戻れない関係
「……うん、んんっ……!?」
エリシアが目を覚ましたのは、鋼鉄の壁に四方を囲まれた薄暗い空間であった。
どうやら両手両足を椅子にロープで縛りつけられているようで、口も布で塞がれてろくに言葉を発する事も出来ない。
狼狽した後、エリシアは自分の能力を使って四肢の拘束から抜け出そうとするが、
(っ……!? 力が、出ない……!?)
望んで能力を使う事などないが、使おうとして使えなかった事など今までなかった。
何らかの異変が自らに起きていると、閉鎖された異様な状況の中でさらに彼女の心が不安に掻き立てられた時、外からガンガンと何かを打ちつける音が聞こえてきて、その後正面の壁から光が漏れて複数の人影が現れる。
「ちょうど起きたようだな」
(……ロウ!)
外の光を背に受けて踏み入ってきた者達の先頭に立つスーツ姿の青年の姿を見て、エリシアはすぐに彼の名を心中で口にする。
「散々他人を巻き込んでおきながら、結局は力及ばず捕まる。なんとも無様な姿だな」
ロウは一言吐き捨ててからエリシアに近づき、口を封じていた布を片手で乱暴に解く。
「んっ! ……なんで……マルグリテさんは!?」
確か自分は逆鱗というマフィアに所属するマルグリテという少女、ワンという幹部との会話から察するにおそらくは組織のボスの愛娘である少女とその付き人に車に乗せられて一人の青年を探していた筈だ、エリシアは今なぜこのような事態に陥っているかを考える。
「車に乗ってて……何か周りが白い煙に包まれて……っ!」
「詰まるところ、連れ去られたという訳だ。残念だったな、家出は終了だ」
「どうしてそこまでして……放っておいてくれないの!」
「決まっている。それがお前のためでもあり、他の人間のためにもなるからだ」
ロウの背後にいる数人の人物は皆銃を持ち口元を黒い布で隠し、感情の欠片もない冷徹な眼差しを闇の中に光らせていた。
彼等とロウは一見接点のない人種に見えるが、とある共通の目的を果たすために現時点では協力関係にある。
その目的を達成する過程で不可欠な存在なのがエリシアであり、達成するための行動として今彼等はこうしてエリシアの身柄を捕えている、彼女もそれを理解した上で反抗的な態度を取っていた。
「ここは、どこ……!」
「湾港の船の上、そこに積んだコンテナの中だ。この街は騒がし過ぎる、とっとと離れなければまた余計なトラブルに巻き込まれるからな」
「能力が使えないのも、ロウのせい?」
「悪いがお前の力は預からせてもらった。加えてこのコンテナは対サイコキネシス用に強度を高められている、確保した超能力者の移送を想定して作られたらしい。お前程の力を持つ者は今まで確認出来ていないようだから、用心しているという事だ」
「っ、嫌! 帰してよ、そこの人達についていって何になるの!」
普段は常に他人に怯えるような慎重な口調のエリシアが、珍しく声を荒げてやや砕けた喋りになっているのは、彼女にとって彼がかつて親交のあった人間であり、今の彼との関係が友好的でない事を理解しているからだ。
「これから向かうのは超能力の扱い方をまともに熟考した奴等のいる国だ。まだオカルトでしか異能を捉えられていないこの国にいるよりはよっぽどマシに生きていけるだろう」
「扱い方って、私をどうするつもりなの!」
「お前の力を狙う輩によってお前の身が危険に晒されるのを避けるために保護してもらう。俺の協力者は超能力を研究して将来的にどんな風に利用出来るかを探し出す国家プロジェクトの指示で動いている軍人共だ、研究への協力と引き換えにお前の身柄の安全は確保するという契約をさせてもらった。お前が俺から逃げたのは、それが嫌だからだったのだろう?」
頷く代わりにエリシアはキッと歯を食いしばってロウを睨みつける。
「だって、信じられる訳ないじゃない! 海外の国とか、国家プロジェクトとか、そんな怪しい奴等の言ってる事を信じてるの!? それに研究って、やっぱり平穏には暮らせないって事じゃない!」
「お前だって見ただろ。こいつらはちゃんと訓練された軍人だ、そんな奴等が異国の地で意味もなくうろうろしていると思っているのか。この数ヶ月俺はその国の裏側に生きるあらゆる人物と接触した、お前を探す特殊部隊の隊長、プロジェクトの主幹、彼等に従う形で生きている超能力者、その上でお前が安心して生きていける環境が手に入ると判断した」
「そんな、研究って訳分からない! 何をさせる気!? やっぱり超能力を使わないといけないって事!? そんなの嫌! 嫌だから私は逃げたの!」
「よく考えろ。俺もお前も元はマグメルにいた。超能力者にとって理想的な社会を目指す、なんて世迷言に酔って超能力者同士で慣れ合い暴れ合う生活に溺れていた。だが気づいただろ、今の世界では普通の社会で普通に過ごせる超能力者なんていないと」
落ち着いた声ながら凄みの伴ったロウの言葉にエリシアは何かを言いたそうな顔をしながらも、ぐっと息を呑む。
「常識を逸脱した力、それを持っていながら通常の世界に生きていれば弊害が起きる。そんな力は破壊や混乱といった形でしか効果を世に示す事は出来ない。その力を使う人間は異常なんだよ、お前はそれを思い知っている筈だ」
「っ……」
「俺もお前も、超能力者が世間に認められるような社会を目指して様々な活動を続けてきた。マグメルの連中の戯言を信じて、マグメルの宣伝と金稼ぎの邪魔をする奴等をテロ行為で攻撃して、結果世間から孤立してきた。だから俺もお前も離脱したんだろう? こんな事を続けたくはないからって」
エリシアとロウは同じ時期にマグメルに所属した。能力が周囲に知られ、除け者扱いされる生活から逃げ出すために同じ超能力者が集まったコミュニティに逃げ込み、そこで初めて自分の力に怯えない者に出会い、彼等と共に生活する事を選択した。
最初は超能力者が社会に認められるための活動というものに漠然とした期待を感じ、これまで迫害されてきた分それは崇高で重要なものにさえ思えていた。
だが日が立つにつれて思い知る、超能力の凶器としての面と自分達の立場の危うさに、いつしかエリシアもロウもかつての希望を失い、テロリストの一員に自分も含まれているという状況に辟易していた。
「……私の力は無駄じゃないって、ロウは言ったよね」
エリシアはポツリと、目を伏せながら彼に尋ねる。
「……あぁ」
「私の力で得られるものがあるって。だから私は親にも友達にも他人にも気持ち悪がられる生活を捨てる事に決心がついて、あなたと共にもっと良い生き方を求めてマグメルに入った」
「そうだ。だが、そんなものなかったからまた一緒に逃げたんだろう?」
「そう。そうだけど……違う。私はもう……疲れたの……! 力を使う事に、力を持っている事を貶される事に、褒められる事に、疲れたから……もう隠れて生きたいの!」
彼女の頬をいつの間にか流れ出していた涙が伝い、水滴となって彼女の衣服に染みを作る。
溢れだしてきた言葉に乗せられた彼女の感情は悲しみではなく、嘆き。普通に生きる事を許されず、超能力者として生きる事にも嫌気が刺し、何もかもから逃避したいという諦め。
「……今のお前では、行く先々で関わった相手を危険に巻き込む。お前が気を許すのは勝手だが、許された相手にとっては災難でしかないと、逃げている間に思い知った筈だが」
ロウが誰の事を指して言っているのかエリシアはすぐに気付き、涙で潤んでいた瞳に焦りの色を灯して、
「ゴンさんとマルグリテさんを、知っているの!?」
「前者は昨日マグメルの連中との乱戦の最中にお前を連れ去ったフリーターの事だろう? 後者は直接は見ていないが、お前を保護した逆鱗というマフィアのボスの娘にそんな名前の女がいるとは聞いた。彼女が外で遊ぶ際に乗る付き人の車は裏社会でも有名で、襲撃するのも容易かったらしいな」
「っ……二人に、何をしたの!?」
「死んではいない。青年はマグメルの連中と一緒にお前を追ってきたから追い払った。少女はお前を連れ去る際に抵抗していたら少しは怪我をしているかもしれないな」
「酷い……なんでそこまで!」
「どっちもお前が一人で逃げ出して巻き込まなければ、超能力者とは無縁のまま生活していただろう。お前を知った人間は必ずまともではない奴等の目に映る、この社会にとって超能力者は普通ではないからな」
最後の部分だけを強調するように言い放たれたロウの言葉に、エリシアは悔しそうに唇を噛み締める。
(結局、私の存在は迷惑でしかないの……? ゴンさんもマルグリテさんも、私が助けを求めなければ……)
普通でない力を持つ普通でない人間だから多くの敵を生み、周りにいる普通の人間に被害を及ばせてしまう。それは力を自覚し力に怯える親や友達から邪魔者扱いされた時から分かっていた、それでも隠し通せば平穏に暮らせるかもしれない、そんな淡い希望を持ってエリシアはマグメルから逃げ出した。ロウは強過ぎる力を持つ自分が無事に生きるための手段として某国の超能力研究プロジェクトに協力する事が最善だと判断し実行させようとしたが、力そのものを使いたくなかったエリシアはそれすらも拒否した。
だが結局逃げた先で出会った人達、自分を助けようとしてくれた人達も能力者としての自分を狙う連中によって危険な目に遭わされてしまった。
この社会に超能力者の居場所はない、ロウの言う事も一理あるのかもしれない。
(ごめんなさい、二人共……でも)
しかし、だからといって、そう簡単に諦められる程やわな気持ちで今まで見知らぬ土地を孤独なままに駆け抜けてきた訳でもない。
「ロウ、あなたも分かってるんでしょ。そこの人達に、私という異能の化け物を手に入れるために使われてるだけだって」
超能力なんて怪しげなものに食いついてくる連中など胡散臭いに決まっている。
一瞬だけロウは顔をしかめたが、すぐに仏頂面を取り戻すと、エリシアが縛られた椅子の背もたれを片手で掴んで彼女の眼前まで顔を近づけてから、静かにこう告げる。
「……言っただろ。俺はお前の保護をしてもらうために協力してるって。一番はお前だ、お前が傷つかない環境が手に入ればそれでいい」
「そんなの……!」
おかしい、と叫ぼうとしたところで、パンパンと両手を叩く乾いた音がコンテナの中に響く。
「んふふ、あまりエリシアを苛めないでくれる?」
コンテナの入り口にはいつの間にかドレス姿の女性が一人立っており、聞き覚えのある声にエリシアは怪訝そうな表情でそちらを見据える。
「お久しぶりですエリシア様、健やかそうで何よりです」
「マヤ、さん……!?」
「えぇ、覚えててくださって光栄です。私、エリシア様が下賤の輩と行動を共にしていると聞いて、神聖なるエリシア様の体が汚されないかと心配していたのです」
腰より先まで伸びた相当長い黒髪を片手で弄るその女性は、自分よりいくつも年下である筈のエリシアに敬語を使い、遜った態度を取っている。
マヤと呼ばれた彼女もまた、以前マグメルに所属していた超能力者だ。エリシアとはあまり接点はなかったものの、マヤの持つ能力は組織の実働部隊において重要な戦力として見られていた事は知っていた。
(触った人が見ている景色を、自分も見る事が出来たんだっけ。薄気味悪い能力だから近づくなって、ロウは嫌ってた筈だけど……)
マグメルから逃げ出した後はどうしているのか分からなかったが、まさかロウと行動を共にしているとは、エリシアは内心驚いていた。
「なんで、ロウと一緒に……?」
「エリシア様を見つけ出すためですわ。私にとって気高き存在であるエリシア様の行方が分からなくなったと知って、いてもたってもいられずに探し続けておりました」
「どうして皆、私を放っておいてくれないの……」
「エリシア様、あなたは素晴らしい力を秘めているのですわ。見世物や単なる武力としか捉えられない有象無象の庶民が蔓延る社会にあなたを放り出す訳にはいきません。あなたはもっと畏怖され、敬愛され、崇拝されるべき唯一無二の少女なのです」
そんな大仰な事を政治家の演説のように口にするマヤの目は妖しげな光に満ちており、狂気を含んだ歪な笑みを包み隠さず弾けさせている。
「……マヤ、なぜここに来た。集合時間はまだ二時間も先の筈だ」
一方ロウは目の険しさを一層強めながら、味方である筈のマヤにそう問いかける。
「んふふ、何を言っているのかしら。私ははっきりと『確認』したわよ、本当の出発時間を。酷いわね、協力者である私にはそれを知らせず待機させようとしてたなんて」
マヤもまた嫌らしい笑顔を深め、意味深げな事をロウに対して言い放つ。
「……お前、仕込んでいたな?」
「んふふ、生憎私は他人を信じない性格なの。協力相手が余所の国の軍隊とエリシア様を勝手に連れまわそうとするあなたなら、尚更警戒して予防策は打っておいて当然だと思わない?」
そう言ってマヤが右腕を掲げると、ロウに付き添う形でコンテナ内にいた武装した男達のうちの数人が突然無言のまま銃を構え、傍の仲間に対してその銃口を向けた。
何事かと銃を向けられた男達が狼狽した直後、鼓膜を震わせる銃撃音が連続して響き、彼等は小さく呻きながらその場に倒れ込む。
「ひっ……!?」
「チッ、何をした!」
護衛であった彼等の半分を失い、もう半分が裏切ったのを目撃したロウは血生臭い光景に怯えるエリシアを背にするようにして身構え、銃を持つ敵と化した兵士達と睨み合う。
「んふふ、私の能力は触れた相手の視界を把握する事、これは嘘じゃないけど本当でもないの。正しくは触れた相手の行動や知覚を全て掌握する事。乗っ取ると言った方が、分かりやすいかしら?」
「フン、お前らしい、下品な力だな!」
「人を操る事が出来るなんて言うと、あなたもポーン小隊の人達も警戒しちゃうでしょう? 所詮、超能力に怯えているような小物ばかりなんだし」
彼女の言葉が本当なら、今仲間を撃ち尚もロウに対し銃口を向けている数人の兵士達は皆彼女の『操る』力によって支配されていると考えた方が良さそうだ。
つまり今、エリシアにとってロウとは別の敵対勢力が現れたという事になる。
(どう、すればいいの?)
身動きが取れず力も使えないエリシアには、ただ事の成り行きを眺めておく以外に出来る事はない。
それが歯がゆくて、自分の無力さが情けなくて打ちひしがれる思いであった。
「何をするつもりだ!」
「エリシア様はあなたのようなくだらない庇護欲に塗れた男や、研究材料にしたい雇い主からの命令を果たすための標的としてしか彼女を見れないこの兵士達なんかに渡す訳にはいかないわ。エリシア様を真に理解出来ているのは、ずっと憧れ見続けてきた私ですもの」
ニヤリと、獲物を丸呑みにせんとする大蛇のようなおぞましい笑みを浮かべるマヤに、エリシアは全身の血液が凍りつく程の恐怖と気持ち悪さを感じ、顔を青くする。
「じゃあ、貰っていくわね」
「っ、させると思うか?」
「さぁ、人のものを奪うだけのあなたに、人を使う私が敗れるとは思えないけど」
撃たれて動かなくなった兵士から立ち上る血の匂いと共に濃密なまでに練り上げられた殺意がコンテナ内に充満する中、ロウとマヤ、そして彼女の操り人形となった兵士達が対峙する。
これから人が殺し合い、血が流れる。自分を巡って、確実に誰かが傷つけられる。
そんな光景、これ以上見たくはないし、そんな悲劇はもう起きて欲しくない。
自分を超能力者として受け入れてくれた人、自分を憐れんで守ろうとしてくれた人、自分を捕まえるために追ってきた人、本来自分とは関わる事はなかったであろう人、全てひっくるめてもう誰も苦しい思いはして欲しくない。
「ま、待っ……、!」
彼等の凶行を止めたい、その思いで囚われの少女が精一杯の声で叫ぼうとしたその時だった。
ズドンとコンテナ全体が何かに衝突されたような震動に襲われ、派手な爆発音が壁の向こうからでもはっきりと聞こえてきたのだ。
「きゃっ!」
「何だ……? 船が揺れてるのか!?」
「くっ、こんな時に何よ!」
ロウとマヤ双方が動揺している、という事はこの衝撃は彼等にとって予期していたものではないという事だ。
エリシアを各々の目的で確保しようとする二人にとってのイレギュラー、それはエリシアにとっては自由を奪われたままどこかへ連れて行かれるという未来に変化をもたらすきっかけに成り得るのでは。
椅子に縛られたまま、物騒な揺れに怯えながら、エリシアはまだ自由になる希望を見出すべく、恐怖と落胆ばかりで埋め尽くされていた心に新たな意志を生み出させる。
ここから逃げ出してやるという、単純明快な強い欲求という意志を。




