11 料理勝負、スイートポテト
◆
現在“アリステア=リリウス”は、少なからずの後悔に襲われていた。
彼女と彼女の主である少女がこの町へと訪れ、すでに一年近くの時間が経過している。
その間、この少女は公務以外では殆ど屋敷から出る事なく、まるで何かに取り憑かれたように、日々部屋の中で己に課せられた役割に没頭してきた。
食事も睡眠も不規則。時には二、三日徹夜で作業に明け暮れる事もあり、気を失うように眠りにつく毎日。
果たして幾度、床で寝てしまったこの細く可憐な少女の体を、この手でベットの上へと運んだ事か……。
だがソレは、他の誰かが少女に強要したモノではない。もしそうであれば、少女の従者たる彼女がそれを許さない。
例えどのような手段を講じようとも、少女を支え護り抜く事が彼女に課せられた責務であり、誓いであったからだ。
故に、今の現状を望んだのは他ならぬ少女自身。辛い役割を自らに課したのも、戦闘の前線に最も近いこの町に移り住んだのも、全ては彼女の主たる少女自身の意思であった。
そしてアリステアには、少女が何故そのような行為を望むのかの真意も、恐らく少女以上に理解していた。
だからこそ、アリステアはそんな自らの主を労わる為、今日こうして巷で話題に上がっている“町外れの店”へと少女を連れてやって来たのだ。
しかし、骨を折りつつ何とか少女を外へ連れ出したは良いものの、こうして実際に目的の店まで来てみれば、事態は彼女が全く予想していなかった方向へと転がり始めてしまった。
これでは少女を労わる処か、この店の住人にまで要らぬ迷惑をかけてしまう。
(何故、このような事態に)
「……どうしたのアリス。ほら、座りなさい……」
「は、失礼いたします」
頭を抱えたくなる衝動を抑えつつ、アリステアは少女の隣に腰を下ろした。
先に座った少女の方は、先程から物珍しそうに店の中を見回している。室内だというのに未だフードを被ったままだが、それを咎める気はアリステアにはなかった。
「……予想した通り、中身も貧相……」
「お嬢様、お止め下さい」
「……何故?……」
「ここはいつもの公務の場ではないのです。そのような発言は周囲に要らぬ衝突を招きます。今はお控え下さい」
「……面倒くさい……」
詰まらなそうに吐き出す少女だが、その発言に悪意などない事を彼女は知っている。
単純に処世術というモノに疎く、思った事をそのまま口に出してしまうだけの、ただの子供でしかない。
ただし、この少女の周りにはソレを諌める者が余りに少なく、同時にその発言をして周りを納得させるだけの実力をも兼ね備えていた。
故に、今回のように少女が騒動の火種を辺りに撒いては、アリステアがそれを消して周るを今日まで繰り返してきたのだ。
しかし残念な事に、今回ばかりはアリステアにも事態の収拾は図れそうにない。
いつもなら相手の側が先に及び腰になり、そこで透かさず彼女が仲裁に割って入るのだが、今回は相手の側も一歩も譲らず、仲裁に入る前に両者の間で話が纏まってしまった。
それはまるで示し合わせたかのようにスムーズなやり取りで、アリステアにすら入り込む余地が見出せなかった程である。
「はいよ。取り合えずコレでも飲んでな」
すると暫くして、椅子に座った彼女達の元に、少年が白い湯気を昇らせる二つの湯飲みを持ってきた。
「……お茶は、頼んでいない……」
「ウチのお茶はサービスだよ。お客さんにはいつも無料で出してるんだ」
「無料だと?」
しれっと答える少年に、アリステアは思わず聞き返す。
「少年、ここでは茶を無料で客に提供しているのか?」
「そうですよ。別に高いモンでもないし」
「ほう……」
アリステアは関心――というより、寧ろ驚きに目を開いた。
町の中心にある食事処では――いや、隣国の首都にある店ですら、水一杯にも料金を請求する店が大半である。
にも拘らず、少女の言うこの“貧相な店”では、安物とはいえ茶を無料で客に振舞っているというのだ。
世情に詳しいアリステアにはそれがとても奇妙な事に思えたが、この世界の常識に疎い他二名は、幸か不幸か彼女ほどの違和感を覚える事はなかった。
「じゃあ今から作るから、それ飲んで暫くお待ち下さい」
そう言って再び厨房へと戻る少年の背中を目で追いながら、アリステアは思う――
(変わった少年だ)
それは何も、少年の髪や瞳の色といった外見に限った話ではない。藍色よりも尚濃い黒色の頭髪や、まるで黄金のように妖しい光を湛える黄色の瞳も珍しくはある。
しかし、初めに店の前で少年と出会った際、彼女は少年の言葉遣いと仕草から“厳しく躾けられた子供”――という印象を受けた。
恐らくこの少年の年齢は、少女とは違い見た目通りの十歳前後だろう。
だが、その年齢の割りに少年はアリステアの問い掛けに明瞭に答え、此方の無茶な要望にも出来る限り応えようとしてくれた。
その対応は中々堂に入ったモノで、客への対応に店員としての“誇り”と“けじめ”を感じさせる。
しかしそう冷静に対応する半面、自分の店を蔑まれた時に見せた激昂は年相応なモノであり、その直後に落ち着きを取り戻したかと思えば、少女の台詞に反発して『料理の味を証明する』などと突拍子もない提案を持ち出す始末。
最終的には店の経営にすら影響を与える、とんでもない約束事まで交わしてしまった。
本来であればこの時点で、少年のアリステア達に対する態度が剣呑なモノになっても仕方がない。
だと言うのに今こうして彼女達に対応する少年の様子は、先程より一段と自然体で落ち着いたモノだ。
余程の自信があるのか、それとも最初から約束を反故にする心算なのか――もしそうであるなら、余り賢い判断とは言えない。
アリステアの少年に対する印象は、先程から二転三転と移り変わり、未だ明確には定まらずにいた。
「……少し、渋い……」
「アコル茶ですね。この辺りでは一般的に飲まれているお茶です」
「……そうなの?……」
「ええ。ですがこの通り少々渋みがありますので、子供には余り好まれていません」
「……そう……」
隣の少女がもう一度湯飲みに口をつけると、アリステアも同じくお茶を啜る。
鼻腔に抜ける茶の香りと暖かさに、ホッと肩の力が抜けて行く。
(懐かしいな)
最近は飲む機会がなくなったが、彼女も訓練時代には良く休憩の際にこのお茶を口にした。
アルコ茶の葉はこの地方では道端にすら自生している茶草であり、食せはしなくてもその甘い香りが彼女の緊張と疲れを癒してくれたものだ。
「……香りは、悪くない……」
「お気に召しましたか?」
「……別に……」
そうは言うものの、少女はそれから度々湯飲みを口に運んでは、中のお茶を啜り続けた――どうやら、予想以上に気に入ったらしい。
そんな少女の横顔を見ているだけで、アリステアの心労はお茶以上の効果を持って溶かされて行く。
(しかし、本当に可能なのか?)
再び少年が消えていった厨房へと目を向ける。
彼女は自らの主であるこの少女が、大の“偏食家”である事を知っている。
彼女たちがこの町へとやって来て一年、現在身を寄せている館で出される料理ですら、『美味しい』などと口にした事は一度もない。
野菜の類は殆ど口にせず、肉や魚の類も気に入らなければ、半分も食べずに食事を止めてしまう。
そのような少女に、果たして『料理を美味しい』と言わせる事が、本当に可能なのだろうか? それも、こんな町の外れにある質素な店の、年端もいかぬ子供の作る料理が……。
もともとは町で聞きつけた噂の料理を少女に振舞おうと、このような町の外れにまでやって来た彼女達。
だが肝心の店に到着してみれば、その店は既に営業を終えており、一時は諦めてそのまま帰る事すら考えた。
しかし諸々の経緯を経て、彼女たちはこうしてその店の料理を食せる機会に恵まれた。
本来であれば喜ぶべきだろう。だが、いざその店の料理を食せるという段階になって、アリステアの心中は期待や喜びよりも不安の色が濃くなっていた。
(もしお嬢様を納得させる事が出来なければ、確実に後悔する事になるぞ、少年)
「……う、ん……」
「お嬢様……?」
肩にトンと当たる感覚に視線を落とすと、いつの間にか自分の肩に寄り掛かるようにして少女が寝息を立てている。
恐らくアコル茶の香りに気が抜け、ここ数日の疲れが一気に出たのだろう。出来ることなら横にさせてやりたいが、流石にこの場でそれは難しい。
せめて少女の身体が楽なようにと、アリステアはそっと自分と少女の姿勢を整え、向こう側にある少女の小さな肩に手を回した。
「スー……スー……」
(……少しだけ、お休み下さい)
せめて少年の料理が出来るまでの間、このまま静かに眠らせておこう。
そうして寄り添う二人の姿は従者とその主ではなく、本物の姉妹のように睦まじいモノであった。
「……ん?」
其れから暫く、少年が厨房に篭って一時間ほど経過した頃、厨房から妙に甘く香ばしい香りが彼女の鼻をくすぐった。
花の香りとはまた違うその食欲をそそる香りに、彼女には多少の心当たりがあった。
それは、動物の乳を加工する事で得る事のできる食材、一般の家庭にはまず出回らないある高級食材の香り。
(この香りは、“バター”か? まさか、こんな外れの食事処で?)
「はーい。お待ちどうさまー」
そんな声と共に厨房から皿を持った少年が現れた。
どうやら漸く料理が完成したらしく、その顔には何処かやり遂げた満足感のようなものが漂っている。
「ん、うぅん……?」
少年の掛け声に反応した少女の眉が震え、閉じていた瞼が薄っすらと開く。
「ありゃ。ひょっとして寝てました?」
「いや、気にしなくて良い。お嬢様――」
「……アリ、ス?……資料は……?」
「お目覚めください。料理が出来上がりましたよ」
「……りょう、り……?」
未だ意識がぼやけているらしい少女は眠そうに目を擦ると、預けていた上体をゆっくりとアリステアから引き剥がす。
「う、ふわ……」
小さな欠伸と共に出てきた涙を袖で拭うと、銀の瞳が徐々に焦点を結び、皿を持ったまま立っている少年の姿を捉えた。
「よう。悪かったな遅くなって。腹減ったろ?」
「……遅い……」
「い、いや、だから悪かったって」
「……時間は貴重……」
「これでも急いだんだぞ。食材がなかったから家の裏で牛の乳搾りまでしてきて――」
「……弁解はいい。結果だけ見せて……」
「なんか愛想がないというか事務的というか……まぁいいや。それじゃあ、はいコレ」
「…………え?」
目の前に置かれた皿の中身を見た瞬間、アリステアは言葉を失った。
(なんだ、コレは?)
彼女が驚くのも無理はない。だが同時に、その答えも明白だった。
皿に乗せられていたのはホカホカと白い湯気を上げる“アマル芋”――正確には縦二つに割られた二つのアマル芋が、皿の上に無造作に乗せられている。
アマル芋自体はそう珍しい食材ではない。年間を通して収穫できる主流の芋とは異なり、今の季節にしか手に入らない品種の芋だが、食材としては一般的だ。
内側に糖分を含んだアマル芋は多くの者に人気があり、特別な調理をせずとも熱を通すだけで食す事ができるのが特徴である。
(火は通してあるようだが)
良く見ると、割られた芋の表面には鮮やかな黄色い焼き色が着いている。
だが、アマル芋にただ火を通しただけの物を持ち出して、コレを“料理”と言い張るのは些か無理がある。やはり、所詮は子供の料理という事か。
ただ、単に芋に火を通すにしては時間が掛かり過ぎている上、先程のバターらしき香りも気にはなる……。
「少年、一応聞くが……これは何だ?」
すると、少年はまるで彼女の質問を見越していたかのように、自慢気な笑顔を浮かべて言った。
「こっちも一応言っておきますけど、勿論ただの焼芋じゃありませんよ。コレは、ボク特製の“スイートポテト”です」
「すいーと、ぽてと……?」
それは、アリステアにはまるで聞き覚えのない料理の名前である。
「まぁ食べてみてくださいよ。旨いですから……たぶん」
(“たぶん”?)
どうにも不安、かつ聞き逃せない単語が耳に飛び込んでくる。
「少年。もう一つだけ聞きたいのだが……」
「何です?」
「あじみ……いや、食材は何を使っているのだ?」
「食材ですか? うーん……」
少年は少し考える仕草を見せた後、先程とは違い今度はニヤリと少し意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「それは食べてのお楽しみですよぉ」
「む――」
そこでアリステアは思案する――
果たして、このまま素直にこの“スイートポテト”なる物を食してしまって良いものか?
自分だけならまだしも、その後には彼女の主である少女が控えている。
在り得ないとは思いつつ、もしこの中に体に有害な物でも入っているなら、なんとしても少女の口に入れさせる訳にはいかない。
(別段、変わった部分は見受けられないが)
だが彼女には、矢張りソレがアマル芋を焼いただけの物にしか見えない。
少年はただの焼芋ではないと言っていたが、果たしてこの焼芋にどのような手を加えたというのだろうか?
強いて変わった部分を上げるとするなら、割られた芋の断面の焼き色が妙に鮮やかな処くらいだろう。
「……ん?」
そこで、先程と同じバターの香りがアリステアの鼻腔をくすぐった。どうやら気のせいなどではなく、この店では本当にバターが調理に使われているらしい。
そしてその香りの源は、間違いなく目の前のスイートポテトから漂っている。ただアマル芋を焼いただけでは、このような甘く香ばしい匂いは出てこない。
(少なくとも、食べられない物は入っていないか)
そう判断したアリステアは、先ずは自分がこの料理(?)を食し、その安全を確認する事にした。
「ングング……早く食べないと冷めますよ?」
「ああ、それもそう――って、君も食べるのかッ!?」
見詰めていたアマル芋から視線を上げると、少年は彼女達に出したスイートポテトの一つを手に取り、それを食しているまっ最中であった。
「いやー実はボクもお腹空いちゃいまして、それに味見もまだでしたから」
「味見もしていなかったのかッ!?」
嫌な予感がしてあえて言及しなかったのだが、少年はそんな恐ろしい台詞を平然と言ってのけた。
「まぁ食材が殆どなかったんで。でもちゃんと美味しいですよ」
「そ、そうか……」
「ええ、初めて作った割には上手くいきました」
「初めてッ!?」
何故か会話をする度に不安が募るアリステアだったが、これで一応このスイートポテトとやらが安全である事が証明された。
後の問題は味だが、やはり先ずは自分が食べて確認し、それから少女に勧めてみる事にしよう。
心の中でそう決意し、漸く出された皿へと手を伸ばすアリステアだったが――
「うん……?」
そこで皿の上のスイートポテトが既に二つしか残っていない事に気が付いた。
先程までは確かに四つ乗っていたのに、今は皿の上に二つしかない。一つはたった今少年が食しているから良いとして、それならもう一つのスイートポテトの行先は――
「ムグムグ……」
「おっ、お嬢様ッ!?」
妙な咀嚼音を聞きつけたアリステアが隣の席に視線を向けると、そこには既に手に持ったスイートポテトを口へと運び、それを頬張っている少女の姿があった。
日頃の少女を知っているアリステアにとって、それは余りに珍しい光景であり、一瞬目の前の光景を現実と信じる事ができなくなる程の衝撃であった。
更には――
「ン……美味しい……」
「えええッ!!」
その台詞を聞いた瞬間、ただでさえ現実を疑い始めていたアリステアは、遂にはこれが自身の夢ではないかと本気で錯覚した。
ただでさえ偏食家の少女が自分から料理に手を伸ばし、それをアリステアの確認無しに口に入れ、最後には『美味しい』とまで評したのである。
他人には決して理解できないだろうが、アリステアにとって今の状況は、まさに驚愕に値する出来事であった。
普段ならまず考えられない事態に、暫しの間アリステアはその場に固まり、呼吸さえ忘れて少女の姿を凝視してしまう。
「……どうしたの? 固まって……」
「――っ!? あ、はいっ、何でもありません。ご心配なく」
少女の声で石化でも解けたかのように、アリステアはハッと我に返る。
「……アリスも食べなさい。美味しいわよ……」
「は、はぁ、では私も一つ」
未だ現状を微妙に呑み込めないまま、少女に促されたアリステアの腕がノロノロとスイートポテトへ伸ばされる。
一つを手に取り顔の前に近付けると、そこからはバターの他にアルマ芋特有の優しく甘い香りが漂ってきた。
口に入れる前から齎されるその香りに胃が刺激され、いつの間にか口内に溜まった唾液を喉がゴクリと飲み下す。
(なる程、これならお嬢様が自から手を伸ばしたのも頷ける)
小腹の空き始めるこの時間帯に、この香りは聊か蠱惑的だ。
しかもこの場所に来る前の少女は、いつものように昼食を半分以上は残している。幾ら偏食家の少女とはいえ、この誘惑に抗うのは難しかったのだろう。
しかし香りも気にはなるが、やはり肝心なのはその味だ。
見ると少女の表情は変わらずいつもの通りだが、先程からゆっくりと――それでいて黙々とスイートポテトを口元へ運び続けている。
そのような少女の姿を見ているだけで、アリステアの中にもこの料理に対する興味が徐々に膨らんできた。
(このまま食い付けば良いのか?)
彼女たちの日頃の食事はナイフとフォーク、他には主にスプーン等を使用する。
なので手掴みの食事に多少の躊躇はあるものの、戦場での野戦食などはその大半がナイフもフォークも使用しない。
アリステアは直ぐにその躊躇を頭から振り払うと、次に少年へと目を向けた。
「アムンッ、ングングング――」
少年は子供ながらに大きく口を開け、スイートポテトを芋の皮ごと頬張っている。だが隣の少女は表面の皮を器用に剥がし、その中身だけを食べている。
恐らくどのように食べても問題はないのだろう。そもそも見た目からして、食べ方に決まりがあるような気取った料理とは思えない。
「いやー、でもホントに旨いなコレ。予想以上に良くできたよ……あ、そうだ。少し待ってな」
そう言うと少年は席を立ち、何故かまたいそいそと厨房の中へと入って行った。
(……まぁ、まずは一口)
いい加減これ以上躊躇していては料理が冷めてしまう。基本料理というものは、やはり作りたての温かい内が美味いと相場が決まっている。
このまま冷まして味を落としてしまうのは勿体ないし、せっかく料理を作ってくれた少年にも申し訳がない。
「(“紋神ブレイゾン”よ、この恵みに感謝いたします)」
黙祷し小声で感謝の祈りを呟くと、アリステアは多少品がないとは思いつつ、皮ごとスイートポテトに齧りついた。
「ハム。ンムンム……ン、んんッ!? なッ――!!」
まだ口の中にモノが入っているにも関わらず、声の出そうに成った口を慌てて押さえる。
(なっ何だコレはっ!?)
それは衝撃的――いや、いっそ感動的とも言える味であった。
その見た目から、アマル芋を使用したのは間違いない。
だがこうして実際に食べてみると、その味わいの差はただのアマル芋に比べ、天と地ほどの開きがある。
無論、今こうして食べている方が天の部類だ。
「ンッ、ハムンッ!」
アリステアは最初の一口を飲み込むと、直ぐさま二口目に取り掛かる。
「ンムンムンム、んーーっ!」
(こ、これは美味しい! 信じられない!)
騎士の称号を持つアリステアは、余程の事がない限り我を失う事はない。寧ろ何かしらかの非常時に陥った際には、勤めて冷静を保つよう訓練されている。
しかしこの瞬間の彼女は確実に周りへの配慮を忘れ、自己の世界に陶酔していた。常に引き締めている眉や目尻は自然と下がり、口元は幸せそうな曲線を描いてしまう。
(こんな甘くて美味しいモノ、産まれて初めて食べ……ハッ!)
が、直後に我へと返ったアリステアは、視線だけで密かに少女の様子を窺う。
「ムグムグ……」
どうやら、少女は先程から自分のスイートポテトに夢中のようで、弛緩したアリステアの変化には気付かなかったらしい。
アリステアは内心ホッと胸を撫で下ろすと、一度気を引き締め直してから再び手元にある食べかけのスイートポテトへと目を向ける。
その見た目は、矢張りただの焼芋に見える。だがそんな平凡な外見とは裏腹に、その中身はただ芋を焼いただけの物などでは断じてない。
これは歴とした料理――しかも、恐らくは“菓子”の類。
「……アム」
初めは一口二口と、衝動のままにスイートポテトを頬張ってしまったアリステアだが、三口目はじっくりと吟味するように頬張った。
味のベースはアマル芋。それは間違いないのだが、それ以外の部分は普通のアマル芋とは大きくかけ離れている。
一口食べて先ず印象に強いのは、何と言ってもその“舌触り”だ。
初めは普通の芋同様にホックリ崩れるのだが、口の中に入れた途端まるで舌の上で溶けるようにその原型を失っていく。
普通の芋のように、口の中で何度も噛む必要がない程に軟らかく、そして滑らかだ。
(そうか、マッシュされているのか!)
謎が一つ解けた。このアマル芋は既に一度“マッシュ”――すなわち、原型がなくなるまで“押し潰されている”。
恐らく一度蒸かしたアマル芋の中身をくり抜き、それをマッシュ状にした物を再びくり抜いた皮の中へと詰め戻したのだろう。
(なるほど、これは面白い発想だ)
しかし、ただ芋を潰しただけでは、これ程のコクと滑らかさは出てこない。幾らキメ細かく潰そうとも、それだけではボソボソとした口当たりになるだけだ。
なのでそれを避ける為、この中には繋ぎにバターとミルクが混ぜられている。だからこそここまで軟らかく滑らかで、コクのある食感に仕上がっているのだろう。
こうして謎を一つ解いたアリステアだが、実は彼女がこの料理から感じた謎は、もう一つだけ存在する――それは、先程から感じる強い“甘味”だ。
正直アマル芋の持つ甘味だけでは、このバターとミルクの濃いコクと風味に負けてしまう。
しかしこのスイートポテトの中には、その二つをしっかり受け止め、そして支えるだけの力強い甘味がアクセントとして感じられる。
ただの砂糖による味付けではない。アマル芋とは明らかに違う、若干の酸味を含む爽やかな甘味だ。
(この味には覚えがあるな、何だったか……)
その甘味に引っかかりを覚えたアリステアは、暫し食べる手を止め記憶の引き出しを探ってみる。
喉元まで出掛かっている。そんなもどかしさを抱きつつ、彼女が頭を捻り続けていると――
「ほら飲みなよ。こいつはサービスだ」
少年がアリステアと少女、そして自分用の三つのコップを持って厨房から戻ってきた。
テーブルに置かれたコップの中には、表面から薄い湯気を昇らせる真っ白なミルクが入っている。
「スイートポテトにはミルクの方が合うと思ってね。ウチの牛の絞りたてだから美味しいですよ」
成る程。確かに最初に出されたアコル茶より、温めたミルクの方がこの料理には合うかもしれない。
「頂こう」
アリステアは早速コップを手に取ると、二、三度表面の湯気を吹き消してから、温かいミルクを喉へと流し込む。
ミルクは熱過ぎず冷た過ぎず、丁度いい温かさで彼女の胃の中へと落ちて行く。体内でジワリと広がる熱が心地良い。
(うむ、美味い)
思った通り、このスイートポテトにはアルコ茶よりも、こうして温めたミルクの方が良く合う。
矢張り料理に限らず、“出来立て”という物は総じてとても味が良い。この絞り立てのミルクしかり、釣れた直後の川魚しかり、収穫したばかりの農作物しかり。
逆に時間が経つことで旨くなる物といえば、酒やチーズなどの発酵食品くらいなものだ。
尤も、この国ではそのような長期保存に適した食材が主流で、“鮮度”といったモノは二の次でしかないのだが……。
「ふぅ……ん? 飲まないの?」
見ると、少年とアリステアは各々コップに口を付けているのだが、何故か少女だけはミルクを飲もうとはせず、黙って乳白色の水面を見詰めていた。
「すまない少年。お嬢様は余り牛の乳が得意ではないんだ」
より正確に言うのなら、乳全般が苦手と言った方が良いだろう。
主流の家畜であるオオヘラ牛の母乳は栄養価がとても高い。
なので少女の周りにいる者達は、偏食家である少女にせめてミルクだけでも飲むよう忠言するのだが、少女は頑なにそれを聞こうとしなかった。
それはアリステアも同じで、甘くしたり温めたり冷たくしたりと色々試してはみたものの、矢張り少女がミルクを飲む事はなかった。
「ありゃ、ミルク嫌いなのか」
「……別に、嫌いじゃない。飲みたくないだけ……」
「別にとやかく言う気はないけど、“アレルギー”とかじゃないなら飲んだ方がいいぞ」
「……なに、それ。聞いた事ない……」
“アレルギー”という単語に、少女だけでなくアリステアも首を傾ける。
「アレルギーってのは……例えば、特定のモノを食べると必ずお腹を壊すとか、全身が痒くなるとか、クシャミが出て止まらなくなるとか――まぁ、そういった感じの病気みたいなモンだ。そういうのってこの子にあります?」
――と、隣のアリステアに尋ねる。
「いや、そういった症状は一度もないな」
「まぁそりゃそうか。もしそうならスイートポテト食った時点で中ってるだろうし、となるとやっぱただの好き嫌いか……んじゃこうだ」
少年は少女が飲んでいたアルコ茶のコップを手に取ると、まだ半分ほど残っているその中におもむろにミルクを注ぎ込んだ。
「お、おい少年――」
慌てて止めようとするアリステアだが時すでに遅し。
コップの中では透き通った黄色のお茶にミルクが混ざり、黄色掛かった白濁の液体が出来上がった。
「……なんつもり?……」
案の定、少女は不愉快そうに表情を曇らせる。
無理もない。せっかく気に入ったお茶の中に、突然無断で苦手なミルクを注がれたのだ。
普段の彼女ならこの時点で席から立ち上がり、この場所から去ってもおかしくはない。
しかし――
「まぁ飲んでみなよ。多分イケると思うから」
意外な事に少年がそう勧めると、少女は睨むようにコップの中身を見詰めた後、おずおずと逡巡しながらコップを自分の口元へと近づける。
それから覚悟を決めるかのように目を瞑ると、コップを傾けその中身を口の中へと流し込んだ。
その光景を、アリステアは固唾を呑んで見守る。
「ン……ン……」
そのまま喉元が二、三度波打つと、少女は小さく吐いた息と共にコップの淵から口を離す。
「……飲める……」
「ほ、本当ですか?」
「……うん。これなら……」
(ああっ! あのお嬢様がミルクを!)
アリステアは内心で深く溜息を吐くと、強張った体の緊張が一気に解けて行く――と同時に、当然の如く疑問が沸いた。
「で、ですが、何故?」
いつもならどんなに工夫しようとも、一口飲めばもう口を付けようとしない少女が、何故お茶に混ぜただけで苦手なミルクが飲めるようになったのか。
「どうせあれだろ? 匂いが嫌なんだろ?」
「“匂い”……?」
「ミルクが駄目って人は、大抵匂いが苦手って人が多いんですよ。幾ら絞りたてで新鮮とは言っても完全には無くならないですし、匂いに敏感な人はやっぱり嫌煙しちゃうんです」
「そ、そうなのですかお嬢様?」
「……よく、わからない……」
「多分自覚はないんじゃないかな。子ど――人に寄っては、好き嫌いって直感的なモノだったりしますから」
言われてみればそうかもしれない。ただ“食べる”という行為でも、そこには様々な感覚が発生する。
味は勿論、香り、歯応え、舌触り、喉越し、後味――そのどれが原因で好き嫌いが決まるか、まだ小さな子供が判別するのは難しいのかもしれない。
「だからアルコ茶に混ぜたんです。これならアルコ茶の甘い匂いで臭みが消えますからね。ミルクが古くなったりするとウチじゃ良くする手なんですよ」
「そう、なのか」
しかし少年にそう言われた処で、アリステアは一概には信じられなかった。
何故ならお茶はお茶、ミルクはミルクでそのまま飲むのが、この辺りでは極一般的な風習――いや、習慣であるからだ。
それぞれの飲み物に故意に味を付ける事はあっても、飲み物同士を混ぜ合わせようなどと、普通はまずしない発想である。
アリステアはモノは試しと、自分も残ったアコル茶の中にミルクを半分ほど注ぎ飲んでみた。
「……ほう、確かにこれは飲み易い」
ミルクそのモノの味は大分薄くなってしまったが、少年の言う通りミルク特有の匂いは殆ど感じられなくなった。
それ処か、逆にミルクの効果でアルコ茶の渋みまで抑えられていて、味がまろやかになっている。これならアルコ茶が苦手な子供も、嫌がらずに飲めるかもしれない。
(まさか、たったこれだけの工夫で)
少女に栄養のあるミルクを飲ませたい。
アリステア達がこれまで散々苦労してきた問題を、この少年はたった数度の会話で解決してしまったのだ。
これにはアリステアも驚きを通り越し、ただ感心するばかりである。
「それでお姉さん」
「あ、ああ。何だい少年?」
「このスイートポテトに使われてる食材、もう分かりました?」
「む――」
そう言って、少年はまた少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうだな……」
アリステアはまるで挑戦を受けるかのような面持ちで、自分が気付いた料理の点を少年へと告げる。
「先ずアマル芋を使用している。これは見た目で分かる」
「そうですね」
「初めはただ焼いただけと思ったが、実際は一度熱を通した後に中身をくり抜き、くり抜いた分をマッシュし、そこにバターとミルクを混ぜてあるのだろう?」
「あ、解りました? この辺りの人ってバターも解らない人が多いんですよ」
「そうだろうね。中々面白い工夫だと思ったよ。ただ私としては、君がどうやってバターを手に入れたかの方が気になったがね」
「ああ、バターですか。料理に足らない分は買い足したりしますけど、基本的には自作ですね」
「自作? この店ではバターまで作っているか?」
「ええ、そうですよ」
「ほう」
事もなげに語る少年だが、この国でバターやチーズ等といった乳製品の製造法を知る者は、ほんの一部に限られる。
だからこそこの国のバターは高級品であり、一般の家庭でおいそれと使える代物ではない。
アリステアはこの店がその製法をどうやって知ったのか気にはなったが、別段それを少年に追求する気にはならなかった。
バターの製法を知る者は限られるが、別にそれ以外の者が作ってはいけないという決まりはない。寧ろこんな美味しい物が食べられるなら、これからも是非作って貰いたいモノだ。
「他にもまだ使ってる食材はあるんですけど、分かりますか?」
「ああ。最初は分からなかったが今思い出したよ。コレには、細かく刻んだ“ピルコスの実”が入っているね。もっと正確にいうと――“乾燥ピルコス”だな」
“ピルコス”とは、この地方で取れる数少ない果実である。
収穫時期の実は黄色く甘味より酸味の方が強いのだが、これを干して乾燥させると逆に酸味が抑えられて甘味がグンと増す。
その為、この辺りでは既に乾燥してある物が良く店頭に並び、数少ない甘味の一つとして老若男女問わず多くの住人に親しまれている。
「おおっ、正解です」
すると少年は驚いたような、それでいて何処か嬉しそうな声を上げた。
「ウチに来るお客さんって殆ど『美味い』としか言わないんですよ。それはそれで嬉しいんですけど、折角の工夫に気付いて貰えないのってやっぱり少し寂しいんですよね」
「そういうモノなのか?」
「そういうモンです。今回も砂糖があれば手っ取り早かったんですけど、ウチには砂糖なんて無いんでピルコスで代用したんですよ。そうしたら予想より美味くてボク自身驚きました」
そう言って笑う少年の顔を見て、アリステアは更に感心の念を深めた。
そもそも今のこの国には、甘い菓子などを作れる職人は殆どいない。料理による食事を娯楽と捉えた場合、菓子とは正にその上位――“贅沢”に相当する物だ。
そのような物を食す余裕など、この国で暮らす民衆にある筈もない。
だというのにこの少年は、バターを自力で作成し、砂糖の変わりに乾燥された果実を利用し、芋を潰す等の工夫でこれだけの料理を作り上げたのだ。
この少年の実力は、アリステアの中で感嘆に値するモノであった。




