19 冬本番。出発当日
◇◇◇
「行きたい」
ダメ。
「行きたい行きたいイーキーターイー!」
だーからダメだっつーの。つか、年頃の女子が床の上で手足バタバタするんじゃありません。はしたない。
「自分の年齢なんか分かんないもん」
明らかに見た目俺より大きなお姉さんじゃないか。
「むー……ならこれでどうだ!」
おお! オッパイも大きくて妖艶だった女性が、一瞬で縮んでペタンコ幼女になってしまった!
「これなら良いでしょ。ねー連れてってよー主ー」
いや、良い訳なかろう。それにそのネタももう見飽きたしな。一週間で帰ってくるから、それまで大人しく家でお留守番してなさい。
「いーやー! だって主ってば最近はずっとあのメス達の所に通って、全然ボクと遊んでくれないじゃないかー!」
しょうがないだろ仕事なんだから。
「出たよ。直ぐ仕事に逃げるダメ亭主の決まり文句が」
誰がダメ亭主だっ!? つかドコで覚えてくんのそんな台詞!?
「この前イデアが言ってた」
マジで!! 俺の知らない所で家庭崩壊の危機が進行中!?
「冗談。本当は二つお隣の奥さんが言ってた」
すっごく安心した! でもこの先その奥さんと会う度に気まずくなるから止めてね!
「どーでも良いじゃんそんなことぉ。ねーねー、連れてって連れてってつーれーてってー!」
だからダメだって。たった一週間なんだから我慢しなさい。
「嘘だ! どうせアッチのメスの尻尾追っかけて帰ってこない気なんだ! ボクは捨てられるんだー!」
いや、あの人たちキミみたいに尻尾なんて生えて無いから。それに俺がお前を捨てたりする筈ないだろ。
「ホントに?」
本当に。
「大事に想ってる?」
おもってるおもってる。
「あのメス達より?」
当たり前だろ。お前の方が俺との付き合いが圧倒的に長いんだ。その辺は自信持っとけよ。
「じゃあ連れてって」
残念ながら、ソレとコレとは話が別なんだよなぁ。
「うがーーー!!」
うおっコラ止めろ!? 顔に覆い被さってくるんじゃムゴー!
「ボクも連れてってボクも連れてってボクもつーれーてーけーーー!」
ウグググ、フ、フゴフゥ、フゴゴォ……。
◇
俺がアリスさん達の組織、通称《第六復興促進部隊》――因みに“第一”と“第二”は既に無い模様――に入隊して早一ヶ月。
この間、俺は例の出張料理の準備のため、日々多忙な毎日を過ごしていた――なんて事はなく、予想に反してそれ程苦労はしていなかったりする。
人や食糧、その他諸々の手配の殆どをメイドのサラスティナ――“サティ”さんが請け負ってくれたからだ。
まぁ普通に考えて、俺みたいな子供にこんな大掛かりな行事の手配を任せる筈がない。更にサティさんの働きは見事なモノで、この一ヶ月で彼女の優秀っぷりがよく解った。
この組織、代表は吹けば飛ぶような半死半生の状態なのに、周りの人員は肉体的にも能力的にも優秀な人間ばかりだ。
(自分の存在が霞んで見えるなぁ)
んで、そんなサティさんのお陰で、俺の仕事はホワイトシチューとパンケーキの作り方を教えるだけになってしまった。
レシピを教える事に躊躇がなかったと言えば嘘になるが、この依頼を引き受けた時点でそれは既に覚悟していた。
両親からの許可も貰ったし、また新メニューを考えれば済むだけの話だからな。寧ろよくこのメニューだけで二年も続いたと思う。
だからこの仕事が終わったら、レシピを町の皆に公開してしまおうかとも考えたのだが、そこでアリステアさんや他の皆から“待った”が掛かった。
どうやら何か思惑があるらしく、公開するなら組織にレシピを譲ってくれと頼まれたのだ。
まぁ組織の役に立つなら別に良いと思い、素直にレシピを渡して好きにして良いと許可を出した。
前の世界ならここで契約書やら色々なやり取りを交わすのだろうが、その辺は全部向こうにお任せだ。
そして今日は、出張料理の為に皆でザルバ砦に向う当日である。
集合場所は町の北側。まだ早朝なので、俺たち“砦向かい組”以外に人の姿は殆どない――とはいえ、俺たちだけでこの場には二十人近い人が集まっていた。
人員や食材など全て用意して貰えると聞いてはいたが、まさかこれ程の人数が集まるとは思っていなかった。
でも考えてみれば、約八千人分の料理を一週間で作らなければいけないのだ。単純計算で一日約千二百人前。それを考えれば、これだけの人数も必要なんだろう。
「くぅぅ~っ、矢張り此方の冬は冷えるの~」
そうして集まった人の中に、一人だけ早朝の寒風に根を上げている人物がいた。
「もう冬も本番ですからねぇ」
あの秋の終わりから早一ヶ月。今の季節は産毛も凍る冬真っ只中だ。吐き出す息の白いこと白いこと。
「そういうお前は大して寒くなさそうだな」
「単なる慣れですよ。師匠だってこの国で二度目の冬でしょう? まだ慣れてないんですか?」
「無茶をいうな。某は赤道直下の島国出身だぞ。極に近いこの国の寒さは身に堪える」
「そんなモンですかねぇ」
師匠は動物の毛皮やらコートやらの防寒着を重ね着し、いつもの倍は身体の体積が増したような格好をしている。
だが、俺を含めたこの国出身の人間は、彼と比べれば軽装だ。俺も結構着込んできたつもりだが、それでも師匠に比べれば薄着でそんなに寒さも感じない。
きっと沖縄出身と北海道出身くらいの差があるんだろう……どっちも行った事ないけど。
「確か“生気”で体温の調節も出来るんですよね? 何でしないんです?」
師匠の説明では、アストラルを操る事で身体の重さだけでなく、物の熱量や硬度も変化させる事ができるとのこと。
俺はまだ身体を軽くする方法しか教わっていないが、師匠ならその程度割と簡単に出来そうだ。
「随分と簡単に言ってくれる。四六時中“生気”を錬っていてはそれこそ身が持たん。某とてやり過ぎればお前と同じく息切れを起こすわ」
この国で言う“アストラル”の事を、師匠の国では“気”と呼んでいる。どうやら地域によって呼び方が違うらしい。
俺はこれまでずっとアストラルと呼んでいたので、今更呼び方を変えるつもりはないが……。
「それにその手の“錬気”は不得手でな、そもそも流派がァ――ブァックショーイ!!」
「フア~~……」
隣で大きなくしゃみをする師匠とは対照的に、俺の口からは大きな欠伸が這い出てくる。
(……眠い)
「グヅッ……お前、こんな寒空の下でよく欠伸が出るな。昨晩は眠れんかったのか?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど、なんか夢見が悪くて……」
何せ昨晩は人が寝ているにも関わらず、夢の中でケモ耳幼女に散々駄々をこねられた。
ほぼオールナイトで説得していたので、夢の中の出来事とはいえ余り寝た気がしない。
「というか、師匠の方は大丈夫なんですか? これから更に三時間は南下しますから、寒さも今以上に厳しくなりますよ」
「なに安心しろ。引き受けたからには仕事はこなす。“コイツ”も返ってきた事だしな」
そう言って師匠は背中に手をまわすと、一週間分の荷物と一緒に背負っている“長い棒状の物”を軽く叩いた。
布に包まれた状態のソレは、師匠がウチに来た日以来ずっと俺が預かっていた物だ。
随分長いこと預かっていたが、もしかしたら今回の仕事で必要になるかもしれない。もういい加減返してやっても良い頃合いだろう。
「しかし、まさかコイツを取り戻すまでに一年以上掛かるとは……」
「自業自得としか言いようがないですね」
「……お前も見た目によらず容赦ないな」
そんな具合に師匠と話しながら歩いていると、やがて集まっている集団の中に探していた二人組を発見した。
「アリスさん、お早うございます」
「やぁイセア、朝早くからご苦労だね」
「いえ、早起きは得意なんで。リリィもお早う」
「……ん、おはよう……」
挨拶をして近づく俺をアリスさんは手を上げて快く、リリィはいつもの涼やかな声と無愛想っぷりで迎えてくれた。
二人とも皆と同じく防寒着を着込んでいるが、アリスさんは他と比べれば軽装で、代わりに質の良い厚手のマントを羽織っている。
凛とした本人に似合うとてもカッコイイ出で立ちだ。対して隣のリリィの方は、何だか凄くモコモコしていた。
何の動物かは知らないが、見るからに高価そうな真っ白い毛皮装備のフルコースで身を包み、いつもの三倍は貫禄のある格好をしている……主に横幅が。
(そういえば、リリィを屋外で見るのってコレが二度目だな)
もう一ヶ月以上の付き合いになるのだが、外でリリィの姿を見たのは今日を含めればウチの店に訪ねて来た日以来のことだ。
まぁあれだけ有意義な引き篭もり生活をエンジョイしていれば、そりゃ寒さにも弱くなる……のか?
「シュカ殿も今日から一週間、宜しくお願いする」
「いやいや、可愛い愛弟子の頼みですからな。この程度でしたら幾らでも協力いたしましょう」
などとキザったらしく答える師匠だが、その内心は渋々だ。寒いからと嫌がる本人を、俺が無理やりここまで連れてきたのである。
何故この人をこの場に連れてきたのかというと、この人にも今回の出張料理に巻き添え――いや、協力して貰うためだ。
理由は三つ。
一つは俺の手伝い。幾ら手伝いの人を用意してくれるとは言え、当然その人達はホワイトシチューもパンケーキも作った事はない。
作り方は一応事前にサティさんが皆に伝え、当日の役割分担や予行演習も済ませているのだが、本格的な経験者が俺一人というのは若干不安がある。
なのでアリスさんに頼み、追加で師匠の同行を許可して貰った。こう見えて師匠は一年以上ウチで働いた実績がある。仕事の邪魔にはなるまい。
もう一つは俺の護衛。まぁこれはあくまで用心の類だ。なんたって場所はここより戦場に近い軍事施設、転ばぬ先の杖、もしもの備えというヤツだ。
最初護衛はアリスさんが買って出てくれたのだが、彼女が一番に優先するべきは組織の代表であるリリィだ。一人で二人を同時に護るのは流石に難しい。
そこで、師匠にその護衛をお願いしたという訳だ。腕っ節は折り紙付きだし、何より無料でこき使える。これ以上の用心棒もそうは居ない。
当初、師匠の同行は当然の如く渋られた。何たって相手はどこの馬の骨とも知らない外国人だ、そう簡単に信用されないのは判っていた。
でも、アリスさんと直接会って話をして貰った処、二人とも妙に気が合ったらしく、直ぐに仲良くなってしまった。寧ろコレには俺の方が驚いた。
美人と見れば声を掛けまくる軟派の師匠と、忠道を突き進む硬派なアリスさんとじゃ水と油と思っていたのだが、人の縁とは分からないモノである。
――あ、因みに仲良くなったと言っても、別に二人が“お付き合い”を始めたという訳じゃない。
何というか、師匠もアリスさんには手を出すつもりは無いらしい。
アリスさんも結構――というか、かなりの美人さんなのだが、そんな女性に師匠が手を出さないのは珍しい。
理由を聞いてみた処、『某とて見境なしという訳ではない』と返された。きっとあの人にも、あの人なりの基準があるんだろう。
ま、あの人の女性を選ぶ基準になんて全く興味がないので、詳しい話は聞かなかったが……。
んで最後の理由が、師匠を我が家から“引き離す”為だ。
俺たちが砦に行っている間、ゼルガとイデアには店を閉めて休暇を取って貰う事にした。
これまで毎日が大忙しで、休みなんて週一の礼拝の日か年に数回の祝日、それから天候が極端に悪い日くらいなモノだった。
だからたった一週間とはいえ、今回の休みは店を始めて以来の長期休暇だ。たまの夫婦水入らず、二人には是非ゆっくりと過ごして頂きたい。
なのでウチで居候している師匠にも、こうして出張料理に同行願ったという訳だ。俺も含め、邪魔者は問答無用で消えるべし。
「準備の方はどうですか? 食材とか道具とか」
「そちらの方は今サラスティナが人員も含めて確認中だ。それとシュカ殿、サラスティナが貴殿に何か用があるらしい」
「サラスティナ殿が?」
「何でも当日に備えて確認しておきたい事があるのだとか。彼女の所まで案内しよう」
「ふむ、分かりました。ご一緒しましょう」
「あ、じゃあボクも――」
「いや、イセアはここでお嬢様を見ていてくれ。お嬢様、宜しいですね?」
「……わかった……」
モコモコしたフードの中でリリィが小さく傾く。
ソレを確認したアリスさんは、師匠と一緒に大量の荷物が積まれている場所へと歩いて行った。
「う~む……」
何というか、少々釈然としない。
今回の依頼を正式に受けたのは俺の筈なのだが、実際に蓋を開ければ俺のする事なんて殆ど無いも同然だ。
準備だって万全だし、当日の現場の指揮もいつの間にかサティさんが担当する事になっている。
俺がやった事といえば、シチューとパンケーキの作り方を教えた事と、即戦力になる師匠を連れてきた位なモノだ。
(これって、俺が居なくてもイイんじゃね?)
当日俺のやる事が余りに少ない――というか殆ど無いに等しいので、逆に俺の方からサティさんに何をすれば良いのか尋ねてしまったくらいだ。
そうしたら、『当日は全て此方で取り計らいますので、イセア様はお嬢様と一緒にいて頂くだけで結構ですよ』なんて、戦力外通告を頂いてしまった。
楽をするのは嫌いじゃないが、コレはもう楽以前の問題だ。もしこのまま現場に行って本当に俺だけ何もしないとなれば、肩身が狭い事この上ない。
なので、どうにか俺にも仕事をさせて貰えないか、サティさんにお願いしてみた処――『じゃあ最後の味見だけお願いします』と、なんと料理で最も重要な役割を任される事になったのだやったぜコンチクショーー!
「クッ」
「……どうしたの?……」
「いや、ちょっと目から心の汗が」
「……汗? 暑いなら、上着を脱ぎなさい。そして、水分を取りなさい……」
「あっはい。もう大丈夫です。お気遣いなく」
「……?……」
ま、要するにだ、きっと予備戦力ってヤツなのだろう。何か問題が起こった際、直ぐ現場に対応できる即戦力として温存されているに違いない。
最終手段とか秘密兵器とか、きっとそういった役回りなのだ。決して補欠とか二軍とかいった部類ではないと信じてる。
そういう事ならお任せあれ。ラスダンに持っていく“ラス○エリクサー”や“世○樹の葉”の如く、見事活躍してご覧にいれますとも!!
「ハァ~~……」
まるでキノコ雲のように吐き出だされた俺の溜息は、数秒と持たず冬の寒空へと溶けて行った。
(虚しい)
ま、ここで一人落ち込んでいても仕方がない。それに、アリスさんにリリィの事を見ておくように頼まれたからな。
なので俺は、早速隣に立っているリリィを“見てみる”コトにした。具体的にはこう、真正面からジロジロといった具合にだ。
「ふ~~む」
「……」
「ほうほう」
「……」
「はー、成る程ねぇ」
「……なに?……」
いい加減気に触ったらしく、リリィが険のある視線を向けてきた。
前はその視線だけで襲われる気がしたモノだが、最近はそれ程身の危険を感じる事はない。何故なら――
「いや、目の下のクマが大分取れたと思ってさ。顔色も前より大分良くなったし、ちゃんと睡眠は取ってるみたいだな」
そう、これまで死人のようだったリリィの顔色が、最近目に見えて改善されてきている。
目の下のクマはだいぶ薄くなったし、肌や唇の色艶も一ヶ月前に比べればずっと良い。
「……効率のため、だから……」
「まぁそうなんだろうけど、組織の代表なら効率だけじゃなく、健康管理もしっかりして頂きたいね、俺としては」
「……わかってる……」
リリィ達の部隊に正式に所属してからというもの、俺の生活はそれまでとは大きく変化した。
それまでは一日中ウチの仕事の手伝いをして、開いた時間を見付けてはヒビカや家畜達の世話をしたり、師匠にアストラルについて教わったりしていた。
けどこの部隊に入ってからというもの、俺はほぼ毎日のように屋敷の離れに訪れている。
幾らアリスさん達が俺の実力を認めてくれたとはいえ、今の俺が持っている知識は所詮は独学が殆どで、当然ながら専門家の持つ知識には遠く及ばない。
そこでリリィやアリスさん、それからサティさんも含めた彼女達が、今の内から俺に様々な知識を叩き込もうと先生役を買って出てくれたのだ。
最初は離れの中に転がっている専門書だけでも見せてもらえればと思っていたのだが、まさか専門家直々に教えて貰えるとは思っていなかった。
いち平民でしかない俺にとって、それは有り得ない位の高待遇だ。断る理由なんて何処にもない。
その後、両親にリリィ達の部隊に入る事も含めて事情を説明した処、両親は二人とも俺の選択に快く――というか大賛成してくれた。
てっきり仕事の人手が減るから反対されるモノと思っていたのだが、寧ろ二人は俺に一日中通っても良いとすら言ってくれたのだ。
まるで俺がウチに居ない方が良いくらいの勢いだったのだが、それは流石に俺の考え過ぎだろう。
(………………考え過ぎだよね?)
以来俺はこれまで続けてきたウチの仕事を半分程で切り上げ、一日の後半は屋敷の離れで過ごすようになった。
そうして、俺が離れに通うようになって二~三日ほど経った頃、アリスさんから俺に、リリィについてとある“お願い”をされたのだ。
「……分かってる。最近は、ちゃんと寝てる……」
「寝るだけじゃなく、ちゃんと飯も食えよ?」
「……うるさい。分かってる……」
「それなら良いけど」
その“お願い”とは、『お嬢様に無理せず眠るよう説得してくれ』というモノだった。
リリィが徹夜をしているという話は、事前にからアリスさんに聞かされていた。まぁ本人が寝不足だって事はあの顔を見れば一目瞭然だ。
だが詳しく話を聞いてみた処、何とリリィは二徹三徹は当たり前で、そんな生活をもう二年以上続けていたらしい。
更には重度の偏食家で、食事の好き嫌いも激しく、年に数回は体調を崩して床に臥す事もあったというのだ。
(ンなもん当たり前だ)
そんな生活送っていて体調を壊さない訳がない。寧ろ未だに生きてる事の方が不思議とすら思えてくる。あの顔色の悪さも納得だ。
しかも、なんとリリィの年齢は“十三”だという。俺と同い年かそこらだと思っていたのに、実は三つも年上だったのだ。
疑いの余地はない。他の子供と比べて明らかに成長が遅れている。それも寝不足や栄養失調で成長に弊害が出るなんて大概だ。
思わずアリスさんに、『何でそんなに成るまで放っておいたんですか!』と声を荒げてしまったくらいだ。
でも冷静に考えれば、リリィの事を何より大切に想っているアリスさんが、そんな状況を黙って見過ごす筈がない。
案の定、アリスさんは気まずそうに顔を顰めると、これまで忠言や忠告の類は散々してきたと俺に語った。
しかもアリスさんだけでなく、サティさんやその他の側近、果てはラドック神父の説教を受けても、リリィは頑なに彼等の言う事を聞こうとはしなかったという。
まるで何かに追い立てられるかのように、食事も睡眠も二の次に、日々の作業に没頭してしまうのだ。
(いや、ソレはもう別の意味で病気だろ)
更に、屋敷の光源には俺たち庶民の家とは違い、全ての照明に聖紋機が使用されている。ランプの明りよりずっと明るく安定しているため、夜中でも問題なく作業が出来てしまうのだ。
それはとても便利な事の筈なのだが、この場合はその便利さが逆に仇となっていた。
そこでアリスさんは、歳の近い俺なら上手くリリィを説得できるのではと考え、俺に白羽の矢を立てたそうだ。
正直、考え方は悪くないと思う――だが待ってほしい。
リリィに最も身近なアリスさんも、サティさんのような側近も、更には人に説法を説くのが生業のラドック神父ですらリリィを説得する事はできなかったのだ。
なのにまだ出会って一ヶ月もしない俺が口を挟んだ処で、リリィがまともに言う事を聞いてくれるとは到底思えない。
だいたい俺は、彼女いない暦イコール年齢のような人間である。あの年頃の女の子が何を考えているかなんてモチロン判らないし、当然の如く“気の効いた台詞”なんてモノを言える自信もない。
まぁリリィが“一般的な女の子”かどうかは疑問の余地があるとしても、とてもじゃないが俺に彼女の説得なんて出来っこない。
――しかし、かと言ってこのまま放っておく訳にもいかなかった。
今のままの生活を続けていては、リリィは必ずまたぶっ倒れる――それ処か、最悪早死にする可能性だってある。
経緯はどうあれ、折角こうして知り合った仲だ。それに彼女には、俺を組織の一員に迎えてくれた恩もある。
もしこのまま何もせず放置したら、俺はそんなリリィを見殺しにしたも同然。なので内心無理とは思いつつ、俺は全力でリリィの説得を試みる事にした。
「……ま、案の定玉砕したんだけどね」
「……なにが?……」
「俺程度の力じゃあ、世界の理不尽には抗い難いって話」
「……そう、精進なさい……」
――と、目の前の理不尽代表が申しております。
そもそもアリスさんやラドック神父にも無理だったのに、それ以上の成果を俺に求められても正直荷が勝ち過ぎというモノだ。
一応、“健康に悪い”とかお決まりの文句を並び立ててはみたものの、その手の台詞はもうとっくに言われ尽くしている為、本人には何の効果もなかった。
でも、そうして何度か説得を続けている内にある事に気が付いた俺は、リリィに対するアプローチを少しだけ変えてみる事にした。
これまでの傾向から、リリィが自分の身体より仕事を優先している事は明らかだ。
それなら此方も彼女の“体調”ばかりを気に掛けるのではなく、彼女の“仕事”も含めて説得を試みる事にしたのだ。
効率よく仕事をするには、適度な休憩を取る事が肝心だ。
でもリリィの場合、作業をす早く大量にこなすには、単純に作業時間を増やせば良いと思っている節があった。
まぁそれも一概に間違いとは言えない。多くの作業をこなすなら、他の時間を削ってその分を仕事に当てれば良い。
そうすれば削った分の時間を犠牲にしてより多くの作業が出来る。俺だって、仕事が忙しい時はそうしている。
――けど、それだって行き過ぎれば逆効果だ。
肉体的にも精神的にも、過度の疲労は集中力の減退を招く。意識は朦朧とするし、身体の動きも鈍くなる。その結果、作業効率は著しく低下してしまう。
でもその状態が暫く続くと、逆に集中力が異常に高まる事がある――所謂“ハイになる”というヤツだ。しかしコレも、所詮は一時的なモノでしかない。
最終的に疲労困憊でぶっ倒れては、結局倒れている間の作業がストップしてしまい、より作業に時間が掛かってしまうのだ。
作業を効率良く進めるには、適度な休息は必要不可欠――とまぁ、過去の自分の体験談も踏まえ、訥々とリリィに説明してやった。
これにはリリィも少しは耳を傾けてくれたのだが、それでも最初は懐疑的だった。休む暇があるのなら、その分作業をしていた方がマシ――といった具合だ。
でも俺には、前に料理で彼女の鼻を明かした実績が有る。なのでリリィも一度だけなら俺の言う事を信じ、ちゃんと休息を取る事にしてくれた。
かなり渋々といった様子だったが、こうなってしまえばこっちのモノ。更にリリィがちゃんとした睡眠を取れない理由に、俺はもう一つ心当たりがあった。
――“空腹”だ。
偏食家であるこの少女は、常日頃から余り食事を取っていないという。そんな状況じゃあ、きっと眠りたくても簡単には寝付けなかっただろう。
人間、腹が減ると眠りたくても眠れなくなる。だが逆に、食うモノ食って腹が膨れると、眠たくなくても眠くなってしまうモノだ。
「腹が減っては戦は出来ぬ。腹が減っては睡眠は取れぬ――ってね」
「……なにそれ?……」
「俺の考えた渾身の格言」
(主に後半が)
「……アナタらしいわね……」
「そう? なんで?」
「……よく、食べそう……」
「否定はしないけど、それだと俺が“食いしん坊”みたいに聞こえるんだが」
(俺は主に“作る”のが専門であって、そこまで食い意地は張ってないぞ)
そこで俺はリリィがちゃんと眠れるよう、俺が手ずから作った料理を彼女にご馳走する事にした。
シチューを気に入ったという話は事前に聞いていたので、離れの厨房を借りてそこで料理を作らせて貰ったのだ。
その際にサティさんから厨房に有る道具や調味料、一部食材まで好きに使って良いとのお許しを得たのだが……。
そこで、俺は見付けてしまったのだ――“砂糖”を!!
流石は上流階級の貴族さま、調味料の中でもお高い砂糖まで常備しているとは恐れ入る。
しかも不純物の多い黒砂糖ではなく、純度の高い“上白糖”――この発見に、俺の興奮度は一気に跳ね上がった。
コレさえあれば、今以上に料理の幅を広げる事ができる。砂糖の白い煌きが、その時の俺には砂金のような黄金色に輝いて見えた。
そうして興奮冷めやらぬ俺は、そのままの勢いで追加でデザートまで作ることにした。
ただし、この時俺が作ったのはアマル芋のスイートポテトではなく、前の世界でのデザートの代表格――“プリン”であった。
何故プリンかというと、単純にスイートポテトより作るのが楽だからだ。
基本ミルクと卵混ぜたら型に入れて蒸すだけだからな、“す”の入りにさえ気をつければスイートポテトよりずっと簡単に作る事ができる。
尤も、コレもぶっつけ本番で作ったので、リリィからは『ミルクの量が多い』とか『カラメルが焦げすぎ』とか、色々とダメ出しを受けてしまった。
その的確な指摘にぐうの音も出ない俺だったが、プリンなんて一度も食べた事がないコイツに、何だってそんな事が分かるんだ?
「……食べれば、誰でも分かる……」
「うん。リリィは少し、自分基準で世の中を見るのを控えた方が良いと思うな、俺は」
「……どうして?……」
「そのうち絶対苦労する」
(主にキミの周りにいる人達がな……俺も含めて)
「……面倒臭い……」
「ま、焦らなくても良いさ。凡人にも天才にも、互いの気持ちは解らないモンだ」
かと言って、互いに歩み寄りの心を怠っちゃいけない。この少女にも、そのうちソレが解ると良いんだが……。
因みに、一緒に食べたアリスさんやサティさんには、プリンは概ね好評だった。寧ろ好評過ぎて、サティさんの俺を見る眼差しが若干変わってしまった程だ。
前に一度、『“先生”と呼ばせて貰っても宜しいですか?』なんて聞かれた事があったが、『宜しくありません』と丁重にお断りさせて頂いた。
料理を教える事は吝かじゃないが、俺の目的はあくまで巨兵に乗る事だ。“先生”にまでなってしまったら、何だか取り返しが付かなくなってしまいそうだ。
あ、それと“スイートポテト”といえば、この前アリスさんに頼まれて幾つか作ったんだが、アレって結局どうなったんだ?
確か、『世話になった知り合いへの土産にする』とか言っていたが、結局誰にあげたのかは教えて貰えなかった。
(……まぁいいか、それより今はリリィの事だ)
「でも良かったよ。最初はどうなる事かと思ったけど、最後にはちゃんとコッチの思惑に嵌ってくれたからな」
「……その言い方は、納得いかない。私は、頼まれたから、やってあげた、だけ……」
「はいはい、ちゃんと感謝してるよ。俺も含め、アリスさんや他の皆もね」
「……ふん……」
結果だけ見れば、俺の作戦は見事成功を収めた。
何だかんだ言いつつ、シチューとプリンを完食したリリィは、その日ベットに入るなり一瞬で寝息を立て始めた。
俺もまさかここまで上手く行くとは思っていなかったので驚いたが、上手く行き過ぎてリリィが丸二日も目を覚まさなかった時は、流石に肝を冷やした。
一日以上経過しても全く目を覚ます気配がなかったので、危うくアリスさんから“一服盛ったのでは”なんて有らぬ疑いまで掛けられそうになった。
まぁ、皆も一緒にリリィと同じ料理を食べたし、俺が料理をしている所はサティさんがずっと“観察”していた。
お陰で俺への疑いは直ぐに晴れたものの、リリィが目を覚ますまでの間、アリスさんはまるで冬眠前の熊のようにずっとウロウロソワソワしっぱなしだった。
だが、幾らアリスさんが気を揉んだ処で、当の本人は寝床で気持ちよさそうに寝息を発てるのみ。
無理に起こす訳にもいかず、目覚めるまでの間、俺たちはアリスさんとリリィの二人を黙って見守る事しかできなかった。
まぁ、その後一日経ってからちゃんと目を覚ました訳だが、起きたリリィに思わず抱き付いたアリスさんは半分涙目で、自分が丸二日も寝ていた事実を知らない少女は何事かと目を白黒させていた。
「……イセア……」
「ん?」
「……次、アリスを泣かせたら、許さないから……」
「アレって俺のせいじゃないよね! 俺悪くないよね!?」
「……私に、眠るよう言ったのは、アナタ……」
「そうだよ」
「……私に、料理を食べさせたのも、アナタ……」
「そうだね」
「……つまり、アナタが全部、悪い……」
「成る程――って、いやいや! そんなんで納得しないからね!!」
んで、肝心の作業の方はどうなったのかというと――残念ながら、俺はこれまでリリィが作業をしている現場を見た事がない。
なにやら書類と睨めっこしている事は知っているのだが、具体的にどんな作業をしているかまでは、どうしても教えて貰えないかったのだ。
(まぁアレもきっと機密の類なんだろう。余計な詮索はしないでおく)
でもこれまでの話を聞く限り、きちんと睡眠も食事も取っているらしい。なので、たぶん仕事の効率もちゃんと上がっているのだろう。
仮に効率が上がっていなかったとしても、日々命を擦り減らしてする作業より、適度な休息を取りながら働いた方が良いに決まってる。
それにリリィだって、今回の一件でアリスさんがどれだけ自分の事を心配していたのかが解った筈だ。この期に及んで、まだ自分の我を通すなんて真似はしないだろう。
皆リリィの齎す成果に期待はしているだろうが、それ以上に彼女の体調も気に掛けているのだ。この少女は、もう少しその事実を自覚したほうが良い。
「ま、何事も身体が資本だからな。仕事と健康は両立してこそ――フワァ~~」
「……なに? ヒトにはアレだけ、言っておいて、自分は寝不足?……」
本日二度目の大欠伸を見咎められ、隣のリリィから冷たい視線を向けられた。
「いや、寝不足というより、ちょっと夢見が――あ、そうだ」
すっかり忘れていた。今日この少女に会ったら、一つお願いしたい事があったのだ。
「なぁリリィ、折り入って一つ頼みがあるんだが」
「……なに?……」
「えっとね、まず“コイツ”を見てくれないか」
そう言って、俺は自分の下半身に付いている“ソレ”を指差した。
すると、リリィは余程珍しい物でも見たように、眉根を寄せて“ソレ”をジィッと凝視する。
「“コイツ”をどう思う?」
「……黒くて、ツヤがあって……大きいわ……」
「ほほう」
(ほう、中々見る目があるじゃないか)




