と共にひそひそと喋りながらこちらをいやらしい目つきで見てくる者、怯えたように体を固まらせながら視線だけを向けてくる者、同じ警察の人間でありながらナターシャ達は疎外感のようなものを常に感じていた。
ナターシャが所属する部署は、刑事課の中でも異質な立ち位置に存在している。
本来刑事課は警察の中でも花形だ、ドラマや映画でひっきりなしに刑事ものが作られるのも、大衆の安定した人気を得られるからであり、実際に警官としての素質に長けた者でなければ役割を全う出来ないため、刑事課に選ばれた者はまさにエリート街道を歩いているに等しい。
だが、ナターシャ達はその刑事課所属でありながら、常に他の刑事課の同僚や上司に奇異な目を向けられる境遇にあった。
なぜならば、彼女のいる部署の扱う案件が、通常の刑事とは一線を画すものだったからだ。
「うわああああ!?」
と、突如叫び声と共に建物に挟まれたナターシャ達のいる空間に強い光が瞬いた。
視線を向けると、救急車の内部に赤い炎らしきものが確認出来、それを背に一人の青年が飛び出してきた。
制止しようと近くの警官が銃を構えようとするが、それより早く青年が腕を軽く動かす。
すると警官の手や頭に花火のように華麗な炎が現れ、瞬く間に燃え広がった。
警官達が火傷すまいと炎を手で払って消すのに躍起になっている間に、青年は既に大通りまで後五メートル弱……ナターシャ達の立つ地点にまで迫ってきた。
「……パイロキネシス」
その様子を見ていたナターシャは、ボソリとそう呟くと、既に銃を抜いて対応しようとしたクローネとジャンの前に進み出て、迫ってくる青年と対峙する。
青年は彼女を見るとニヤリと不敵な笑みを浮かべ、それから右腕を水平に振りかぶった。
直後、ナターシャの眼前の空気が急激に熱を持ち、風がその一点に吸い込まれるように流れ出した。
「っ!」
だがナターシャは怯む事なく、立ち止まって一歩退き、羽織っていた黒いコートを素早く脱ぐと、闘牛士がマントを翻すように体の正面にはためかせた。
それから一秒にも満たない瞬間に、コート越しの彼女の顔のすぐ前に、バレーボール程の大きさの火の玉が光と熱を持って発生した。
「なっ……!?」
火はコートの布地に燃え移るも、ナターシャ自身までには及ばず、青年の方はまさかといった驚いた顔で慌てるようにもう一度右腕を振ろうとする。
そこへすかさず、ナターシャはコートを横へ投げ捨てると前に素早く進み出て、左手で青年の右腕を掴んで動きを封じながら右拳で彼の懐を殴りつけた。
呻いて動きを鈍くする青年の腕を取ったまま背後に回ったところで、包帯が巻かれ手当した形跡のある彼の右足を払って体勢を崩させ、うつ伏せのまま身動きを封じる。
「いたたたたっ! くそ、避けられた!?」
ラフな格好をした茶髪の青年は何度か暴れて拘束から逃れようとするも、ナターシャは体全体で圧し掛かって完全に制圧する。
「お前、俺の能力知ってたのか!?」
「……離れた地点への発火能力、でしょう?」
青年の問いに答えたナターシャの声は、どこか冷たく突き放すような淡白なものに変化していた。
「先程警官四人の体の一部にそれぞれ火が点いた、その直前あなたは腕を合計で四回振っていた。四つの発火は全く同じタイミングでは起きておらず、連鎖するように一つずつ点いていった。あなたの腕の動きに呼応するように」
「っ……それだけで」
「その時点であなたは腕を振る事で遠距離への発火現象を起こせると予測し、私は最初にあなたが右腕を動かすのに合わせて防御に徹しました。あなたは人の頭や腕といった上半身ばかりに火を点けていた、視線の向いた先でないと発火を起こせないのか、目立つ場所に点ける攻撃性が出ているのかは分かりませんが、とにかく上半身を守れば安全だと判断しました」
淡々と述べるナターシャの口調は、授業で書かされた作文を読み上げさせられる子供のようにつまらなそうで、感情がまるでない。
「あなたは能力をあえて多くの人間がいるこの場で使った、それは能力を誇示したい気持ちが現れていたからでは? だから一度攻撃を読まれれば戸惑うと思い、私はその隙をついてあなたを組み伏せた。あなたが発火能力を持っているかどうかは、状況を分析すれば出来る、単純な結論に過ぎません」
「……この状態からでも火を点けれるって言ったらどうするよ」
「絶対にありえないとは思っていません、ですが確実に安全な方法で危険人物を抑えられるとも思っていませんので」
「……チッ、お前、能力を見慣れてやがるな?」
万事休すと顔をしかめる青年は舌打ちをしてからナターシャに尋ねる。
「はい」
「くそ、運が悪いぜ」
勘違いをしないでください、とナターシャは付け加え、凍てつくような冷淡な目で彼を見下ろし、言葉を継ぐ。
「異能を持とうと持つまいと、異能を知ろうと知るまいと、同じ悪党ならば対処すべき方法は変わりません。所詮根元の部分は同じなのですから」
抵抗出来なくなった青年の手にコートのポケットから取り出した手錠をかけて、ナターシャは一つ深呼吸する。
「相変わらず手際が良いわね」
後輩の捕り物を眺めていたクローネが肩を竦め、称えるというよりも呆れるような笑顔を向けてくる。
「……仕事ですから」
ナターシャは小さくそう答えると、発火能力者の力を目の当たりにして動揺を隠せない他の警察官を横目に見ながら、青年を立ち上がらせた。
彼女達の所属する部署の名は、特異事件対策科。
近年世間を騒がす『超能力者』によって引き起こされているとされる、通常の捜査では解決できないと判断された事件を捜査し解決する事を目的とする、約一年前に新設された刑事課の部署の一つである。
それは難解な事件に対処するエリート集団と位置づけられているものの、超能力者という未だ不確定な存在を相手にするという事もあり、実際には他の部署で扱い切れない曲者を集めて不可解で対処が面倒な事件ばかりを任せられる、左遷先というレッテルの貼られた、警察の花形とされる刑事課においては異質な存在であった。