憂鬱の車内
「ヤバイし~マジでヤバイし~」
アウロン市街地を走るバンの中で、マグメルの武闘派超能力者ラファエラは地団駄を踏みながらぶつぶつと言葉を漏らしていた。
「ラファエラ、うるさい」
その隣に座るレイナが、ヘッドホンの上から片耳を押さえながら軽く文句を言う。
「だってだって~、あと一歩のところでエリシアに逃げられちゃって、ショック過ぎて本当ショックだし~!」
「……突っ走るラファエラが悪いんでしょ。せっかくのチャンス潰しちゃって、しかも予定外の大騒ぎを起こしちゃって」
息抜きがてらにラファエラがレイナを連れまわす形で街に繰り出していた二人は、食事のために立ち寄っていた店から出た直後に偶然見覚えのある少女の姿を目撃した。
地味なワンピースに亜麻色の長髪、超能力者による新しい社会形成を目的に掲げるマグメルの一員ならば誰もが知る、組織にとって特殊で特別な人物であるエリシアであった。
ラファエラもレイナも彼女とは面識があり、何度か交流した事もあった。何より同じ組織の人間として、共通する目的のために行動する同志であった。
故に自分達の元から離れたエリシアにもう一度会って、超能力者のための組織活動に協力してもらいたいという強い願望を持っている。それに駆られるように先程駅前でラファエラ達は騒動を起こしてしまったのだ。
「エリシアがあんだけ近くにいたら捕まえたいと思っても仕方ないし!」
ラファエラとレイナは、何も最初から大立ち回りをしてエリシアを確保しようとした訳ではない。
エリシアを発見した事を支部に報告した後、ブライアンからの指示で緊急の作戦が組まれ実行するよう命令が来た。それに従い、ラファエラ率いる武闘派超能力者とレイナ属する支援的役割を担う超能力者によって作戦が実行された。
一つ前の席に座っている、対象の人物から他人の意識を逸らさせる能力を持つ少女サキアによって、公衆の面前でも堂々と誰にも気づかれずにエリシアと接触し、速やかに車に乗せて撤収するつもりだったのだが、予定が狂った。
「ヒューンの馬鹿が割って入ってくるのが悪いんだし~!」
「……まぁ、それは同感だけど」
昨日、マグメルが敵対するとある組織との騒動の際、警察に唯一捕まってしまった、ヒューンという名の超能力者がいた。
情報漏えいと戦力低下を阻止するべくその日のうちに奪還には成功したが、突っ走ってでヘマをしてしまった事を反省させるためしばらくの間謹慎するようブライアンから彼に通達があったという。
にも関わらず、彼は駅前に現れて騒ぎを起こし、通行人にとっては何事もないと思わせておくためのサキアの能力の効果が意味を持たない状況が発生してしまったのだ。
「あいつ、どうなったし」
「どうやらまた警察のお世話になっているようだ、ブライアン様もしばらくは放っておけと」
ラファエラの質問に答えたのは助手席に座る青年だった。年は車内にいる十人弱の人間の中では一番上ぐらいで、堅物そうな顔の彼は今作戦の現場での指揮官役で情報部の中でも位の高い人物である。超能力者ではあるが、それ以前に状況を整理し的確な行動判断を取る才に長け、そのキャプテンシーを買われて現場指揮官という大層な役目を任せられているのだ。
「ったく何のために出てきたし、せっかく私がレイナとのデートを切り上げて日中から大暴れしたってのに、全部無駄になっちゃったし~」
「姿を晒させたのはお前の独断だぞ、ラファエラ」
「指揮官さん、予想外の事態に対応しろっていつも私に言って来てるんだから、むしろ誉めて欲しいし~」
サキアの能力はあくまで『気づきにくくさせる』能力であり、『気づかせない』能力ではない。なので意図せず駅前で超能力者による発火事件を目の当たりにしてパニックに陥った者達の警戒心を紛らわす事は出来ないのだ。
ラファエラは現場の実行班の長として独自に作戦を変更し、サキアは待機していたレイナを含む情報部の車が都合の悪い相手に気付かせない事だけに集中させ、自らは部下と共に実力行使でエリシア確保に臨んだ。
「そこは間違ってはいなかったと思う、だがエリシアの逃走先の場所を早く報告すべきだったな。回収車が来る前に、横取りされてしまった」
「っ……あぁ~言うなし! そんな暇なかったんだし! あの車の割って入り方はプロの仕業だったし、何よりエリシアを連れまわしてた奴がやけにしつこかったんだし!」
「連れ回していた奴、か……正直今は彼女を連れ去った方の人間についての情報が欲しいが、エリシアが彼を守ろうとこちらを邪魔する行動を取っていたというのが気にかかるな」
ラファエラ達は何度もエリシアに肉薄し、彼女を連れまわす青年を無力化しようとしたが、当のエリシアは彼の前に進み出るなどしてその行為を悉く妨害してきたのだ。
マグメルの人間は皆、エリシアがどれだけ組織にとって重要な存在なのかを知っているため、誤って彼女に危害を加える事を恐れて迂闊にとびかかる事が出来なかった。
そのままずるずると駅の駐車場まで逃げられながらもなんとか追いつめたものの、そこで新たな乱入者によってエリシアは連れ去られ、警察にも追いつかれそうになってしまった。エリシアに手が届きかけていただけに、ラファエラ以外の武闘派の人間は先程からずっと悔しそうな難しい表情をしている。
「なんであんな野郎にホイホイついていっちゃうし! 純粋なエリシアが汚れちゃうし~!」
「あぁもう、ラファエラうるさい! 集中出来ない!」
子供のように喚くラファエラに、今度は慣れない大声で怒鳴りつけるエリシア。
「ごめん……」
常にテンション控え目のレイナがここまで声を上げるという事は相当苛立っているのだと悟り、ラファエラは短く謝ってシュンとしてしまう。
「まだ掴めないか?」
「……それらしいものはまだ」
指揮官の青年の質問にレイナはボソリと返答する。
レイナは駅前での騒動直後からずっと能力を使い、街中を走るワゴン車の中から周囲の人物の思考を読み取り、エリシアを連れ去った連中に関する情報が埋もれていないかを探っていた。
常時大量の情報が脳内になだれ込みながら、エリシアに関する特定の思考を探し出すのはかなりの集中力が必要とされ、故に今のレイナのストレスは膨らみ過ぎた風船のように少し突いただけで破裂しそうな状態になっているのだ。ラファエラに怒鳴ったのもそのせいである。
「しばらくはラファエラ達が目撃した車両ナンバーを元に探すしかないか……」
紺色のスポーツカーがエリシアを連れ去ったのは間違いない。あんな高級そうな車を持っている人間はそうそういない、見つけ出すために車種情報は数少ない貴重な手がかりになるだろう。
「はぁ~……上手くいかないし」
少しだけ拗ねていたラファエラはすぐに調子を取り戻し、細長い生足を行儀悪く前の座席の上に乗せて退屈そうに腕を頭の後ろに組む。
エリシアがマグメルにいた頃、ラファエラは彼女と一番親交のある立場にあったといっても過言ではない。だからエリシアに会いたい、エリシアを取り戻したいという気持ちが特に強いというのはこの場にいる誰もが理解していた。
「……何を話すつもりだったの」
能力の行使の途中にも関わらず、あからさまに落胆するラファエラを気遣ってか、エリシアが横目で彼女を眺めながら尋ねる。
「そんなの色々あり過ぎて分からないし~……けどとりあえず、なんで私達と一緒にいれなくなったのかは最初に聞くつもりだし」
ラファエラの言葉にエリシアは肩を竦め、車内の他の人間も皆表情を強張らせる。
エリシアはマグメル内にて『異能の申し子』と呼ばれる程特別な超能力の持ち主であった。超能力者のために超能力を使う事を目的とするマグメルの人間にとって、強い力の持ち主というのはそれだけで羨望と尊敬の眼差しを向けられる存在である。
力が強ければそれだけこの世の常識を覆せる、味気ない現代社会に大きな影響を与える事が出来る。それは使い方次第で超能力者のための新しい社会に素晴らしい貢献が出来ると、彼等の価値観では信じられているのだ。
だからエリシアの存在はラファエラ達にとって心強い味方であり、自分達の理想を叶えるための希望でもあった
そんな彼女がある日突然彼女達の前から姿を消し、逃げていってしまった。
マグメルの一員として活動に何度も参加し、寝食を共にしてきた彼女がなぜマグメルから離れていったのか、理由を知る者はいない。
「スキンシップで抱きつき過ぎたからかもしれないし」
「……だったら私も逃げちゃおうかな」
「え~!? ちょっとちょっと、そんな悪夢みたいな事冗談でも言わないで欲しいし~!」
ついさっきレイナに怒られた事も忘れたのか、再びラファエラは騒ぎ出す。
だが普段の好き勝手に喋って暴れる彼女の言動に比べれば、幾分ぎこちなくテンションの上げ方が不自然で、空元気であるのは明らかであった。
エリシアを取り逃がした事で、エリシアが自分達から逃げているという事実を改めて実感し、誰もが暗く重苦しい雰囲気を胸に抱えるマグメルの面々を乗せて、ワゴン車は日中の街の喧騒の中を走り抜けていく。




