その名はロウ
途端にその場にいる者全員の目が殺気立ち、立ち上がって周囲を警戒する素振りをし出す。
「な、なんだよ」
「うっせ! レイナは周りにいる奴の考えてる事が分かるって言ったし! だから敵が来たってのも気づけるんだし!」
近くの人間の考えが分かるなら、その人物が自分にとって無関係の相手なのか、自分に害を及ぼす危険な存在なのか、そういった区別も出来るという事らしい。
レイナが勘付いた何者かはどうやら近くにいるらしいが、具体的にどこにいるかという位置情報までは分からないようで、彼女の仲間達のうちの数人がそれを特定するためにオフィスから出ていく。
「ブライアン様、一旦通信を切りましょう」
『仕方ありません、十分警戒してください。一時その場から離脱を、その際相手の素性を出来るだけ探るように』
リーダー格の青年に一言命令を出すと、それきりタブレット端末からブライアンの声は聞こえなくなった。
「うおっ!?」
同時にゴンはラファエラに首元を掴まれ身動きを封じられる。
「なんだよ!?」
「勝手に動かれたら困るし、じっとしてろし!」
正直自分だけでもここから逃げ出したかったが、いかんせん状況が飲み込めず動こうにも動けないゴン。
そうして動揺していると、耳をつんざくような複数の叫び声が聞こえてきて、一気にその場の空気が戦慄する。
不安を煽られゴンが腰を引かせていると、バタバタという大勢の人間が駆ける足音がした。
「来た……!」
レイナが一層険しい目をして呟くと同時、オフィスの入り口に現れたのは、右腕に銃火器を抱えた全身黒づくめの集団だった。
ついさっきエリシアを連れ去った連中と全く同じような身なりをしている事に、ゴンを初めその場にいるマグメルの人間達全員が一瞬にして気づいたらしく、
「フライン!」
リーダー格の青年が誰かの名前を叫ぶと、マグメルの連中のうちの一人が周囲を見渡し窓の外に目を向け、意を決するような険しい表情をする。
直後、ゴンは体全体に奇妙な浮遊感と共に視界に映る景色が大きく乱れていくのに気付く。
そう思った時には自分が立っていた筈のビルのオフィスが遠くに見え、隣のビルの廊下にいつの間にか立ち位置が移動しており、全く状況が読み込めない。
「突っ立ってんなし!」
ゴンの周りにいた人間もエリシアを連れ去った連中が入ったとされるビルの中に瞬間的に移動していたようで、ラファエラに横合いから叫ばれながら首根っこを掴まれ、彼女の仲間と共に廊下を走らされる。
「お、おい! 今のなんだ、どうなったんだ!?」
「テレポートだし、それぐらい分かれし!」
「分かるかよ!」
「あ~うるさい! いいから今は走って、それから探す事だけ考えろし!」
「何をだよ!」
「てめぇが気になってしょうがないエリシアに決まってるし!」
ラファエラにそう怒鳴られて改めて気が付く、ゴンが今いるビルはエリシアを連れ去った連中が入っているとブライアンが口にしていた建物、それはつまりエリシアもこのビルの中にいるという事と同義と言ってもいいだろう。
ならば、このまま廊下を走り回っていれば、いつかエリシアに出会えるかもしれない。
一瞬期待を抱くゴンだったが、同時に自分が今敵陣の只中にいるというのもまた事実だ、気を緩める事など出来ない。
先程までゴン達がいた、向かいのビルのオフィスを振り返ると、数回銃撃音と共に眩い発光がした後、窓の陰から複数の人影がこちらの覗き込んでいるのが見えた。
「っ……あいつ等、襲ってきたのか?」
「そう。エリシアを取り戻そうとするあたし達が邪魔だと思ってる、あたし達の敵」
後ろに走ってついてきていたレイナが、独り言として呟いたゴンの言葉に答えてくる。
「敵って……お前等以外にもエリシアを狙う奴等って事か」
「詳しくは分からないけど、多分この国の人間じゃない。エリシアの力を利用しようとしてる海外の、しかもこういう事になれてる人達」
「こういう事って?」
「人を連れ去ったり殺したり、そういう汚い事。あたし達と比べ物にならないくらい、底が見えない」
確かにあの黒づくめの集団は、まるで軍の特殊部隊のように俊敏かつ無駄のない動きでエリシアの身柄を確保し、連れ去った。オフィスに突入してきたのもおそらく邪魔者であるゴン達を潰すためだろう。
エリシアはマグメルから逃げていると同時に、もう一つ別の勢力からも逃げていた。それはゴンが彼女と初めて遭遇した時に確かに認知していたが、その勢力の正体は分からずじまいだった。
「……エリシアは、自分を狙ってるって事以外は知らないって言っていたんだが」
エリシアを保護して家に招いた時、彼女を追う者達の正体を尋ねても、彼女は曖昧な返答しかしなかった。
黒づくめの集団はどう見ても危険な人間で構成されている、もしかするとマグメルよりも、関わってはいけない相手かもしれない。
だからこそゴンは知りたかった、エリシアを追うもう一つの勢力の正体と、エリシアを追う目的を。
「お前等は、あいつ等について何も知らないのか?」
リーダー格の青年に続く形で無機質な灰色の廊下を何度も曲がり階段を降ったりする最中、ラファエラ達の反応は予想の斜め上を行くものだった。
「そらぁ、あれだろ……あー」
息を吐くように柄の悪い言葉を吐くラファエラが珍しく声をまごつかせ、目を泳がせている。
知っているなら知っている、知らないなら知らないとラファエラならすぐに言い返してきそうなのだが。
「……」
心が読める以上ゴンの質問が聞き取れなかった訳でもないだろうレイナは、こちらを一瞥するだけでグッと口元を紡ぐだけだ。
なぜだろうか、ゴンとマグメルの連中が共に駆けているこの状況に漂う空気が、ギュッと引き締まってより居心地の悪いものに変わったような錯覚をゴンは感じていた。
「っ、止まれ!」
と、先頭として先に階段を降り切っていたリーダー格の青年が焦るように叫ぶと同時、連続した銃撃音が今度は間近ではっきりと鼓膜を揺さぶってきて、怯んだゴン達は揃って足を止めてしまう。
階段を降りてきたところを狙うように、銃で武装した黒づくめの人間が数人廊下で待ち伏せており、こちらの姿を見るや発砲してきたのだ。
「ワイズ!」
直前にリーダーから名を呼ばれた若い少年は銃を向けられているにも関わらず前に飛び出ると、次の瞬間相手の持っていた銃がまるで見えない糸に引っ張られるかのように天井に向きを変え、持ち主の頭上めがけて弾丸を放った。
廊下の天井に無数の弾痕が刻まれる中、マグメルの連中は前方に現れた武装集団と睨み合い、殺気を互いにぶつけ合って対峙する。
「おい、マジかよ……シャレにならないっての……!」
こんなアクション映画みたいな展開、自分が味わうはめになるなんて予想出来る訳もなく、バクバクと心臓の鼓動が嫌に大きな音を伴って激しくなるのが分かった。
これからどうなるのか、まず生きてこの状況を脱する事が出来るのか、考えれば考える程恐怖が現実味を増して体が震えそうになるゴン。
「相も変わらず、偽善者ぶったテロ行為に励んでいるようだな。貴様等は」
そんな中、緊迫したこの空間の雰囲気を穿つように、一人の男の低く重たい声がその場にはっきりと響く。
声がしたのは後方、どうやら背後からも敵の黒づくめの連中が迫っていたらしく、階段上で挟まれてしまう。
本格的にまずいと思う中、ちょうど階段の中腹部に立つゴンとラファエラ達は、階段の上に立つ声の主である男の姿を確認する事が出来た。
傍に立つ動きやすさを優先した黒い服装の銃を持つ者達とは対照的に、彼はビジネスマンのようなスーツ姿をしていて、こんな硝煙の匂いの漂う場所に不釣り合いなまでに身なりの整った容姿をしていた。
テロリスト紛いの超能力者の集まりや銃を持つ特殊部隊じみた連中ばかりのいるこの空間において、彼だけは場違いな雰囲気を漂わせていた。
「あ、お前、あの時の……!」
その容姿と異質な雰囲気でゴンは思い出した、エリシアと遭遇した時、彼女に掴みかかっていた男こそ、今階段の上でこちらを見下ろしてきている奴であると。
「ロウ! てめぇどの面下げて出てきやがったし!」
「お前達が乗り込んできただけだろう、コソ泥同然のようにな」
「うるせぇ! 裏切り者が偉そうに語るなし!」
男の姿を見た途端、ラファエラが烈火の如く怒りを露わにして声を上げると同時、手にしていた銃を彼の方へと向ける。
「エリシアはどこです」
「さてな、能力で探ってみればいい。お前等お得意の力に頼ってみれば、すぐに分かるだろう」
マグメルのリーダー格の青年の言葉にスーツの男は自身の頭を指で小突いて嘲るように答える。
「っ……駄目、ノイズがかかってる」
他人の思考が分かる筈のレイナだが、現れたスーツの男の考えはなぜか読み取れないらしく、ヘッドホンにあてた手に力を入れて不機嫌そうに口元を歪めた。
「ずりぃぞてめぇ! そっちだって能力者がついてんだろうが!」
「使い方の問題だ、お前達無法者よりはよっぽど力の有用性を知っているぞ、俺の協力者は」
「ハッ! どうだっていいし! それよりエリシアを返せし!」
「お前達にあいつを任せていると、ただの破壊者になりかねない。悪いが去ってくれ」
「エリシアを訳の分からない余所者に売ろうとしてるてめぇにだけは言われたくないし!」
ヒートアップするラファエラと涼しげにそれをいなすスーツの男、会話の内容を聞く限りあの男はマグメルとなんらかの接点があるように思えた。
(裏切り者、エリシアを売る?)
穏やかじゃないワードにゴンは益々彼に対する不信感を強めていくが、彼がエリシアとも関係のある人物である以上、その素性は知りたかった。
エリシアもマグメルから逃げ出した立場にあったが、そのエリシアを追っているこの男もまた、マグメルと繋がりがあったというのか。解けない疑問に頭を悩ませていると、彼の傍に立つ武装した男達が膠着状態を見かねたのか銃口をこちらへと向けてきて、一度思考が停止する。
スーツの男は黒づくめの連中を片手で制し、それから袋小路の鼠と化したマグメルご一行をじろりと見まわし、
「そうか。お前がエリシアをたぶらかしたのだな」
ゴンめがけてひたすらに凍てついた眼差しを浴びせながら、淡々とそんな言葉を口にした。
「は? 何言ってんだよ、てかお前誰だよ!」
「名乗りなら後でしてやる。お前はエリシアを黙らせるために使う、だから少しじっとしていろ」
そして武装した男達を制していた右手を下ろすと、今度は軽く顎を動かして抑揚のない声で命令を出す。
「あの男以外は処理して良い。殺すのも捕まえるのも勝手にしろ、だがあの男だけは絶対に殺すな」
明確な殺意の示された言葉を聞き、黒づくめの連中がコンピューターで管理されたロボットかのように洗練された動きで躊躇いなく銃を構え直し、こちらを攻撃する態勢を取る。
(やられる……!)
まずい、と頭では分かっているが、次にどう動くべきかという疑問に対する答えが浮かんで来ず、体が石のように固まってしまって動けない。
「させないから」
そんな彼の不安を読み取ったように、傍まで近づいてそう囁いたのはレイナ。
「舐めてんじゃねーし!」
続けて叫び声を上げたラファエラに続いてマグメルの仲間のうちの誰かが一度階段の上で片足を叩きつけると、辺り一帯に眩い閃光が発生し、ゴンの視界がホワイトアウトする。
「うっ、おわぁ!? いっ……!」
視界が戻るよりも先に体に感じる重力、それが下の階に向かって自分が落ちている証拠だと気づいたのは上手く着地出来ずに廊下で左足首を痛めた後であった。
「エリシアを探して、それから逃げる!」
リーダー格の青年の声に従うように皆走り出し、ゴンもラファエラに引きずられるような形でついていく。
「お、おい……」
「なんか知らねぇけど、ロウの野郎はてめぇを狙ってるみたいだし! だから思うようにはさせたくないし!」
ロウ、というのがスーツを着た男の名前なのだろうか。やけにラファエラは彼に対して敵対心を剥き出しにしているように見える。
「お前等、その感じだとあいつが誰なのか知ってんだろ? どういう奴なんだよ」
「今聞くなし!」
「俺にとっちゃ大事な事なんだよ! 答えろって!」
今を逃すとこいつらと話す機会があるかどうか分からない、命を取られるかもしれない状況の中でありながらも、ゴンは聞かずにはいられなかった。
「チッ、面倒くせぇ奴だし!」
ラファエラは大きく舌打ちして顔を逸らし、それ以上何かを口にしようとはしない。
「……知ったところで、得はないと思うけど」
代わりにレイナがそんな前置きして、走る事に慣れていないのか他の仲間よりも大きく息を乱しながら、こちらの目を見てくる。
「ここまで巻き込まれて、損も得も気にしたりなんかしないっての。ただ、知りたいだけだ」
「……そう」
レイナは荒くなった息を胸に手を当てて落ち着かせてから、やがて気が乗らない風を隠さないながらも、ゆっくりと口を開いた。
「あの人は、エリシアをマグメルに引き入れ、マグメルから逃げ出す手引きをした張本人」




