エリシアの謎
「どわっ、なんだあれ、火……?」
近くの交差点が騒がしくなったと思ったら、何やら五メートル弱ほどの高さの火柱が空に向かって上がっているのが見え、唖然とするゴン。
手に噴射式の花火でも持っているのか、火を絶やさず出し続けている男は人混みから飛び出し素早く近寄ってきた一人の女性によって地面に上に倒され、身動きを封じられていた。
何が何やら分からないと数秒間呆けていたゴンだったが、自分には遠くの雑踏での騒ぎよりもっと気にするべき事案がある事をすぐに思い出してハッとする。
「っ、エリシア! どこに行った!」
咄嗟に叫んだ声は思ったよりも大きく、いつもなら恥ずかしくて人前で出せないくらいのボリュームだった。
ゴンは柄にもない大声で何度もエリシアの名を呼んで居場所を探る。
「んっ、なんだ?」
すると遠くの方、駅の入り口から少し離れたところ、誰もいない筈の場所で視界に違和感が現れた。
古いビデオテープを再生した時の映像のような、黒くぼんやりとした影らしきものがうっすらと浮かんでいて、訳の分からないまま近づいてみると、その人影は腰まで伸びた長い亜麻色の髪を持っており、先程まで見ていたエリシアの後ろ姿に酷似している事に気が付く。
「あっ、おい、エリシア!?」
「っ、はい!?」
「そこにいるのか!?」
「は、はい!」
こちらを振り向き返事を返してきたその『幻』はやはりエリシアだったようだが、ならば尚の事彼女の体が透けたり点滅しているのかが分からない。
一体何がどうなっているのか、状況が飲み込めないままエリシアに駆け寄ろうと足を速めるゴンだったが、
「はぁーあーなんか面倒な事になっちゃったしー」
彼女の背後から、彼女とは別の女の声が聞こえてきて、ゴンの足が思わず止まる。
「なんだ? 他にも誰かいるのか?」
「えっ……あ!」
何気なく尋ねると、エリシアが何かに気付いて驚くような声を上げ、慌てるようにゴンに向けて駆け寄ってくる。
「あ~あ~もういいよサキア、そっちの車の偽装だけに集中してくれていいしー!」
続けて聞こえた謎の女性の誰かに命令を出すような声の直後、はっきりとは見えていなかったエリシアの姿がライトアップされたように目の前に浮かび上がった。
「きゃっ!」
「うおっ!?」
彼女は真正面から体にぶつかってきて、突然彼女の姿がちゃんと見えるようになった事に驚いていたゴンは咄嗟に対応出来ず、後ろにバランスを崩しそうになる。
「あ、すいません!」
「いや、別に良いけどよ……」
なんとか体勢を整え、人前で堂々と抱きつかれた事に内心動揺しながらも、エリシアの姿をもう一度すぐ傍で確認出来た事に安堵を覚えた。
「あ~ちょっと~! てめぇ何エリシアとハグしちゃってるしー!」
そこへ水を刺すように先程聞こえたのと同じ女性の声が割って入ってきて、ゴンとエリシアは互いに体を寄せ合っている状態が急に恥ずかしくなったかのように体を離して姿勢を正す。
「っ……お前、誰だ?」
声の主はゴン達から五メートル程しか離れていない近い位置に立っていた、ベリーショートの茶髪と褐色の肌に露出の多い軽装をした小柄な少女で、ラテン系の陽気さが表情や格好から垣間見える。
「誰だとかちょっと失礼だし~! 仮にも私はてめぇと一回会ってるんだし~!」
「え、会ってるって、あ……」
言われてからすぐに思い出した、昨晩エリシアと出会った時の路地裏での乱闘騒ぎで、最初にゴン達を襲ってきた黒塗りの車に乗っていた連中に反抗したもう一つの勢力、若い不良ばかりの集団を率いるような形であの場にいた少女、目の前にいる人物が容姿も喋り方もまるっきりその者と一緒であると。
「って事は、お前、エリシアを追ってる奴か……?」
「そんなストーカーみたいな言い方しないで欲しいし~! 私はただ可愛い可愛いエリシアが危険な目に遭う前に保護してあげようと血眼になって探してただけだし~!」
「ニヤニヤしながら言う事じゃないだろ」
「だって嬉しくてしょうがないんだし~! ようやくエリシアと再会出来んだからー!」
体をくねくねとさせて笑顔を輝かせる褐色の少女、そんな彼女の幸せそうな表情にゴンは余計に不気味さを感じずにはいられなかった。
「……なぁ、あの女の子は、確かマグメルって宗教の奴って言ってたよな?」
「はい……」
「そうか、相当な過激派組織なんだな、最近の宗教団体ってのは」
ゴンが皮肉めいた言い方をしたのは、対面する褐色肌の少女が手に持っている物が何なのかに気付いたからだ。
彼女の右手には、昨晩初めて出会った乱闘騒ぎの時と同じように一丁の黒光りする大型の銃が握られていたのだ。
「っ、サバゲは街中でするもんじゃないぞ?」
「あっはっはー! どうしようかなー、これを使うかどうかは、エリシアの対応次第って言った方が良いかもだし~」
ゴンは硬い表情を崩さず、警戒心を強め自然と身構えるような姿勢になっていた。
エリシアの不安に満ちた顔で怯えるような素振りをしている様子からも、褐色の少女がエリシアにとって決して友好的な関係ではない事を示している。
「とりあえず、昨日はクソアーミー共からエリシアを助けてくれた事はありがとうって言っておくし~」
「クソアミ? あぁ、もしかして黒い車に乗ってた、」
「はーい感謝は終了だし、じゃあそろそろエリシア返して?」
ゴンの言葉を待たず、笑顔は絶やさず、しかし快活な声色と据わった眼の奥に明確な敵意を灯して、褐色の少女は当たり前のように要求をしてきた。
同時に手にした銃の先がゴンの頭へと向けられ、引き金には既に指がかかっていた。
「っ……マジかよ」
冗談でも脅しでもない、この女は本気で自分へ殺意を向けてきているとゴンは直感する。
「や、やめて!」
すると、ゴンの隣で立ち竦んでいたエリシアが、意を決したようにゴンの前に進み出て、両腕を横に広げながらそう叫んだ。
「こっ……この人は、関係ない……!」
「ちょ! 銃口の前に立たないで欲しいし~! 誤射した弾丸が可愛い可愛いエリシアを傷つけたりしたらショッキング過ぎて絶対私ショックでショック死しちゃう~!」
すぐさま銃を天へと向けて射線をエリシアから逸らした褐色の少女は、コロッと口調を明るいものへと戻して体をくねらさせている。
口振りからしてやはりエリシアとは面識があるようだが、二人のリアクションの種類は全くの正反対だ。エリシアは褐色の少女に出会って動揺し、褐色の少女はエリシアに出会って歓喜している。
「私は、あなた達の元へは戻りません……!」
「いい加減我儘はやめて欲しいし~、一人でエリシアが外を出歩く事がどれだけ危険か昨日だけでも分かったじゃん? だったらやっぱり私達の元にいないと駄目だしー」
「それでも……あなた達にはついていけません!」
「もう~そんな事言って一人でずっと逃げ続ける気? あのクソアーミー共からも追われながら? そんなの無茶苦茶ムチャだと思うし~」
「っ……!」
マグメルの人間らしき褐色の少女は、エリシアを保護しようというニュアンスの発言をしている。エリシアを追跡している理由は未だ分からないが、一見彼女と敵対関係にあるようには見えない。
しかしそれでもエリシアの警戒心は消えない、彼女がそれだけマグメルを嫌う理由は何なのだろうか。
(よく分かんねぇけど、エリシアの逃走を手伝うって決めたんだ。なら……)
そもそも街中で当然のように機関銃を取り出してる奴がまともな人間だとも思えない。
そんな奴にエリシアの身柄を渡すのは危険だ、やはりこの場から彼女をなんとかして逃げさなければ。
「行くアテなんてない筈だし~! あ、もしかしてエリシア、知らない野郎の家に上り込んで生活するつもりじゃないでしょうね~! そんなの私絶対許さないし!」
「そんっ……あ、あなたには関係ないです!」
「キャー! なんて破廉恥な事言うし~! エリシアはそんな不埒な言葉を口走るような子じゃないし! ちょっと家出してる間に一体何があったんだし~!」
エリシアの話をまともに聞いているのかも疑わしい褐色の少女、その彼女の喋りを邪魔するように単調な着信音が鳴り響いた。
「あーもー誰だし~こんな大事な時に……って、レイナじゃん。はいはい~っと」
取り出したスマートフォンで着信相手を確認した褐色の少女は、右手の銃の構えを一旦解いて左手で応対する。
「うんうん、え? 目立ち過ぎるなって? ぜーんぜん目立ってないし~、冷静に穏便に交渉してるし~! え? だってしょうがないし~、ヒューンの馬鹿のせいで擬態がバレちゃったんだし、それにコソコソするのは私の性に合わないし~」
知人らしき相手との話に集中しているせいか、褐色の少女の視線はエリシアから外れて宙を彷徨っている。
幸い彼女の仲間は周囲には見当たらない、この場から逃げ出すなら今がチャンスだ。
「……エリシア、走るぞ」
「え、はい?」
「逃げるんだよ、そのつもりであいつの誘い断ってるんだろ!?」
「あ、それは……あっ」
エリシアの回答を待たず、ゴンは彼女の手を取って行動に出た。
この場から離脱するには駅の傍にある駐車場まで逃げて、なんとか自分の車に乗り込まなければ。
駐車場まで距離はある、一秒でも早くこの場から逃げ出さなければ、そう思って足を数歩動かしたゴンだったが、
「動くなし」
パンッ! とクラッカーを鳴らしたような軽い爆発音がして、ほぼ同じタイミングでゴンは足に小さな震動を感じた。
視線を落とすと、撃たれた弾丸が足下の地面を砕き飛び散った破片がゴンの靴に当たったのだと気づく。
銃声は雑踏の音に溢れる駅前の交差点でもはっきりと鳴り響き、発火騒ぎに目が向いていた野次馬達も駅前に銃で武装した怪しい奴がいるとようやく気づき、その異常な状況からあっという間に驚きや悲鳴があちこちから上がってパニックが発生する。
「くっそ、マジで撃ちやがった……!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「あぁ、当たってはない……んだが……」
銃口はこちらに向けられたまま、そして褐色の少女の目には明らかな殺気、その迫力にゴンの足が竦んでしまう。
「どこへ連れていこうとしたし」
「っ、銃を向けられたら、逃げて当然だろ」
「てめえ一人が逃げるなら別にどうでもいいし、けどエリシアを連れて行こうとするなら見逃せる筈がないし~。とっととその手を離せ」
彼女の顔から笑みが消え、敵意のみで塗り固められたマネキンのような無表情へと移り変わっていた。
奴は本気だ、本気でエリシアを手に入れ、必要ならばゴンを排除しようとしている。
「……お前は、なんでこいつを追ってるんだ!」
「エリシアは私達マグメルにいないといけないんだし。エリシアの居場所はマグメル以外には存在しないんだし」
「何言ってるか分からねぇよ、女の子一人になんでそこまで入れ込んでんだ、どっかの国の御姫様かよ!」
「お姫様? はっはっは、その表現はそんなに間違ってないかもしれないし~」
「あ?」
冗談で言ったつもりだったのだが、思わぬ返しにゴンが眉をひそめる。
「エリシアはてめえみたいなヘーヘーボンボンな野郎とは次元が違う存在なんだし!」
「何を言ってるんだ、お前」
「その子には力があるんだし、普通の人間にはない選ばれた素晴らしい力が……」
政治家が演説するように大きな身振り手振りで語る褐色の少女の言葉を、ゴンは胡散臭げに聞こうとしたが、
「やめてください!」
それを、エリシアの必死な叫びが遮った。
あれだけおどおどしていた彼女がこんな大声を出すのかと、口を開けたまま面食らってしまうゴン。
「あれあれ~、もしかしててめえはエリシアを連れ去ろうとしてるくせに、エリシアについては何も知らないし~? あっはっはっは! なにそれ、面食いにも程があるし~!」
一方の褐色の少女はエリシアの反応を見て、ゲラゲラと下品な笑いでひとしきりゴンを小馬鹿にした後、スマートフォンを持ったままの左手でエリシアを指差す。
「その子はてめえみたいな普通の男に扱える器じゃないんだし、それはエリシアが一番良く分かってる筈なんだし」
そう指摘されたエリシアの顔は誰が見ても分かるくらいに青ざめ、粒状の汗がいくつも浮き上がっていた。それだけ彼女が精神的に追い詰められているのだと、説明されなくても分かる。
「エリシア、本当に良いし~? 自分が持ってるスンゴイ力を隠したまま、ヘーボンな野郎を巻き込んじゃってー」
「っ、おいエリシア、あいつ訳分かんねぇ事ばっか言ってるけど、どういう意味なんだ?」
ゴンが質問するも、エリシアは苦虫を噛み潰したような硬い表情をしたままで、答えようとはしてくれなかった。
「てめえ、エリシアといて何か変わった事があった筈だし。覚えてないし?」
「は? 変わった事って……」
ゴンはエリシアと出会った昨晩から今日までの記憶を遡って、銃口を向けてくる褐色の少女が口にした事に当てはまる場面を探すために頭を働かせる。
(そもそも遭遇の仕方からして普通じゃなかった訳だが……んー)
エリシアと出会い、銃撃戦から逃れ、家に匿い、そして今日の朝から彼女を逃がすためにアウロン中央駅まで車で移動してきた。時間にして僅か十六時間、ゴンからしてみれば謎の少女と常に共にいるだけでも日常からかけ離れた出来事で、緊張感のせいであっという間に駆け抜けた時間のように思えた。
その中でも特に変わった事などあっただろうか、それこそ出会った時の銃撃戦ぐらいしか思い当たらないのだが。
「パーン!」
と、唐突に褐色の少女が驚かせるように声を上げ、ゴンは何事かと顔を歪めて彼女を見る。
「こんな風に、何かが吹っ飛んだりとかしなかったし?」
彼女は両腕を広げるリアクションをしながらそんな事を口にする。
「そんな爆発みたいな事があったらすぐに思い出してるっての……」
面倒そうに言葉を返している途中で、ゴンの頭の中に一つだけ、とある光景がふっと浮かび上がってきた。
(パーンって吹っ飛んだって……そういやCレナのグッズが床に落ちたりはしたが……)
まさかあの程度の出来事が、この見知らぬ相手に銃を向けられ少女の身柄を巡る騒ぎに関わりがあるとも思えず、すぐにまた記憶を遡り出したが、
「やめてぇええ!」
先程よりも鬼気迫るエリシアの叫びに、強引に熟考を中断されてしまった。
鼓膜が破れるくらいに大きく、そして鳥肌が立ってしまうくらいに威圧感を伴った彼女の叫びに、傍にいたゴンのみならず褐色の少女や遠巻きに眺めていた野次馬達も体を硬直させてしまっていた。
数秒間時が止まったかのように沈黙が流れた後、今度は聞き慣れない何かが軋む鈍い音がその場に響く。
何事かとゴンが視線を動かすと、その音が褐色の少女の持つ機関銃から生み出されている事に気が付いた。
銃が中心部分からプレス機で押し潰されているかのようにへしゃげるという、異質な光景と共に。
「わっ!? 何するし!」
褐色の少女はみるみる潰れていく銃を手離し地面へと投げ捨て、逃げるように飛び退く。
「っ……逃げるぞ!」
今が好機と感じたゴンは、我に返って今度こそエリシアの手を取り走り出す。
「ちょっ……おい待て待て待つしー!」
褐色の少女の呼び止める声を無視して、エリシアと共にその場から必死に逃げ出すゴン。
既に騒ぎの渦中の存在となってしまったが、もうそんな事はどうでもいい、とにかく意味の分からない危険な奴から離れエリシアを逃走させる、彼の頭の中にはそれしかなかった。
「てめぇふざけてんじゃねーしー!」
後ろから褐色の少女のガラの悪い言葉が飛ぶが、ビビッて足を止める訳にはいかない。野次馬や通行人に体がぶつかりながらも間をすり抜け、愛車のある駐車場を目指す。
「あ、あのっ……あの、ゴンさん!」
しばらく走ったところで、エリシアが呼吸を乱しながら呼びかけてくる。
「あぁ!? なんだ!?」
そういえば初めて名前で呼ばれたなと、少し驚きながらゴンは振り返らないまま、走っているせいで息の乱れた声で反応した。
「どっ、どこへ行くんですか!?」
「逃げるに決まってんだろ、今からじゃ駅のホームに駆け込むのも無理だ、とりあえずこっから離れて、別のルートを探すしかないだろ!」
「で、ですが……危険です! あの人達を敵に回すのは……!」
「だから逃げるんだろ! お前だってあいつ等が危ない連中だから逃げてるんだろ!」
「それは……でも、ダメです!」
無茶な事はやめろと忠告してくるエリシア、だが時既に遅かったらしい。
「とぅー!」
必死になって走っていたゴンの真正面、ちょうど目の高さのところに本来ある筈のない人の足が現れていた。
「おおぉうわ!?」
それが自分の頭部めがけて繰り出された飛び蹴りが直撃しなかったのは、蹴りを放った褐色の少女の掛け声らしきものが先に耳に届いたのと、単に反射的に頭を逸らした事で偶然避けられた幸運によるものだった。
「イッ……!」
右頬を突き出された蹴りが掠め、皮膚の擦れる嫌な痛みに顔を歪ませながらも、足は止めずに後ろを振り返るゴン。
五十メートル以上遠くにいた筈なのに、褐色の少女は確かにゴンの背後五メートルという近い位置にいた。
「なんだ今の……!」
「ゴンさん、横!」
エリシアの声に反応して顔を向けると、横合いからガタイの良い男が敵意剥き出しの目をしながら右腕を振りかぶって殴りかかってきているのに気付く。
「んぉぉ!」
地面に倒れ込みながらそれをなんとか回避するも、男はすぐさま追撃しようと近づいてくる。
「やめて!」
そこへエリシアが割って入るように飛び出し、両腕を広げて無謀にも男を止めにかかった。
危ないよせ、と言おうとしたゴンだったが、意外にも男は怯んだようで動きを数秒間だけ停止させていた。
よく分からないが体を張ってくれた彼女が作った隙を逃すまいと、すぐに立ち上がって手を引っ張り逃走を再開する。
だが少し走ったところで今度は正面から別の男が、右手に鉄パイプのようなものを握って襲ってくるのが見えた。
「なんなんだよ、クソッ!」
待ち構えていたように迫る数々の敵、そもそも褐色の少女やこの男達はなぜ自分の目の前に突然現れたのか。
本当なら問い詰めたいところだが、奴等は確実に自分に危害を加え、エリシアを捕まえようとしている。悠長に立ち止まっている暇も余裕もある筈がない。
差し掛かった交差点を曲がり大通りから外れ、駅の駐車場だけを目指して慣れない荒事に息を乱すゴン。
その後何度も敵らしき男に飛び掛かられたり殴られそうになるも、ギリギリのところで回避しながらなんとか駐車場にまで辿り着いた。
「えっと、車は……!」
視線を忙しなく動かし、停めてある車を見つけすぐさま駆け寄ろうとするが、
「なっ……またかよ!」
彼の行く手には当たり前のように敵らしき人物が姿を現し、無言のまま危害を加えようとしてくる。
「ふざっ、んがあぁ!?」
一人の不良らしき男がこちらに向けて手をかざしたかと思うと、突如ゴンはバナナの皮を踏みつけたかのように足を滑らせ、背中から豪快に転げてしまう。
「ゴンさん!」
「いってぇ……! 何がどうなって……」
腕を使って立ち上がろうとするも、既に複数の敵らしき男達が半径三メートル以内に立ってゴンを取り囲んでいるのが視界に映り、追いつめられたと苦渋の表情を浮かべるゴン。
「だ、ダメ!」
それでもエリシアがゴンの傍に立って叫ぶと、男達はまたも近づくのをやめてしまい、互いに見合ってどうしようか悩んでしまう。
(こいつら、エリシア相手にやけに遠慮してるみてぇだが……そんなに大事なのか存在なのか? エリシアって)
少女に容赦なく手を上げられる方が気分が悪いものの、彼等が戸惑っている理由は単に女は殴れないというようなものではないように思えた。
まるでエリシアの意思に刃向う事を恐れているような。
「いい加減諦めろし」
その時背後から、三度姿を現した褐色の少女がくたびれた声をかけてきた。
彼女の右手には、先程潰れた機関銃の代わりに手の平に収まるくらいの小さなナイフが握られていたが、ゴンとエリシアを逃がすまいとする威圧感は相変わらず目に灯したままだった。
「おいお前等! どんな手品使ってんだ! 触ってもないのにこけちまったじゃねぇか! ……それにお前等、なんでさっき俺達より前から出てこれたんだよ! 回り込める距離も時間もなかっただろ!」
「てめぇみたいな凡人の価値観に当てはまる私達じゃないんだし。私達マグメルの人間は、古臭い今の常識に囚われてはいないんだし」
「意味不明な事言って自画自賛してんじゃねぇよ、テロリスト紛いの連中が」
本当なら白昼堂々集団で襲ってくる相手に挑発など自殺行為かもしれないが、エリシアが近くにいる以上迂闊に手を出そうとしてこないなら今の内に思った事をぶちまけてやろうと、ゴンは本音を隠さず漏らした。
「……てめぇがどんな考え方をしても勝手だし、だけどエリシアをそれに付き合わせる訳にはいかないし。とっとと返せ」
ナイフの切っ先をゴンに向け、褐色の少女は最後通告のように声のトーンを数段下げた落ち着いた声で、しかし秘めたる殺気を剥き出しにして要求する。
「チッ……万事休すって奴かよ」
ここから自分の車に乗り込んで逃げ出すのも、走って逃げ出すのもほぼ不可能な状況と言っていいだろう。
どう行動するべきか、気持ちの悪い汗を拭いながら悩みに悩むゴンだったが、
「ゴンさん、もういいです……」
それを制止するように、エリシアが腕を取りながら深刻そうな顔をして声を発した。
「もういいって、なんだよ……」
「私に関わると危ない事に巻き込まれるって、これで分かったじゃないですか」
「っ……分かんねぇよ! お前は被害者だろ、何で加害者ぶってんだ!」
エリシアの弱気に侵されないよう強く叫ぶも、ゴンの内心は曖昧ながらも理解していた。
(詰んだ、完全に詰んでる、この状況……!)
愛車に乗り込むためとはいえ、出入口以外はフェンスで囲まれた駐車場に自ら逃げ込んだ事を今更ながら後悔するゴン。
「はいはい終わり終わりだし~、諦めてエリシアをこっちに渡せ。ほんとに殺すし」
ふざけた口調で喋るのも面倒になったのか、褐色の少女は今まで以上に冷めた目でゴンを見据えながら、ナイフを握った手をだらりと垂らして近づいてくる。
「……エリシア」
「えっ、はい……?」
もう逃げれる可能性を感じられなくなったゴンは、変に心が落ち着いてきた事に気付いてから、自分が逃がそうとしてきた少女に静かに話しかける。
「昨日も言ったが、俺は俺がそうしたいと思っているからお前を逃がそうとしてんだ。だからお前が俺の事を気にする必要はない」
「で、ですが……」
「いいか? 俺はお前を逃がす。俺があいつに向かって突っ込むから、その隙に駐車場から走って脱出しろ」
「それは……!? それじゃあなたが……!」
「いいから、お前は黙って走る事だけ考えろ。いいな!?」
エリシアの性格なら、はいわかったと頷く訳がないと分かっていた、だから有無を言わせず命令して、力づくで体を動させる事にした。
無理矢理腕を引いて走るように促すと、ゴンは短く深呼吸して息を整えてから、
「つっ……らぁぁぁ!」
後で自分がどんな酷い仕打ちを受けるかなどまるで考慮しないまま、意を決して褐色の少女めがけて飛び出していった。
「ヒーロー気取りとかダサ過ぎだし~、エリシアを守るのはてめぇの役目じゃねぇんだし!」
声にドスを利かせ、一段と殺意を強めた褐色の少女の表情は、軽く返り討ちにしてやろうという余裕とエリシアをこれ以上連れまわさせはしないという確固とした意思が混ざり合った、複雑且つ迫力のあるものであった。
勝てない、刺される、殺される、一瞬にして未来を予測する事が出来、体が委縮して固まってしまいそうになる。
(馬鹿、今更ビビってんじゃねぇ!)
それでも、素性の知れない怪しい存在だと分かっていても協力すると決めたエリシアをこの場から逃がすため、行動を拒む筋肉に無理矢理動けと指示を出し、敵である少女に向かっていった。
ナイフを持つ手が揺らめき、それから自分を傷つけるための軌道を描いて接近してくるのが見える。
見えはしたが、反応して避けるまでの余裕など得られないくらいに速く、分かったところでゴンにはどうしようもなかった。
本当にやられた、命の危機に諦めに近い感情をゴンが抱いたのと、ほぼ同じタイミングの事だった。
「ラファエラ、後ろだ!」
褐色の少女越しに、紺色の高級スポーツカーがエンジン音を轟かせながら駐車場に進入しようとしているのが視界に映り込んだのは。