姫と彼女の邂逅
「まぁ、まぁ、まぁ……!」
口元に手を当ててお上品に驚いて見せるマルグリテ。
対照的に彼女と向かい合って座る亜麻色の髪の少女・エリシアはバツの悪そうな顔を浮かべていた。
「あなたは特別な力を持っていて、マグメルの行ってきた『活動』に協力してきたと、このような解釈でよろしいのでしょうか?」
「はい……」
予想よりあっさりとエリシアはマルグリテに対して、自分がマグメルの人間であった事を認めた。見張りの男達を部屋の入口まで遠ざけてマルグリテにしか話が聞けないような状況を作った事に加え、一応ピンチから救ってあげたという恩が功を奏したらしい。
とはいえ、能力を使ってダメな事をしてきたといったニュアンスの抽象的な表現ばかりで、何がどのように悪いのかを尋ねると口籠るだけで教えてはくれない。
「では、あなたを先程追いかけていた方々は、あなたがマグメルにいた事と関係があるのでしょうか」
「……追いかけてきた人達が、マグメルの人達です」
「なんと! あなたは身内から追いかけられていたのですね! それはなぜですの?」
「……私が、マグメルから逃げ出したから、です」
「つまり、脱走したのですね!」
何度も学園から脱走してきた経験から、何かから逃げる境遇のエリシアになんとなく親近感が沸き、マルグリテの目が輝く。
「ち、ちなみに、その能力を……見せてもらう事というのは、かか、可能でしょうか……?」
手をわきわきさせる怪しい動きをしながらにやつくマルグリテがそう質問すると、エリシアはあからさまに目を伏せて、
「……見世物では、ありませんので」
「あ、あぁ……も、申し訳ありません。ワタクシったらはしたない真似を……」
苦笑いを浮かべて取り繕うマルグリテ。
だが超能力という言葉が現実にあると認識にされつつある現代でも部類としてはオカルトに含まれ、絶対にあるという概念には至っていない。人は経験した者のみが奇跡を信じる生き物である、マルグリテもその原理に従いなんとか現実の超能力を間近で目撃したいという欲求に駆り立てられていた。
「えぇっと……そんな能力があれば、追手を蹴散らす事も出来たのではないかと私は思い至ったのですが、その辺りはどうだったのでしょう」
さらに彼女の秘密について問い詰めようとしたマルグリテだったが、そこでエリシアの様子に変化が起きている事に気が付く。
「ひっ……くっ……」
聞こえてきた嗚咽は、エリシアの可愛らしい口元から漏れてきたもので、見ると彼女は目頭に涙を浮かべている。
「あのぉ……エリシアさん? どうかされましたか?」
「っ……ごめんなさい……」
マルグリテの言葉ではなく、ここにはいない誰かに対して謝罪するような言葉を返す。
「なぜ謝っているのですか?」
「……私のせいで、あの人を危険な目に……!」
「あの人、とは?」
「私を、助けようとしてくれたんです……でも、追手に襲われて、私だけあそこから逃げて……」
そこまで聞いて、マルグリテは「あっ」と思い出す。
駅の駐車場でエリシアを助けるためにタテワキに車で突撃させた時、彼女を追いつめる者達と敵対するように身構えていた青年が、そういえばいたような……。
エリシアにばかり気を取られて忘れていたが、彼女が泣きながら身を案じるのなら余程大事な人間なのだろうと、都合よくその者の存在を思い出すマルグリテ。
「あの場にいた殿方は、あなたのお仲間ですの?」
「……助けてくれて、庇ってくれて……でも私、迷惑かけただけで、そのまま自分だけ助かって……」
「あなたが追手から逃げるのを手助けしていたと?」
涙をぽろぽろこぼしながら、エリシアは力なく頷く。
(う~ん、この方を落ち着かせるためには、彼女を助けたという殿方とやらも助けてあげるべきなのかもしれませんわね)
精神的に不安定そうなエリシアから超能力の事を聞き出したいマルグリテだが、今の彼女には心の余裕が皆無なように見える。まずは彼女の消えない警戒心を少しでも解すのが大事だと判断し、思いつきである言葉を口にする。
「では、その方を探して、一緒に保護してしまいましょう!」
「……え」
「マフィアという人間は友好的な関係の者には出来る限りの礼を尽くす組織です。あなたを助けた以上、あなたの仲間も助けなければ逆鱗の名が廃ります!」
「で、でも……私……マグメルはその、逆鱗と……」
「うん?」
この時マルグリテはすっかり忘れてしまっていた、というよりどうでも良いと思っていた事だが、逆鱗は先日マグメルによって傘下のカジノを襲撃され、マグメルを敵勢力に指定している。
そしてマルグリテがこの部屋に入る前にワンの側近アイギス主導で行われた聴取やマルグリテ自身に対して、エリシアはそのマグメルの人間である事を認めた。つまりエリシアはマルグリテにとって、敵の人間以外の何物でもないのだ。
既に脱退したと宣言したとはいえ、エリシアは敵の陣中で敵の人間から保護されている今の状況に困惑を隠しえないのだろうが、彼女の超能力という点にばかり意識が向いているマルグリテはそういう彼女の気持ちに気付けてはいないようだ。
「ちょっとちょっと、お嬢様!」
そこへ、控えていたタテワキが内緒話をするような抑えた声でマルグリテに話しかけてくる。
「さすがにそこまでやるのは、まずくないですかねぇ……」
「何を言うのですタテワキ、そんな薄情な事を口にして、歴史ある誇り高き逆鱗の人間が一人の少女を見捨てろというのですか!?」
「別に人助けが悪いなんて言ってないですよぉ、でも忘れたんですかぁ? この子は……」
「……?」
少し考えれば分かるだろうという事をタテワキは視線で伝えようとするが、それでもマルグリテはきょとんとするに留まった。
「ん~……敵って事ですよ、もうお忘れになったんですか。マルグリテ様」
その代わりに、部屋の扉の向こうから聞こえてきた男の声が、タテワキがマルグリテに伝えようとしていた事をはっきりと明言する。
ハッとしてマルグリテ達が振り返った時には既に部屋の扉が開かれ、その奥に逆鱗の幹部のワンと側近のアイギスが複数の構成員を連れて立っているのが見えた。
「なっ……ワンさん、何でしょうかいきなり。ご無礼ではなくて?」
「んん~……マルグリテ様が無鉄砲な行動に出ようとしている旨の言葉が聞こえまして、これはいけないと思いましてね」
「聞こえて……? っ、タテワキ、テーブルの下を確認なさって!」
マルグリテの指示にタテワキは「へい」と返事して近くにあったテーブルの裏を覗き込み、そして何かを見つけてそれを手にする。
「これって、盗聴器って奴じゃないですかぁ?」
彼の手が掴んだのは手の平サイズの黒い長方形の物体で、タテワキが盗聴器だと断定しなければ何なのかマルグリテには全然見当がつかなかっただろう。
「まさか、仕込んでいたのですか? 一体なぜこのような場所に……」
「んんん~……マルグリテ様がその女に強い関心を抱いているようでしたから、念には念を入れて、ですよ」
「ワンさん、なんて趣味の悪い事をなさるのです」
「ん~……でもそれがあったから気付けたんですよ。マルグリテ様が、敵の人間のために勝手な厚遇をしようとしている事にね」
どうやらマルグリテがエリシアのために、彼女がマグメルから逃げるために協力してくれた人物を探してあげようとしたのが盗聴器を通してワンに聞かれてしまっていたらしい。
「……人聞きの悪い事を仰いますね、ワタクシは困っている少女のために出来る限りの配慮をしようとしているだけですのに」
「んん~……マルグリテ様、あなたの通っていたクーロン女学院は一応偏差値の高い名門学校だった筈ですがね。その都合の悪い事柄を聞き流す思考までは矯正出来なかったようで、自分は残念ですよ」
普通なら幹部がボスの娘に対してなんて失礼なと思われるようなワンの言動だが、傍に仕えるアイギスや他の男達は眉一つ動かさずロボットのように澄ました顔のままだ。一方のマルグリテも彼の侮辱に近い言葉に大した反感を抱いている節もない。
昔はワンも丁寧な敬語でマルグリテに気を遣う喋り方をしていたが、彼女の好奇心による無鉄砲な行動に何度も振り回され、それによって同じ幹部の連中や他の組織の人間から嘲笑されてきた結果、その元凶であるマルグリテへの喋り方が捻くれたものになってしまった。マルグリテもその辺りはあまり気にしていないため、周りもそれに慣れてしまっているのだ。
「その少女は、マグメルの人間です。マグメルは、逆鱗を敵性勢力と認めています、適切な理由がない限り、親しくする事は、認められていません」
おそらく聞き分けのないマルグリテへの苛立ちを抑え込んでいるであろうワンの代わりに、アイギスが抑揚のない声で事務的に的確に彼の言いたい事を口にする。
「エリシアはマグメルから抜けたと証言していましてよ?」
「事実なのか、虚言なのか分かりませんが、マグメルに所属し、活動に参加していた時点で、彼女は只者ではありません。何より、同志に危害を加えた可能性が、あるのですから」
アイギスはそこまで言って、視線をマルグリテからエリシアへと移す。
エリシアはアイギスの凍てつくように冷たく、それでいて余計な感情が混在しない敵意に満ちた眼差しに穿たれ体を震わせ狼狽える。
「どういう事ですの?」
「んんん~……我々がなぜ彼女の容姿や名前を予めキャッチしていたか分かりますかね。トンフーの賭場襲撃の際に現場にいた構成員の証言を頼りにリストアップした犯人の顔や情報を頼りにこの数週間我々は捜索してたんですよ、見つけて裁いてやるためにね。その中の一人の情報に、彼女と名前も容姿もほぼ一致したんですよ。マルグリテ様が見たという超能力の類とやらまでね」
「なん、ですって……?」
まさか、と思ってマルグリテがエリシアの方を見ると、彼女は青ざめた顔に決まり悪い表情を浮かべ、誰とも視線を合わせないよう足下の床の方を向いたまま、あからさまに怯えている様子だった。
「ん~……さっきもそれについて問い質したんですが、黙秘されてしまいましてね。だからもう一回尋問しようとしていたんですよね、同志達が負傷した対価を払わせるべき相手かどうか、見極めるためにね」
対価を払わせるという言葉が何を意味するのか、勘付けないほどマルグリテも鈍感ではなかった。
逆鱗に限らず、マフィアは所属する者全員がいわゆるファミリーと呼ばれる、仲間であり家族であり運命共同体と言っても過言ではない。それだけ強い繋がりを持たなければ、常に警察と凌ぎを削りながら縄張りである地域を支配し資金を多く調達し、そして外敵を排除するための勢力を維持する事など出来ず、故に貢献する者は歓迎し裏切った者には慈悲のない罰を与える。逆鱗はそうやってこの国の各地で繁栄し、各分野にパイプを持つ一大マフィアと成ったのだ。
そんな司法ではなく精神的繋がりで出来上がった組織だからこそ、仲間を傷つけた敵に容赦する事は許されない。ケジメをつけなければ敵にも味方にも、逆鱗という組織の団結力を問われ、名を怪我してしまう事になるからだ。
「では、阻むと言いますの?」
「んん~……彼女に協力していた人物は、つまりはマグメルから彼女が逃げる事を手伝っていた者という事ですね?」
ワンの言葉にエリシアはどう答えれば良いのか分からないようで、彼を一瞥するに留まる。
「んんん~……見方を変えれば、その者は彼女を取り戻そうとするマグメルを邪魔する者と解釈する事も出来そうですね」
だが、次に発せられた彼の言葉に、エリシアはこの建物に連れてこられて初めてはっきりとした感情を表情に現した。
焦り、その一言がとてもよく似合う、可憐な顔に冷や汗と狼狽が溢れだしていて、それはワンの意図を汲み取った事を意味していた。
「そっ……違います、私が巻き込んだだけであの人は……!」
「ん~……この際事実は関係ありません。どんな風に相手に捉えられるかが肝心なんですよ」
「うん~? ワンさんは一体何を目論んでいるのでしょう、タテワキ」
首を傾げてマルグリテが尋ねると、タテワキはバツの悪そうな顔をしながら、
「つまりですねぇ、そのエリシアという少女を連れまわしたのは我々逆鱗ではなく彼女の協力者、悪いのはその協力者であって自分達に決してマグメルに敵対する意思はありませんってアピールしようとしているって事ですよぉ」
「な、なんですって……!」
タテワキの言葉を聞いて、マルグリテはなんて卑劣な目論みなのだと驚愕し、ワンの方へ振り向いた。
「ん~……言い方に悪意があるぞタテワキ、お前もマルグリテ様の奔放ぶりに毒されたか?」
ワンは本来口が悪い方だ、マルグリテがボスの娘という事もあって一応敬語を使っていたが、言葉の節々に面倒臭さが滲み出ていたのは無理して丁寧な喋りをしていたからである。
「あっはっは、ワンさんも手厳しいですねぇ……」
タテワキも『マルグリテがいない時』のワンの怖さを知っているため、あんまり下手な事は言えず苦笑いを浮かべる。
「タテワキ、その目障りな機械は処分してくださいまし。今すぐに」
へいへい、とタテワキはワン達に軽く会釈してから足早に部屋を立ち去っていく。
わざわざこのタイミングでタテワキに盗聴器を捨てに行かせたのは、ワンに偉そうな口が利けるのはこの場ではボスの娘たるマルグリテのみであり、それに付き合わされるタテワキは内心ワンと対立する事を望んでいないだろうと察したマルグリテの、彼をこのギスギスした空間から逃がすための方便の意味も込められていたからだろう。
「ワンさん、本気ですの?」
「んん~……我々逆鱗は自分達の縄張り内での無意味な小競り合いを望みません、マグメルは膨れ上がった水風船のように少し触れるだけでトラブルを撒き散らす連中なんですよ。だから我関せずでいないと、逆鱗の勢力安定に弊害の発生が危惧されるんですよね」
「だから、エリシアの協力者を生贄の山羊にすると?」
「んんん~……否定はしませんよ。それで龍の威光に傷がつかないのなら、ね」
ワンは冗談を言える人間ではない、彼がそうすると言えば必ずそうしようとする。どんな些細な事でも、どんな大がかりな事でも、組織のために必要な行為だと自らが判断すれば必ずだ。
だからこそ、マルグリテも冗談では受け流せないと理解して、ハーフ特有の整った美貌に初めて戸惑いを垣間見せる。
「……エリシアにとって、大切な人物に対してなんて無礼な……恥ずかしくなくて? ワンさん」
「ん~……恥ずかしいですよね。でもこれぐらいしないとダメなんですよ、逆鱗に傷をつけた者であり、逆鱗を脅かす勢力の人間である彼女には、ね」
「……なんてことですの。一人の女の子の扱いにビクビクしてしまうなんて」
マルグリテとワンの間にギスギスとした張りつめた空気が生まれていく。
傍にいるアイギスや他の構成員達も下手に干渉してこの気まずい空気を悪化させるのを危惧して、ただただ体を固まらせるだけで何も出来ない。
「もうやめてください!」
それを破ったのは、今まで沈黙しながら二人の口論を眺めていたエリシアの、震えきった大声であった。
「全部私が悪いんです……! 私がマグメルにいたのも、力を使って誰かを傷つけたのも、全部本当なんですから……! 私はマグメルに戻ります、だから……!」
「んん~……マルグリテ様、本人が認めましたよ。これは自供という奴で、我々とは決して相容れない人物だというのが証明されたと思うんですが」
「……エリシア、一つお聞きしても良いですか?」
ワンの煽りを無視して、マルグリテはエリシアの方を向いて尋ねる。
「聞き忘れていたのですけれど、あなたがマグメルから逃げ出したのは、どのような理由ですの?」
「……あそこにいたら、私の力の被害に遭う人がいつまでもいなくならないから」
「それほどの能力をお持ちでしたら、逃げる事など造作もない筈ですわ。その力を使えば」
「っ……ダメです、私の力は人を傷つけます、それではマグメルにいた頃と変わりません……」
「でしたら、潔く諦めますの? 諦めてどうしますの? 大人しくマグメルに引き渡されますの? 協力してくれた殿方を犠牲にして」
「……っ! それも……嫌です……!」
エリシアの声に、微かに強い怒気のような感情が乗り移った気がした。
マルグリテにはエリシアの力がどのようなものなのかはっきりとは分からないが、駅前で見た銃が突然へし折られる現象から、物体を破壊出来る強力な力なのだろうと推察していた。悪い噂が絶えず、マフィアの中でも国内随一の力を持つ逆鱗が関わるまいと恐れるマグメルが追いかける程の人間だ、並大抵の超能力者ではないのだろう。
彼女は自分の力が危険なものだと知っていて、それを使わないためにマグメルから逃げていた。その協力をしてくれたという人間が、逆鱗の都合でマグメルに『エリシアを連れ去ろうとした犯人』として差し出される事を、彼女が許す訳がない。
例え、マグメルから逃れるという自身の願いを諦めてでも。彼女は自分を犠牲にしてでも他人を思うお人好しな性格なのだと、マルグリテは彼女の言動から十分に察していた。
「両方嫌なら、両方求めればいいだけではなくて?」
「え……?」
「マグメルから逃げ、そしてあなたの大事な人も助ける。簡単な話ですわ」
マルグリテの提案に、エリシアは口を開けたまま目を丸くして驚き、そしてワンはすぐさま声を荒げて反論を突っ込んできた。
「んんん~……何が言いたいのかよく分かりませんがね!」
「そのままの意味ですわ。エリシアはマグメルに戻る事も、大事な協力者の殿方をマグメルに引き渡す事も許さないと、そういう未来を望んでいますのよ」
エリシアの前に立ち、あえてワン達と向かい合う形に位置を取るマルグリテ。
その行動が何を意味しているのか、その場にいる逆鱗の人間は全員察して、ある者は顔を引き攣らせ、ある者は目の色を険しくする。
「……あまり、ワン様の手を、煩わせないでください。マルグリテ様」
そんな中、ワンの横で澄ました表情でじっとしていたアイギスが、一歩前に進み出て口を開いた。
「あなたも、逆鱗の一員。ならば、逆鱗にとって、マイナスになる言動は、いい加減、おやめください」
「あら、ワタクシの言葉のどこにマイナス要素があるのかしら」
「くだらない事に、いつまでも囚われていないで、いい加減、立場を自覚して、大人しくしてください。問題児の、マルグリテ様」
「あなたこそ、あまり適当な事を口にしないで欲しいですわ。ワタクシは態度や口の悪さで腹を立てたりはしませんけれど、ワタクシの邪魔をするのなら別でしてよ?」
「自己中心的と、言いませんか、それ」
「えぇ、ワタクシは常にワタクシがしたい事にしか興味ありませんもの。ですから、例え仲間といえども、納得がいかなければ対立しますし、勝手に行動させていただきますわ」
マルグリテは余裕を含んだ笑みを崩さないまま、組織の一員として勝手な行動は慎めというアイギスの正論を真っ向から拒絶した。
そして、ズボンのポケットから取り出したスマートフォンの画面をあえてアイギスに見せつけるようにした。
「……っ、何を」
アイギスは画面に映ったものを確認してから、直後眉をひそめて涼しげだった表情を小さく歪めた。
「ん~……? なんです、アイギス」
「……先手を、打たれてます」
スマートフォンの画面に示されていたのは、一通のメール。
そのタイトルは、『マルグリテより緊急の要請』というもので、同じ逆鱗のとある構成員二人に宛先が設定されていた。
「ベールに、クロス……どちらも集会に、駆けつけていない者、まさか……」
「うふふ、少しお仕事を依頼しておきましたの。ワンさんに説教されに来なくてもよろしいと一言添えましたら、喜んで引き受けて下さいましたわ」
「そのような事、許されると……」
「許されますわ、ワタクシはそういう立場ですもの。やりたい事のために、その立場を利用させていただきますわ」
マルグリテはそう宣言すると、くるりと体を反転させてエリシアに向かい合う。
「細かい事は言いませんわ。ただ一つ、そこの壁を壊せばあなたの大切な方と再会出来るとだけ、伝えておきますわ」
「……っ!」
数秒遅れて、エリシアは何かを悟ったように目を見開いて、マルグリテが指さした背後の壁に視線を向けた。
「一体、何を……!」
何かを企んでいると感じてアイギスが間合いを詰めようとするが、すぐに彼女は足を止めて体を硬直させた。
マルグリテが指さした先、赤に塗装された部屋の壁が前触れなく強烈な爆音と共に弾け飛び、砲撃をくらった後のような巨大な穴が出現していたからだ。
「行きますわよ!」
「えっ……!?」
部屋の中にいた者の内、唯一爆発が起きると同時に体を動かしたマルグリテは外から生温い風の入り込む穴に向かって駆ける途中、エリシアの手を引っ張って共に部屋から飛び出していく。
「お嬢様、タイミングバッチシですよねぇ!?」
瓦礫を飛び越えた二人を待っていたのは、狭い路地に上手く滑り込ませるようにして停まっていた紺色のスポーツカー、その運転席に座る男が窓を開けて助手席越しに声をかけてきた。
「完璧でしてよ、タテワキ!」
「けど爆発強過ぎですよぉ! 車体に傷ついちゃってないですかぁ!?」
「心配なさらず、夜なら目立ちませんわ!」
運転手タテワキの愛車を心配する声を軽く受け流しながら、マルグリテは後部座席にエリシアを先に押し込んでから乗り込んだ。
「ん~マルグリテ様! 後悔しますよ!」
「しませんわ、するのは反省ぐらいかしら!」
最後通告の意味を込めてワンが一喝するが、それすらもマルグリテの強行を思い留まらせるには至らなかったらしい。
「っ、撃ちます!」
仕える者の意に背く彼女が気に入らないのか、アイギスは顔面に憤怒の色を浮かび上がらせ、懐から護身用の拳銃を取り出し躊躇わずスポーツカーへと向けた。
「わーバカ! 撃たないでくれよぉ!」
「なら、止まりなさい!」
タテワキの制止など聞かず、中に自分の所属する組織の長が愛する娘が乗っているにも関わらず引き金を引くアイギスだったが、愛車を傷つけられまいとタテワキもまたアクセルを全開に吹かせ、入り組んだ路地を巧みなハンドル捌きで駆け抜けていった。
後に残ったのは崩れ落ちた店の外壁と道や壁についた複数の弾痕、そしてボスの娘の好き勝手な行動に振り回されて呆然とする逆鱗の構成員達の物々しくも虚しい光景であった。
「あ、あの……いいんですか、こんな事して……!」
助手席にへたりこんだ状態のエリシアが、殺気立った視線を向けてくる男達をガラス越しに確認しながら恐る恐る尋ねてくる。
「構いませんわ、久しぶりに学園から解放された自由な時に、やっと見つけた超能力者のあなたの悩みには応えてあげたいですもの」
「……私が危険な力を持っていると、分かっているのにですか?」
「分かっているから、ですわ」
逆鱗に被害を与え、関わってはならないとされる危険な超能力者の組織マグメルに所属し、今はそのマグメルから逃げる少女エリシア。
会ってまだ半日も経っていないが、マルグリテは彼女についてとことん知り、とことん付き合いたいと思っていた。
自分の生活を縛っていた学園から飛び出した貴重な時間に出会った、様々な人間から目をつけられる少女、何よりも目の当たりにした誰もが認める程の単純且つ強力な超能力を持つ非日常性の塊である彼女を易々と見失う訳にはいかないと、自身のオカルト好きという嗜好がマルグリテを突き動かし、勝手かつ大胆な行動に走らせていたのだ。
「……ありがとう、ございます」
「うん? いえ、お気になさらず」
ボソリとか細い声でエリシアが述べたのは、謝意の言葉。
今まで受け身の言動しかしてこなかった彼女にしては意外な言動に感じ、同時に自分が興味を持った相手に感謝された事が嬉しくなって、マルグリテは少しだけ声を上擦らせるも、すぐに上品な言葉遣いで返したのだった。