02 異世界のお勉強
◇◇◇
幸いな事に、前の人生に大した未練が無かった事と、持ち前の適応力の高さのお陰か、現状に対する俺の戸惑いは早い段階で消え失せていた。
原理や原因はどうあれ、こうして新しい世界に産まれ変わった以上、先ずは言葉を覚える必要がある。というか、動けないし喋れないとなれば、それくらいしかやる事がない。
ただ、こっちは産まれてこのかた日本語ばかりを主体にしてきた人間だ。
本当の赤ん坊のようにまっさらな状態ならともかく、頭の中身は30年以上の経験からなる常識で凝り固まったオッサンでしかない。
しかも学生の頃のように教科書や教師が居る訳でもないので、相手の言葉を耳で聞き、その言葉の意味を自分なりに解釈しないとけない。
アニメのように都合よく相手が日本語を話してくれたり、不思議な力で言葉を理解出来ない以上、こればかりは自力でどうにかするしか方法がないのだ。
少々不安だが、あのロボットの事を知る為にも、この世界の人間との意思疎通は不可欠。たとえ普通の子供の何倍も時間が掛かろうと、必ずやこの世界の言語をマスターしてみせる!
(……なんて、意気込んではみたものの)
「まぁ! 見てアナタ、この子もう一人で立ってるわ」
「おお、兄ぃちゃんより随分と早ぇじゃねぇか!」
ある日、掴って立つ練習をしている姿を両親に目撃された。
「ねぇ、やっぱりこの子少し変じゃないかしら?」
「そうか? 寧ろ前に比べて手が掛からねぇと思うが」
「掛からな過ぎだわ。余りグズらないし、それに私たちが話をしているとジッとこっちを見詰めてくるのよ」
しかしこれ、思ったよりバランスを取るのが難しい。こりゃあ自立して歩くまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。
「気にしすぎだろ。それに男はいつまでもビービー泣かねぇもんだ。今からデカい男になるって証拠だろ」
「確かに男の子だけど、まだ赤ちゃんよ? あの時の後遺症とかじゃなきゃいいんだけど……」
つか、赤ん坊の身体って本当に頭が重いのな。足の筋肉もまだまだ未発達で、流石にそろそろ疲れてきた。
(あーよっこらしょっと)
「お、何だ? もう座っちまったぞ」
「きっと疲れたのよ。さぁおいで~、ご飯食べましょうね~」
――とまぁこんな具合に、割とアッサリ言葉が理解できるように成っていた。
アッサリとは言っても半年近い時間が掛かった訳だが、それでも俺としては驚きのスピードだ。
仮に同じ期間フランス語だけ聞く生活をしても、こんな短期間でリスニングがここまで上達するとは思えない。
(……いや、案外できるのか?)
試した事ないから分からないが、将来生きるために必要なら、人間割とどうにか成るのかもしれない。
それとも、やっぱりこの赤ん坊の脳みそが原因なのだろうか? 赤ん坊の学習能力って何気に驚異的だからな。
もしかしたらオッサンの頭脳や記憶はそのままに、学習能力だけは異常に高い状態なのかもしれない。
なんとも都合の良い話だが、都合が良い分には問題ない。寧ろ今の状態が続いているうちに、より多くの知識を頭に詰め込むべきだろう。
――さて、言葉が解かるようになると、それに伴い様々な事が解かってきた。
まず、例の二人はやっぱり俺の両親だった。
その両親に連れて来られたのは、二階建てで広さも在り、裏では数頭の家畜が飼われている少し大き目の家屋。
そこが俺の住居であり、その大きさから最初は裕福な家かと思ったものだが、良く見るとその造りは質素で目立った豪華さはなく、あくまで大き目の民家と言った具合だ。
どうやら彼等は一家総出で宿を経営しているらしい。家が大きかったのも宿泊用の部屋を確保していたからであって、決して裕福と言う訳じゃない。
一瞬、平民なら誰もが考える“金持ちの家に生まれていれば”、なんて益体ない想いが過ぎったものだが――
(ま、産まれ変わったところで、子供は親は選べんという事だな)
そして、この世界での俺の名前だが、どうやら“イセア=ロア”というらしい。
父親のゼルガと母親のイデアとの間に生まれた、ゼオルという八才上の兄がいるこの家の末弟だ。
(イセア、イセアねぇ……)
名前が漢字じゃない事に若干の違和感を覚えるが、突然知らない世界に飛ばされたり、身体が赤ん坊になる事に比べれば些細な問題だ。
まぁ下手なキラキラネームより何倍もマシだし、その名で呼ばれる事にも直ぐに慣れた。
両親は俺の面倒をよく見てくれるし、兄も赤ん坊の俺の世話をよく焼いてくれる良い家族だ。こうなると、俺も弟や妹が欲しくなってくる。
(ま、そこは両親の今後の活躍に期待しよう)
俺の名前や家族構成についてはこんな処だ。知りたい事は他にも沢山あるのだが、まともに動けない今の俺にはどうしたって限界がある。
でも、実はこの時点で一つだけ、元の世界とは明らかに違う、この世界の奇妙な点に気が付いていた。
えっと、一体何と表現したら良いかよく分からないのだが――
(……“何か”あるんだよなぁ、この世界)
最初は気のせいだと思った。見えないし触れなし嗅げなし聞こえない、勿論味だってしない。五感では全く認識できないのに、ことある毎に“ソレ”の存在を感じる。
第六感的な? 気配とでも言ったら良いのか、そんなモノが周りの空間に確かに漂っているのだ。
水に砂糖を入れると出てくるモヤモヤがあるだろ? 無理矢理に例えるならそんな感じのモノなのだが、どうも“気体”って感じでもない。
ガスの一種かなとも思ったが、物体をすり抜けたりもする上、この“モヤモヤ(仮)”は人の身体の中にも簡単に入ってくる。
呼吸とか関係なしに外側から身体の中心に入ってきては、身体の中を通って手足の先から出て行くのだ。
試しに指の先に意識を集中してみたところ、五本の指先から常にソレが出ているのが分かる。それは俺に限った話じゃなく、両親も兄も、他の動物や植物にしても皆同じだった。
この“モヤモヤ”が何なのかはサッパリ分からないが、皆が普通に生活している以上、特に害のある物ではないのだろう。
最初は少し気持ち悪くも感じたが、そんな状況に慣れてくると、逆にそれが便利に思えてきた。
五感に頼らず割と広い範囲で感じ取る事ができるので、そこに何があって誰が居るのかが、離れていてもボンヤリとだが分かるのだ。
だからその時の俺は、その“モヤモヤ”が便利な“レーダー”程度の物としか認識していなかったのだが――
実はこの“モヤモヤ”が、この世界にとって重要な物であると俺が知るのは、もう少し後の話になる。
◇
この世界にやってきて二年が経過――
寝たきりだった赤ん坊の俺も、二年も経てば自分の足で歩けるようになり、発声もまぁまぁハッキリしてくる。
こうなると移動範囲も一気に広がり、気になる事を自分で見て、聞き、確かめられるようにもなった。
だが残念な事に、危ないからと外出は家の敷地内までに限られ、遠くに行くには誰か付き添いがなければ許可が下りない。
まぁそれは仕方ない。本当なら直ぐにでもあの巨人についての情報を集めたい処なのだが、なんといっても今の俺はまだこの世界のことを知らな過ぎる。
一般常識すら自信がないので、先走ってどんな大ポカをやらかすか分からないし、それで迷惑を被るのは他ならないこの世界での俺の両親だ。
普通の二才児なら本能や欲望の赴くまま行動するのだろうが、今の俺がソレをすればエライことになるのは目に見えている。
なので子供らしい行動は慎みつつ、かつ子供らしく振舞わなきゃいけないってんだから、人生ってヤツは儘ならない。
今は焦らず、先ずは自分の足元を固める事を優先しよう。
とまぁそんな具合に行動範囲が限られていた訳だが、それでも寝たきりだった頃より出来る事は格段に増えた。
そこで俺は、両親が経営している宿の仕事が一段落した頃合を見計らい、さっそく父親のゼルガにあの巨大ロボットについて尋ねてみた。
「ねーとーちゃー」
まだ二才児なもので、多少の舌っ足らずはご容赦を。
「おう、どうしたイセア」
「あのー、キョジーはー、なーのためにいるのー?」
「“キョジー”? ……ああ“巨人”か。何だお前、《巨兵》に興味があんのか?」
「キョヘー?」
「あの大きな巨人の事だ」
「うん!」
興味がある事を強調するため、あえて大袈裟に頷いておく。
(つか、アレ巨兵って言うのか、なんか早すぎて腐りそうな名前だな)
もっとこう、某有名ロボットのように“モ○ルスーツ”みたいな名称があるのかと思ってた。
それとも巨兵って言うのはあくまで総称で、機体名とか商品名とかは別にあるのかもしれない。“レガ○ー”とか“ア○ディー”とか“プリウ○”とか。
「そうか。ううん……」
(おや?)
何やらゼルガの様子がおかしい。
いつもならその大柄な体格と下顎を覆うモジャ髭に似合った豪快な性格で、どんな問いにも白黒はっきり答えを返してくれるのだが……。
「……まぁアレだ、俺達の仕事の手伝いをしてくれるんだよ」
「シゴーのおてーつだぃ?」
「おう。デカい荷物を運んだり、建物を造ったり橋を架けたり、とうちゃんにもできない力仕事を手伝ってくれるんだ」
「へー」
「だから巨兵を見掛けたら、お前もちゃんとアリガトウってするんだぞ」
「うん」
そう言ってゼルガは俺の小さな頭をワシャワシャした後、休憩を切り上げて次の仕事へ取り掛かった。
(……ってあれ? それだけですか?)
確かに力仕事なら人間の何倍もこなせそうな見た目はしているが、そんな労働目的だけであんな巨大人型ロボットが造られるとは思えない。
それに前見た時は、背中に巨大な剣らしき物を携えていたのを覚えている。アレは明らかに……。
「……ねーとーちゃー」
「お? 今度は何だ」
「そーキョヘーは、たたかーたりしないの?」
「ん、うん……。そう、だな。悪い奴がきた時には、兵隊と一緒に戦ったりもしてくれる、な」
「そかー」
(ま、そりゃそうだろう)
そもそも巨“兵”と名乗っている以上、あのロボットが“兵器”として造られたことは明白だ。
となれば問題は、あの巨兵が一体何と戦っているかなのだが……。
「もういいか? とうちゃん残りの仕事片しちまうからよ」
「うん。とーちゃーあーがとー」
そうして、ゼルガは今度こそ仕事に戻っていった。
本当はもっと突っ込んだ話を聞きたいのだが、明らかにゼルガの様子がおかしい。
巨兵が何かと戦う兵器だと言うのなら、当然その戦いで出てしまう“被害”もあっただろう。
もしかしたら彼は、その被害について想う所があるのかもしれない。
(……戦争、だろうなぁ)
どうやらこの世界は、俺が元いた日本のように平和、と言う訳ではないらしい。
まぁあんな巨大兵器が町中を闊歩しているんだ、平和だったら絶対にお目に掛かれない光景だろう。
今まで血生臭い話を聞かなかったのも、大人が子供の俺に配慮してくれた結果かもしれない。
(しかし、まいったな)
家長であるゼルガが俺に詳しく教えたがらないとなると、他の家族も俺に詳しい説明をしてくれない可能性が高い。
この手の情報は独断や偏見に染まったモノではなく、出来ることなら客観的な事実を仕入れたい。
となると、成る丈多くの人達から情報を集める必要があるのだが、自由に外出できない今の俺にそれは難しい。
(だったら……本、かな)
本にも独断や偏見が書かれる場合は往々にしてあるが、文章なら後から内容が変化する事はない。100パーセント信用するのは危険だが、不変という点じゃあ人間なんかよりよっぽど信頼できる。
それに、この世界の言葉だけじゃなく、そろそろ文字も覚えようかと考えていた処だ。
まぁ二才児が本を読むなんてまだ時期尚早だとは思うが、折角色々と自分で出来るようになったのだ、やれる事を早目にやってもバチは当たるまい。
思い立ったが吉日とばかりに、次に俺は母親であるイデアの所へと向かった。
「――え? 本が見たいの?」
宿の帳簿を付けていたイデアは顔を上げると、俺の申し出を聞いてその黄色く大きな瞳を丸くした。
無理もない。普通の二歳児なら本を読みたいなんてまず言い出さないだろうからな。
「うん!」
一応ここでも大袈裟に頷いておく。
「そうねー。じゃあ夜まで待っててくれる? お母さん寝る前に一緒に読んであげるから」
「んーん、ボクがひとーいでヨむの」
「一人でって、イセアだけじゃ字ぃ読めないでしょ?」
「おベーキョーすーからいいのー」
「……ああ。はいはい『お勉強』ね、良いですよー。じゃあちょっと待っててね、今持って来るから」
そう言ってイデアは立ち上がると、わざわざ自室にある机の引き出しから一冊の本を取り出し持ってきてくれた。
たぶん俺が勉強の“ごっこ”遊びでもすると勘違いしたのだろう。この年齢の子供はとにかく大人の真似をしたがるからな。
「はいどーぞ。とっても大切な本だから、汚したり破ったりしないでね。家の外に持っていってもダメよ、お部屋で読みなさい」
「あーい。あーがとーかーちゃー」
イデアは最後に俺の頭をひと撫ですると、彼女もまた自分の仕事へと戻る。
「やっぱり変な子ねぇ、誰の影響かしら……?」
(……聞こえてますよ奥さん)
しかし、余り目立つ真似はしたくないのだが、矢張り“子供らしい振る舞い”というのは難しい。どうしても大人だった頃の“アラ”が出てしまう。
でも、折角こうして前世(?)の記憶を引き継いでるんだ。この世界で生きて行く上で、今の状況を生かさない手はない。
それに、元の世界に居た頃も含め、初めて“人生の目標”と言える物を発見したのだ。利用できる物は何でも利用し、必ずやその目標にたどり着いてみせる。
さて、本は部屋で読めと言われたが、俺みたいな二才児に専用の部屋などない。
赤ん坊の頃に使っていた檻付きベットから出され、今では両親と同じベットで寝ている。川の字というやつだ。
なので現在は、両親の部屋イコール俺の部屋である。
俺はベットの上によじ登ると、早速その本を膝の上に乗せて開いた。
本のタイトルは《聖紋聖典》――いわゆる宗教関連の教本だ。
どうもこちらの世界の人間は信心深い人間が多いらしく、我が家も一日に三度の祈りと週に一度の教会への礼拝は欠かさない。
日本育ちの俺としては多少窮屈な生活だが、まぁこれも慣れてしまえばどうという事はない。それと、この祈りについても一つ奇妙な点に気付いたのだが――
(ま、それは今は置いておこう。そんなことより本だ本)
開かれた本の頁には、当然ながら元の世界で見た文字など一つもない。
本当なら、最初に読むのは子供用の絵本のような物が良かったのだが、残念なことに我が家にはこの一冊しか本がないのだ。
なのでえり好み出来る状況ではないのだが、この本は俺が寝付けない夜なんかに、イデアやゼルガが枕元で読んでくれた事がある。
教本を寝物語として子供に聞かせるのもどうかと思うが、その効果は絶大だった。
(実際、ベットの中で何度俺がコイツに陥落したことか……)
そんな訳で多少なりとも内容は頭に入ってる。全く知らない本を一から読むより、よっぽど覚え易いだろう。
それに、この世界の言葉を覚えた時と同じように、今の俺は物覚えが異常に良い。なので、きっと文字だって直ぐに読めるようになるに違いない。
(えぇっと確か)
親に読んで貰った時に気付いたのだが、文法は日本語と同じような感じだった、筈。
「ど、どそ、そ……? ら、らそ、ふー、ふぁ? み? んん……?」
(……きらきら星かな?)
音楽は人種や国境どころか、遂に時空の壁すら乗り越えたのか。
(って、そんな訳ねぇだろ)
確かこの本の最初は、宗教本らしくこの世界の始まりとかそんな内容が書かれていた筈だ。
だから覚えている内容に添って文字を追っていけば、それなりに文字の意味が掴めると思ってたのだが……。
「ひ、ひと……よ、ひと、よに……ひと、み、み……みごろ……?」
(……るーとに?)
い、いや、焦るな俺。言葉を覚えるのだって半年は掛かったんだ。文字を習得するなら、もっと長い期間が掛かると考えるべきだろう。
なぁに、ひらがなカタナカ漢字と、元の世界でも覚えるのが難しいと言われた日本の文字を、曲りなりにも一般生活に支障がない程度には習得したんだ。
覚えるのに一年くらい掛かるかもしれないが、やってやれない事はない。
確実なのは親に教えて貰う事なんだろうが、なんか俺の両親っていつも忙しそうなんだよね。
二人ともそろそろ三十代前半で、自営業しつつ二人の子供まで抱えている。実年齢は俺の方が上だが、人間としては頭が下がる一方だ。
なので成る丈家族の手は煩わせず、普段から自分の事は自分でするよう心掛けている。
(なんせ元の世界じゃあ、之からって時に親孝行ができなくなったからなぁ……)
どうせ文字を覚えるなら、ついでに書き取りも一緒にやった方が良い気がするんだが、残念な事にこの家には俺の練習に使えそうな紙やペンが無い。
まぁそれは後で地面にでも書くから良いとして、今は兎に角文字の“読み”に専念しよう。
「い、あ、いあ……く、く……? とぅる……ふ、ふた……ぐ、ん!?」
(い、いかん! よく分からんが、今何か邪悪な気配を感じたぞ!?)
それから暫くの間、教本を睨んで日々ウンウンと唸る俺の姿に、家族からの微笑ましい視線が注がれ続けた。
中々厳しいと感じながらも、そんな具合に本との睨めっこを続けていた俺は、そうした頑張りと苦労の甲斐もあって、徐々にこの教本の事実へと近付いて行った。
それから二ヵ月後――
「……なるほど、そういうコトか……」
目を瞑り、膝に乗せた本をパタリと閉じる。
その日、俺はこの《聖紋聖典》を読み解く上で、とある重大な事実に気が付いた。
これまでの努力や考え方、そして常識をも一瞬で覆すような、途轍もなく重大な事実に……。
それは――
「……これ、“上下逆”だわ」
結局、俺がその教本を自力で解読できるように成るまでに、合計で四年もの時間が掛かってしまった。
(つか! 逆さまなら逆さまで、家族の誰かが教えてくれても良かったんじゃないかなっ!?)
これは、絶対面白がって放置されたに違いない。俺は、この時胸に抱いた恨みを、今後絶対に忘れる事はないだろう。
(絶対だからなコンチクショー!!)
◇
更に一年が経過したある日――
季節は冬。三才になった俺は、少しずつだが家業である宿の手伝いをするようになっていた。
と言っても、大した事が出来る訳じゃない。精々朝早くに起きて、鳥小屋から産みたての卵を拝借する程度だ。
「それじゃあイセアは卵を持ってきてくれ。俺は“ヤッコ”の乳絞りしてくるから」
「分かったよ兄ちゃん」
「よし、気をつけて運べよ。割るんじゃないぞ」
そう言って兄のゼオルは家畜小屋へ、俺は反対側にある鳥小屋へと向かった。
小さな閂を外して鳥小屋の扉を開けると、中にいる鳥どもを全員小屋の外へと追い出す。
「ホレホレ、出てけ出てけ。寒いからって何時までも引き篭ってんじゃないぞー」
寒い朝の一時、暖かい寝床から追い出された鳥どもは、「キョッキュ、キョッキュ」と独特の鳴き声で俺に苦情を申し立てている。
しかし、残念な事に流石の俺も鳥語までは理解できない。俺だって半年は掛かったんだ、文句があるならお前等もコッチの言語を習得してみろ。
「いっこにこさんこ……っと、ココにもあった」
巣の中にある卵を持ってきた籠の中に手際よく入れて行く。
我が家で飼っている鳥は、元の世界で言うところの“鶏”のようなものだ。
“キョロ鳥”と呼ばれる鳥類で、鶏と同じく空は飛べないが、毎日俺達に美味しい卵を提供してくれる。
ただ、姿は鶏とだいぶ異なっていて、例えるなら大きな鶉と言った処だろうか。
全身が茶色と黒の羽に覆われていて、丸っこい体から小さな足と羽根、そして短い首が生えている。
卵も鶉と同じ模様をしているが、その大きさは鶏と殆ど変わらない。栄養も豊富で、我が家で手に入る貴重なタンパク質だ。
今年の俺の誕生日に一羽潰して丸焼きにした事があるが、これが中々に美味かった。
年を取っていたから少々身はパサついてたが、旨みがギュッと詰まっていて、油も鶏とはまた違った風味がある。
久々に食った美味い料理だったんで、腹が破裂する一歩手前くらいまで食ってしまった。
これにはイデアも驚いていたが、所詮は幼児の胃袋、半分以上も残してしまった事は無念としか言いようがない……。
惜しむらくは、滅多に食べる事ができないため次の機会は当分先になる事と、“手羽先”が食べられなかった事だろう。
コイツ等、身体は大きくて食い応えが在るくせに、手羽が驚く程小さいのだ。今の俺の小さな手に乗せて漸く手の平サイズなので、まるで食った気になれない。
(ああ、近所の居酒屋にあった少し強めの塩が効いた焼き手羽先、また食いてぇなぁ……)
――って、いかんいかん。そんな事を考えてる場合じゃない、早いとこ卵を回収して戻らねば。
「今日は合計で七コか。うん、まぁまぁ」
家で飼っているキョロ鳥は全部で七羽だが、コイツ等は調子が良い時は一日に三つも卵を産む事がある。
ただ極端に産まない日もあるので、今日の七個は普通といった処だろう。
「……ん?」
その時、何やら背後から怪しい気配が近付いて来るのを感じ取る。
(この気配――“ヤツ”か!?)
「おおっと!?」
俺が鳥小屋の外に出ると、それを待ち構えていた“ヤツ”が突然俺の頭の上に乗ってきた。
「ギョッギュ」
「まーたお前か“キュウス”」
俺の頭に乗ってきたのは、家で飼っている中で特にデカく、そして一番ふてぶてしい面構えをした一羽。
名前はキュウス――丸っこい体と注ぎ口のような首の形から、一年前に俺が名付けたキョロ鳥だ。
「お前ホントに頭好きだなー」
最初の頃は俺の頭を自分の巣と勘違いしているのかとも思ったが、たぶんコイツは俺の頭を自分の巣ではなく、体の良い乗り物程度にしか考えていない。
「そんなトコにいて動かないから、そんなにブクブク太るんだぞ」
「……ギョッギュ」
そしてこの「ほっとけ」と言わんばかりの態度である。
卵から孵ったばかりの頃は真っ白でちっちゃく、少し大き目のマリモのように可愛かったのに、たった一年でバスケットボール位の大きさにまで肥えやがった。
俺に良く懐いてくれるのと、世話をするのが楽しくてついつい甘やかしてしまったのが原因だろう。お陰で群の中じゃ一番若手のくせに、文字通り一番“幅”を利かせている。
「お前ねぇ。そんなんで早死にしたら、すぐにウチの連中の腹の中だぞ」
「……ギョッギュ」
(まったく。小さい頃はもっと可愛かったのに)
今では俺の頭よりデカくなっており、お陰でスゲー斬新なデザインの帽子のようになっている。
「まぁ良いけど……でも、家の中には入れないからな」
「……ギョ」
(あ、コイツ。人の頭を移動手段に使っておきながら、さては鳴くのも面倒臭くなったな)
そんなキュウスの奴を頭に乗せたまま、家の裏口へと向かう。
宿屋を経営している我が家では、宿泊客に朝食も振舞っているので、家の中への動物の持ち込みは厳禁なのだ。
まぁ俺たちが暮らしている場所だけなら兎も角、お客が利用するような場所には連れて行けない。
(フフン、せいぜいお前ら家畜は庭の寒さに震えているがいい)
その代わり俺たち人間さまは、暖房の効いた室内でぬっくりさせて貰うとしよう。
「……ま、冬の本番はコレからなんだけどね」
年を三回跨いで分かったが、どうやら俺達の暮らすこの町は、赤道よりも南の極点に近い位置に在るらしい。これまで三度経験したどの冬も、明らかに夏より期間が長かった。
元の世界では特に寒さが得意という訳じゃなかったのだが、幸いなことに産まれ変わって耐性でも付いたのか、そこそこの寒じゃあそんなに気になる事もない。
(ま、俺はまだ幼児の身体なんで、寒い日は殆ど暖房の効いた部屋に篭りきりの状態なんだけどね……)
「……あれ?」
そこでふと、裏口へと向かっていた足が止まった。止まったその場で顔を上げ、俺は家の屋根へと視線を走らせる。
別にキュウスを頭から落とそうとした訳じゃない。そもそもコイツはデブってるくせにバランス感覚は妙に良いので、このくらい頭を傾けた程度じゃあ絶対に落ちたりしないのだ。
なので、この時俺が視線を上に向けたのはキュウスが原因ではなく、この家のある奇妙な点に気付いたからだ。
「……ない……」
視線の先には普通の屋根があるだけで、他には特に変わった所は見当たらない。でも、だからこそ逆に違和感を覚えた。
俺は家の裏口には向かわず、そのまま自分の家を一周して、色々な角度から家の外見を眺めてみる。
「……やっぱりない」
しかし改めて眺めた処で、俺の違和感が解消される事はなかった。
この家に暮らして三年。巨兵や文字の習得に夢中になっていたせいもあるだろうが、まさか今更こんな事実に気が付くとは思わなかった。
いや、寧ろ在って当たり前だと思っていたからこそ、逆に気が付かなかったのかもしれない。
流石に現代日本と比べる事はできないが、この世界の技術レベルも決して低い訳じゃない。
まぁあんな巨大ロボットがいる時点でお察しなのだが、窓には加工の難しい無色透明の硝子がはめ込まれているし、家には一枚だけだが鏡だってある。
それもただ金属板を磨いた物じゃなく、硝子に銀を貼り付けた本格的な物だ。これは硝子が量産され、一般家庭にまで普及している証拠でもある。
更に家の暖房には蒸気を利用した“排熱管”まで使われている。近くに天然の温泉でも湧いていない限り、蒸気を作るにはボイラーで水を暖めるしかない。
なので俺は、我が家にも当然“アレ”があるものと思っていたのだが、今ざっと確認したところ、“アレ”の存在を確認する事ができなかった。
(どうなってんだ?)
「あれ? イセア、まだ戻ってなかったのか?」
「あ、兄ちゃん」
どうにも気になって家の周りをウロウロしていたら、ヤッコの乳搾りを終わらせたゼオルが戻ってきてしまった。
あ、ちなみに“ヤッコ”とはゼオルが付けた名前で、“オオヘラ牛”とかいう牛の一種だ。大きくてヘラのような立派な角を持った動物で、体がモッサリとした黒い毛で覆われている。
毎日のミルクと春には刈り取った体毛、そして抜け落ちた角を定期的に提供してくれる、我が家の貴重な稼ぎ手の一人でもある。
「またキュースと遊んでたのか? 早く卵持っていかないと母さんが困るぞ」
(兄上、“キュース”ではなく“キュウス”なのです)
まぁ今はソレはどうでも良いか、それより聞きたい事がある。
「ほら、あんまり外にいると風邪ひくぞ。もう家に入ろう」
そう言って俺の手を引くゼオルに、俺は歩きながら尋ねた。
「ねー兄ちゃん」
「うん? 何だ」
「何でウチには“煙突”がないの?」
そう、さっきから感じていた違和感――我が家には、何故か“煙突”が無いのである。
「エントツ? ……ああ、“暖炉”が無いって意味か? そんなの、よっぽどの金持ちの家くらいにしかないぞ」
「へ……?」
(え? なに? その言い方だと、まるで暖炉が高級品みたいに聞こえるんですけど?)
確かに現代日本で暖炉がある家なんて、相当裕福なイメージがある。
だが、それはあくまで金持ちの道楽の類であって、ここみたいに冬が長い地域では、寧ろ暖炉の存在は必須なんじゃないか?
そもそもの話、煙突から発想される答えが暖炉に限定されるのもおかしい。俺だってこの家に暖炉がない事は知っている。
「で、でもさ、暖炉が無くても火は起こすでしょ?」
仮に暖房に暖炉を使わないにしろ、料理にまで火を使わないって事はないだろう。それなら、煙突なしで一体どうやって煙を家の外へ逃がしているんだ?
「ん? 何言ってんだ、家では火なんかランタンの明かり位にしか使わないぞ」
「ふえ??」
「昔より少しは安くなったらしいけど、薪なんてまだまだ高級品だからな。この町で薪を使っている家なんて、領主さまのお屋敷くらいじゃないか?」
(え? どういう事? 火は起こさない? 薪は高級? えぇ??)
薪を使っていないって事は、つまり燃料にガスや石炭を利用してるって事だろうか?
(い、いや待てよ、いま『火は明かり位にしか使ってない』って言ったよな)
でも火を使ってないなら、料理やボイラーの熱源はどうやって確保してるんだ? まさか電気を使っているなんて事はあるまいし。
「???」
「……ああ」
そんな具合に俺が困惑していると、それを見たゼオルが何処か納得した様子で頷いた。
「そうか、イセアにはまだ少し難しいよな」
そこで俺は、この世界の技術形態の根幹が前いた世界のソレと大きく異なっている事実に、初めて気付かされたのである。
「この辺りの家庭じゃ、料理をするのもお湯を沸かすのも、全部《聖紋機》を使っているんだよ」
「“せいもんき”……?」