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22 防壁突破。挑む闇、迎い打つ青

修正完了しました。

「ああ? 空がどうしたって――」


 これまで、“空を飛ぶフェイスレス”というモノが確認された事例はない。

 しかし未だ固まったまま空を見上げている相方の様子は、ただ単に変わった形の雲を発見した風ではなかった。

 ならば、相方は一体空に何を見付けたのかと、兵士も同じように頭上の空を仰ぎ見た。


 次の瞬間――


「うおっ!?」


 突如周囲に鳴り響いたのは、消魂けたたましい程の鳥の羽ばたき。


 防壁の南側、恐らく南の森から飛んできたであろう鳥が数十――いや、数百羽の群れを成し、防壁や駐屯所に居る兵士達の頭上を北へ向って通過して行く。

 群れはまるで深い森にでも迷い込んだかのように兵士達の頭上に影を落とし、大小様々な鳥影が冬の晴れ空を覆い尽くす。

 まるで予期していなかった襲来に、その場に居た兵士達は皆身体を固め、ただ唖然とその光景を眺める事しかできずにいた。


 やがて鳥の大群が兵士達の頭上を通り過ぎ、周囲に耳の奥が痺れる程の静寂が戻ってくる。


「……どうして」


 だからだろう、誰が発したか分からないその小さな呟きは、思いのほか多くの兵士の耳に届いた。


「“一羽も鳴いてなかったんだ”……?」


 ソレは、その場に居る誰もが感じた違和感。


 小動物にとって“鳴かず”“動かず”は、捕食者から身を隠す際の常套手段である。

 逆に捕食者から逃げる際にはその場から“全力で離れ”、“鳴いて”周囲の仲間に危険を知らせる。

 しかし先程の鳥達は、“鳴かず”に全力で“飛び去った”。

 それはまるで『見付かりたくない』、だが『その場に留まっていたくない』という二つの相反する想いが交錯した、ある種野生の本能にすら抗う歪な行為のように思えた。


 一体あの鳥達に何が起きたのか。そしてソレは、果たしてどのようなモノなのか……。


「おいっ、見ろ!」


 静寂の中、再び誰かの声が響く。


 その声の主は方角を口にはしなかったが、それを聞いた人間の視線は何故か鳥達が飛んできた方角――“南の森”へと向けられた。

 防壁の上、櫓の上、更にはその場からでは見る事のできない防壁の下に居る者達ですら、皆一様に防壁の南側へと視線を向ける。

 そうしてソレは、防壁の上にいた二人の兵士も同様。彼等はまるで何かに導かれるように南の森へと視線を向け、結果その先にある奇妙な光景を目撃した。


 ――“影”だ。


 彼等の視線の遥か先。遠くに密集して生える針葉樹林の足元に、暗い影が満ちている。

 一瞬、彼等は『別におかしな事ではない』と自分を納得させそうになる。何故ならあそこは森なのだ。

 森の中であれば、その手前の平野より多くの影が作られるのは当然――


 ……いや、そんな筈はない。


 しかし頭の中に湧いたその理屈を、彼等は即座に否定した。

 今の季節は真冬。陽の光を遮るであろう枝葉は、とうの昔に全て地面へと落ちている。

 見れば、太陽は既に東の山間から顔を出し、その光は森にいつもと変わらず降り注いでいた。

 ならば、あの場に満ちている暗い影は、一体何によって生み出されたモノなのか……。


 櫓の見張りは森の様子を更に良く観ようと、手摺りの淵から身を乗り出して瞼を細める。

 此方が身を乗り出したせいか、影も少しだけ此方へと近付いたように見えた……が、その直後――


 “眼”が合った。


「ッ!?」


 ゾクリと、まるで冷たく鋭利な刃物で背筋を撫で付けられたかのような、強烈な悪寒が駆け上がる。


 彼等の居る防壁から南の森までは、約六百メートルの距離がある。

 だがそれだけ遠く離れていても、彼の瞳は森の中に輝く“紅い眼”を確かに捉へ、自身もまたその“紅い眼”に見られている事実を理解した。

 そして、森の中に留まっているあの暗い影の正体が何なのか、彼等は瞬時に悟る――いや、解らない筈がない。

 人間に対する“怒り”や“憎しみ”、内側から溢れ出さんばかりのあの激しい怨嗟の篭った“紅い眼”を一度でも見た者なら、きっと誰しもが理解出来たであろう。


 森の中の暗い影は、その全てが“フェイスレス”であった。


 しかも一体や二体、十体や二十体ではない。大量のフェイスレスが森の中にひしめき合い、ソレがまるで一つの巨大な影のように見せたのだ。

 やがて、互いの眼が合うその瞬間を待ち構えていたかのように、森の中に留まっていたフェイスレスの大群が、兵士達のいる防壁へと向け一斉に進行を開始した。

 その歩みは変わらず緩やかなモノであったが、その“数”と“密度”はここ最近の進行の比ではない。


「て、敵襲ーーー!!」


 櫓の上の兵士が全力で警鐘を打ち鳴らす。

 途端、周囲の状況は一転。固まっていた兵士達は慌ただしく動き出し、駐屯所は一瞬で騒然としたモノに変化した。


「くっそ! 最近はこんな大規模な襲撃はなかったってのに、数が減ってきたんじゃなかったのか!?」


 すると――


「何事か!!」


 防壁の上へと駆け昇って来た部隊長が、周囲に向けて鋭い檄を飛ばす。


「立ち番っ、状況報告!」

「な、南方の森より多数のフェイスレスが接近。百、二百――い、いや、もっと居る! 物凄い数です!」

「“大型”や“ヘッドレス(あたまなし)”は確認できるか?」

「い、いえ。密集していて判別し辛いですが、現在確認できるのは通常のフェイスレスのみ。他は見当たりません」


 全身が霞状の“フェイスレス”とは違い、“ヘッドレス”は明確な実体を有している。

 だが両種ともその大きさはほぼ同格であり、その色も影のような黒一色。その為現状のように密集されていては、遠目に見分ける事は難しい。


 だが実体の有無以外にも、遠目からフェイスレスとヘッドレスを見分ける方法は存在する。

 人間を見付けると接近して来る習性は同じだが、その速度は通常のフェイスレスの比ではない。

 フェイスレスのゆっくりとした歩みではなく、ヘッドレスは地面を蹴りつけ全力で目標へと接近して来るのだ。


 実体が有るため障害物を通り抜ける事はないが、例え数キロ離れていようと決してその速度を落とす事はない。

 よって、もしあの黒い集団の中にヘッドレスが紛れているのなら、周囲のフェイスレスを掻き分けヘッドレスのみが突出して先行してくる筈である。

 見張りをしている兵士の目には、今の処そのような兆候は見られなかった。


「分かった。貴様はそのまま見張りを続行、何かあれば直ぐに報告しろ」

「りょ、了解です」

「良し。総員傾聴ーーっ!!」


 未だ周囲に残る慌ただしい空気を打ち破るよう、部隊長の砲声が周囲に轟く。

 同時に防壁の上や下に居た者達の目と耳が、一斉に彼へと向けられた。


「現在、南の森よりこの駐屯所へ向け、三百近いフェイスレスの大群が接近している。だが浮き足立つな、それでは敵の思う壺だ」


 部隊長が防壁の上から周囲を見渡すと、兵士達は皆それぞれ彼に視線を向けている。だが、その中には少なくない戸惑いや不安の色が見て取れる。

 無理もない。これほど大規模なフェイスレスの襲撃は、このナーガル大防壁が出来て以来初の事態であった。


「幸い、確認出来ているのは全て通常のフェイスレスだ。貴様らも知っている通り、奴等の足は遅い。準備をするには十分な猶予がある。いつも通り的確に、かつ迅速に戦闘配備に移行せよ」


 そこで一旦言葉を区切ると、一呼吸置いた部隊長は殊更ゆっくりと口を開く。


「……忘れるな。我らの先達は過去に今以上の苦境を乗り越え、この長大な防壁を築き上げた。多くの犠牲と、それと同等の誇りを懸けて……だが、今は違う。何の備えも成しに挑まざるを得なかった過去とは違い、今の我々にはこの防壁と、大神の加護たる“ブレストウォール”が有る!」


 語る彼の語気は次第に強まり、同時に彼へと向けられた視線からは戸惑いや不安の色が抜け、徐々に力強い意思の光が宿り始める。


「何よりこの国には連戦にして連勝、常勝たる貴様ら王国の兵士が居る! ならば我らに敗北の二文字はない! 先達が取り戻した領土と平和を、再び憎きフェイスレスに蹂躙させる訳にはいかん!! それは、貴様ら一人ひとりの手に掛かっていると心得よっ!!」

「「「「了解っ!!」」」」


 すると、それまでの騒然とした雰囲気が嘘であったかのように、兵士達の動きが連携と統率の取れたモノへ変化した。


「総員戦闘配備! モタモタするなぁ!!」


 最早、彼等の瞳に迷いはない。これまで培ってきた信念を胸に、兵士達は己に与えられた役割に全力を持って専念する。


「遠話兵はナーガル中央と近隣の駐屯所に報告を入れておけ! 襲撃がココだけとは限らん。場合によっては増援を呼ぶことになるぞ!」

「弓兵隊はありったけの矢をかき集めろ! 出し惜しみはしなくて良い! 全部ヤツ等に叩き込んでやれ!」

「聖紋巨兵も全機出すぞ! あの規模じゃ“大型”も出てきかねないからな。操士はとっとと“操演室”に入れ! 整備兵は聖紋とアストラル量の確認を怠るなよ!」


 ナーガル大防壁に配備されている聖紋巨兵――通称《ミドラーサ》は現在、この世界で最も広く普及し運用されている機体の一つである。


 全長14.8メートルのこの機体は、機体内に操士を乗せるだけの空間スペースがない為、その身に操士を乗せる事はない。

 よって機体を操縦する操士たちは、皆機体とは別に設置された“操演機”と呼ばれる装置へと乗り込み、そこから巨兵を遠隔操作する事になる。

 それこそが、『操士とは戦場で最も大きな戦果を挙げ、最も安全』と云われている所以ゆえんでもあった。


 生身ではまず太刀打ち出来ない“大型フェイスレス”に真正面から立ち向かい、仮に戦闘に敗れても、操士本人は戦場から離れた後方にてその命を取り留める。

 そのため裏では、戦場における“勝ち組”や“卑怯者”等と揶揄される事もあるが、その認識も一概に間違いとは断じ切れない。


「ありがてぇ。久方ぶりの出撃だ。このままじゃあ腕が鈍るとヒヤヒヤしていた処だからな」

「まったくだ。それにここ最近めっきり冷え込んできたからな、こんな軽装で一日待機はもう御免だ」


 しかし、だからこそ彼等操士に敗北は許されない。


 他の兵科より安全が確保され、それでいて多大な戦果を上げられるという事は、逆にいえば彼等操士が操る巨兵の敗北は、それだけで部隊全体に甚大な被害を齎しかねない。

 故に命の重さに違いはなくとも、彼等操士の背中には、一般兵士とは比べモノにならない重責が課せられている。

 そして何より、一部から妬み嫉みの視線を向けられようとも、彼等にも難解な勉学や厳しい訓練を乗り越え、巨兵の操士となった誇りと矜持がある。


 自らの存在がこの王国にとって有用なモノである事を、彼等は常に成果を以って示し続けなければならない。


「その点“操演室”の中は暖かいからな。あの中でまる一日待機できれば最高なんだが」

「そうしたらお前、絶対中で居眠りするだろーが」

「ガハハ! 違いねぇ!」


 そうして、操士たちは各々自分に宛がわれた“操演室”の中へと入って行く。


 操士である彼等は厚手のマントを羽織っているものの、その下は身体の輪郭が浮き出る程の軽装である。

 身に着けている物は身体中に巻かれた頑丈そうな皮のベルトと、その所々に取り付けられている小さな金具のみ。

 “防具”と呼ぶには心許なく、見た目だけではその金具がどの様な用途の物なのか判別できない。


「預かります」

「ああ、頼む」


 操演室へと入った操士は、中に居る整備兵に羽織っていたマントを手渡し、そのまま部屋の中央へと進む。


「なぁおい、早いトコこの中暖めてくれないか? こう寒くちゃ身体が動かねぇよ」

「もうボイラーは点けてますよ。最初だけですから、温まるまで暫く辛抱してください」

「ったく、この時期の一番嫌な瞬間はコレだよなぁ……」


 そうぼやく操士の前には、両側を無骨な支柱に支えられた巨大な円環リングが聳え、その手前には通常より一周り小さい“機兵”が佇んでいる。


 一見すると、その機兵は通常より小型のモノにしか見えない。

 しかしよくよく見てみれば、それが随分と奇妙な形をしている事が解る――“前面”が無いのだ。

 頭や手足など、身体の先端部分は特に問題はないのだが、胸から腹、肩から肘、腰から膝にかけての装甲の前面が綺麗に削り取られている。

 その内側は完全な“空洞”であり、これでは機兵というよりただ中身のない少々大きな“鎧”といった方が良いだろう。


 しかしこの“前面のない鎧”こそ、操士の動きを巨兵へと伝え、あの巨大な人型兵器を意のままに操る事のできる、人型をした“端末”に他ならない。


「う、冷てぇ」


 操士はその“端末”へ近付くと、空洞となっている右足に自身の右足を潜り込ませる。

 金属特有のヒヤリとした感覚に一瞬身を震わせた後、続けて左足、右手、左手と、鎧の開いた前面から内側へ、自身の体を潜り込ませて行く。


 そうして端末を“着込み”終えると、次に周りに居る整備兵たちが彼が元から身に着けていた金具を、着込んだ鎧の装甲へと固定していく。

 全ての金具の固定が終わると、最後に操士の頭に大きな兜を被せ、整備兵たちは彼の肩を力強く叩いてその場を離れた。


「初めてくれ」

「了解。各聖紋機へのアストラル供給開始。“操演機”起動」


 整備兵の合図に合わせ、装置全体へアストラルの供給が開始される。

 アストラルの供給によって発動した聖紋が熱のない光を発し、操士が着込んだ鎧型の端末や、その背後に聳える円環から微かな蒼い光が漏れ始める。


「操士を円環リング中央へ移動。第二円環セカンドリングを水平展開」


 次に人型端末の背面――ちょうど肩甲骨の中間部分――から生えるように伸びる太い“機腕アーム”が、操士を鎧ごと中空へと持ち上げる。

 アームはそのまま彼を円環の中心にまで移動させると、その場で彼を固定。

 続いて円環が外側と内側の二重に別れ、外側の輪はそのままに、内側の輪だけが地面と水平に角度を変え、中空の操士を前後と上下の両方面から囲い込んだ。


「機体班。操士班こちらの準備は完了」


 一連の行程を確認した整備兵は、操演室の外に居る兵士――“巨兵側”の準備に当たっている班へと連絡を入れる。


「了解した。オイッ! こっちも起動だ! 立たせるぞ!」


 “操士側”からの連絡を受けた“巨兵側”の整備兵は、直ぐさま巨兵へとアストラルを供給する為の配線を接続。

 機体に搭載されているアストラル鉱石よりアストラルを受け取った配線は、一度そのアストラルを機体頭部にある“聖霊核”へと運び、其処から更に機体全体の聖紋機へと送り出す。

 まるで血管の如く張り巡らされた配線を伝い、全身の聖紋へアストラルを供給された巨兵は、先程の操演機同様その節々から微かな蒼い光を放ち始める。


 やがて全身にアストラルが行渡ると、待機と言う名の眠りから覚醒するかのように、俯いていた巨兵の瞳に蒼く鮮烈な輝きが灯った。


「接続完了! “起きたぞ”! 全員離れろ!」


 周囲の整備兵が巨兵から距離を取ると、それから数秒と間を置かず、地面に跪いていた巨兵が自らの脚で立ち上がる。

 配線を通じてアストラルを受け取った“聖霊核”が、聖紋機へのアストラルの流れと量を調節し、跪いていた機体を直立の状態へと移行させたのだ。


 早朝の荒野に一際巨大な影が落ちる。

 一つだけではない。駐屯所に配備されている全三機の機体が、それぞれ順に起動しその場に立ち上がった。


「おお……」


 十メートルを優に超える巨躯が並び立つその姿は、まさに圧巻の一言に尽きる。


 この一ヶ月の間、フェイスレスの襲撃が減ると共に、巨兵の出撃もまた減少していた。

 三機同時の出撃となれば尚更で、前回この三機の機体が並び立たったのは、それこそ数ヶ月も前に遡る。

 そして何よりこの三機の聖紋巨兵は、ここナーガル大防壁における対フェイスレス最強の剣である。


 戦闘の準備に奔走する最中ではあったが、その勇姿に目を奪われた兵士の数は決して少なくはなく、周囲からは控えめながらも歓声が上がった。


「巨兵の起動を確認」


 機体を直立状態へと移行すると、聖霊核は即座に操演室にいる操士との同調リンクを開始する。

 操演室から聖紋機を通して送られてくる操士の状態を認識し、それを基に機体各部にある聖紋機へと送るアストラルの量と流れを即座に調整。

 更に操士と機体の間に発生する微妙な動きの齟齬を修正し、最終的に操士の動きを最適な形で機体へと反映させる。


 こうして動作の同調が完了すると、次に視覚と聴覚の共有が行われる。


 これは操士から巨兵へと送られるモノではなく、逆に巨兵から操士へと送られるモノだ。

 巨兵の視覚機関と聴覚機関が拾った映像と音声を、聖霊核が聖紋機を通して操士の側へと送信する。

 送信された情報は操士の被っている兜の内側に出力され、そうする事で操士は巨兵が見たモノ、そして聞いたモノと同じ情報をそのままの形で受け取る事ができるようになる。


 兜によって閉ざされていた操士の視界が、徐々に光で満たされる。

 視界が開けた一瞬の眩さに目が慣れると、そこには普段の自分の背丈からは想像もつかない、遥か高みからの光景が広がっていた。


「……成る程。こりゃあ予想以上の団体さんだ」


 映し出されたその光景を見た操士が、覆われた兜の内側で小さく呟く。


 立ち上がった巨兵の目線は、防壁の高さを軽く越えている。

 そのため巨兵と視界を共有している彼の瞳は、防壁越しに此方へと向って来るフェイスレスの集団をハッキリと捉えた。

 当初は三百体近くとの報告を受けていたが、今では更にその数を増し、五百体近い数にまで膨れ上がっている。

 しかも森からは未だフェイスレスが出現しており、その数は今尚増え続けていた。


 だが、矢張りその歩みは極めて遅く、フェイスレス達は未だ森と防壁の中間にすら到達していない。

 決して油断は出来ないが、実際に戦闘が開始されるまでには、まだ十分な猶予が残されている。


「各機、“大型”は確認できるか?」

『いや。見当たらんな』

『こっちもだ』


 通信用の聖紋機を通した操士の呼び掛けに、同じく巨兵を操縦している他二人の操士が応える。


「気を抜くんじゃねぇぞ。奴等が出てきたら直ぐさま前に出るからな」


 二人にそう告げた後、操士は自らの右手を持ち上げ、その手の平に視線を落とした。

 それは、普段なら自分の右手を見る単純な動作だが、今彼の瞳に映っているモノは自分の手ではなく、金属で模られた巨兵の右手が映し出されている。

 彼は金属に変わった自身の右手を見詰めながら、広げた指を内側から順に閉じ、続けて外側から順に開いていく。


「……よし、“外”に出る。各機俺に続け」

『『了解』』


 巨兵との同調に不具合がない事を確認し、彼は巨兵での本日最初の一歩を踏み出した。

 重々しい足音を響かせながら歩く巨兵に追従し、他の二機も防壁の“外”――防壁の“南側”へと移動を開始する。


「巨兵が通るぞ! 踏み潰されたくない奴は道を譲れよ!」


 基本的に巨兵がその場から動く際、人や車両の通行より、巨兵の移動が優先される。

 その為それまで準備に奔走していた兵士たちも、皆巨兵の進行の妨げにならないよう道を開け、前を横切るその機影を仰ぎ見ながら見送った。


 ここナーガル大防壁には、部隊や巨兵を防壁前に配置する為、各駐屯所毎に巨大な壁門が設けられている。

 幾本もの丸太で組まれ、地面に敷かれたレールと頑丈な車輪が取り付けられたその門扉は、強固であると同時に相当な重量がある。

 だが、そんな壁門も巨兵を操る操士から見れば、腰ほどの高さしかない“引き戸”とそう大差ない。


 人間だけなら開閉に五、六人近くの力が必要となる壁門を、巨兵は片腕で軽々と開け放ち、そのまま壁の南側へと移動していく。


「おい、こっちにも何人かまわしてくれ! 今の内にブレストウォールの動作確認をする!」

「そっちは俺たちが行く! 俺とお前は西側から、お前達は東側から聖紋機の確認をするぞ!」

「はいっ!」


 やがて王国軍側の戦闘準備は順調かつ迅速に完了し、本格的な武装を纏った兵士たちが各自所定の位置へと着いた。


 部隊後方、防壁上部の足場に十字弓兵隊三十名。

 部隊中央、防壁手前に聖紋巨兵ミドラーサ三機。

 部隊前方、巨兵前に槍兵隊二十名。


 以上が、この《東―26駐屯所》の防衛任務に就いている、《第67防衛小隊》が保有する全戦力である。


「総員、戦闘準備完了しました」

「よし、待機しておけ」

「了解」

「中央からの返信はあったか?」

「現場での判断は全て当方に一任すると。それと、どうやら敵の襲撃は此処だけのようです」

「何? “此処だけ”だと?」

「はい。いかが致しましょう、今までにない襲撃ケースですが」

「……ふん、ソレならソレで好都合だ。此方も戦力を集中できる。東西の近隣駐屯所に応援を要請しておけ。下らん浅知恵ごとフェイスレスを殲滅してくれる」

「はっ!」


 対する“敵側”――森と防壁との距離を漸く半分にまでに縮め、黒霧の体と紅い瞳を揺らめかせながら迫るフェイスレスは、今ではその総数を千にまで増やさんとしていた。

 数の上では王国側が圧倒的に不利。だが今のアディルファナ王国には、一つの駐屯所にこれ以上の兵を常時置いておく程の余力はない。

 故に圧倒的な数的不利を見せ付けられて尚、彼等王国軍は引く事を許されず、あの不気味な集団を正面から迎え撃たなければならなかった。


 しかし――


「十字弓兵隊っ! つがえっ!」


 号令と共に一糸乱れぬ動きを見せる彼等の表情には、最早一切の怯えや戸惑いといったモノは見られない。

 如何に敵の数が此方を凌駕していようとも、彼等王国の兵士は皆対フェイスレス戦に特化した戦闘部隊である。

 十年前ならいざ知らず、今の彼等にはフェイスレスを迎え撃つ為の備えがあり、日頃からその為の準備と訓練を行って来た。


 戦闘が終わる度、多少の犠牲を出してでも続けてきた矢の回収のお陰で、彼等が保有する矢の本数にはこれだけの敵を前にしても未だ十分な余裕がある。

 仮に運よく矢による攻撃を潜り抜けたとしても、その先には二十名の槍兵隊が待ち構え、その矛先を的確にフェイスレスへと突き立てるだろう。

 歩みが遅く、触れる事が唯一の攻撃手段であるフェイスレスには、中距離からの槍での攻撃もまた有効な手段であった。


「構えっ!」


 もし槍兵隊が敵の数に圧され後退を余儀なくされても、その後方には三機の聖紋巨兵が控えている。

 更にここナーガル大防壁には、教会から齎された“祝福の壁”たる“ブレストウォール”が存在する。


 有効半径が狭くアストラル消費が激しいため、長時間の展開が不可能なブレストウォールだが、その効果は絶大と言って過言ではない。

 発動したブレストウォールの領域内にフェイスレスが進入した場合、その霞のような身体は数秒ともたずに霧散し、消滅する事となる。

 大型のフェイスレスや実体を持ったヘッドレスであれば、消滅はしないまでもその個体の持つ力を大幅に削り、一般の兵士でも十分対抗する事が可能となるのだ。


 因みにブレストウォール内に人間が入った処で、その身に変調を来たす事はない。

 聖紋巨兵を対フェイスレス“最強の剣”とするのなら、フェイスレスのみを弱体化するこのブレストウォールは、対フェイスレス“絶対の盾”といえるだろう。


「狙えっ!」


 ……そう、彼等は予期していた。


 だからこそ備えてきた。この防衛線を護り抜き、いつか領土を奪還するその日の為に。

 少ない資金、少ない人員、少ない資源。多くの足らないモノに困窮しながらも耐え忍び、自分達に出来る対策の全てを駆使して今の体制を築き上げてきた。

 故に、彼等に臆する所はない。例え敵の数がこちらの部隊の何倍に膨れ上がろうと、彼等にはその悉くを打倒する為のすべがある。


 無論それが戦闘である以上、必ず犠牲は出るだろう。もしかしたら、今回犠牲になるのは自分かもしれない。


 兵士達の心の奥には、そんな不安が今も少なからず渦巻いている。だが同時に、自らの犠牲が決して無駄にならない事を知っている。

 仮にこの戦いで自分が命を落とそうと、今隣に立っている仲間がきっと自分の敵を討ち、自分の意思をこの先の未来へ繋げると信じている。

 そんな仲間への信頼とこの国を守護するという使命感が、彼等の内に渦巻く不安を退け、その身体と瞳に敵に立ち向かう決意と力を宿らせるのだ。


 これまで幾重にも備え、学び、そして鍛えてきた。

 彼等が積み上げてきた研鑽の日々は、確実に人類の宿敵であるフェイスレスを打ち倒す糧となっている。

 そしてその成果は、このナーガル大防壁の完成から今日に至るまで、全戦無敗という形で示され続けてきた。


 だからこそ――


「ゴォガア゛ア゛ア゛アアァーーーッ!!」


 ……その“例外”は、彼等が予期し備えてきた、その悉くを裏切る事となる。


「ッ! な、何だ!?」


 突如上がった轟音に意表を突かれ、今にも矢を放とうとしていた十字弓兵隊は、引き金に掛けていた指を浮かせてしまう。


 開けた平野であるにも関わらず、遠く離れて尚兵士たちの耳を打ったその轟音は、直ぐにその出所を彼等へと知らせた。

 目前に迫るフェイスレスの集団から一時目を離し、兵士たちは音の発生したであろう方角へと視線を投げる。

 視線を向けた先は南の森。遠く離れた針葉樹の木々の間に、彼等は暗く巨大な影が蠢くのを目撃した。


 その影は移動しているらしく、まるで藪でも掻き分けるように眼前の樹木を薙倒し、ゆっくりと森の出口へと近付いてきている。

 樹齢百年を超える巨木が次々と倒され、しかしその樹に暮らしていたであろう鳥が飛び立つ気配はない。


 ……当然だ。


 あの木々を住処としていたであろう鳥達は、既にその悉くがあの森から離れてしまっている。

 そして次の瞬間、兵士達の誰もが察した。今森で蠢いているあの巨大な影こそ、あの鳥達を森から追い遣った元凶なのだと……。


「巨兵隊! 其処から詳細を確認できるか!?」

『たぶん“大型”だ……しかし、コイツは……』


 物見櫓と同等の高さがあり、気候や環境の変化に左右されない巨兵の視覚機関は、時に人間の瞳より正確に遠くの情報を捉える事ができる。

 しかし、巨兵の発声機関から伝えられる報告は、何とも歯切れの悪いモノであった。


「どうした? 正確に報告しろ!」

『くそ! おい、そっちはどうだ!?』

『こっちも駄目だ。樹が邪魔していやがる!』


 巨兵の視覚機関を持っても捉え切れず、他の二機に加勢を求めるも、矢張り正確な情報は得られない。


『ッチ! どっちにしろ“大型”が出た以上は巨兵おれたちの領分だ。巨兵隊は前に出るぞ! 槍兵隊は道を開けろよ!』

『おいっ! 出て来るぞ!』


 操士が巨兵を前に出そうとした瞬間、ほぼ同時に巨大な影が森を抜け、寒々しくも開けた平野へとその姿を現した。

 巨兵の視覚機関を通してその姿を見た操士は、自らが見たモノの衝撃に戸惑い、思わず巨兵の動きを止めてしまう。

 しかし、動きを止めたのは巨兵だけではない。槍兵も弓兵も、その時その場に居た者の全員が一様に動きを止め、固唾を呑んで森より現れた“ソレ”を注視した。


『……何だ、ありゃあ……?』


 巨兵の発声機関から、操士の困惑した呟きが漏れる。


 だが多くの兵士は巨兵の視覚機関など通さずとも、あの黒い影に“実体”がある事を悟った。

 そもそも通常のフェイスレスであれば、森を進むために邪魔な樹木を薙倒す必要はない。

 わざわざ樹を倒しながら進んでいた以上、アレに実体がある事は明白である。


 “大型ヘッドレス”――その格付けは、現在確認されているフェイスレスの中で、最も脅威度の高い個体とされている。

 その出現数は極端に少なく、移動速度や腕力は小型のフェイスレスやヘッドレス、そして大型フェイスレスを容易く上回る。


 しかし、王国軍側も備えを怠ってはいない。

 事実、過去大型ヘッドレスの襲撃があった際、彼等はその悉くを撃退し勝利を収めてきた。

 故に操士が巨兵の動きを止めた理由は、現れた巨大な影が“大型ヘッドレス”であったからではない


 ――その姿が、余りに“異形”であったからだ。


 その体躯は凡そ10メートル。明瞭な輪郭と実体を持った黒い身体と、霞に覆われた上半分の中に紅く輝く眼を宿した不気味な頭部。

 それら特徴的な部分は他のヘッドレスと同様だが、逆にそれ以外のほぼ全てが通常のヘッドレスとは大きく異なっていた。


 これまで確認されたフェイスレスは、その全てが“例外なく”人の形を模していた。

 しかし、いま彼等の前に現れた大型ヘッドレスは、“人”と“獣”を掛け合わせたような歪な姿をしている。


 口の部分には犬か狼のような長い顎が突き出し、まるで獣のように四本の足で身体を支え、しかしその前足の形状は人の腕と酷似している。

 前足から上半身にかけて異様かつ不恰好に発達した筋肉は、そこから生える下半身や頭部を妙に小さく錯覚させ、見る者に言いようの無い不快感を与えていた。


 “人”でも“獣”でもなく、しかしその双方の特徴を有した“異形”のフェイスレス。


「ッ!!」


 直後、遠く離れているにも関わらず、操士は大型ヘッドレスの視線が自分たちへと向けられた事を察知する。


『拙い! 部隊長、アイツは“新種”だ。間違いねぇ!』

「確かか!?」

『ああ。だいたい――』

「ゴオォォア゛ア゛ア゛アアァーーーッ!!」


 平野に響く二度目の“咆哮”。

 本体が森を抜け出たせいか、それは一度目よりも尚強かに兵士たちの鼓膜を震わせた。


『あんなふうにフェイスレスが“咆えた”なんて話、今迄聞いた事ねぇからなぁ!』


 そうして、操士は今度こそ巨兵を前へと進ませた。


 霞のような身体しか持たないフェイスレスは、例え大型といえど移動に足音すら発てる事はない。

 そして実体を持ったヘッドレスであっても、“鳴いた”“喋った”“咆えた”といった現象は、これまで一度として確認された事はなかった。

 しかし先程の轟音は、間違いなくあの大型フェイスレスが発したモノ。

 詰まりあの“大型ヘッドレス”は、これまで誰にも確認された事のない姿をし、あまつさえ誰も聞いた事のない咆哮を轟かせる、“新種”のフェイスレスであった。


「至急“防衛軍本部”に報告! あの新種が一体だけとは限らん! 近隣の駐屯所だけでなく本部からも応援を要請しろ! 槍兵隊は隊列を組み直せ!」

『“デカブツ”のは相手は俺たちだ! 新顔だからって怖気付くなよ。囲んで一気に畳み掛けるぞ!』

『『了解!』』


 だが、相手が新種のフェイスレスである事が判明した処で、操士である彼等に怯む気配はない。


 如何に敵の戦力が未知数であろうとも、巨兵を操る彼等の本体は防壁の後方にて護られている。

 戦う以上敗北する気など毛頭ないが、仮に巨兵が破壊されようと、彼等の本体にはキズ一つ付く事はないのだ。

 寧ろ、こういった不測の事態にこそ率先して前に出ねば、彼等巨兵乗りである操士としての面目が立たない。


 前へと進み出た一機に続き、他の操士も自身の操る巨兵を前へと進ませる。そして次の瞬間には、その“新種”もまた前方の王国軍へと向け移動を開始した。


 眼下を埋め尽くす同属の群れなどまるで意に返さず、新種は進行上に居るフェイスレスを踏み潰しながら突き進む。

 獣のような後脚が蹴り付けた地面は無残に抉れ、大地を鷲掴むように突き立てられた前脚の爪は、そこに居たフェイスレスごと大量の土砂を巻き上げた。

 最初の走出しこそ緩やかであったが、新種は全身を駆使する獣の如き動きで瞬く間に速度を増すと、防壁までの距離半分を一気に走破してしまう。


 その速度は、これまで最も脅威とされていた大型ヘッドレスを、更に上回るモノであった。


『速いッ!?』

「ゴォガア゛ア゛ア゛アアァーーーッ!!」


 こうして、ナーガル大防壁東部中央を守護する《第67防衛小隊》と、大型の新種を含めたフェイスレスの軍勢との戦闘が幕を開けた。




 ◆


 《第67防衛小隊》より戦闘開始の報告と応援の要請を受け、“ナーガル砦”の北――“ザルバ砦”に本部を構える防衛軍本体は、直ちに《東―26駐屯所》へ向け援軍を派遣した。


 防壁中央のナーガル砦より送り出されたのは、巨兵ミドラーサ六機を含む歩兵二個中隊。

 当初この規模の援軍は、少々過剰と見られていた。大型が複数同時に現れたのならともかく、報告によると敵はほぼ全てが通常のフェイスレスであり、大型の新種もたった一体が確認されたのみ。


 相手が通常のフェイスレスだけであるのなら、例え千の個体が攻めてこようと小隊規模での対応は十分可能。

 更に援軍として送り出された二個中隊は、現在戦闘を行っている《第67防衛小隊》の凡そ五倍の戦力がある。

 そこに、近隣の駐屯所より一個小隊規模の増援が加わったとなれば、合計で当初の六倍近い戦力が集結する事になるのだ。


 如何に戦力が未知数の新種が現れたとはいえ、千体のフェイスレスに対する対応としては、少々過剰と見られても仕方のない規模である。


 しかし、それでも防衛軍本体がコレ程の援軍を送り込んだのは、最近減少していた筈のフェイスレスが、突如千もの数で襲撃してきた事に対する警戒心の現れであった。

 そしてその襲撃が、東西に広い防壁の“たった一箇所”でのみ行われている事実もまた、その警戒心に更なる拍車を掛けた。

 コレだけの部隊を投入したからには敗北は在り得ない。要は一種の“保険”として、防衛軍本体は過剰ともいえる規模の援軍を送り込んだのである。


 だが――


 戦闘開始より僅か十分。新種フェイスレス撃退の報と、戦闘に因る巨兵一機の大破と二機の中破が告げられた後、部隊からの通信は完全に途絶えてしまう。

 それから更に十分後。通信の途絶えた《東―26駐屯所》の西隣にある《東―25駐屯所》より齎された通信により、防衛軍本部の人間は息を呑む事となった。


『現在、フェイスレスの軍勢と交戦中!!』


 聖紋機を通して響いたその声音は、聞き手の側に切迫した現場の状況を容易に想像させた。


『大型の新種一体を撃退後、更に三体の同種が南の森より出現! 通常のフェイスレスは未だ増加を続けており、現在その数は凡そ五千! 戦闘を開始した《第67防衛小隊》は壊滅! 現在は我々近隣の《第81防衛小隊》が交戦を継続中!』


 ――それは、余りに予想外の展開であった。


 如何に一個小隊での対応が可能とはいえ、敵の数は千体に及ぶ大集団。

 そのため当初は長引くであろうと予想された戦闘は、その予想以上の敵の増加に対応できず、防衛側の敗北という形で一時間と待たずに壊滅していた。

 近隣駐屯所からの援軍は距離が近い為まだ間に合ったが、ナーガル砦から援軍として派遣された部隊は、未だ現場に到着すらしていない。


 だが、幾ら五千体のフェイスレスが相手とはいえ、援軍が到着するまでの時間を稼ぐ事は決して不可能な話ではない。

 その時間稼ぎすら出来なかったという事は、その原因がこれまで確認された事のない“例外”――あの“新種のフェイスレス”にある事は明白であった。

 その上、たった一体の大型ヘッドレスが一度に合計三機の巨兵を戦闘不能に追い込むなど、彼等にとっては前代未聞の凶事と言って過言ではない。


 “新種はそこまで強力な個体なのか”

 “部隊が敗北した原因は何なのか”

 “新たに現れた新種への対応をどうするべきか”

 “戦場への援軍をどの様に割り振るか”

 “王国軍本部へは何と報告するべきか”


 大防壁の完成以来、一度として訪れた事のない非常事態に困惑し、防衛軍本部では様々な指示や情報が交錯を始める。

 だが、その騒然とした雰囲気の最中、立て続けに聖紋機から齎される報告を耳にした瞬間、その場全員の身に奔った戦慄が身体と口の動きを封じ込めた。


『一部のフェイスレスは防壁を突破! そのまま防壁の北側へ侵攻している! 繰り返す! フェイスレスが大防壁を突破した! “北へ向ってるんだ”!』


 ソレは、この国に暮らす誰しもが一度は考え、しかし不安と共に頭の中から振り払ってきた悪夢。


『畜生、何だってこんな事に! 此処ももう持たない! 気を付けろ、あの新種に“ブレストウォール”は通用しない!』


 聖紋機から響く口調は先程までの切迫を通り越し、今や悲痛な懇願の様相を呈している。


『俺達の事は良い! 本部は直ぐに第二防衛線を構築してくれ! お願いだ! 何としてでもヤツ等を止め――ッ!!』


 直後、鉱石を砕くような耳障りな雑音ノイズを残し、《第81防衛小隊》の声を届けていた聖紋機は沈黙。

 その後、幾ら聖紋機に呼び掛けようと、同じ人物からの応答が返って来る事はなかった。




 ◆


 この日、多くの時間と犠牲を積み重ねた完成より十年――


 王国の平和と安全を護り続けてきた“絶対の盾”たるナーガル大防壁は、人類の仇敵たるフェイスレスの前に初の敗北を喫した。

 ソレは、国民が忌避し続けてきた悪夢の再来であると同時に、その悪夢が現実のモノとなった瞬間であり、そして悪夢が始まった瞬間でもあった。


 忌まわしき防壁を突破した半人半獣の巨大な化け物は、悪夢ではない真の悲劇と惨劇を齎す為、大地を削りながら北へと向けて突き進む。

 過去に一度は蹂躙し、しかし奪い返された大地に再び己の爪痕あかしを刻むが如く、寒々とした冬の荒野を駆け抜ける。

 目指す先はただ一つ。地平の彼方に沈むその場所は未だ目視はできず、しかし憎悪と狂喜を宿した紅く輝く双眸は、確かにその位置を捉えていた。


 前へと進む度に甘い狂喜が湧き上がり、近付く程に暗い憎悪が燃え上がる。


 二つの衝動は化け物の身体を内側から突き動かし、元より疲れを知らぬその身体をより一層加速させる。

 最早、化け物の侵攻を阻む物はない。人類の持つ“絶対の盾”たる壁を砕き、“最強の剣”たる鋼鉄の巨人すら打ち負かした。

 化け物はやがてその衝動のまま、たどり着いた先で己の脅威を遺憾なく発揮するだろう。爪を振るい、牙を突き立て、破壊の限りを尽くすだろう。


 まもなく訪れるであろうその瞬間に想いを馳せ、化け物は大地を抉る脚を止めぬまま、冬の荒野に歓喜と怨嗟に彩られた咆哮を轟かせる。


「ゴォガアアァーーーー!!」


 しかし――


「ッ!?」


 刹那、荒野を奔る化け物の視界に、一筋の光が射し込んだ。


 刺すような鋭さを持ったその光は、陽の輝く空からではなく、化け物が進むその正面から齎されている。

 目指す先は未だ遠く、しかしその光源は化け物が目指す先の遥か手前に存在していた。

 このまま進めばまず間違いなくあの光の下へと辿り着き、化け物は未だ得体の知れないその光の主と相対する事となるだろう。


 ……だが、それがどうしたと言うのか。


 あの光の正体が何であれ、化け物のする事に変わりはない。一刻も早く目指す“あの地”へと赴き、そこにある全てを破壊するのみ。

 もしその邪魔をするモノが現れたのなら、あの煩わしかった邪魔な壁同様、矢張り同じように破壊し尽くせば良いだけのこと。

 故にその足取りに変化はない。依然変わらぬ速度のまま、化け物は一片の躊躇も見せる事なく、正面で輝く光との距離を詰めて行く。


 やがて近付くにつれ、徐々にその光の正体が明らかとなった。


「――ッ!?」


 ソレは、“巨人”であった。


 青い鎧を身に纏った巨大な人影。未だ穢れを知らぬ光沢を帯びたその鎧の表層が、遠く地平に居た化け物へと陽の光を届けていた。

 巨人はまるで化け物の前に立ち塞がる様に――いや、実際にその巨人は、化け物の前に立ち塞がっていた。

 意思なき瞳に決意を湛え、持てぬ筈の闘気を纏い、鋼鉄に通わぬ命を宿し、揺るがぬ覚悟で己が巨大な体躯を支えている。


 その威風堂々とした佇まいを見た瞬間、化け物は瞬時にその巨人が己の敵である事を理解する。


「ガア゛ア゛ア゛アアァーーーッ!!」


 同時に己の内に渦巻いていた衝動が、これまで以上に燃え煮立つのを感じ取る。

 その衝撃は余りに暴力的で、化け物の身と心を苦痛すら伴って苛むと、次の瞬間には甘美なまでの恍惚となってその思考を染め上げた。

 紅い双眸はより一層鮮やかな色彩を放ち、化け物は目の前の巨人へ憎悪を超える憎念を持って、狂喜を超える享楽を持って挑み掛かる。


 ……しかし、侮るなかれ、黒き巨影よ。見下すなかれ、半人半獣の化け物よ。


 貴様が人類最強の剣と盾を打ち破った事実に間違いは無い。しかし、今貴様の前に立ち塞がるその巨人は、人類が創り上げた最も“新たな剣”である。

 未だ鞘より引き抜かれた事のない幼くも無垢なその身には、だからこそ多くの者の願いと希望が託されている。

 そしてその広大な背中の後ろでは、今尚変わらぬ日常の下、多くの人々が日々の困難を乗り越え、その営みを守り続けているのだ。


 故に、己の意思とすら判らぬ衝動のまま振舞う貴様とは、その身に宿し背負うモノの重みが違う。

 貴様が脅威であればある程に、強大であればある程に、巨人はより一層の強固な決意をもって、貴様たち人類の脅威に立ち向かうだろう。

 その鋭い爪が人々へと振るわれるその前に、その凶悪な牙が人々へと突き立てられるその前に、確実にその両方を砕いてみせるだろう。


 それこそがこの巨人――聖紋巨兵イグリットに託された願い。


 守る為だけでなく自らが進んで敵地へと赴き、人類にとっての脅威たる貴様達フェイスレス打倒を目的に開発された、人類最新にして最大の剣である!


『行くぞイセア!』

「お、お手柔らかにお願いします!」


以上、第二部はここまで。

ここまで読んで下さりありがとうございます。

また書き溜めたら投稿しますので、その時は宜しくお願いします!

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