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03 《聖紋機》ってなに?

 ◇


 どうも皆さん、異世界からの転生者――イセア=ロアです。


 先日、兄ゼオルから《聖紋機》なる物の存在を聞かされた俺は、早速その聖紋機とやらについて調べてみる事にしました。

 取り合えず、まずは手近な家族に声を掛けてみた処、聖紋機とは『神様が人間に分け与えてくれた奇跡の一端』――なのだそうです。


(……何すかソレ?)


 ウチが信心深いとは知っていたが、突然そんな抽象的なこと言われても訳が分からない。

 宗教に関心の薄い元日本人の俺としては、中々に受け入れ難い内容だ。


(……あれ? でも待てよ)


 過去、そんな内容の話をどこかで聞いた気がする。


(あれは確か……)


 そうだ、毎週強制参加させられる礼拝の日に、教会の神父がよく言っている文句と同じだ。

 興味がなかったので殆ど聞き流していたのだが、次からはもっと真面目に聞いても良いかもしれない。


 まぁ礼拝の件は置いておくとして、そんな説明だけでは分かるモノも分からない。なので俺は、直接この目で聖紋機を拝んでみる事にした。

 幸いな事に今日は――と言うか今日“も”――宿泊客がいないので、手の開いていそうなタイミングを見計らい、母親のイデアに声を掛けた。


「え? キッチンが見たいの?」

「うん!」


 先日の兄ゼオルとの会話で、料理にも聖紋機が使われているのは調査済みだ。

 だが、大人たちからすればキッチンという場所は刃物やら尖った物の巣窟であり、俺みたいな三才児を簡単に立ち入させたくはないだろう。

 なので現在、俺はキッチンへの出入りを硬く禁じられている。勝手に一人で入ったりしたら、間違いなく大目玉を食らう羽目になる。


「ホント変わった子ねぇ。外で遊ばないで本ばっか見てるかと思ったら、今度はキッチンが見たいだなんて」


(“見る”だけじゃなく、一応“読む”努力もしてるんですよお母さま……)


「だめかな母ちゃん?」

「うーん。本当なら入れたくないけど、イセアはちゃんと言うコト聞いてくれる良い子だから、特別に入れてあげても良いわよ」

「ありがとう母ちゃん!」


 成る程、こういう時に日頃の行いが生きてくるのか。


「でも一人の時は絶対入っちゃだめよ。それと、物には勝手に触らないこと」

「はーい」


 こうして俺は、母親同伴で初めてキッチンへの入室を許可された。


 ウチは宿屋をやっているが、客室は全部で三つしかない小さな宿だ。なのでキッチン自体そう大きなモノじゃなく、広さは一般の家庭とそう変わらない。

 一般の家庭と違う所といえば、キッチンとダイニングの間が吹き抜けの壁で区切られているくらいだろう。

 その窓から出来上がった料理の配膳や、食べ終わった後の食器の回収とかをしてる訳だ。


 そうしてキッチンに足を踏み入れると、油っぽい独特の空気が鼻を突いた。


「へー……」


 俺は家の中で初めて見る光景に感嘆の息を吐いた後、早速お目当ての聖紋機の捜索に乗り出そうとしたのだが――直後、思わぬ障害にぶち当たった。


(……み、見えん)


 この世界に転生して三年、寝たきりの赤ん坊だった頃よりだいぶ身体はデカくなったものの、それでも所詮は三才児。

 対して周りにある家具や道具は、当然ながらその全てが大人サイズだ。今の俺の身長じゃあ、いくら背伸びをした処でシンクの中すら覗けない。


(仕方ない、ちょっとこっ恥ずかしいが)


「ね、ねえ母ちゃん」

「どうしたの?」

「だ、抱っこして」

「あらー。ウフフ、いいわよー」


 その申し出を聞くと、イデアは躊躇することなく俺の身体を抱き上げた。


「これで良いかしらー甘えん坊さん?」


 口ではそう皮肉めいた事を言うものの、その表情はニコニコと実に嬉しそうだ。対する俺は嬉しいやら恥ずかしいやら……。

 これまでの付き合いで彼女を女性として意識する事はないのだが、親に甘えるという行為がどうにも苦手だ。むず痒くてしかたない。


(まったく、中身がオッサンだとこういう時に苦労する……)


「フフ、ンー♪」


 しかし、何故だかイデアの方はやけにご機嫌で、ほっぺにチューまでされてしまった。


 まぁそれはさて置き、これでようやく辺りが見渡せる。

 俺は抱えられたまま周囲を見ると、さっそく壁際のシンク横に奇妙な物を発見した。何やら金属で出来た台の上に、直径20センチ程の円が描かれている物が有る。

 その円の中には、それよりも更に小さな円や線が何重にも描かれていて、前衛芸術? ミステリーサークル? 漫画やアニメで見るような、“魔法陣”っぽい様相を呈していた。


(何じゃこりゃ?)


 ただの装飾って訳じゃなさそうだけど、これが聖紋機ってヤツか?


「ねー母ちゃん、アレなーに?」

「んー、お母さんはいつもここでイセア達のご飯を作ってるのよー」


(いや、そういう事を聞きたい訳じゃないんです)


「ど、どうやって使うの?」

「アラなぁに? 今度は料理に興味が出てきたの? そうねー、イセアがもう少し大きくなったら、お母さんのお手伝いしてもらおうかなー」


 そ、そりゃあ手伝いをすること自体は吝かじゃないんですがね、そんなに顔をスリスリしないで頂けないでしょうかお母さま。

 口には出さず黙って甘受するが、そんなに擦られるとボクのプニプニほっぺが減ってしまいます。つか、アナタそんなに子煩悩でしたっけ?


「コレはねー、こうやって使うの」


 イデアは上機嫌な様子のまま、実際にソレの使い方を見せてくれた。


「ここの摘みをこうひねると、ここの《聖紋》がもの凄く熱くなるの。触っちゃダメよ」


 言いながらイデアが手前の摘みを回すと、徐々にその模様が蒼く発光し始める。


(って、発光ッ!?)


「ココにこうしてお鍋とかを置いて、お芋とか卵とかを調理するのよ」


 どうやら、この丸い模様が件の聖紋らしい。察するに、この聖紋を利用した道具の事を総称して聖紋機と呼んでいるのだろう。

 でも、コレってどんな原理で熱くなってんの? そんでもって何でこんな蒼色に光ってんの?


「どうしてこの聖紋は熱くなるの?」


 気になったので聞いてみる。


「え? そうねー……お外が寒くてもイセアたちが暖かく暮らせるようにって、神さまがお力を貸してくれているからかしら」

「ふ、ふーん……」


 違うんですお母さま、ボクはそう言う事を聞きたかった訳じゃないんです。


(でもまぁ、これで家に煙突がない理由がハッキリしたな)


 そもそもこの家では余り火を使わない。料理とか熱を使う際には聖紋機を利用するから、薪や石炭を燃やす必要がないのだ。

 だから煙が出ない、だから煙突がいらない――つまりはそういう理屈らしい。


(けど、結局神さま云々の話になったか……)


 俺が子供だからか、それともこの世界では当たり前すぎる現象だからなのか。

 かの有名な発明王のように、『鉄を熱すると何故赤くなるのか?』なんて質問された処で、俺も詳しい原理なんか解らない。

 もっと知りたければ、専門家のような人に聞くか、それともやっぱり自分で調べるしか――


「うん?」


(……何だ、“アレ”?)


「さ、もう満足した? お母さんする事があるから、そろそろ戻るわよ」

「う、うん。ありがとう母ちゃん」


 イデアに抱かれたままキッチンの外へと連れ出された俺は、次にこんなコトを彼女にお願いしてみた。


「ねー母ちゃん」

「ん、なぁに?」

「ボク、次は“地下室”が見てみたい」

「えぇ??」


 そう、我が家には地下室も存在する。

 普段は物置として利用されているが、ボイラーが設置されているのもあそこだった筈だ。

 キッチン同様、地下への出入りも禁止されているため、親の許可がなければ入る事ができない。


「今度は地下室なの? 何も面白い物なんかないわよ」

「お願い母ちゃん。どうしても見たいんだ」

「そうねー……」

「何だ? どうした二人して」


 すると、そこに父親のゼルガが通り掛った。


「アナタ。それが、イセアがどうしても地下室が見たいって言うのよ」

「ん? イセア、何か見たい物でもあんのか?」

「……ボイラーを見たいんだ」


 一瞬どう言い繕ったものか迷ったが、結局は素直に本音をぶつけてみた。


 三才児らしからぬ発言だと理解しているのだが、俺はただでさえ両親に前世の記憶がある事を隠している。この親切な両親に対して嘘を吐き続ける事に、多少の後ろめたさを感じているのは事実だ。

 俺にとって“本当”の両親は元いた世界の二人だが、この夫婦もまた“本当”の両親である事に変わりはない。

 だからこそ、せめてこの人達には誠実でいようと思っている。例えそれが、独り善がりのエゴだとしてもだ。


「フム、ボイラーか……」


 それを聞いたイデアは案の定困惑した顔付きになり、ゼルガは思案するように自分の髭を撫でている。


 そして――


「よし、じゃあ父ちゃんと行ってみるか?」

「いいの?」

「興味があるんだろ? まだ一人じゃ行かせられないが、父ちゃんと一緒なら問題ねぇよ」


 ゼルガはそう言ってニカッと笑うと、そのデカい手の平で俺の頭をワシャワシャとかき混ぜた。


「アナタ……」

「そう気にすんなイデア、この年頃は何にだって興味を持つんだ。寧ろ知りたいってんなら進んで教えてやって、危ねぇモンは危ねぇって言ってやった方が良い」


 危険な物は隠すより、寧ろ率先して教えた方が安全という事か。

 成る程、ゼルガらしいサッパリとしたモノの考え方だ。


「……そうね、じゃあお願いするわ。イセア、お父さんの言うことをちゃんと聞くのよ」

「うん。分かった」

「アナタ、イセアを抱えて行ってあげて。あそこの階段は急だし、私何か不安だわ」

「ああ。よーしイセア、いっちょ我が家の地下へ冒険と行くか」


 ゼルガは俺の体をヒョイと抱え上げると、用意したランタン片手に地下室への階段を下りて行く。


 その時の俺は、自分でも少し急ぎ過ぎていると思った。当初はキッチンの中を覗くだけで、地下のボイラーはまた次の機会に回そうと考えていた。

 だが、さっきのキッチンである物を見た瞬間、どうしても地下室を確かめてみたくなってしまったのだ。


 ゴツゴツと階段を下りる足音を立てながら、俺とゼルガは暗い地下室へと到着した。

 入口の扉が開いているのでまだ少しは先が見えるが、あそこが閉まれば本当にここは真っ暗になるだろう。

 採光用の窓はなく、昼間だと言うのにランタンなしで奥を見る事はできない。何の比喩でもなく、まさに一寸先は闇の状態だ。


「怖いかイセア?」


 俺は無言で首を振った。


「お、いっちょまえに度胸があるじゃないか。流石は俺の息子だ」


 確かにこの暗闇は、大人だった頃でも多少は尻込みしてしまっただろう。

 だが、こっちの世界に来てから感じる例の“モヤモヤ”のお陰で、目に見えなくてもどこに何があるのかが大体把握できる。

 例え視界の効かない真っ暗闇でも、行って帰ってくる位なら今の俺には問題ない。


「よし、じゃあ行くぞ。ボイラーはこっちだ」


 ゼルガは俺を抱え直すと、ランタンをかざし地下室の奥へと足を進めた。




 ◆


 自身が営む宿屋の帳簿を付けながら、イデア=ロアは悩んでいた。


「ふぅ……」


 因みに、赤字の続く帳簿の内容に悩んでいる訳ではない。


 無論そちらも悩みの種ではあるのだが、町外れにあるこの宿屋に客が少ないのはいつもの事だ。

 だが多少宿の売り上げに赤字が続こうと、この家には今は亡き夫の両親が残してくれた家畜達がいる。

 彼らが与えてくれる卵や乳、毛や角等による稼ぎをやりくりすれば、家族四人が慎ましく暮らす分には問題ない。


 ……“三人目”は難しそうだが。


「――じゃなくて」


 しかし今の彼女の悩みの種は、彼女の三才になる二人目の息子、イセアについてであった。


 彼女が自分の息子に違和感を覚え始めたのは、イセアが生まれて半年ほど経った頃の事だ。

 最初は小さな違和感でしかなかったのだが、イセアの育児を続けるうちにその違和感は確信へと変わっていた。

 イデアにとってイセアは――余りに“手間の掛からない子供”だったのだ。


 もし彼女の最初の子供がイセアであったなら、イデアはその違和感に気が付かなかったかもしれない。


 最初の子供であるゼオルの世話をした時は、彼の夜泣きに頻繁に起こされ、寝付かせるのに苦労し、理由も分からずグズり続ける彼を延々あやし続けた事もあった。

 その頃はまだゼルガの両親も健在で、彼等から子育ての多くを学び、そして助けられたものだ。

 だが、そんな義両親の助力があったにも関わらず、彼女は子育ての大変さというモノを、此れでもかと言う程に味わった。


「けっこう覚悟してたんだけどなぁ……」


 しかし、彼女達の二人目の子供であるイセアは、一人目のゼオルとは大きく異なっていた。


 クズったり夜泣きをする事は滅多になく、とても静かで寝付きも良い。

 夫の両親が亡くなった後に産んだ子供だった為、一人目より大分苦労するだろうと身構えていたイデアとって、その状況はいささか拍子抜けと言えた。

 だが手の掛からない反面、イデアはイセアに赤ん坊特有の感情の起伏を感じる事ができなかった。彼は泣きはしないのだが、同時に余り笑いもしなかったのだ。


「ウチの人は、余りそういうの深く考えないし……」


 その事を、父親であるゼルガは些細な事と気に留めなかったが、母親であるイデアはそれが何かの障害であると疑った。

 事実、イセアは生後三ヶ月目にして、原因不明の高熱に侵された事がある。

 その為イセアの違和感に気付いたイデアが、その状態を高熱による後遺症と考えてしまうのも無理からぬ話であった。


「でも、神父さまは大丈夫って仰るのよねぇ……」


 しかし彼女のそんな心配を余所に、イセアはなんの問題もなく順調に成長した。

 立って歩くようになるのも、言葉を話すようになるのも兄のゼオルより早く、此方が話すことを良く聞きわけ、一度たりともそれを破る事はなかった。


「すごく良い子なのは分かるんだけど、もうちょっと、こう……」


 だが、三才になった現在でも、イセアの感情の起伏は小さいままである。駄々をこねる事も、母親である自分に甘えてくる事も滅多にない。

 ちゃんと自分達に好意を寄せてくれている事は解るのだが、どこか素っ気ないその態度は、時にイデアをとても寂しい気持ちにさせた。


 お陰でイセアから偶に何かを懇願されると、イデアは嬉々としてそれを受け入れてしまうようになっていた。

 絶対に無いとは思うのだが、仮にもし何かとんでもない事を頼まれたとしても、恐らく彼女は舞い上がって簡単にソレを引き受けてしまうだろう。

 事実、先程キッチンで抱っこをせがまれた時などは、思わずその場で小躍りしそうになった。

 大好きな息子を抱き上げて、頬ずりして、頬にキスをして、その際ちょっと恥かしそうにする顔を見た時には、半ば本気で食べてしまいたいとすら思った程だ。


「アレは将来、ぜったい女を泣かせるわね」


 などと、この先あるかどうかも解らない心配をし始めるイデアだが、彼女の心配ごとはソレだけには留まらない。


 あの年頃の子供は、様々な物に興味を示す。それは彼女の息子であるイセアも同様なのだが、なぜかイセアに限っては、その対象が他の子供達とは明らかに異なっていた。

 先程のように『キッチンを見たい』とか『地下のボイラーを見たい』とか、普通の子供ならまず言い出さないような事を言うのが良い例だ。


 他にも近所の子供達のように外で駆け回る事はせず、家の中で読めない本とずっと睨み合いを続けていたり、庭に出て虫や草をジッと見詰めていたかと思えば、家で飼っているキョロ鳥やヤッコ相手に遊んでいたりする。

 その遊び方も鳥たちを無闇に追い回したり、尻尾を引っ張ったりするのではなく、ただ横にいて眺めたり、優しく撫でたりするだけなのだ。


 それは、イセアが優しい心と思いやりを持っている証拠でもあるのだが、同年代の中では落ち着き過ぎているようにも感じられた。


「――というより、何か妙に年寄りっぽいのよねぇ」


 普通の子供とはその感性が微妙にずれているイセアだが、イデアが彼を心配する理由は他にもある。それは、彼の容姿に関するモノだ。


 南大陸アウディオロに暮らすイデアたち“アウディス人”の容姿は、青い髪に黄色の瞳、そして白い肌が特徴的な人種である。

 中でも特に目立つのが、彼らの前髪中央の生え際から生える水色の頭髪だ。

 何故かその一部だけは周りの頭髪より色素が薄く、それ故にアウディス人はこの世界で唯一――“二色の頭髪”を持った人種でもある。


 だが、彼女の息子であるイセアは違った。


 身体的な特徴は他の者と変わりはないのだが、何故か全体的に身体の色素が濃いのだ。

 肌は他の者と違い色付きが良く、暗い黄色の瞳はまるで金色で、頭髪にいたっては光が当たらなければ判らないほど黒に近い藍色。そして特徴的な前髪も、他の者より色の濃い青色である。


 何故イセアだけが、このような容姿に産まれついたのかは分からない。

 彼がイデアとゼルガの息子である事に疑いの余地は無いのだが、両親双方の家族や親戚の中にも、彼のような容姿の者は一人としていないのだ。

 言動が他の子供達とはズレており、その容姿も明らかに周りから浮いている。

 そんな我が子を見た者の中には、心無い事を言う者もおり、無論その声はイセア本人の耳にも届いていた。


 そのような言葉を掛けられる我が子が、母親のイデアには不憫でならないのだが――


「けど、本人は気にも留めないし……」


 しかし、そのような言葉を掛けられるイセアの態度は、どのような時も飄々としたものであり、まるで気にする様子がない。

 逆に心配するイデアを気遣って、『キにしちゃダメだよ』と励まされる事すらある始末。これではどちらが大人なのか判ったモノではない。


「結局は、私がシッカリしなくちゃいけないって事なのよね」


 これから先、例えイセアに心無い誹謗中傷が投げ掛けられようとも、何より自分こそが毅然としているべきなのだ。

 子供に規範を示すべきは、大人であり親である己の役割。

 難しい事ではない。他の子供と見た目や言動が違おうと、自分の子供を愛さない親などいはしないのだ。

 事実、愛おしい二人の息子を授かったイデアもまた、自分の子供たちを生涯愛し続ける事に迷いなどない。


 ならばそんな息子達に、そしてその息子達を取り巻く環境に、自分がどのような引け目を感じる必要があると言うのか。


「よしッ、お夕飯でも作りますか!」


 諸々の悩みは悩みのまま、結局は解決されてはいないものの、自分の中で方針を定めたイデアは、早速自分の母親としての役割を果たす事にした。

 開いていた帳簿に区切りをつけ、夕食の支度のためにキッチンへと向かう。水を張った鍋を聖紋機の上に乗せ、そのまま手前の摘みを捻り鍋の水を沸かそうとする。


「……あら?」


 が、幾ら摘みを捻ってみても、聖紋機が光を発する様子がない。


「変ねぇ?」


 聖紋機の聖紋は、発動するといつも必ず蒼い輝きを放つ。

 先程、イセアと一緒に使用した際には問題なく光を発していたのだが、何故か今はそのような様子がまるでない。

 試しに手を聖紋の上にかざしても、金属特有のヒンヤリとした感覚が返ってくるばかりで、一向に熱は伝わってこなかった。


 聖紋機の故障か、はたまた聖紋へのエネルギー供給が途絶えたのか。

 残念な事に、イデアにはそれを判断するだけの知識がない。この家での聖紋機のトラブルは、全て夫であるゼオルが一任している。

 彼女が知っている事は、あくまで聖紋機の使い方のみであった。


「んもぅ」


 せっかくやる気を出したというのに、このままでは調理が始められない。

 困ったイデアは地下室の入口へと赴くと、下へと続く階段に向け声を投げた。


「ねー、アナター?」




 ◇


 暗い地下室へと降りてきた俺とゼルガは、目的のボイラーを目指して進む。


 イデアがキッチンで聖紋機の使い方を実践してくれた時、彼女はその手前にある“摘み”を回していた。

 摘みがあるという事は、それによって“出力を調節”できるという事だ。そして出力を調節できるという事は、何所からか聖紋機を使うための“燃料”が供給されていると考えていい。

 分かり易く例えるなら、“ガスコンロ”に“プロパンガス”が送られているようなものだ。ガスコンロはガスの供給を摘みで調節し、それによって火力を調節している。

 だから俺もコンロと同じ理屈で、あの聖紋機にも何かしらの燃料が供給されているものと予想した。

 実際に火らしき物は出ていなかったので、最初はもしかしたら本当に電気が使われているのかとも思った。

 かの有名な“IHクッキングなんちゃら”が、こっちの世界では普通に使われているものかと。


(……だって光ってたし)


 だが、電気が一般化している割には、この世界の技術水準は低すぎる。

 そもそも外には電柱や送電線の一本も見当たらないのだ。一般に普及しているエネルギーが電気であるとは考え辛い。

 結局聖紋機が熱くなる原理も、そしてどんな燃料が使われているかも解らず頭を抱えていたその時、俺の感覚が例の“モヤモヤ”の存在を嗅ぎ付けた。

 いつものように、ただ空中に漂っていた訳じゃない。明らかな秩序と指向性をもって、あの聖紋機へと注がれているのが感じ取れた。

 そして次の瞬間、この“モヤモヤ”こそが聖紋機を動かすための燃料エネルギーなんだと、俺は直感的に理解した。


 直ぐにその供給源を探し出そうと“モヤモヤ”の流れに集中すると、聖紋機に供給されている“モヤモヤ”は、まるで電線やガス管を伝うように家の壁を走り、最終的にこの家の“地下室”へと通じているのが分かった。

 そこまで分かると、もう自分の好奇心を抑える事ができなかった。だから当初考えていた予定を早め、直ぐにでも地下室に行けるよう両親に頼み込んだのだ。

 まぁ本当に両親がダメと言えばその場は引いただろうが、その場合はきっと後日、無断で地下室への侵入を慣行していただろう……たぶん。


「ほれ見ろイセア、これがお目当てのボイラーだ」


 地下室の一番奥にまでやって来ると、暗闇の中ランタンに照らし出されたボイラーがその姿を現した。


「コイツが家の中をいつも暖かくしてくれるから、冬の寒い日も凍えずに済んでるって訳だ。ただし、勝手に触ったりするんじゃねぇぞ、場合によっちゃあ火傷じゃ済まねぇからな」


 デカい達磨のような形をしたソイツは、体中から蒸気を伝えるためのパイプを幾つも伸ばし、多くのバルブやメーターが、まるで宿木のキノコみたいに色々な場所にくっ付いている。

 もし俺以外の普通の子供が見たら、低い唸りのような稼動音と微かな振動のお陰で、まるでこの暗い空間に巣食うモンスターみたいに見えただろう。


「――で、見た感想はどうだ? 何か聞きたい事があるなら教えてやるぞ」

「……これも聖紋機で動いてるの?」

「お、よくそんな難しい名前が言えるな。兄ちゃんにでも教わったか?」

「うん」

「そうか、アイツもこういうのが好きなヤツだからな。でも聖紋機で“動いてる”ってのは正確じゃない、このボイラー“その物”が聖紋機なんだよ」

「ボイラーその物?」

「聖紋機ってのは、要は聖紋を使った道具の事だ。このボイラーは本体の内側に聖紋があって、その聖紋が熱を発して中の水を温めてる。だから聖紋“機”なんだよ」


(……成る程)


 電気を利用した道具が“電化製品”って言われるようなモンだろう。どうやらさっきの俺の考え方で合っていたらしい。

 熱を発するという事は、このボイラーにも上で見たのと同じ模様の聖紋が使われているのだろう。


「聖紋機はコレだけじゃない。上のキッチンには料理するための聖紋機があるし、ウチじゃあ使ってないが周囲を明るくする聖紋機や、歯車を動かす聖紋機、遠くの奴に言葉を伝える聖紋機なんてのもある」

「遠くに言葉……『電話』があるの!?」

「デンワ? いや、そんな名前じゃなかったと思うが……」

「あ……ご、ごめんなさい、気のせいだった。アハハー……」


(い、いかんいかん)


 驚いて前の世界の単語が出てきてしまった。しかし電話の件はさて置くとして、他にも気になるワードがある。

 歯車を動かす聖紋機って事は、つまりこの聖紋は直接的な“動力”としても利用されているという事だ。

 つまりあの巨大ロボット――巨兵にも、その聖紋機が利用されている可能性が高い。いや、まず間違いなく利用されている! そんな気がする!


 となれば、ますますこの聖紋機がどうやって動いているのか興味が沸いてきた。


 俺は意識を集中すると、再び上で感じた“モヤモヤ”の流れを辿ってみた。

 上階から地下へと続く“モヤモヤ”は、そのまま地下室の天井を通ってボイラー向かいの壁際へと向かっている。

 しかも上の階からだけじゃなく、目の前のボイラーからもその“モヤモヤ”の線が繋がっているのが感じられる。


(……間違いない、“あそこ”だ)


「? まぁいいか。で、他に何か聞きたい事はあるか? ないならそろそろ上に戻るぞ、母ちゃんが心配してるからな」

「ねー父ちゃん、“アレ”は何?」

「ん?」


 そう言って俺が指差した先の壁際には、何やら小さな“小屋”――と言うか“箱”?――のような物が置かれている。

 それは地下室の壁に埋め込むように設置されていて、少しだけ豪奢な装飾が施されていた。形は余り似てないんだが、雰囲気的には“神棚”っぽく見えない事もない。

 中に御神体のような物が祭られていそうな雰囲気なのだが、普通こんな暗くて狭くて低い場所に神棚なんて置くだろうか。


「ああコイツか。そうだな、ここまで説明したらコイツの事も教えてやるか。この箱の中には、聖紋を発動させる餌みたいなモンが入ってんだ」


(やっぱりそうかッ!)


 “餌”というのは要は燃料の事だろう。どうやらここでも俺の考えは的中したらしい。


「中には何が入ってるの?」

「お、この中が見たいのか?」

「うんっ!!」


 俺は今迄で一際大きく頷いた。


「うーん……ま、少し位なら良いか。よしっ、じゃあちょっと待ってろ、今見せてやる」


 一瞬反対されるのかと思ったが、意外とアッサリOKが出た。


 ゼルガは俺とランタンを下に置くと、ズボンのポケットから取り出した鍵を使い小屋の戸を開く。

 両開きの戸を開けると、その中には真鍮――いや、銅かな?――らしき金属の柱が一本立っていて、その柱にも扉のような物が付いている。

 ゼルガがゆっくりとその扉を開けると、その内側からランタンの明かりよりもずっと鮮烈な、蒼い光が溢れ出してきた。


「ホレ、見てみろイセア。コイツが《聖紋》を発動させる要――《アストラル鉱石》だ」

「ふぁ……」


 ゼルガが差し出したソレを見た瞬間、俺の口から思わず変な声が漏れた。


 ソレはゼルガの大きな拳で二つ分、俺の小さな手の平で四つ分くらいの縦長の石。

 その蒼く鮮烈な輝きは地下室の天上や壁、そして俺の身体全体を蒼く染め上げ、背後のボイラーに俺の大きな影を映し出す。

 ランタンの小さな明かりに慣れた目にその光は少し眩しかったが、俺はその輝きから目を離す事ができなくなっていた。


 ……とても、綺麗だったからだ。


「持ってみるか? 手ぇ出せ」

「おぉっ……!?」


 言われるままに両手を前に差し出すと、ゼルガがその上にアストラル鉱石を乗せてきた。

 思っていた以上の重さに足がふらついたが、幸い倒れる事も石を落とす事もなく、ズシリとした重みが俺の細い両腕に伝わってくる。


 そのまま暫くの間、俺は自分の腕の中にあるその輝きに見惚れていた。でも、俺がそのアストラル鉱石に見惚れていたのは、何もその“蒼い輝き”にだけじゃない。

 例の“モヤモヤ”――ここまで俺を導いてくれたあの“モヤモヤ”が、この石の中には大量に含まれているのが感じ取れたからだ。


 これまで俺は、あの“モヤモヤ”を色々な所で感じてきた。空中や地中、水や石、草や木、様々な所であの“モヤモヤ”を感じた。

 無機物よりも有機物に多く含まれ、特に強く多く感じられるのが人や動物の中だった。だけどこの石は、今まで感じてきた他のなによりも“モヤモヤ”の濃度が高い。

 まるでこの石の小さな体積に、人の何十倍もの量の“モヤモヤ”が、ギュウギュウに押し込められているような感じだ。


「綺麗だろ? この前の礼拝の時に教会で取り替えてきたばっかだからな。まだ光が強い」

「? まだ?」

「ああ。このアストラル鉱石にはな、聖紋の発動に必要な《アストラル》ってモンを溜める事ができる。この蒼い光は、そのアストラルの光だ」

「アストラル……」


 要するにそのアストラルってのが、この世界に来てから俺が感じてた“モヤモヤ”の正体ってことなのだろうか?


(なんか、そこはかとなく中二病ちっくな名前だな)


「アストラルってのは金属の中を良く流れる。だからこうして金属の筒に入れて、同じ金属の細い線で家中の聖紋機に繋げて、それぞれの聖紋にアストラルを送ってるって訳だ」


(無線じゃなく、あくまで有線ってことか)


「でもな、聖紋の発動にアストラルを使うと、徐々にこの光が弱くなっちまう。最後には光らなくなって、聖紋も発動しなくなっちまうのさ」


(成る程。溜める事もできるってことは、この石は“バッテリー”みたいなモンって事だな)


 んで、その“バッテリー”からアストラルってエネルギーを取り出して、それぞれの聖紋機の聖紋に供給してるという訳だ。

 金属線を使うってのは電気と同じだが、やっぱり伝導率とか抵抗による発熱とかも在るのだろうか?


「光らなくなったら、どうやってまた溜めるの?」

「まぁ、基本的にはそこら辺に置いておいても、空中の《アストラル》を吸って勝手に溜まって行くな」

「それって、空中のアストラルは無くなったりしないの?」

「うーん、俺も詳しい事は解らないが、神父さまの話だと無くならないらしいぞ」


(え? 何それ凄くね!?)


 一瞬本気で耳を疑った。これまでのゼルガの話だと、この世界で使われている基本エネルギーのアストラル――元の世界でいうガスや石油など――が、この石ころをただ置いておくだけで手に入るという。

 こうなると、俺が元いた世界のエネルギー事情とは、その根本が大きく異なる。


「ただしその場合だと、これだけの光を出すまでに一年以上は掛かるな」


(あ、そんなに時間が掛かるのね……)


 まぁそれでも延々回収し続ける事ができるなら、一年位それほど大した問題じゃないんじゃないか?


「それじゃあ、この石に溜まってるアストラルはどれ位で無くなるの?」

「そうだなぁ、その家で使ってる聖紋機の数や時間にもよるが、まぁこの家だと大体一ヶ月ってとこだろうな」

「たったの一ヶ月?」

「おう」


 一年溜め込んだエネルギーがその十二倍の速さで消費されるって、そんな供給率じゃとても今の生活なんて成り立たない。

 いや、使いきるのに一ヶ月、そして溜めるまでに一年掛かるっていう事は、このアストラル鉱石が十二個あれば問題なく一年を過ごせる計算にはなる。


「ウチにはこのアストラル鉱石は幾つあるの?」

「うん? この一個しかねぇぞ」


(ちょっ! マジっすか!?)


 いくら転生して寒さに耐性が付いたからといって、今の時期はまだ初冬だ。今朝外で感じた寒さくらいならまだ良いが、来月再来月とこれから段々寒さが増して行く。

 そんな中、燃料切れでボイラーが止まったりしたら、生きて次の春を迎える自信なんて俺にはないぞ!?


(い、いやちょっと待て、落ち着け)


 転生して三年、この家でそんな緊急事態に陥ったことは一度もない。ゼルガにも慌てた様子はないし、たぶん何かしらの対応策があるに違いない。と言うかなきゃ困る。


(確か、さっき『教会で取り替えてきた』とか言ったよな)


 そういえば週一の礼拝の際、偶にだがゼルガが包みのような物を教会に持って行く事がある。要は、その包みの中にアストラル鉱石が入っていたのか?


(成る程。つまりは単にバッテリーじゃなく、正確には“カートリッジ”って感じなのかな?)


「……これ、光らなくなったら教会に持って行って交換するの?」

「お、良く知ってるな。コイツは置いておくだけで周りのアストラルを溜め込むが、それだと時間が掛かりすぎる。だけど教会ならざっと一ヶ月くらいでアストラルを溜めてくれるから、だいたい月いちで教会に持って行って交換するんだ」


(おお、やっぱりそうか!)


 それなら供給と消費が安定する。正に資源を消費しない夢のエネルギー!


(……とは、たぶん行かないんだろうな)


 もしそれが実現して多くのエネルギーが確保できるなら、この町の生活水準だって今よりもっと向上している筈だ。

 でも、この町は未だ土が剥き出しの道が一般的な田舎町。なので、このエネルギーが大衆にそれほど普及していない理由があるに違いない。

 まぁあんな“巨大ロボット”が普通に運用されているあたり、少なからずの察しは付くのだが……。


(つか、普通ならこの石にアストラルを溜めるのに一年以上かかるのに、教会に持って行くとたった一ヶ月で溜まるってのはどういう理屈だ?)


「ねー、アナター?」


 その時、不意に地下室の入口からイデアの声が響いてきた。


「おう、どうしたー?」

「お鍋が温まらないですけどー」

「おおっとイカン。イセア、ソレを戻さないと母ちゃんが料理できんそうだ。返してくれるか?」

「う、うん」


(あ、そうか、今はバッテリーを抜いてる状態だから、家中の聖紋機が使えなくなってる訳か)


 気が付けば、背後にあるボイラーもその活動を止めている。

 蒸気を利用した廃熱管を使ってるから、今すぐ家の中が寒くなる事はないと思うが、これ以上ボイラーを動かさないでおくと確実に家の中の気温が下がってしまう。


(キュウス達と同じ気温の生活とかしたくないからな)


 俺は素直にアストラル鉱石をゼルガに返すと、彼は素早くそれを金属の筒の中へと戻す。

 扉を閉じて蒼い光がなくなると、辺りはまたランタンの弱いオレンジ色の光だけになり、背後のボイラーは再び低い唸り声を上げ始めた。


「よし、じゃあそろそろ戻るか。父ちゃんはこれから母ちゃんの手伝いしないといけないからよ」

「うん、分かった」


 ゼルガは片手でまた俺を持ち上げると、もう片方の手にランタンを持って出口へと向かう。


「ねー父ちゃん」

「んー」

「何で教会だとアストラルが早く溜まるの?」


 途中、最後にそれだけゼルガに尋ねた。


「それはな、アストラルってのは俺たちの“想い”であり、そして“祈り”だからだ」


(“想い”と“祈り”とな?)


「神様が与えてくれた奇跡に感謝する“想い”。毎日を平和に過ごせるよう願う“祈り”。そんな町の人達の心が一番集まる“教会”が、アストラルを溜めるのに打って付けの場所って訳だ」

「へ、へぇ……そうなんだぁ……」


 とまぁ、矢張りというか何というか、結局こちらも神さま云々の話になってしまった。

 なのでこの時の俺は、『やっぱり自分で調べるしかないのかなぁ……』なんて考えていたのだが、実はこの時のゼルガの台詞が、そう的外れな物でなかったと気付くのは、それからまた暫く後のことだ。


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