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04 この世界の脅威

 ◇◇◇


 転生して六年が経過――


 この頃には例の《聖紋聖典》も読めるようになり、お陰でこの世界の常識も色々と身についた。

 ただ後に判明した事実だが、実はこの本、内容が“三ヶ国語”に翻訳されていたのである。

 普段からこの辺りで使われている南方大陸の《ナーラ文字》と、中央大陸と東方大陸で使われている《オウラ文字》、そして西方大陸で使われている《セイラム文字》の三つだ。


 道理でページごとに書体が違うと思った。もっと早くに気付けという話なのだが――


(……でもさ、仕方ないじゃん?)


 違う文字でも微妙に似てるモノもあり、しかも書体や文法は違うのに内容は同じで混乱してしまい、解読にやたら時間が掛ってしまった。

 家族の中にも自国のナーラ文字以外を理解できる人はいなかったので、ほか二種類の文字は完全な手探り状態で理解するしかなかったのである。


(いや、ホントにマジで苦労した。危うくこの年で眉間に皺を作る処だった)


 この誤算のお陰で文字の書き方まではマスターしていないが、同時に三種類の文字が読めるようになったのは大きい。

 トータルで四年も掛かった訳だが、元の世界での学生時代を考えれば、寧ろとんでもない学習スピードだ。

 これは矢張り、この“子供脳”のお陰かもしれない。一度覚えた事は不思議なくらいスラスラと頭に入り、また簡単に忘れることもない。

 元の世界でも子供の頃にもっと勉強していれば、こんな感じに色々な事を覚えられたのかもしれない。


(ま、今更そんなこと考えても仕方ないか)


 所詮過ぎた話だし、当時は今みたいに将来の事なんか考えず、他の子供同様に馬鹿みたいに遊び呆けていたものだ。

 だが、今は違う。折角こうしてやり直す機会に恵まれたのだ。過去は過去で置いておき、今は目指す目標に向け邁進あるのみ。

 で、その一番肝心な“目標”の方はどうなっているのかと言うと――残念ながら、こちらは何の進展もなかったりする。


 六年前のパレード以来、あの巨大な勇姿を町中で見掛ける事は殆どない。

 偶に見掛ける事はあっても、なにやら大きな車両に乗せられて運ばれて行くだけで、実際に目の前で動く事は滅多にない。

 まぁある意味、巨兵とは元の世界で言う“戦車”みたいな物だ。特別な機会でもない限り、戦場以外で易々と動かせる代物ではないのだろう。

 まして俺みたいなただの子供が乗るなんて事は――いや、“ただの子供”ではないのだが――夢のまた夢といった処だ。


 なので今の俺にできる事は、成る丈多くの知識を頭に詰め込むこと。

 その点、日本の義務教育ってのは本当に優れた制度だったと思う。自分で調べなくても、向こうから必要な知識を提供してくれたのだ。

 それに比べこちらの世界では、幼いうちから教育施設に通える人間なんてほんの一握りに限られる。

 そのせいで同年代の中じゃあ未だに字が読めない子供が当たり前で、俺のように三種類の文字を理解できるヤツなんて一人もいない。


(ま、当たり前か)


 義務教育のある日本でも、たった六才で“日本語”と“英語”と“フランス語”が読める子供なんてまずいないだろう。

 ひょっとしたらどこかに一人くらい居たのかもしれないが、少なくとも俺はそんな天才児見た事も聞いた事もない。


(つか、六才って言ったら小学校に入学する歳だよな……義務教育関係なくね?)


 まぁそれはさて置き、ただ知識を詰め込むとは言っても、家で出来ることには限界がある。

 そこで今日の俺は、この世界の更なる知識を得るために、家以外のとある場所へとやって来ていた。


「ふむ……」


 顔を上げ、読んでいた本を閉じる。続けて肩や首を軽く回すが、これは転生前の癖みたいなものだ。

 子供の身体ってのは小さくて力がない分、どうしても一般の生活には不向きなのだが、本を読む際には肩が凝らなくて助かる。

 前世では集中して本を読んだりすると、ほんの数時間で目が疲れ、肩や首の辺りがバッキバキになったものだ。


(……ホント、若い身体ってのは素晴らしい)


 そうして、若い体というものの有難みをしみじみ感じていると――


 コンコン


「イセアさん、調子はどうですか?」

「あ、神父さま」


 そう扉をノックして入ってきたのは、ここ最近俺がお世話になっている教会の責任者――ラドック神父だ。


「お茶を入れました。少し休憩してはいかがです?」

「うわ、すみません。神父さま自らお茶出しなんかしてもらっちゃって」

「良いんですよ。私もちょうど手が空きましてね、自分の休憩のついでです。ささ、どうぞ」

「あ、いただきます」


 ラドック神父は隻腕である事を感じさせない動きで俺にカップを差出すと、それを受け取った俺は立ち上る湯気を二、三回吹き流してから中のお茶を頂いた。


 ズズズ――


 温かい湯気が肺に流れ込み、熱いお茶が胃へと落ちていく。

 少し冷たくなった身体が内側からじわり火照り、なんとも落ち着いた気持ちになった。


「フゥ……」

「いかがですか?」

「あ、美味しいです」

「フフ、そうですか」


 ラドック神父は聖職者らしい柔和な微笑みを浮かべると、自分もカップに口を付けた。


 ズズズ――


 出されたお茶は、この辺りで一般的に飲まれている“アルコ茶”だ。

 薄くて甘い花のような香りと、少しの渋みが特徴的なお茶だが、その渋みのお陰で余りお子様には人気がない。

 でもまぁ日本の緑茶に慣れた俺の舌には、そう大した渋さには感じない――と言うより、寧ろ少し物足りない位だ。


「フゥ……それで、今日は何の本を読んでいるのですか?」

「えっと、今日はコレを読ませてもらってました」


 今俺たちのいる場所は、町にある教会の書庫の中だ。


 今から二ヶ月ほど前、家の聖紋聖典を読み終わってしまった俺は、新しい本を読みたいと両親に相談したところ、この教会のラドック神父を頼るよう勧められた。

 五才になったあたりで一人での外出を許可された俺は、その言葉通りラドック神父に本を読ませてくれるよう頼んでみたところ、彼は快くこの書庫への入室を許可してくれた。

 本当なら毎日でも通いたいのだが、宿の手伝いもあり、今は週二回か三回のペースで足を運ばせてもらっている。


 因みにこのラドック神父だが、実は俺がコッチに転生した際、初めて目にした三人の内の一人だったりする。

 当時に比べて頭の寂しさが更に増して、白髪も増え、今ではすっかり優しい親戚のお爺ちゃんみたいな風貌だ。


(まぁあれから六年も経ったからなぁ)


 当時からそれなりにお年を召しておられたので、そうなるのも致し方ない。


「ほう、《巨兵開戦史書》ですか。イセアさんは本当に巨兵がお好きなんですね」

「はい。ボクの将来の夢ですから」

「そうですか。夢や目標があるのは良いことです。苦労や努力が苦になりませんから」


(仰る通りだと思います)


 寧ろ好きでやっている事なので、俺としては“苦労”どころか“努力”とも思っていない。

 人生とはこの程度の事で楽しくなるのかと感じつつ、お陰で元の世界に居た頃より確実に充実した日々を送らせてもらっている。


(それも、この本たちのお陰だな)


 顔を上げて周囲に目を向けると、書庫内に保管された多くの書籍を見る事ができる。その大半は教会らしく宗教関連の物が殆どだが、中には聖紋や聖紋機、そして巨兵に関する物もあった。

 無論、俺が最初に手を伸ばしたのは巨兵に関する本で、それ以外には余り興味は無かったのだが、巨兵という存在がどういった物で、何故造られ、そしてどう使用されているかを知る為には、どうしてもこの世界の“歴史”について知る必要があったのだ。


 でだ、その辺の説明を詳しくすると文量がえらい事になるので、大幅に端折った上でざっくりと説明しよう。




 ◇


 今から300年以上昔、この世界にある国々は頻繁に戦争をしていた。

 そりゃもう日本の戦国時代張りに、それぞれ大陸の覇権を争って日夜ドンパチやらかしていたらしい。

 争って、滅ばして、征服して、疲れたら偶に休戦して、元気になったらまた開戦の繰り返し。

 そんな時代に転生しなくてホント良かったと思う。


 そして、そんな不毛な争いを続けている最中、突如人類の前に《フェイスレス(かおなし)》と呼ばれる“化け物”が現れた。

 このフェイスレスがどういった存在なのか、詳しい事は解っていない。教会の教えだと、『南北の地より這い出る悪魔』と表されている。

 事実、その悪魔達は南北の極点に近い位置から現れ、赤道付近では殆どその存在が確認されていないらしい。


 そして厄介な事に、この人の形をした黒い霧のような化け物は、“触るだけ”で人間を殺す力を持っていた。

 しかも最初は一匹や二匹しか居なかったのに、数年後には万単位にまでその数を増やしたという。

 ゴキブリ並みの繁殖力があって、一発で人を即死させる毒針を持っているとか、絶対お近づきになりたくない。

 そんな厄介なフェイスレスが、多くの人や集落を襲い、その悉くを死に追いやった。勿論、人類も抵抗はした。

 でも、それまで人間相手に使ってきた道具や戦法は、その一切がフェイスレスには通用せず、殺されるだけの一方的な大虐殺ワンサイドゲームになってしまった。


 唯一の救いは、フェイスレスの足が異様に遅かった事だ。お陰で逃げる時間だけは十分にあったらしいのだが、その状況がまた別の悲劇を産み出す事になる。


(……まぁその悲劇の事はさて置き、今は結果だけ話そう)


 幾ら簡単に逃げ切れるとは言へ、うえしたから挟まれればそのうち逃げ場は無くなる。

 人類はそのまま何の打開策も見出せないまま窮地に陥り、一時は玉砕覚悟の反抗戦まで慣行しようとした。

 でもそんな矢先、人類の前に救済の手を差し伸べる者達が現れた。それが今の教会の前身、後に《聖紋教会》と呼ばれる集団だ。


 彼等は自分を神の使いと語り、当時窮地に陥っていた人類に現状を打開するための力――《聖紋》という名の“奇跡”を与えた。

 そして、この聖紋というのがとんでもなかった。間違いなくチート級の代物で、“物理法則”とか“エネルギー保存の法則”とかを軽く超越していた。

 名前が違うだけで、もう殆ど“魔法”と言って大差ない。これは明らかにオーバーテクノロジーの類――いや、果たしてコレを“テクノロジー”と言って良いのだろうか?


 まぁ兎に角、聖紋の力ってのは強大で、当時人類が抱えていた問題の多くを次々と、かつアッサリと解決してしまった。

 それまでさんざん人類を苦しめていたフェイスレスも、何故か聖紋の力であれば容易に打倒する事ができた。

 奪われた国土を徐々に取り戻し、食料問題を解決し、怪我や病に伏した人たちを回復させる。それは、まさに“万能”の力だった。


 同時に彼らは自らの神の教えを普及させ、それまであった他の宗教を押しのけ、瞬く間にこの世界の一大宗教にまで躍り出た。

 自分達を“神さまの使い”なんて言う連中の大半は胡散臭い奴等だが、当時の人類はそれまで散々自分の神さまに裏切られてきた人達だ。

 信じるだけで何もしてくれなかった神さまより、明らかな実利を齎してくれる聖紋教会に傾倒するのも無理はない。

 宗教に余り関心のない俺だって、そんな状況なら迷わず入信していただろう。


 そうして順調にフェイスレスから領土を取り戻し始めた人類だが、順調なのは最初の内だけ。

 敵もさる者、と言って良いのかは微妙だが、人類がフェイスレスを蹴散らしている最中、それまでとはまた毛色の違った奴――“新種”が現れるようになった。

 フェイスレスには文字通り“顔”、というか“身体”その物がない。だが、ソイツには確かな“実態”があった。

 その新種は最初のフェイスレスより足が速く、力が強く、そして口から上が無かった。その見た目からその新種は、《ヘッドレス(あたまなし)》と呼ばれるようになった。

 コイツについても詳しい説明は省くが、要はフェイスレスの上位種みたいなモノだ。


 それまでは聖紋の力でアッサリ倒せたフェイスレスだが、ヘッドレスが出てくるようになってからというもの、聖紋だけでは勝つことが難しくなった。

 そこで作り出されたのが、聖紋の効果をより効率的に引き出し、確実にフェイスレス達を倒す為の道具――聖紋機だった。

 そして、この時点から人類とフェイスレスとの戦いは、その複雑さを増して行く事になる 要するに、人類による聖紋機の進歩と、フェイスレスの進化によるイタチごっこが始まった訳だ。

 聖紋機が進歩すればフェイスレスが進化し、フェイスレスが進化すれば聖紋機が進歩する。そんな事を繰り返しながら作られたのが、あの巨大人型兵器。


 《聖紋巨兵》と呼ばれる代物だった。




 ◇


 ――以上が、現在の人類が置かれている状況であり、聖紋巨兵が造られた経緯だ。


 時々この町を横切って運ばれる巨兵は、この町より南方にある前線基地へと運ばれる途中か、もしくは北方にある軍事施設へと戻される途中だった訳だ。

 北方の軍事施設から送られた巨兵が南方の前線に配備され、南方の前線でフェイスレスと戦い傷付いた巨兵は、北方の軍事施設へと戻され修復される。

 俺たちの暮らすこのレディウスの町は、その為の中継地点として利用される、いうなれば宿場町ってヤツなのだ。


 この町の収入の多くも、町に立ち寄るそんな軍人達に頼っている。


 宿に泊まる軍人、食事を取る軍人、物資を購入する軍人。ウチの宿屋に泊まる客も、その大半が軍関係者だ。

 軍隊と聞くと、どうしても怖かったりガラの悪い連中を想像しがちだが、この町ではそれ程素行の悪い奴はいない。

 多分この世界の歴史や聖紋教会での教えのお陰なんだろう。時たま仲間内でふざけるような事はあっても、皆自分の兵役に誇りを持っている節がある。

 “お国のため”ってヤツなんだろうか? 元の世界で戦争と無縁の生活をしてきた俺には、ちょっと理解しがたい心情だ。


(まぁもし俺自身が戦うなら、国の為というより家族の為、それか仲間の為ってところかな)


「ですが、聖紋巨兵の操士になるためには、並ならぬ努力が必要とされます」


 自分のカップを机に置き、ラドック神父は優しさの中に少しの硬さを含ませた口調でそう言う。

 因みに“操士”とは、巨兵を動かす人物の総称で、もっか俺が全力で目指しているモノの事である。


「軍学校を卒業するだけじゃ駄目なんですか?」

「軍学校を卒業するだけでは操士になる事は出来ませんね。卒業後、正式に軍に入隊し、さまざまな条件を満たす必要があります」

「そうなんですか」


(それは知らなかった。やっぱりこの人との会話は為になる)


 本を読めば色々な事が理解できるが、逆にソレ以外の事は分からない。その点このラドック神父は、その昔正規の軍にいた事のある元軍人だ。

 実際の戦場についても詳しく、聖紋巨兵を動かした事はないらしいのだが、間近で戦っている処を何度も目撃した事があるという。


(……羨ましい)


 長いこと戦場で戦ってきたが、歳をとった事と戦闘で左腕を失った事もあり、軍を退役した後こうして教会の神父をしている。

 俺がこの書庫に来るのは本を読む為でもあり、こうしてこの人から直接現場の話を聞く為でもある。

 やっぱり現場の声ってのは参考になる。本では知りたくても知れない細かな情報が、次から次へと入ってくる。

 まぁ大分偏った情報ばかりだが、俺にとってはとても都合の良い環境だ。


(こうして偶にお茶も出るしね)


 ズズズ――


「フゥ……その条件というのはどういった物なんですか?」

「軍学校の成績なども選考の基準になりますが、他には操士としての適正検査、戦場での功績などもあります」

「うへぇ……」


 簡単に乗れると思っていた訳じゃないが、それを聞くだけでも面倒な事が伺える。確実に時間と手間の両方が掛かってしまう。

 出来ることならもっと手早く、かつお手軽に乗れる方法でもあれば良いのだが。


「……しかし、仮にそれらの条件をクリアしたとしても、確実に巨兵の操士になれるとは限りません」

「何故ですか?」

「そうですねぇ……」


 ズズズ――


 ラドック神父は少し難しそうに顔を歪めると、お茶で乾いた唇を湿らせてから言葉を続けた。


「聖紋巨兵の操士とは、言うなれば戦場において一番の“雛形”であり、最も“安全”な兵科なのです」

「“雛形”であり、“安全”?」

「事実、戦場でもっとも高い功績を挙げるのは巨兵の操士であり、その生存率は他の兵科に比べ圧倒的に高いのです」


(そうなのか、それも知らなかったな……)


「詰まり多くの人に人気があるから、競争率がとても高いという事ですか?」


 そりゃあ功績を挙げられる上に一番安全とくれば、巨兵の操士になりたがる連中は沢山いるだろう。

 かと言って、そいつら全員が乗る事のできる数の聖紋巨兵があるとは思えない。

 となれば操士の選考方法が競争性になるのは必至。選ばれるのは、その競争を勝ち抜いたエリート中のエリートという訳だ。

 簡単に乗れる方法どころか、寧ろハードルが上がってしまった。


「確かに操士になりたがっている者は多く、競争率が高いのも事実……しかし、現実はさらに厳しいモノなのです」

「どういう意味ですか?」

「……居るのですよ。資金や利権にモノを言わせ、その数少ない操士の席を狙う輩が」


(……ああ成る程、察した)


「一部の貴族や軍の高官の中には、自分の子供に箔を付けさせる為、無理やり操士の席を与える者もいるのです。純粋な能力が評価されないのは残念な事ですが、それもまた軍の実状というものなのですよ」

「それは詰まり、ボクみたいな小さな宿屋の出では、どんなに頑張っても操士には成れないって事ですか?」


(なんと言うかそれは……割りと本気で困るな……)


 そんな在りがちな優遇処置のせいで俺が操士になれないとか在ってたまるか。なんと言っても今の俺の人生設計の道程は、聖紋巨兵の操士にしか繋がっていないのだ。

 これは、今の内から何かしらの対策を練っておくべきかもしれない。具体的には有力者の家の養子になるとか、どこかの金持ちに恩を売るとか、弱味を握って脅迫するとか、いっそその貴族や高官のバカ息子どもを暗殺して数を減らすとか……。


「すみません」

「ブツブツ……え? あ、はい?」


 頭の中で暗い巧みを企てていると、何故かラドック神父が俺に小さく頭を下げた。


「せっかく将来の夢が聖紋巨兵の操士だというのに、このような水を挿すような話をしてしまって……」


(……ああ、そんなコトか)


「いいえ、気にしないで下さい神父さま。寧ろ早めに教えて頂いて助かりました。これからの参考にさせて貰います」


 するとそこで、ラドック神父は少しだけ意外そうな顔付きになる。


「今の話を聞いて、諦めようとは思いませんでしたか?」

「いえ、全然」

「ほう……」

「それに神父さま仰ったじゃないですか、『一部の』って。それは詰まり、中にはちゃんと実力が評価されて、操士になる人もいるって事ですよね?」

「ええ、軍とは決して道楽の類ではありません。そのような方も、確かに軍には存在します。寧ろ、そのような者の方が多いでしょう」

「それを聞ければ十分です。それだけでボクには操士を目指す価値があります。それに――」

「それに?」

「難しければその分、“挑戦し甲斐”があるじゃないですか」


 転生前の世界では、面倒な事や嫌な事も散々やってきた。でもそれは、必要だったからやってきた事であり、決して自分からやりたかった訳じゃない。寧ろ、やりたくない事ばかりだった。

 だがこの件に関しては、此れまでとはまるで事情が異なる。大変だと教えられ、それが難しいと理解する度に、何故か胸の奥から沸々と湧き上がってくるモノがある。


(“遣り甲斐”……か、前世まえじゃ考えもしなかったな)


 赤ん坊の頃、あの巨兵の行進を見た時に感じた胸の内の灯火が、六年経った今でも全く衰えていない事が解る。

 寧ろその“遣り甲斐”を感じる度に、その灯火がよりいっそう大きくなるのが実感できた。

 大変だろう。難しかろう。困難だろう。でも、さっきラドック神父が言ったように、今の俺にはそれ等が苦とは感じられない。

 逆に、その障害のひとつひとつを乗り越える度に目標へ近付けると思うと、今から楽しみで仕方がない。


(ま、簡単に操士になれる方法があるなら、そっちの方が良いとは思うけどね)


「……そうですか。なれると良いですね」

「はいっ、必ずなってみせます!」


 俺は胸の前で拳を固め、ラドック神父の言葉に強い頷きを返す。


「――っと、いけね。そろそろ帰らなきゃ」

「おや、もうそんな時間ですか。私も少々長い休憩になってしまいましたね」

「それじゃあ神父さま、今日はお茶まで出して貰ってありがとう御座いました」


 そう言って、ラドック神父に頭を下げる。


「また来週も来ますので」

「ええ、いつでもいらして下さって結構ですよ。あぁ、そうそうイセアさん」

「はい? 何ですか」

「帰りにちょっとしたお土産がありますから、シスターレティアから受け取っておいて下さい」

「ええ!? 良いんですか、俺がそんなの貰っても?」


 教会の神父として、一人の信者を特別扱いするのはまずいと思うのだが……あ、因みに今は俺も聖紋教会の信者だ。その方が何かと都合が良いんで。


「ふふ、勿論他の方には内緒です。ただ、イセアさんには良くこの老人の話し相手になって貰ってますからね。そのお礼ですよ」

「……まぁ、そういう事でしたら……」


 ラドック神父とは軍や巨兵の話以外にも、普通に雑談を交わす事もある。その時は礼拝の時のような堅苦しい話し方ではなく、丁寧だがもう少し砕けた感じの口調になる。丁度、今みたいな感じだ。

 教会の神父という立場上、きっとその肩の荷も重いのだろう。俺との会話でそれが少しでも軽くなると言うのなら、まぁ是非も無い。


「それじゃあ、さようなら神父さま」

「ええ。さようなら」


 こうして俺とラドック神父は書庫の前で別れ、シスターレティアからお土産を受け取った俺は、彼女に何かを言われる前にそそくさとその場を後にした。

 実は俺、このレティアさんが少し苦手だったりする。俺の両親と同じ位の年齢なのだが、彼女は何故かいつも俺の事を険しい表情で見詰めてくるのだ。

 かといって何かを言われる訳でもないのだが、口を開けば今にも怒られそうな雰囲気を醸し出しており、どうにも近寄り難い。

 ああゆう人に限って実は根が優しかったりするのだが、それを確認する度胸は俺にはなかった。


(触らぬ神に何とやら、くわばらくわばら)


 そうして、教会の外に出て家路に付こうとした時――


「――ん?」


 途中、ちょっと変わった格好をした女性とすれ違った。


 見た感じ、歳はまだ20代前後。顔立ちが良く、ショートに切り揃えた青い髪に黄色の瞳、そして白い肌と見た目は明らかにこの地方出身の人間だ。

 でも、その姿はこの辺りでは滅多に見ない軽装の鎧にマント、そして腰に挿した長剣と、まるで中世の騎士の様な出で立ちである。


(コスプレ……な訳ないよな)


 その可能性は、この世界に転生した当日に捨てている。


 帯剣している事から軍関係者だとは思うのだが、この町で良く見掛ける兵士の軍服とは明らかに異なっている。

 しかも着ている鎧には所々に装飾が施されていて品があり、背中の白いマントもかなり仕立てが良い。

 女性はその白いマントをなびかせながら、俺と入れ違いに堂々と教会の中へと入って行った。


(あれが噂に聞く貴族ってヤツか? でも、どうして貴族がこんな田舎町の教会に……?)


「……曇ってきたな」


(ま、子供の俺には関係ないか)


 それより、このままだと雨が降ってきそうだ。傘なんて持っていないので、降られる前にとっとと家に帰るとしよう。

 俺はラドック神父から貰ったお土産と、帰りの道が暗くなっても良いようにと親から持たされたランタンを持って家路を急いだ。




 ◆


 自身の家へと駆けて行くイセアの背中を、ラドックは二階にある自身の執務室から眺めていた。


「ふむ。予想とは少し違いましたが、まぁ良いでしょう」


 ラドックは先程書庫でしたイセアとの会話を思い返す。


 軍の内部事情、上層部の暗く汚いやり取りの一端など、本来ならばあのような年端もいかぬ子供にすべき話ではない。

 相手はこの国の、ひいてはこの世界の将来を担う貴重な人材である。先程の会話は、そのような人材が胸に抱いた純粋な希望に、いらぬ影を落としかねないモノであった。


 それでも彼がイセアにその話をした理由は、イセアが聖紋機兵に余りに傾倒していたからである。余りに一つの物事に拘り過ぎては、己の足元や周りが見えなくなってしまう。

 しかも彼はまだ幼い。ラドックとしてはたった一つの物事に集中するのではなく、今のうちから彼にもっと広い視野を持たせる心算であったのだ。

 だからそこ、少々厳しい現実を言って聞かせ、それを期にイセアの中にある聖紋機兵への熱を、少しでも冷まそうと考えていたのだが――


 その結果は、彼の思惑から大きく外れるモノとなった。


 ラドックの忠言はイセアの熱を冷ます処か、寧ろその決意をより強固な物へと変えてしまった。

 己の思惑が外れた事に若干の後悔はあったものの、同時にラドックの心中には、イセアに対するそれ以上の期待の念が芽生え始めていた。


「本物、と言う事でしょうか……」


 会話の終りに見せたイセアの瞳。その瞳を見た瞬間、ラドックは己の考えが浅はかである事を悟った。

 今年で六才になる少年の瞳に、ラドックはとても子供の物とは思えない、毅然とした意志の光を垣間見た。揺らぎなど無く、己の将来を明確に定めた者の瞳。

 幾多の戦場に赴き、多くの人物に巡り会い、そしてまた多くの仲間を失ってきたラドックには、そのような稀有な瞳を持つ者に幾人かの心当りがあった。


 あの手の瞳を持った人間は、底の浅い甘言や薄っぺらな妄言などでは揺らぎもしない。厳しい現実に突き当たって尚、その壁を討ち破って前へと進む者の瞳。

 先程の自身の発言など、まさにその甘言や妄言の類。あれでは熱を冷ます処か、逆に燃える炎に薪をくべるに等しい行為。

 そして、そういった瞳を持つ人間は、滞りや歪みを生み始めた時代の大勢に、必ずや新たな風を吹き込む一助となってきた。


「ならば私の役割は、彼が道を踏み外さぬよう、正しく導くことでしょう」


 ラドックは己の胸元に教会の印を切ると、短い祈りを天へと捧げた。

 今の彼に合わせる掌は存在せず、空は厚い雲に覆われていたが、万人の祈りは等しく神へと届けられるのだと、彼はそう信じている。


 コンコン――


 すると、背後の扉が叩かれた。どうやら、先程イセアとすれ違った人物が訪ねてきたらしい。


「神父様、レティアです。リリウス様がお見えになりました」

「お通しなさい」


 そうして、扉を開けラドックの執務室へ入ってきたのは、軽装の鎧を身に纏った短い髪の麗人。

 その人物は部屋の中央まで歩を進めると、右手のひらを胸に当て、前方のラドックに深々と頭を垂れた。切り揃えられた青髪がラサリと揺れ、僅かに彼女の頬を掠める。


「お久しぶりです。ラドック=ノウマン様」

「お止め下さいリリウス殿。今の私は教会のいち神父に過ぎません、貴女のようなお方にそのように呼ばれては立つ瀬がない」

「いえ。ラドック様とは父の代よりの付き合い。私の事も、どうか以前のようにアリスとお呼び下さい」


 顔を上げ、真面目な顔を崩さず喋る女性に向け、ラドックは今日一番の微笑を浮かべた。


「ははは、流石にリリウスの家名を正式に継いだお方をそうは呼べませんな。ここはアリステア殿で妥協して頂けませんかな?」

「む……ならば、これからは自分もラドック殿と呼ばせて頂きます」

「それで構いません。前月は招待に応じられず、まことに申し訳ありませんでした。改めまして、お家の御襲名、おめでとう御座います」


 そう言うと、今度はラドックが深く頭を下げた。


「ありがとう御座います。此れより先も、慢心なき精進を続けていく所存です。ラドック殿に置かれましては、より一層のご指導ご鞭撻の程を」

「ええ、私にできる事でしたら喜んで」

「感謝いたします。つきましては、“例”の件なのですが」

「承知しております。内容の性質上、公にする事はできませんが、当方としましては協力を惜しみません」

「重ね重ね、痛み入ります」

「しかし、これは本当に当人からの申し出なのですか?」

「はい。間違いなく、我が主たっての要望です」

「成る程……」


 するとラドックは目を瞑り、暫しの間考え込むように口を噤む。


「ラドック殿、如何なされましたか?」

「……いえ。貴女の主につきましては、少なからず噂を伺った事があります。中々の御慧眼の持ち主だとか」

「はッ、恐縮です」


 自身の主を評されたのが気に召したのか、それまで硬かったアリステアの表情から目に見えて角が取れていく。

 それだけで、彼女が自らの主を余程好いている事実が伺えた。


「是非一度、お会いしてみたいものです」

「機会が御座いましたら、是非に」

「ええ。楽しみにしています」


 ラドックはそこで一端言葉を区切ると――


「(これも神の思し召しかもしれませんね)」


 目の前のアリステアにも届かない小さな声で、彼は微かにそう呟いた。


「は? 今なんと?」

「いえ、何でもありません。ところで、お父上はお元気ですかな?」

「は、はい。未だ健勝です。本人は生涯現役と謳っていましたが、此度の私の家督襲名を持ちまして、長年勤めた職を自ら辞しました」

「そうですか。しかし彼のことだ、暇を持て余しているのではありませんか?」

「いえ、本人はこれを期に、ラドック殿との釣り勝負に決着を付けるのだと息巻いていおります」


 そう言って、アリステアは顔に薄く苦笑を浮かべる。


「ふふ、分かりました。その機会には是非お相手させていただきましょう」

「恐縮です」


 因みに、アリステアの父親がラドックとの釣り勝負に勝った事は一度もない。しかし当の本人が負けを認めない限り、彼等の勝負の決着はまだ先の話になるだろう。

 お陰でラドックも此れから先の短い余生に、まだ暫くの楽しみを残しておく事ができる。


「……あ」

「? 如何なさいましたかな?」

「雨が……」


 見ると、窓ガラスに幾つか水滴が付き始めていた。


「ああ、降ってきましたか」


 程なくして雨はその勢いを強め、窓を叩きながら周囲の空間を雨音で満たす。

 冬の長いこの地域では、恐らくこれが今年最後の雨となるだろう。


「それでは、本日はこれにて失礼いたします」


 それから凡そ二時間ほど会話を交わした後、ラドックとアリステアの会談は終わりを迎えた。


「また当日、主と共にご挨拶に伺います」

「畏まりました。帰路には重々お気を付け下さい」

「はい。それでは、失礼いたします」


 アリステアは入ってきた時と同じく胸に右手を置き頭を下げると、ラドックの執務室より退室する。

 教会を出て離れて行くアリステアの背中を、ラドックはイセアの時と同様に執務室の窓から見送った。


「……矢張り、神のお導きなのかもしれませんね」


 ラドックが見上げるその空に、もう冷たい雨を降らす雲はない。

 この時の彼は、イセアと、そしてもう一人の人物の出会いを、薄々ながらに予感していた。

 その二人の出会いが、これから先の彼等の時代に、これまでに無い新しい風を齎すであろう事も……。


 そして、後にそんな彼の予感は、その予想を遥かに上回る規模で実現する事となる。


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