チンピラ同士
「っ、あぁ~気分悪ぃ~」
「うひょー気持ちいー」
正午前になって日差しが強くなり、高層ビルのガラスに反射した光が眩く輝くアウロン中央駅の大通りを、ディスカウントショップで買い集めたような安っぽさ丸出しの装いで身を包んだ二人の男が天を仰いで気だるげな声を吐きながら歩いていた。
「っ、ど~してあそこで外すんだよぉ~レアノフ」
「あの場面で決めるのはさすがデュリバだよなー」
「っ、あんなのごっつぁんゴールだろ~!」
「ボールがこぼれた先にいるのがもう持ってんだよ、スターってのはそーいうもんだろ!」
「っ、ぐ~ぜんだぐ~ぜん! イイ気になってんじゃね~ぞ!」
「負け犬がワンワン吠えてんじゃねーよコラ!」
「っ、はぁ~!? レテシーなんて余所の良い選手金で掻き集めてるだけじゃね~か!」
「ばーか、ヴェールンの方が外様選手ばっかだろーが!」
行き交う人間が皆苦い顔をして避けてしまうくらいに大きな態度で口喧嘩をする二人はどちらもこのアウロンを本拠地として国の沿岸地域を中心に勢力を広げているマフィア組織逆鱗の構成員である。
喋る度に声をどもらせ、背は低いながら筋肉質で大きな体を持ち、三白眼をギラつかせているのはベール、見た目通り脳みそまで筋肉で出来てるような、すぐに体が動くタイプの人間で、しょっちゅう街の不良共とケンカ騒ぎを起こしているトラブルメーカーだ。
対照的に細い四肢と高い背丈の持ち主でぎょろりとした丸い目が異様に目立つ方の男はクロス、運動系は基本苦手のインドアタイプで力でなく頭を使って物事を乗り切るタイプの人間で、ケンカが起きる前に危険を察知して撤退するような人間である。
二人は昨晩ヨーロッパで行われていたサッカーのクラブチームの試合で、互いの贔屓のチームが対戦しその勝ち負けで朝出会ってからずっと試合の感想や愚痴を漏らし合っていた。といっても試合結果で賭け事をしていた訳ではなく、純粋にフットボールファンとしての意見のぶつけ合いである。
マフィアというよりはチンピラというイメージの方が似合うであろう二人は、本来なら今日は特に予定のない暇な休みの筈だったのだが、彼等にとっての上司に値する人間に朝方緊急の呼び出しを食らい、集合場所に向けてこうして外出しているのであった。
「っ、はぁ~せっかくの休みだったのによ~」
「俺なんて昨日はテッペンまで賭博場の見張りやらされてたんだぜー。その後徹夜でサッカー見て、これから寝ようとした矢先に呼び出しって勘弁してくれよなー」
「っ、まるでお前だけ忙しかったみて~な言い方だな、こっちもお前と同じ店の中で警備してたんだぞ!」
「お前は酒の匂いとコンパニオンのケツ見ながら仕事出来たんだからいーじゃねーかよ。通りかかったサツと二回目が合ったんだぞ、さすがにチビりそーになったわ」
「っ、そ~かそ~か、そりゃ運が良かったな。ごくろ~さん」
「うるせーよ……はぁー、寝てたかったぜ」
「っ、はぁ~、寝てたかったな」
ソルジャーとも呼ばれる下っ端の構成員であるベールとクロス、彼等が属するアウロン地域の活動を任せられた組織を仕切るカポ・レジームと称されるマフィアの幹部から直々の呼集となれば、部下である彼等が拒否する訳にはいかない。
構成員として昨夜遅くまで仕事をし、その後遠く離れた地の欧米人同士のサッカーを視聴した疲れが抜けないまま幹部と会わなければならないのは、さすがに心身共にキツイものがある。
「っ、ま、仕方ね~よな。お姫様が出てきたんだから」
「そーだな、これで何回目だろーな。ワンさんの公開説教は」
彼等がお姫様と称しているのは、マフィア組織逆鱗を統べるボスの愛する一人娘、このアウロンにある大きな女学校に通っている十六歳の少女の事だ。
冷酷非道と裏社会では悪名高い逆鱗の総大将が、出会って一週間で結婚したイタリア人の妻との間に生まれた愛娘であり、ボスはとても彼女を溺愛し、彼女が望むならどれだけ金や労力を注ぎこんでも構わないとボスは本気で思っているらしい。
幼い頃彼女がイタリアのマフィアの方がかっこいいと口走った際、イタリアに支部を作ってそこを拠点にしようと本気で言い出したくらいだから、生半可な愛情ではないだろう。
そんな風に愛され過ぎて育ったせいか、アジア有数の大規模マフィアの一つである逆鱗のお姫様もまたクセのある性格の持ち主だった。
全寮制など意に介さず、月一回の学園脱走は当たり前、余所の組織から命を狙われる立場であるにも関わらず街中を堂々とうろうろし、騒ぎの絶えないアウロンに好奇心を丸出しにする無邪気さを持つじゃじゃ馬娘であり、彼女の身に危険が及べば彼女が住むアウロンを管理する構成員全員に彼女の父親であるボスにどんな罰が与えられるだろうか、想像するのも恐ろしい。
なのでこのアウロンでの活動を任せられた逆鱗の幹部であり真面目で厳格な性格のワンは、ボスから娘の身の安全の確保のため、彼女が学園から脱走する度に説教し、構成員達にも自分達がどれだけ危なっかしい爆弾を抱えているのかという事実を徹底して見せつけるのだ。
「っ、元気でかわいいのは良いんだがな~、あそこまでぶっ飛んでるとさすがにな~」
「あ、お前良いのかそんな事言ってー? ボスのお姫様への侮辱だぞー?」
「っ、仕方ね~だろ、俺は自分と同世代ぐらいにしか興味ね~んだよ。理想の女はアオゾラアイって、前にも言っただろ?」
「知るか。大体その女ってAV女優だろーが、またネットで拾った海賊版ばっか落としやがって。ズリネタを理想とか言ってんじゃねーぞ」
「っ、うるせ~! コスプレ系と妹系しか見ないてめ~よりマシだ!」
「あぁ!? 俺はちゃんとDVDショップ行って堂々と借りてんだよ! ネットでコソコソダウンロードしてるてめーとはちげーから!」
「っ、黙れロリコン、お前のアブノーマルなタイトルばっかを人前で借りるような図太い神経は生憎俺は持ち合わせていね~んだよ!」
額を突きあわせて不毛な言い争いを路上のど真ん中で繰り広げる二人に、周囲の通行人は忌諱の目を向けながら巻き込まれないよう彼等を避けて歩いていく。
実はベールとクロスの口喧嘩はアウロンではよく見られる光景であり、恐れているというよりはチンピラ二人がまた揉めているのかと呆れ半分に思っている者が多いのだが、本人達は全く気にしていないようだ。
そんなこの街の腫物のような存在の彼等が駅前の大きな交差点に差し掛かったところで、人混みの中を走ってきた一人の人間が肩をぶつけて接触してきた。
「ぬおっ!? っと、おいお前……!」
直接ぶつかられたクロスがよろめきながら相手を呼び止め、彼の代わりにベールが素早くその人物に接近して腕を掴んで強引に捕まえる。
「あぁ!? なんだよ!」
ぶつかってきたのはベール達に負けないくらい目付きもガラも悪い青年で、自分の体が当たった事に全く悪気を感じていないというのが一目で見てとれた。
「はぁー? 何だその態度は、てめー今人にぶつかってきたじゃねーかよ!」
「知るかよ離せよ! 急いでんだよ俺は!」
「だったら通行人にタックルしても良いと思ってんのかてめーは! 殺すぞ!」
「ど真ん中でノロノロ歩いてるお前等が悪いんだろうが、いいから離せ!」
青年を捕まえているのは力自慢のベールだが、青年と罵声を浴びせ合っているのはクロス、小柄だがマッチョなベールの背中に隠れるような位置取りで好き勝手に次々と汚い言葉を発している。
この二人が荒事に関わった時は基本的に肉体的な攻防はベール、言葉による精神的な攻防はクロスと性格に見合った役割分担がされており、これで何回も危険な状況を乗り越えてきた。
謝れ離せの言い合いはどちらも譲らず、やがて青年の方は無理矢理腕を振りほどいてこの場から離れようとするが、
「ぐっ……離せよお前!」
ベールの腕力は並のものではない、青年が全身の体重をかけて引き離そうとしてもビクともせず、接着剤でくっつけられているかのように腕をガッチリと掴んで離さない。
すると青年は何を悟ったのか、捕まれていない左腕の方をベールとクロスに見せつけるように掲げてきた。
「あん? 何だその手は」
「チッ……よく見とけよ」
そう口にした青年の声は若干落ち着きを取り戻した、というよりはどこか気持ちの据わった不気味さの伴ったもので、腕を掴むベールが怪訝そうに眉をしかめる。
そして次の瞬間、青年の左手の平に橙色の光が生まれたかと思うと、それが瞬く間に膨張していき周囲の景色がぐにゃりと歪む異様な光景が目に映った。
「っ、クロス下がれ!」
「ぐほっ!?」
青年の右腕から手を離し飛び退きながら、ベールが背後のクロスを肩から体当たりするような形で突き飛ばす。
「いって……何だよ急に!」
「っ、マジックか何かかよ」
地面に倒れながら投げかけられたクロスの問いに、ベールは前を見てみろと顎で示して答えの代わりとする。
「あーん? あれは……って、んん?」
クロスが腰をさすって立ち上がりながら視線を向けた先には、自分にぶつかってきた青年が何も持ってない筈の左手から、朱色の炎が燃え上がっている不可思議な光景があった。
「おいおいなんだそりゃ、マジックか? そんなバラエティ番組でたまに出る胡散臭い超能力者がやってるような子供だましでビビると思ってんのか?」
これでもマフィアの端くれとして何度か銃弾飛び交う鉄火場を経験した事もあるベールとクロスは、炎を見せつけられたぐらいで怯えたりはしない。
だが青年の左手にはマッチやライターといった火種は見当たらず、手の平の上で燃え続けているにも関わらず熱さに悶えたり苦しんだりする素振りは欠片もない。
「マジックか、ハッ、本当にそうだと思うか? なら受けて見るかよ、こいつをよ」
青年はなぜか勝ち誇ったようににやけながら、ベールとクロスに脅しとも取れる言葉をかける。
「てめぇ、ぶつかった事謝るのが先だろーが! そんなチャチな手品なんか見たくねーんだよ」
「うるせぇ、とっとと失せろ!」
暴言の後青年が左腕を振るったと思うと、彼の手の炎が弧を描くように伸び、それから光の強さを一気に増幅させた。
大道芸人が口から吹いた油に燃え移るかのように空気中の酸素が炎へと変化され、ベールとクロスの正面に壁のように広がる。
「っ、あっち!」
「熱、あつつっ!」
目の前に火炎が飛び散ってきて、たまらず二人はさらに後方へ飛び退き距離を置く、他の通行人もその異常な騒ぎをさすがに見て見ぬふりは出来ないようで、何事かと足を止めて警戒の目を向けてくる。
「ハハ! どうだ本物だぞ! 火傷したくなかったら邪魔すんな!」
そう吐き捨てると青年はベールとクロスに背を向けて、ちょうど信号が青になった歩道を走って渡っていこうとする。
「お、おい待て!」
クロスが叫ぶと同時に、ベールはバスケットボール選手のような機敏な動きで青年の背後まで肉薄する。
「っ、逃げてんじゃね~ぞ!」
「チッ、しつこいなぁこのっ……!」
尚も退かない二人に痺れを切らしたのか、青年が乱暴に左腕を振り回し威嚇をしてくる。
すると驚く事に、彼の左手に宿っていた炎がジェットエンジンから飛び出すような苛烈な火柱へと姿を変えた。
「っ、おいおいど~なってんだアレ!」
「知るか! アメコミのヒーローか何かかよ!」
マフィアという裏社会に住む人間とはいえ、二人共ドラッグやシンナーといったありもしない幻覚を見るようなジャンキーでは決してない。
目に映るのはオレンジの光、肌を撫でる空気は強烈な熱を持ち、目の前の青年の左手から出ているのは間違いなく本物の炎だと、本能的に体が結論を下す。
それに気づいた通行人達が次々にその場から離れていこうと走って逃げていく。
いよいよ大事になってきたと、幹部の元へ急がなくてはならないベールとクロスは面倒事に巻き込まれてしまった自分達の不運を呪う。
この際ぶつかられた事などどうでもいい、手から火を出すイカれた野郎を相手にはしていられない。
アイコンタクトでこの場から逃げようと決意するベールとクロス、青年から逃げ出そうと体の向きを反転させる。
その時、彼等の真横を物凄い速さで誰かが走ってすれ違っていった。
突然の事でその人物の顔を二人が捉える事は出来なかったが、視界の端に束ねられた長い黒髪が映った事ですれ違った人間が女性であるというのはかろうじて判断出来た。
「あ、なんだお前……うわっ!?」
直後、火を放つ青年の慌てふためく声に続いて、複数の人間が取っ組み合うようなドタバタとした騒々しい音が聞こえ、ベールとクロスは思わず足を止めて背後を振り返る。
数秒前まで誰も寄せ付けないように交差点の横断歩道の前で仁王立ちしていた青年は硬いタイルの歩道の上にうつ伏せに組み伏せられており、彼に圧し掛かるような形で別の人物の姿があった。
その人物は黒く長い後ろ髪をポニーテールにし、漆黒のコートを身に羽織った、まだ顔に幼さの残る若い女性で、噴き出る炎に怯みもせず青年を鋭い眼光で見下ろしていた。