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面倒見

「もう少しそれっぽい説明ぐらいして欲しかったですけどねぇ」

 署内の休憩室で微妙に固いソファに腰を下ろしたジャンは、テーブルを挟んでだらしなく足を開いて席にもたれる上司のクローネに向かって苦笑しながら、買ったばかりの缶コーヒーのうちの一本を彼女の前に置く。

「うるさいね、ナターシャは理論派に見えて根性論派だよ。いくら言っても納得したくないものは納得しないんだから」

「それもそうかもですね。で、実際は何を言われたんです? あ、これはナターシャちゃんがしてた追及じゃなくて、興味本位の話題提起ですよ」

「嫌味な奴だよあんたは」

 恐縮です、とジャンが答えてから少し間を置いて、クローネは仕切り直すように口を開く。

「ま、簡単に言えば余所から小突かれたってことよ」

「余所とは?」

「余所は余所でしょ。あたしら警察機構の外にいる、何かの何か。見えないパワーとも言うわね」

「要するに、圧力って訳ですね」

「情けない話だけど、そういう事。結構ヤバイ事に足突っ込んでるのかもね、あたしら」

 いくら天下の治安を守るための公的機関と言えど、何者にも屈しない絶対無敵の組織かと問われれば、それは否だ。警察を統治するお偉い方は全ての犯罪を取り締まりたい訳ではない、暴かれる事で各方面に波及する悪影響を鑑みた上で、裁くべきでないと判断した懸案は察知したとしても見逃す事は決して珍しくはない。

 大手企業の談合、有力政治家による違法な献金問題、明らかに法に反していると分かっていても、世間に知られる事で政界・商業界・経済界等あらゆる分野に不利益が生じる事を避けるために意図的にスルーしろと、そういった命令が遠まわしに下されるのだ。

「その圧力の出所の見当はついてるんです?」

「んー、どうかしらね。ただ、マグメルを捜査する事よりも、マグメルが関わっている事件を捜査する事を嫌がってるように思えるわ」

 クローネの言葉の意味があまり理解出来ず、コクリと首を傾げるジャン。

「だーから、圧力をかけてきたのはマグメルと繋がってる連中ではない可能性があるという事よ」

 彼の疑問を先読みするようにクローネがそう答えると、ジャンは今度は怪訝そうに片眉を動かして、

「マグメルとは別の勢力が潜んでいるって言うんです?」

「あたしはそう見てるよ。だってあのおっさん共、マグメルについてどこまで探ってるかっていう点は殆ど質問してこなかったんだから」

 クローネの言うおっさん共とは彼女の上司にあたる警察の出世組、警察の一挙手一投足を管理し支配する重鎮の老獪達だ。彼等の一声で、配下の部署が抱える事件を揉み消したりする事ぐらい容易い。

 そんな彼等がわざわざ直接『やめろ』と言ってきたのなら、クローネ達の捜査している事件には暴かれると彼等にとって不都合な事情があると見てもいいだろう。

『マグメルが関わっているとされる一連の事件、その関係者として貴様達が目をつけているエリシアという少女がいるな?』

 警察のトップ達しか本来入る事が許されない、窓一つない暗く閉ざされた署の会合部屋に召喚されるな否や、クローネにかけられた言葉はそれだった。

 マグメルではなく、エリシアを調べているかどうかを尋ねられた時、クローネはすぐに悟った。このおっさん共はマグメルに刃向う事に怯えているのではなく、エリシアを狙う別の勢力に恐れをなしているのだと。

「……で、クローネさんは大人しく受け入れたと」

「仕方ないでしょ。やめろと言われてやめませんって言ったら命令違反になるし、あんた達にだって悪影響があるのよ? 減給か左遷されるのがお望みだった?」

「いえいえ。けどあの子はそれでも良いから続けさせろって、噛みついてきそうですけどね」

 にこやかな笑みは崩さないまま、ジャンは会議後すぐに職場からふてくされるようにして立ち去った、部下の若き女刑事の話を持ち出す。

「そりゃそうでしょ。上司であるあたしに、捜査方法に改善余地があるんじゃないかって配属されて二週間目からガンガン注文つけてくるくらい捜査したくてしょうがない性質なんだから、あの子は。だからこれ以上捜査をしないよう、キツく言ったのよ」

「ですが、大人しく家に帰ってくれると思います?」

「……あたしは早退ってなったら、迷わずキラ君のところに行くけどな」

「実際これからそのつもりなんでしょう? 真昼間からホストクラブですか?」

「他の客が少ない店でパーッと! っていくつもりだったんだけど……ちょっと不安になってきたのよね」

 久しぶりに得た暇を趣味に費やそうと内心浮かれ気味だったに違いないクローネは、缶コーヒーを一口煽ってにやけ気味だった顔に冷静さを取り戻してから、自身のスマートフォンを手にする。

「指名の予約ですか?」

「違うわよ、あとキラ君がいる店はそういうの出来ないから! 一応確認しておこうと思ってね、心配になってきたから」

「ナターシャちゃんが、ですか?」

「そう。なーんか、嫌な予感がするのよね。独断専行というか、命令無視というか……そういう感じ」

 正義感、言い換えれば異常なまでに事件解決に執着するナターシャならばもしや、そんな予想を上司であり先輩であるクローネとジャンはずっと抱いていた。

 仕事場を立ち去る際の彼女の、悔しさとやりきれなさに満ちた表情を垣間見たからこそ、そう思うのだ。

「……出ない」

「メール送ってみたらどうです?」

「あの子送ってもすぐ電話で返事してくるのよ。打つより話す方が早いですよねって、この前部署の皆で飲みに行った後にお疲れのメール送った時、お返しに酒癖の悪さを通話で長々と説教されてほんと参ったわよ」

「ははは、まぁクローネさんが酒癖が悪いのは事実ですけどね。すぐ殴ってきますし」

 うるさいわね、とクローネが怒ったところで電話が繋がったらしく、スマートフォンから「はい!」とやけに大きなナターシャの声が漏れてきた。

「あ、ナターシャ? 今何してるの? ちゃんとおうちに帰ってるでしょうね?」

 いつもの調子でそう尋ねたクローネだったが、少しして彼女の顔色はすぐに変わる事となる。

「ちょ……切った! あの子、今忙しいんでって言って切ったわよ!」

「うーん、何か変な感じがしますね」

 いよいよ悪い予想が現実味を帯びている気がして、ジャンもクローネも顔を見合わせる。

 可愛い部下の暴走は止めるのが上司の役目、ナターシャが命令無視で突っ走っているとしたら止めなければならない。

 クローネは大きな溜め息を吐き出すと、残った缶コーヒーの中身を飲み干してから、「あぁぁぁぁ!」と野太い声で叫んで、

「あの子みたいな真っ直ぐな気持ち、あたしには分からないわねー。お金がもらえそうって理由で警察目指したから、警察になってやりたい事とか特になかったしね」

「クローネさん無駄に頭良いから、忙しい刑事課に配属されちゃったんですね」

「ゆくゆくは生活指導課で不良少年の説教に日々を費やしたいって本気で思うわ。てか、馬鹿にしてるでしょ」

「頭良いって褒めたじゃないですか。ま、やりたい仕事をやるために働いてるのか、金を稼ぐために働いてるのか、僕も分からなくなってますよ」

「でもあの子は職を持った上でも野心がある。犯罪を取り締まりたいってあれだけ強く想ってる子、そうそういない」

 いないからこそ、潰してはいけない。つまらない事で権力者共に目をつけられて、彼女のキャリアに余計な横槍や妨害を起こさせたくはない。

 クローネはソファに埋めていた腰をゆっくりと上げて、空になった缶コーヒーをゴミ箱に捨てに行く。

「どこに行くんですか?」

「杞憂ならいいんだけど、あたしが責任取らされたくはないからね、ちょっと働かないと。昼間から彼氏に会いに行っても雰囲気出ないし」

「まだ五時になってないですし、働くのは当然なんですけどね。僕も付き合いますよ」

 ジャンも続いて立ち上がり、彼女と共に休憩室を出ていく。

「手のかかる子だよ、本当に」

 独断で何か面倒事に首を突っ込んでいる部下がトラブルを事前に抑える。

 上司としての責務を果たすために、二人は重い足取りのまま署を後にした。

(それにしても、エリシアって女の子、一体なんなの)

 マグメルが関わっているとされる特異な事件、捜査する段階でそこに名前が浮かんできたエリシアという少女。

 名前、姿、能力、全てがはっきりとはしていないが、各事件のどこかで必ずそのどれかが現れ、被疑者側として何らかの関与はしている。

 潜入や聞き込みで聞き出した情報や手に入れた資料、そして事件の一部始終を捉えた映像や写真に存在が確認出来、マグメルの深い部分にいたとされるエリシア。

 それに関わってもろくな事はない、それが関係している事件を調べても良い事はない、捜査中止を言いつけられて確信した。

 そんな不気味な事件に、部下を必要以上に突っ込ませる訳にはいかない。

 クローネは高まる危機感に急かされるように、進める足を無意識に早くさせていた。


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