仕切り直し
時刻は正午、そろそろ昼休みに入った労働者達が息抜きと腹ごしらえのために食事処を求めて飛び出してくる頃合いだ。
二十四時間前は自分も一生懸命に働いていたんだという事を不意に思い出し、ゴンは降ろされたアウロン中央駅の駐車場前で一人悲哀のこもった息を漏らす。
刑事のナターシャとジャンによる聴取の後、今後の捜査で協力してもらう事があるかもしれないという理由で連絡先を交換し合ってから愛車の置いてあるこの場所で解放してもらったのだ。
「さーてどうするかな……」
一目惚れした少女の逃走に手を貸すという目的を失い、今度こそ只の無職の男に戻ってしまったゴンは、愛車に乗り込んでから先程の刑事達との会話を思い返す。
「……最近の警察はおかしい事を言いやがる」
女性刑事ナターシャが言うには、エリシアはアウロンで最近発生したテロ事件の主犯の嫌疑がかけられているという。
それは少し前にニュースで頻繁に取り上げられていた有名な事件で、死傷者も多数出た惨事であった。
あんな血生臭い出来事に、あんなか弱い少女が加害者として関わっているとナターシャの言い分は、冗談にしても笑えなかった。
証拠はあるのかとゴンが尋ねると、エリシアが所属していたというマグメルのこれまでの反社会的活動とエリシアの目撃情報、状況証拠等を照らし合わせた結果可能性が高いとナターシャは説明したが、情報が漏れるのを避けたいためか具体的な説明は避けられたので全く納得は出来なかった。
適当な事を言うなとゴンが憤ると、ナターシャは頭を下げつつも自分達の推理は間違ってはいないと自信を持って言い切った。
『公的機関の人間の立場である以上、こういう事を口にするには望ましくないのですが……あの組織に関わる事はやめておいた方が良いと思います』
マグメルは危険であるという事をナターシャは再三忠告してきた。あの組織は様々な犯罪に関与しており、平穏に暮らしたいのならば近づくなと。
「この街でテロ、っていえば……」
ゴンはシートベルトをつけずにシートに座ったまま、スマホを取り出して検索エンジンに頭に浮かんだワードを入力する。
マグメル、アウロン、事件、その三つの言葉を入力して出てきたのは今年このアウロンで発生したテロ事件のニュースやそれに関する書きこみのあるネット上の掲示板のページが殆どであった。
「……市長車爆破未遂事件、トンフーのカジノ襲撃事件、ブロッサムベンチャー本社爆破事件……あ、これってエリシアと会った時の乱闘の事か?」
どれも聞き覚えのある事件で、中には昨日ゴンがエリシアと遭遇した際の二つの勢力による衝突事件の事も載っていた。
掲示板の書き込みを見ると、マグメルの連中が超能力を使って引き起こしたなどという趣旨のコメントが無数にあるが、あの刑事の女がマグメルを危険というからにはこのネットの情報も間違ってはいないのだろうか。
「いや、でもどれも胡散臭さ満載だしなぁ……」
テレポートを使えば同じ時間でも犯行現場から離れた場所に一瞬で移動出来るからアリバイは意味を成さない、念力を使えば考えるだけで狙った人を殺せてもおかしくないと突飛な推論が書かれているが、超能力の存在が現実味を帯びている今、頭ごなしに否定出来ないのがどこか歯がゆかった。
次にエリシアという名前を追加して打ってみるが、出てくるページに大した変化はなかった。
「あれだけ色んな人間に追われてるなら、有名になってると思うが……」
エリシアの正体は何なのか、マグメルという組織で犯罪に加担していたのか、それともその犯罪を行う組織から追われる悲劇のヒロインなのか、疑いが募るばかりで全然分からない。
だから自分はこれからどうしようかとゴンはナターシャ達と別れてから思案していたのだ。
本当に危険だとしたらマグメルにもエリシアにも関わるべきではない、大体今のゴンは自身が食い繋ぐために職を探さなければならない立場であり、他人の面倒事に関わっている余裕など最初からないのだ。
一目惚れしたからとはいえ、エリシアと過ごした時間は僅か半日、彼女にいつまでも現を抜かしている訳にはいかない。警察に彼女の関係者として目をつけられた可能性は否めないが、それでも今から何事もなかったかのように仕事の求人情報を集めて回れば、エリシアと出会う前までのただのフリーターの男に戻れる。
だがしかし、エリシアがマグメルの連中から逃げていたのは間違いない。それは彼女の言葉と、実際に自分も協力者としてマグメルを名乗る褐色肌の女や複数の男共に追われ命の危険すら感じたのだから疑いようもなく、だとすればナターシャの『エリシアがマグメルの起こした事件の主犯』という主張は辻褄が合わない気もする。
「昔事件を起こして、その後マグメルから逃げたとか、か?」
検索で出てきたマグメルの関与が疑われる事件は、昨日の乱闘とビルの爆破事件を除けば一番最近で一ヶ月前に発生している。ナターシャもエリシアも嘘をついていないとすれば、その最後の事件から今日までの一か月未満の時間でエリシアがマグメルから袂を分かったという事になり、一応矛盾はない。
だがエリシアが犯罪者でないと真っ向から否定出来る状況証拠もなかった。
「いやいや、あの刑事の女の言い分が信用出来る訳じゃないだろ……」
マグメルの人間に追われて怯え、ゴンに助けを求めてきたエリシアが、犯罪の加害者側の人間な訳がない。いくら分からない事だらけでも、それは考えてはならないと自分に言い聞かせる。
「ん~あ! やっぱ無理だ、他の事を考えられない!」
仕事と金に飢えた普段の彼なら女に呆けている場合ではないと気持ちを切り替えられたかもしれないが、今のゴンにはそんな冷静な判断は出来ないようだった。
ゴンはエリシアの素性を知らないまま、それでも一目惚れした彼女のこの街から逃げたいという願望を手伝いたいと勝手に思い、勝手に協力した。彼女は自分に迷惑がかかる事を嫌ったが、ゴンの自己満足ともいえる行動を拒絶するどころか感謝すらしてくれた。
そんな彼女が、よく分からないが危険な組織から追われ、警察からも疑われ、しかも連れ去られてしまった。言うまでもなく彼女は今窮地に立たされており、危険な状況の真っ只中にいると言っていいだろう。
それを知りながら、やっぱり自分は無関係だと割り切ってエリシアを見捨てるという選択肢は、残念ながら青二才のゴンの脳内には浮かんで来なかった。
「紺のスポーツカー、あれは確か日本のメーカーが一年前くらいに出してたモデルの筈だ……」
エリシアを連れ去った車のナンバーを見ていなかったのが悔やまれるが、マフラーやバンパーなど車体の特徴は大体覚えている。いつかこれくらいの高級車を、ぐらいの気持ちでたまに車関連の雑誌や広告を定期的に眺めて得た知識を頼りにネットで車種を割り出し、外見を確認する。
「こんなタイプ、見かければ嫌でも気づく筈だ。だったら後は……!」
探し回るだけだ、ゴンはシートベルトを装着するとエンジンを入れ、愛車を発進させる。
とにかくエリシアを乗せて走り去った紺色のスポーツカーを探す、そしてなんとしてもエリシアを見つけ出す。至極単純な目的を設定すると、ゴンは一度深く深呼吸をつく。
(……あいつは、なんというか、そういう物騒な世界に縁のない人間であるべきなんだ)
小動物のように常に不安そうにしながらも、追手から逃げるために必死になって、ゴンのような他人が巻き込まれる事を嫌う優しい心の持ち主のエリシアは、もっと平凡で平和な表の社会にこそ居場所のある人間の筈だ。
あんな可憐で純粋な少女に、銃だのテロだの超能力だの、そんな物騒なワードは似合わない。
働き口を見つけるのも大事だが、惚れた女の子を助けるために探すのだって同じくらい大事だと、今のゴンなら開き直って家族の前で宣言出来る自信があった。
一秒でも早くエリシアを見つけたい、強い衝動に突き動かされるように、巧みなハンドル捌きで愛車を操って駐車場を出ようとする。
この時、エリシア捜索という目的で頭が支配されていたせいか、今まで事故どころか違反切符を切られた事もないゴンにしては珍しく周囲への注意が散漫になっていた。
だから気付くのが遅れてしまったのだろう、ちょうど駐車場の出入り口を左折しようとした時、フェンスの陰から一人の男が飛び出してきた事に。
「あ、やべ、」
次の瞬間、車体に重たい物体がドスンとぶつかる耳障りな音がして、車の前方で人が一人倒れる様子がフロントガラス越しに見えた。
端的に言えば、人を撥ねてしまっていた。




