かつての救世主
きっかけは些細な出来事だった。
その日の昼休み、クラスメイトの女子がお調子者の男子数人に家庭の貧しさをネタに馬鹿にされているのを目撃して、その少女は止めに割って入った。
子供特有の、思った事をそのまま口にしてしまう残酷さから友人を守ろうと、彼女も思いついたままに反論の言葉を放ち、気合で負けじと食い下がった。
そのうち周囲の他のクラスメイトも騒ぎを聞いて集まり、少女と男子達の口論もヒートアップし始めた、その時だった。
少女が感情を高ぶらせた瞬間、教室の天井につけられた蛍光灯が前触れもなく急に弾け飛んだのだ。
飛び散った破片にその場にいた者全員が怯み、結局少女と男子達による口論はうやむやになって中断され、その時はたまたま電灯が老朽化していたのだろうと駆けつけた教師も判断し、怪我人がいなくて良かったねという感じで片付けられた。
だが、その日を境に、学校の内外で度々不可解な現象が発生するようになる。
体育の授業中に突然使用していた機材が破損したり、下校中に道の脇に停めてあった車のボンネットが凹んだり、休日に遊びに行った友達の家の窓ガラスがなぜか割れてしまったり、とにかく彼女の周りにある何かが『破壊』されていったのだ。
誰かが殴ったりしたのではなく、劣化していたのでもなく、いきなり壊れていくという不可思議な現象は、刺激のある話を求める若者の間には瞬く間に広がっていった。
そのうち校内では怪奇現象が起こっていると噂になり、実際に起きた現象に尾ひれがついたデマも混ざり合って校外の町にも広がり出した。
そんな中で、誰かがポツリといったのだ。
発生した怪奇現象の殆どは、とある少女の近くでいつも発生しているのではないかと。
それは最初の現象、教室の蛍光灯が壊れた時にその場にいた、いじめられていた女子を助けた少女であった。
次第に周囲の人間が陰で彼女が怪奇現象の原因であると噂するようになり、いつしか本人に向けてその事に関する冷やかしや悪口をかけるようになった。
大半は根も葉もない噂だったが、彼女の近くで多くの不可思議な破壊が起きるのもまた事実であり、魔女狩りの対象者を探す気味の悪い雰囲気は彼女の周りから消える事はなかった。
彼女は気持ちを強く持って大抵の事では挫けず、女友達も庇ってくれたお陰でなんとか平穏に生活しようと心掛けていた。
しかしある時、最初の破壊現象の際彼女と対峙していた男子の一人が発したからかいの言葉で、彼女の頭の中でネジのようなものが一つ吹き飛んだ。
怒った、ただそれだけの事で、殴った訳でもないのに、その男子の頭部に破壊という現象が発生したのだ。
男子は額が割れる大怪我を負い、ショッキングなシーンを目撃した他のクラスメイト達にパニックを起こす結果となった。
今まで渦巻いていた彼女への疑いの目は、それを機に明確な恐怖へと変化していった。
彼女の周囲の誰もが彼女を忌み嫌い、侮蔑の視線を向けるようになり、彼女に近づく事を恐れて彼女から離れ、彼女と親しい者と見られるのを恐れて彼女から離れ、彼女は学校で孤立した。
彼女への恐怖心は学校の外、彼女の住む町にも広がり、孤独に苛まれていくようになり、そして最終的に身内である両親にさえ、彼女は忌み嫌われるようになっていた。
塞ぎ込み、閉じこもり、精神的に病んでいた彼女に悩み、強く言葉で当たった両親に対しカッとなった彼女、その意思に呼応するように部屋の内装が荒れ狂った。
様々なものが壊れ、宙を舞い、それが我が子によって引き起こされた事を恐れた両親の、その慄く様子に彼女はショックを受け、家を飛び出した。
あてはなかったが、この町に留まっていたくない、その一心でひたすら走り続けた。
逃げれば逃げるほど、これから自分がどうなるのかという不安と恐怖が込み上げ、感情が高ぶれば進む先々で何らかの破壊現象が発生していく。
自らの異常性で信頼を失った人間から離れようとするだけ、自らの異常性が示されていくのがどうしようもなく不快で、彼女は事あるごとに涙を流すようになっていった。
そんな日々を続けている中、夜に一人で外を彷徨う彼女を狙って、不良の集団の襲撃が起きた。
疲弊しきった彼女が若い男達から逃げ切れる訳もなく、あっという間に薄暗い路地裏に追い詰められ、彼女の脳裏に破壊現象で彼等を蹴散らすという方法が浮かんだ。
強い感情を持った時、その現象が起きる事を彼女はなんとなく理解していたからだ。
だがそれを自分の意思で行ってしまえば、自分が異常な存在であると認めてしまう事になると思い、彼女は自分の身に悪意を持った男達が迫ってきても尚、決断出来なかった。
力を使わなければ自分は酷い目に遭う、力を使えば自分が異常だと認めてしまう、その葛藤に苛まれ、溜まっていく感情を処理出来ず、自暴自棄という形で爆発させそうになった。
「じっとしてろ」
その時、彼女の肩にポンと何者かの手が置かれると同時に、そんな囁きが耳元で聞こえた。
途端、彼女は体から何かが抜けていって、髪の毛一本分ぐらい軽くなった気がした。
声の主は彼女よりやや年上の少年だった。
彼は彼女の前へ進み出ると、大勢の不良達に臆せず対峙する。
一方の不良達は突然介入してきた少年に敵意の矛先を変え、邪魔された苛々をぶつけようと絡もうとするが、
「援護は必要ない、関係ない人間が入り込まないよう警戒だけしてくれ」
涼しげな顔の少年は右手に持っていたスマートフォン越しに誰かにそう告げると懐にそれを納め、素手の状態で不良達と相対し、そして十人近い敵をあっという間に殴り倒して見せた。
地面に転がって悶える彼等を意に介さず、少年は振り返って彼女の方へと近づいてくる。
正体の知れない新手の人物に警戒心を緩めない彼女だったが、やがて少年は足を止め、こんな言葉をかけてきた。
「返すぞ、お前の力」
少年の手が再び彼女の肩を叩く。
その時彼女は、自分の体の中で欠けていた部分が埋められるような錯覚を感じ、そしてそれが自分の持つ異常な力である事をすぐに察した。
「……いらない、こんな力」
「なぜだ」
「私が持ってる力は、何かを壊す力。そんなもの役に立たない、持ってたらただの化け物になる……!」
危惧していた事を吐露するうちに目から熱い涙が零れ落ち、自分の境遇の孤独さに彼女は嘆くが、少年は冷たく固い表情を変えないまま、
「駄目だ、それはお前の一部だ。体の一部を捨てる事は出来ない」
「でも……この力のせいで、私は誰からも……!」
初対面ではあるが、少年は彼女の持つ異常な力について知っている口振りをしていた。
だから包み隠さず、自らの境遇の理不尽さを彼に吐き出す。
「こんな力を持ってたせいで、皆私を嫌いになった! 皆私を除け者にした! こんな力を持っているから、私の居場所はどこにもなくなったの!」
少年はしばらく彼女を凝視したまま無言を貫いていたが、
「確かにお前の力は普通の人間にはない危険で得体の知れないものだ」
抑揚の少ない声で彼女の異常性を肯定し、冷酷な事実を彼女に突き付けた。
「だが決して無駄な力ではない。お前の力を使う事で得られる居場所もある」
そして、迷いなくそんな言葉も同時に彼女に投げかけた。
「居場所……?」
「そうだ、そこならお前を除け者にする者は誰一人いない」
初対面の人間で、素性も知れない少年の抽象的な言葉だというのに、彼女はなぜか彼の言葉に強い説得力を感じた。
ボロボロになった心が、救いのある言葉を受け入れたがっているだけなのかもしれない。
それでも、彼女は少年が今まで自分を破壊現象の元凶だと恐れてきた者達とは根の部分が違うと直感した。
「……どこにあるの、その場所って」
「俺について来れば分かる。お前と同じ、異常な力を持った者が日常に溶け込むために努力をし合う、居心地の良い場所だ」
少年の言葉に、彼女の何者も信じられなくなり閉ざされていた心に、一筋の淡い閃光が差し込んだ。
それは、自らの異常な力の発覚から今まで経験してきた辛い逃亡の生活が終わりを告げ、彼女の異常な能力の持ち主としての人生の分岐点となった瞬間であった。