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高嶺の花  作者:
1/9

基本的にはほのぼの恋愛ものですが、多少の性的な表現があります。直接的な描写はないので特には警告はしませんが、そういうものに拒否反応のある方は読まないことをお勧めします。かといって、期待するほどの表現はありませんので、そういったものを期待される方にもお勧めしません。

 目覚ましの鳴らない朝。

 彼の休日は思い切り怠惰に始まる。

 窓を覆う白いブラインドが暖かな卵色に染まる頃になるともう時計の針は12時を過ぎている。

 室温の上昇が不快感を覚えるまでになって、ようやく彼は起き上がる気になった。

 ついでに気が付いた空腹感を満たすため、とりあえず冷蔵庫の中からミネラルウォーターのボトルを取り出す。

 何か食べるものは、と見回すが、あいにく冷蔵庫の中にもキッチンにも、ろくなものは見当たらなかった。

(…まあ…いいか)

 かろうじて先日呑んだときのつまみの余りらしいビスケットを見つけ、味気も水気もないそれを、かじる。

(今日は休日だと知ってるはずだし、多分来るだろう。その時に何か買ってきてもらえばいいや)

 そう考えて、彼はふっと笑った。

 寝起きですら端整としか言いようのない、日本人離れした美貌の持ち主である彼は、この上なくだらしない格好のまま、テレビを点けてソファに腰を下ろす。

 適当にチャンネルを廻してもろくな意味もないバラエティしかやっていないのを確認して、やはり適当なチャンネルに固定してしばらくぼんやりとそれを眺める。

(あいつは今日は仕事のはずだから…多分夜には来るだろう)

 それまでに軽くひと仕事くらいはしておくか…そう考えて、彼は大きく伸びをして欠伸をした。



 日が暮れ始める頃、彼はミネラルウォーターに飽きて飲み物をブランデーの水割りに切り替えた。

 多少のアルコールは彼のペンの動きを滑らかにし、仕事の仕上がりは上々だと彼には思えた。

『ピンポーン』

 インターフォンが鳴ったとき、既に窓の外は日も落ちて真っ暗になっていた。チャイムの音に顔を上げた彼は、我知らず頬を弛ませながら、席を立った。

 リビングの壁に設置されたインターフォンの表示をONにすると、液晶画面に見慣れた、彼の待っていた人物の姿が映った。スーツ姿に髪の毛を後頭部で簡単に一つくくりにした女性の姿は、日も暮れた後に男の一人暮らしの部屋を訪問するには随分と色気のないものであったが、そんな彼女の姿に、彼は今度は隠しようもなく口許に笑みを浮かべた。

 適当に返事をしながら玄関の鍵を開けると、むっとした夏の夜の熱気と共に、彼女が入ってきた。

「こんばんは。お邪魔します」

 にっこりと笑いながら律儀に会釈をする彼女に、彼はつい憎まれ口を叩きたくなる。

「『お邪魔します』ってお前な、いい加減毎回いいよ、それは」

「う〜ん、でも、他にどう言えばいいかわかんないし」

 彼の言葉に彼女は少し困ったようにはにかんだ。黒革のパンプスを脱いでストッキング裸足になった彼女が、彼の脇をすり抜けるようにリビングへと入る。

「ケーキ買ってきたの。食べよ。…というか、夕飯はもう食べた?」

 リビングに入るやいなやそう言って彼女はくるりと振り返って右手を上げた。その手に小さな白いケーキ箱があるのは、彼女が部屋に入ってきた時から彼は気が付いていた。しかし挨拶の次の第一声がそれというのも、やはり色気がないと彼は思う。

「まだ。今何時だ?」

「ん〜…7時過ぎ?」

「もうそんな時間だったのか。で、お前は食べてきたわけ?」

 部屋が暗くなったのに気が付いて電気を点けた以外、今日は時間の経過を感じる出来事もなかったため、彼は今日半日、時計というものを見ていなかった。しかし7時過ぎということは彼女とて仕事を終えてすぐにこの部屋へ来ているはずである。

「ううん。まだ。そっか、そうだよね。じゃあ、ご飯作ろうか…」

 案の定首を振った彼女が、彼の反応を待たずにキッチンスペースへと向かう。彼女はこの部屋へ入ってから、鞄をソファーの脇に置いて、グレーの夏用スーツの上着を脱いで、ソファーの背に掛けただけである。せわしないと言うべきなのか。しかしこれが彼女の常なのだと思うと、彼にはくるくる動く彼女が微笑ましくもあった。

まったく、こういうところは、彼よりも5歳も年上とはなかなか思えない彼女の部分なのであった。

「…トモさん…今日、何食べました?」

 何気なくキッチンスペースへと向かっていた彼に、彼女が低い声をかける。冷蔵庫の扉を開けて中を覗き込んだ姿勢で、顔だけをこちらに向けている。

 白いカットソーにグレーの膝丈のスカート。後頭部で纏められたふわりとした髪の毛の合間から小花を象ったシルバーのバレッタがちらりと光る。彼が職場で見慣れた女性たちのように細ぎすではなく、間違いようのない女性らしさを主張する身体のラインがそこにある。むき出しの肩がゆっくりとこちらに振り向いて、眉を顰めた表情が彼を斜めから見上げてくる。

「…冷蔵庫、空っぽなんですけど」

「ああ、そうだったっけ。涼子サンに何か買ってきてもらおうと思ってたんだよ」

 出かけるのがめんどくさかったからさ、と続ける彼の返事に、彼女は演技がかったため息を吐いた。

「…だったら、先に言っといてくださいよ。て言うか、あなたの仕事、身体が資本でしょう。こんな時間からアルコールとタバコの臭いしかしないんじゃ、ダメじゃないですか…」

 尖らせた唇。顰めた眉。色白の頬のラインの向こうになだらかな丸みのある肩のライン。白いカットソーに覆われた豊かなバストのラインから、バランスよく引き締まったウエストには両手が当てられて。

 睨みながら見上げてくるその表情が、そのわざとらしい芝居がかった仕草が、不意に彼の脳髄のどこかのスイッチを押す。脳のどこかにじわりと熱が広がる。

 そんな彼の様子に気付かないまま、彼女はじっと彼の顔を正面から見上げたまま睨みつけていたが、彼からの反応がないと分かると、顔を逸らして小さくため息をついた。

「しょうがないなあ、もう」

呟きながらするりと身を翻すと、彼の脇をすり抜けてすたすたとリビングに入って行った。彼は彼女に向かって持ち上げかけていた腕の行き先を失って、少しの間、固まっていたが、すぐに気を取り直すと振り返って彼女の背を追った。

「どこ行くんだ?」

「どこって…買い物してきてほしいんでしょ?」

リビングのソファに立てかけたバッグを取り上げている彼女を呼ぶと、振り向きもしないで彼女は答える。その背中を彼は無言で抱きしめた。

「…ひゃ!」

 すっとんきょうな声を上げて、彼女が振り返りながら後ずさりする。

「……」

 一瞬の内に腕の中からすり抜けていった彼女に、おもむろに視線を向ける。

「あ…えっと…いきなり何すんの……って………」

 反射的に逃げてしまったものの、彼女には別に悪気も何もなかった。しかし自分のその行為によって相手がどう感じたか、別に難しく想像するほどのことでもなかった。だから彼女は慌てて彼の顔を見上げて、そして固まった。

 彼が、じっと彼女の目を覗き込むように、ただじいっと見つめていた。

混血を疑われる彫りの深い、エキゾチックな顔つき。きめ細かいが、決してひ弱さを感じさせない白い肌と、紅でも注したかのように紅い唇。存外に太くくっきりとした眉。彼女にとって既に見慣れた彼の容貌は、しかし今この瞬間、何も目に入らなかった。ただ、彼女の視線にかっきりと合わせてくる、黒々とした瞳だけが、彼女の視界を捉えていた。

知らず、彼女の鼓動が早まり、息苦しささえ覚える。視線を逸らせばよいようなものだが、何故だかそれはできなかった。呼吸も、思考も、身動きすることも、全てを忘れてただ呆然と彼の瞳を見つめている。

す、と彼の両腕が彼女に差し伸べられ、するりと背中と腰にまわされる。そしてそのまま軽い力で彼女の身体を引き寄せた。

「…っあ!」

 彼の体温に正気に戻った彼女が反射的に身体を離そうとすると、背中が壁に当たった。彼の視線に押されて、無意識に後ずさりし続けていたらしい。そうと気付いたが既に遅く、もう一度ぐっと背中にまわされた腕に込められた力で引き寄せられた。その間も彼の視線は彼女から一瞬たりとも離れなかった。

(ええと、何でこうなってるのとか、いつの間にこんなところにいるのとか、ええ、何してんのとか、離れてほしいというか、見るのやめてとか、せめて何か言ってとか、ええっと、えーと)

 疑問や要望は山ほどあるが、それらは音声にならなかった。ただ空しく口を開閉するだけの彼女を、彼はやはりただじっと見つめ、それからようやくふっ、と笑顔になった。

(うわあああああああ〜〜)

 しかしその笑顔は彼女にとっては好ましいとか爽やかとか言う以前に、凶器であった。獲物を追い詰めた肉食獣の表情。

(いや、悪戯の成功を確信した、“にやり”だ!!)

 胸の奥は何かが燃え上るようにかあっと熱いのに、皮膚の表面は冷や汗が流れているようにぞっとする。その混乱した身体の反応に、ますます彼女の呼吸が乱れる。

 そんな彼女の様子を、表情も変えずに見つめていた彼は、衣服を挟んで密着した身体越しに全て感じ取っていた。そうして自分の仕掛けに期待通りの反応を示してくれる彼女に、込み上げてくる笑いを、とうとう留めることができなくなった。ゆっくりと彼女の背を撫でるように腕を持ち上げ、彼女の首筋に掌を沿わせると、器用に髪留めを外した。ばらりと彼女の柔らかな髪の毛が彼の掌から零れ落ちる。そのまま後頭部を固定すると、頬を紅潮させたまま硬直している彼女の、薄く開いた唇に唇を重ねた。



 最初は優しく、徐々に激しく、長く。何度も啄ばんで、角度を変えて、彼女が呼吸を求めて大きく口を開けたところで、舌を絡める。

 拒むように二の腕を掴んでいた彼女の腕からは間もなく力が抜けて、彼の肩にただ添えるように乗せられている。

 彼は彼女の腰を抱える腕に力を入れて、より互いの身体を密着させる。

 彼女の首筋が、頬が、漏れる吐息が熱かった。支えられるに任せて彼に身体を預ける彼女から、早い鼓動が伝わり、それが彼の熱を煽る。

「くるし…」

 ぽつりと彼女が呟く。離れた唇に名残惜しさを感じつつ、そのまま彼は唇を滑らせ、撫で下ろした腕で背中を引き寄せると、首筋に顔を埋めた。

「う……」

 弱い場所をくすぐる感覚に、彼女が身を捩った。彼の肩に乗せた手が、ぴくりと震えて指に力がこもる。その間にも彼の手は動きを止めず、腰にまわされていた腕がゆっくりと力を抜きながら下へと手を這わし、背中をしばらく撫でていた掌はゆっくりと脇腹を通って腹を滑り、胸に触れた。

「……!ちょっ……」

 彼女は反射的に掌を避けようと身じろぎした。しかしすぐに肩が壁に触れ、逃げ場がないことを知らしめる。

「ちょっと、もう、やめてよ…」

 ようやく言葉らしい言葉で彼女が彼の肩を押す。ようやく顔を上げた彼は、熱のこもった瞳で彼女を見、にいっと唇を笑みに歪める。彼のそんな表情に、彼女の胸はどきりと鼓動を強めるが、やや理性の戻った脳は、続けて言葉を紡ぐ。

「いきなり、何なのよ。まだご飯も食べてないし、お風呂にも入ってないのよ」

「いいよ、そんなの」

「ご飯作ってって言ったのはそっちでしょ」

「後でいいや」

「汗もかいてて気持ち悪いんだってば」

「…じゃあ、風呂入る?」

 彼がにやりと再び人の悪い笑みを浮かべる。え?と彼女が思ったとたん、彼女はひょい、と抱え上げられていた。

「ええええっ、ちょ、まっ……!」

ぐらりと崩れたバランスに、慌てて彼の首にしがみつくと、彼がゆすり上げるように彼女を抱え直した。そのままバスルームへと歩き出す。

(私、重いんだけど〜〜!)

 瞬間浮かんだ思考はこの危機に際して何ら彼女を救うものではなく、そのことに気付いて彼女は更に頭に血が上る感覚を覚えた。

「ちょっと、まって…」

 抗議する間もあればこそ、到着した脱衣所で下ろされると、再び唇を奪われた。

(ああ、もう、この人は………)

 彼の強引さに対する多少の呆れと、彼の熱に対して湧き上がる情熱に、彼女は諦めて身を委ねた。


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