表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/152

13-15 母のいる日常。

またしてもお待たせしました……。


 とある居酒屋にて。


「らっしゃーいって碧ちゃん……じゃなくて紫さんのほうか。久しぶりだが相変わらず若いな!」


「こんばんは。しばらくこっちにいますから、またよろしくお願いしますね」


 馴染みの店長に間違えられそうになって、やっぱり似てきてるんですねぇと実感する紫。

 間違えられそうになったこと自体は嫌ではなく、むしろ嬉しそうにしながら席に着いた。


「何でも食ってってくれ! そうだ、良いクロが入ったんだがどうだ」


「そうですねぇ、煮付けにしてもらえますか? あとで日本酒と一緒にお願いします。最初はビールと冷や奴と魚を適当に盛ってください」


「わかった、ちょっと待っててくれな!」


「俺注文まだなんだが……」


「徹の一発目は生中とイカ刺しばっかじゃねーか」


 最初から紫の隣に居たにもかかわらず忘れられていた徹だが、最初に注文するものはほぼ固定されているため聞く必要すらなかっただけ。違う物を注文することのほうが稀だったりする。

 突っ込まれてしまえば納得するしかないのだが、何も聞かれないというのも複雑なのだった。


「生二つとイカ刺しと冷や奴お待ち! 盛り合わせはもうちょい待ってくれな!」


「ありがとうございます。それでは乾杯しましょうか」


「おう」


 何に、とは言わずジョッキを鳴らし、そのまま二人して半分まで減らしてから口を離した。


「ぷはっ、やっぱ夏はコイツだなぁ」


「とりあえずビールはいつの時代も正義ですねぇ」


「おっさんの口癖的な扱いされるのもいつの時代も変わらないけどな」


「実際、おっさんとおばさんですから」


「それもそうだ」


 ストレートな突っ込みに苦笑しつつも、徹はご機嫌な様子でジョッキを空けていく。

 ジョッキを鳴らした相手が相手なので、いつも以上にご機嫌なようだった。


「生お代わりと枝豆なー。すまん、やっぱ生二で頼む」


「奥さんが帰ってきて嬉しいのはわかるがもう少しゆっくり飲めよ!」


「紫にも言えよ、それ。同時に空けたんだから」


「女性にそういうこと言うのは野暮ってもんだろ」


「お前な……」


「ほい盛り合わせと生二つな。枝豆もすぐに持ってくる。俺の相手より久しぶりに会った嫁さんの相手してやれっての!」


 徹が言い返す前にその場を去って行く店主。

 それは久々に会った元夫婦……と呼んでいいのかわからないほど仲の良い二人を邪魔したくなかったからであって、徹の相手が面倒だったからではない。多分。


「まいいか。それで酔う前に聞いとくんだが、“用事”の進み具合はどうなんだ? つうか結局なんだったんだ?」


「まず一つ目は、碧にお洒落を覚えさせようと思いまして」


「ああ、それは俺には無理だな。頼む」


 お代わりのジョッキを傾けつつ、酒が進む前に本題に入る徹。

 一度は断られたことだがどうせ碧絡みだと思っていたので、碧が居ないところなら教えてくれるだろうと考えてもう一度聞いていた。

 予想通り教えてくれたのだが、自分が力になれないのも予想通りだったため、素直に紫に任せることにした。


「といっても今年は仕込みの段階ですね。肌や髪のお手入れについて教えるのと、服に興味を持てるように準備しておくだけです。ファッションやらメイクやらはまた来年帰ってきたときにします。既に話しはしてあるので、これから教えていきます」


「助かる。いきなり変わられると俺も付いていけん」


 大事な娘が綺麗になるのは父親として嬉しいが、突然変わられるとどうしても困惑が先に立ってしまう。

 碧本人を変えることはできても、周囲まではそうもいかない。

 年単位で時間をかけるのは、これが理由だ。

 もちろん一番の理由は、本人に無理をさせないよう、ゆっくり慣れさせたいからだが。


「んで一つ目はって言ったが、あと何個あるんだ?」


「もう一つだけです。ほぼ終了したと思いますが、念のため経過観察中ですね。場合によっては追加対応が必要ですし」


「珍しいな、そこまで念入りにするのは。そっちも碧絡みか」


「はい。碧絡みのうえ、帰ってきてから緊急で追加になったので」


「緊急っていうのも珍しいな。いつも預言者なみに危険回避してんのに」


「私が帰ってくる最中に問題が発生しましたから。しかもゲームの中で」


「タイミングが悪かったのか」


 紫の言う『もう一つの用事』とは、言うまでもなくアライズ絡みの件である。

 紫が帰ってきたのは、碧がホーレックの情報を公開したすぐ後。

 問題発生時は車の運転中だったのだから、帰ってくるまで知らなかったのは当たり前。

 いかにも訳知り顔で事を進めていたように見えたかもしれないが、内情は全く違っていたのだった。


「私も全く知らない方向で問題が発生したので、久しぶりに慌てることになりました……」


「知らない方向でしかも慌てるって、相当ヤバそうに聞こえるんだが……」


「今となっては想定以上に良い方向に進んだので、余程のことがなければ大丈夫です」


 紫が慌てて対応する事態など、大抵ロクなことではないと知っている徹は一瞬焦った。

 だが問題を放置したまま飲みに来るはずがないと思いだして、すぐに落ち着きを取り戻していた。


「大丈夫って言うならいいが、一体何があったんだ?」


 だが内容は気になったらしい。突っ込んだ質問を繰り出した。


「とある集団の過激派から一方的に恨まれてました。最初はストーキングくらいでしたが、このまま放っておいたら闇討ちPKされてたかもしれません。というか、向こうは最初からそのつもりだったでしょうし」


「おいおい……」


 突っ込んでみれば、返ってきたのは『過激派』と『闇討ち』という怪しすぎるワード。

 PKという言葉の意味は知らない徹だが、先ほどの言葉だけで十分状況は推察できる。

 紫が解決の方向に向かっていると言ったから安心して飲めるが、それでも心配の表情は崩さない徹だった。


「切っ掛けは不幸なすれ違いだったうえ、本人を無視して周囲が勝手に周りが盛り上がってただけですからね。本人の言葉で揉め事関係には興味ないし関係を持つつもりも無いということを周知してもらって、ついでに相手に対しても悪いイメージは持ってませんよーということをアピールしてもらいました。最高の状況でそれを実行できたので、余程のことがなければ巻き込まれないでしょう」


「相手に悪いイメージは持ってないっていうか、そもそも興味ないっていうのをオブラートに包んだだけだろ、それ」


「その通りです」


 二人して苦笑いしながらジョッキを呷る。

 あの場ではアライズに理解があるような発言をしていたイオンだが、そもそもアライズの存在を知ったのはその場でのこと。

 興味の有る無し、理解の深度も何も無い。ただ『そういう状況ならこう考えます』ということを言っただけで、相手がアライズだからあんな事を言った、というわけではない。

 イオンにとってはアライズというクランが存在し、人と衝突しやすい活動をしている、という知識が増えただけなのだった。


「まぁ上手くいってるならいいか。いつものことだが鮮やかに状況をコントロールするなぁ」


「残念ながら、コントロールなんてとても言えません。ほんの少し誘導しているだけですよ」


「はたから見れば似たようなもんだけどな」


「そう見える気がするだけです。相手は完全マニュアル操作のロボットじゃないんですから、人が人を操るなんてできません。もし自分は影から人を操ってるんだ、なんて言う人が居たら、それは状況を正しく理解できていないどころか、誇大妄想を抱えた可哀相な人ですよ」


「そんなもんか」


「はい。誘導するにしたってほんの少しだけです。押すにしろ引くにしろ、相手が向かっている方向を、当初の予定から僅かにズレるように、相手に意識させない範囲でこちらに都合のいい方向へと誘導する。相手に気付かれれば反発されますし、無理をすればこちらが弾き飛ばされるだけですから」


「いつも必死になって駆けずり回って準備に明け暮れてんのに、でも出来るのはそれって、手間ばっかかかってる気がするな」


「その場のアドリブで状況をひっくり返す力があるならそうします。でも残念ながら、そういうやり方は得意ではないので」


「やり方は人それぞれだからな。仕方がないか」


「はい。私がしていることを例えるなら、荒れ狂う大河の中で水の流れを変えようと、一人水遊びをしている程度のものですよ」


 そう言って、紫は自嘲気味に笑いながらジョッキを傾けた。


「特に今回は、何もできなかったようなものですしね」


 何もできなかったようなもの。

 謙遜しているようにも取れる言葉だが、紫自身は本当に自分の無力を認識しての言葉だった。


 そもそも今回紫が帰ってきたのは、碧にお洒落の第一歩を教えるため。

 それ以外は、たまの長期休暇を家族で過ごしたいとしか考えていなかった。


 だが帰ってきたその日にBLFOで事件発生。

 紫はBLFOを使って碧にお洒落を覚えさせようと考えていたので、BLFOのことは事前に多方面から調べていた。

 帰ってきたその日も、いつもの日課程度の気分で情報収集していたらこの事件。

 冗談抜きで、慌てさせられることになった。


 予めイオンとアライズの動向を掴んでいれば話は違ったのかもしれないが、紫は管理者権限など、一般人以上に情報を入手する手段は持っていない。

 ゲームに関する知識はそれなりに持っていたが、それはゲームの攻略情報全般、それからイオンに関わりのあるプレイヤーの情報を調べていただけ。

 まだ設立もしていないクランについては、調べていなかった。

 なんでも知っているかのような底の見えない笑みを浮かべるのは得意な紫だが、本当に全てを知っているわけではないのだ。


 イオンが北へ向かうためのトンネル、そしてその先にあるホーレックの情報を公開した。

 それだけなら構わない。すでに十分名前の知られてしまっているイオンなのだから、今更特大の情報を一つや二つ公開したところで『またこの人か!』と言われる程度。

 周囲のイオンに対する扱い方も、特に変わりはしない。


 だがその情報が、発足して一時間程度の新生クランと、真っ正面からかち合う内容となれば話は変わってくる。

 しかもそのクランが掲げるスローガンは攻略最優先。最初の攻略対象としてトンネルが提示されたにもかかわらず、それをあっさり潰してしまうかのようなイオンの情報。

 そんな燃料があれば、周囲の人間が騒ぎ出すのにさほど時間は必要ない。


 発足したばかりなのに全力叩かれるアライズ。

 そんなアライズがイオンに対して良くない感情を覚えるだろう事は、誰にでも予想できる。

 もう寝るつもりだった紫だが、急遽キャラクターを作成しゲームにログイン。

 混乱している掲示板や各種情報サイトのログ取りは自動化設定した携帯端末に任せ、自分はゲーム内の状況を直に把握するために動きはじめたのだった。


 当然だが、この時点ではなんのプランもない。

 現場(ゲーム内)がどうなっているか、それを実際に見るためにログインした程度のことだった。

 なのに街を軽く歩いただけであっさりストーカーが釣れるではないか。

 ストーカーがアライズだという確証はない、というより相手がアライズかどうかはどうでもいい。まともなプレイヤーなら、そもそもストーキング行為なんてしない。


 そういう輩が現れることを狙ってイオンと似た容姿設定にしたのは事実だが、こうも簡単に出てくる状況は流石に危険すぎる。

 そのため、しばらくログインを控えさせることにした。

 土曜は仕事で疲れさせて。日曜は家のことで拘束し疲れさせて。

 そうやって、碧がゲームにログインする気力を削ろうと考えた。


 そんな事を考えながら歩いていると、ルドルフと巌に遭遇。

 事前の調査で二人はイオンと面識があると知っていたので、普通に挨拶をした。

 続けて名乗ろうとしたのだが、どうもこの二人もイオン本人と勘違いしてしまったらしい。

 名乗る直前に二人揃ってアイテムを差し出してきたので、どうしようかと考えた。


 考えた結果、二人を巻き込むことを思いついた。


 ルドルフと巌が会いに来たのはアライズ絡みの話があってのことかと思ったのだが、アイテムを渡すというその行動は、アライズとはなんら関連が無いものだった。

 アライズ発足から始まった今回の騒ぎを、知っているのか知らないのか。

 とにかく、そんな普段通り(?)の行動をする二人を見て、そういうプレイヤーを集めて『アライズなんかどうでもいい』という、新しい世論を作ってしまおうと考えたのだ。


 とはいえ、紫が考えたのはそこまで。

 実際どうやって世論を作るかまでは思いつかなかった。


 ルドルフと巌、その後に会ったジークフリートやセレックに対して、月曜以降に会いに来るように仕向けはした。

 だがそれは世論を作るまでの時間稼ぎ。ていのいいボディーガード程度にしか考えていなかったりする。

 決して、全員を巻き込んであんなトークショーを引き起こそうなどとは考えていなかった。少なくとも紫自身は。


 しかもボディーガードとは言ったが、何も本当にイオンを守ってもらおうと考えたわけではない。監視役程度にしか考えていなかった。


 イオンはゲーム内でもトップクラスの者ばかりが集まった、クラン・エスに所属している。

 そんなプレイヤーたちを相手にするには、いくら高レベルプレイヤーの多いアライズとしても、リスクが大きすぎる。

 エスのメンバーたちと行動を共にしているあいだは、手を出してこない可能性が高い。


 だがいくら同じクランだからといって、四六時中行動を共にしているわけではない。

 闇討ちしようとしていた者たちも知っていた通り、イオンはバトルデイズと市場周辺ではかなりの頻度で単独で歩いている姿を目撃されている。

 イオンに注目している者にとっては当たり前のことなのだから、当然ルドルフたちもそれを知っている。

 知っているのだから、会いたければその周辺でイオンを探そうとする。

 実はジークフリートも本当はその周辺で正座待機したかったが、近隣店舗からクレームを受ける可能性があった(というか開始五分で睨まれた)ので、結界石の広場を選んでいたりする。


 イオンに会おうとする人物が増えれば、人の目が増える。

 紫がルドルフたちをイオンに会いに来るように仕向けたのは、ただの牽制。

 人の目を増やして、襲いにくくすることが目的だった。


 土曜日と日曜日、街の中をブラブラしていたのはそれが理由である。

 適当に歩いていれば、イオンの関係者が勝手に接触してくれるだろうと期待して。それでいて向こうの用件を躱して、月曜以降にもう一度会いに来るように仕向けるつもりで。

 サブクエストでお小遣い稼ぎをしていたのは、関係者と遭遇するまでの暇つぶしと、服代稼ぎと、それと何もせず歩き続けるのは不審すぎるため、それを隠すためだった。


 そして期待通り、ジークフリート、マルグレーテ、セレック、マスグレイブらと接触に成功。

 前者三人については、予定通り月曜以降にもう一度会いに来るように仕向けることができた。


 だが、実はこの時点で想定外があった。しかも簡単には無視できないレベルで。

 それが何かといえば、マスグレイブについてである。


 あの日あの場での紫は、イオンを騙るような形でいろいろ言ったが、本当はあそこまで発言するつもりはなかった。

 なかったのだが、途中で現れたマスグレイブのいかにも疲れ切ったような顔を見て予定変更することにした。

 今マスグレイブに潰れられては困る。アライズとナイツが衝突するようなことがあれば、そう簡単に事態は収束しなくなってしまう。

 そのため、少しだけアドバイスをするつもりで話し始めた。


 しかし、結果として喋りすぎてしまった。


 話し始めると、マスグレイブもすぐに自分にとって都合がいいと気付いて話に乗ってきた。

 乗ってきたのはいいのだが、マスグレイブに上手く誘導されたせいで、紫としては少々喋りすぎた。


 ここまでは、まだいい。

 マスグレイブが潰れるほうが余程マズいことになる。それに、早めに話を切り上げることができた。

 だがマスグレイブとの話を聞いても、セレックはまだ納得してないような顔をしていた。


 実は紫、この時点でかなり頭にきていた。

 『そもそも、誰のせいでこんなことになってるんでしょうね?』と。

 情報(爆弾)を持って来たのはイオンだったのかもしれないが、(母親)からしてみるとイオン()が巻き込まれる切っ掛けを作ったセレックを嫌ってしまうのは、むしろ当然のこと。

 今更そんなことを蒸し返してもなんの意味もないので口には出さなかったが、ついカッとなって言いすぎた。

 そんなわけで、イロイロと喋りすぎてしまったのだった。


 最後にはイイ話っぽく纏めることになってしまったわけだが、紫は紫である。

 本物のイオンではないのだから、途中何かの拍子でイオンではないとバレてしまえば、悪い意味での自作自演になりかねない。

 そんな事になってしまえば、状況は一気に悪化する。

 しかし話の流れ的に途中でバラすのは危険になってしまい、曖昧なまま最後まで走りきるしかなくなってしまった。

 アドリブを苦手だと言う紫としては、実は冷や汗ものの状況なのだった。


 そんな想定外のこともあったが、ひとまず見張り役に声をかけることはできた。


 そして月曜日、結界石を出てすぐに全員集合。

 ここまでは紫も想定していた。

 想定してはいたが、呼んだつもりのないマスグレイブ、イオンと同じく騒ぎに巻き込まれているキイとプルスト、おまけに場を騒がしくする(盛り上げる)ことにかけては超一流なメグルと、メグルと同じ方向性だが実力は未知数のマリーシャまで集まってしまったのだから手に負えない。

 騒ぎは、どうしようもないほど大きくなり始めた。


 そんな状況で紫が何をしたのかと言えば、何もしなかった。

 ルドルフたちが集まる原因になったのは紫だが、アライズとトンネルの騒ぎについてはほぼ無関係。

 だから下手に口を挟むより、流れに任せたほうがいいと判断した。

 アライズ関係の話になってからほぼ何も喋らなかったのは、そう考えたからだ。


 その判断は正解だった。

 紫が何も言わなくても、ご都合主義でも働いたかのように事態は良い方向に進行した。


 考えてみれば当然である。

 その場に揃ったのは、ほとんどがアライズはどうでもいいと()で言えるプレイヤーたち。

 放っておいても、その話題になれば勝手にそう発言してくれる。

 そのうえ人数が揃っているし発言力もある。

 話を聞いてくれる観客も居るのだから、勝手に世論を形成してくれる。

 当たり前の事が、ただ当たり前に進んだだけだった。


 一応だが、紫もこういう流れを作りたいと、考えてはいた。

 当事者以外が作り出した勝手な世論で事態は動いていたのだから、それに変わるものを当事者を含む発言力のある者たちが作り出せば、元が曖昧な世論など簡単に消えてくれるからだ。


 だが先ほども言った通り、どうやって世論を作るのかということまでは考えていなかった。

 紫にはイオンの母親という立場はあっても、所詮はただの新人プレイヤー。

 発言力があるわけないのだから、世論など作れない。

 人を動かす力も無いのだから、発言力があるプレイヤーを集めることも出来ない。

 ゲーム内の情勢を動かすことなど出来るはずもないし、考えもしなかった。

 紫のしたことは、イオンの関係者に接触することだけ。

 その目的も、イオンの安全を確保するということだけ。

 そのため、新しい世論を作る方法については、まだ計画している途中だった。


 計画が完成していない、一番の理由。

 それは、その計画の要となるかもしれないプレイヤー。

 メグルに接触できていなかったからだ。


 ひとたび動き出せば掃除機のような吸引力で人を集めて、たった一人で芸人並にイベントを盛り上げる、天災の様に無差別に周囲に影響を与えるプレイヤー。

 世論を作る“場”を作ることも、そこに人を集めることも、集まった者たちに聞く耳を持たせることもできる。

 しかもイオンに対して好意的なのだから、紫としては接触しない理由が無かった。

 が、アライズ発足に伴うゴタゴタでよろずやの仕事が忙しく、メグルは方々を走り回っていた。

 そのため土日は会えなかったのだ。


 会えなかったのだから仕方がない。

 当初の予定通り、ルドルフたちには時間稼ぎのボディーガード的なことを遠回しにお願いするだけ。

 イオンと一緒にログインした時点では、紫はそれ以上のことは考えていなかった。


 しかしいざログインしてみれば、全ては向こうから勝手にやって来た。

 メグルも、メグルをサポートするマリーシャも、イオンの関係者も、発言するにうってつけな場も、都合のいい話の流れも。


 その場で紫にできたのは、話を振られたときに返事をすることだけ。

 それ以上は何もしなかったし、余計な影響を与えたくなかったので、何も出来なかった。

 結果、紫自身は何もしないまま、現時点で最良とも言える結果に行き着いたのだった。


「こういう事があると、自分の力なんて本当に小さなものだって、思い知らされます……」


 自分のしたことに、意味はあったのだろうか。

 なんの意味も無かったはずはない。関係者を集める程度には役に立ったはずだ。

 しかし何もしなくてもその結果に辿り着くのなら、そもそも何もしないほうが良かったのではないか。

 もしかしたら、もっといい結果になったのではないか。

 “if”(もしも)を繰り返すだけの、無為な思考。


「相変わらず、面倒というか苦労ばっかする考え方してるなぁ」


 そんなものには興味なさそうな、徹の適当な相づち。


「それが私ですから」


 紫は適当な相づちに気分を害した様子もなく、小さな笑みを返していた。


「無駄な思考をゴミにするか、そんなものでも拾って再利用するか。それは人それぞれなので、面倒でも、私にとっては必要なことです」


 我ながら困ったものですと言いながら、困った様子もなく笑顔のままジョッキを傾けた。

 面倒なのは自分自身も百も承知。

 しかし長年上手く付き合ってきた自分の事なので、それを活かす方法もわかっている。


 それから、言葉だけを見れば興味なさそうな徹の言葉が、『苦労する考え方ばっかして、お前が潰れるなよ』という、紫を心配するものだということも。


「面倒な自分に疲れたら、すぐ帰ってきて徹さんに甘やかしてもらいますから」


「最後のイカ食いやがって……」


 かっ攫われたイカ刺しを、苦笑いで見送る徹だった。


「とことで、そいつら潰すことはできなかったのか? 俺みたいな適当な人間はムカつく連中は潰せばいいだろって考えてしまうんだが」


「潰すだけなら簡単ですよ。でも『組織』は潰せても『個人』までは無理です」


「ああ、そんな暴走するような連中が居るんだしな。『最後の一人になってもやってやる!』とか言うアホが残るか」


 組織は潰せる。しかし個人の感情まではどうしようもない。

 戦争に勝ってもテロが無くならないのと同じ事だ。

 組織という枠組み()があるうちは、行動も読みやすければ限度もある。今後のことも考えると、アライズは潰さないほうがいい。

 だから戦争を起こさないままアライズを存続させたほうが、安全の上でははるかにマシ。

 マシ(現時点で最良)ではあるが、ベスト(理想)な結果とは言えない。

 ベストではなくベターな結果しか出せなかったのも、紫が力不足を嘆く一因だった。


「でもまぁ小難しいことは放っといて、碧が笑ってんならそれでいいだろ。そのために紫があれこれ頑張ったんだから。なんにせよお疲れさん」


「あら、『そんな事ない、紫なら何でもできる!』って慰めてくれないんですね」


 慰めてくれないなんて言いつつも、紫の表情は笑ったまま。

 簡単な労いの言葉でも、気のおけない言い方が紫にとっては嬉しいものだったらしい。

 ご機嫌な様子で刺身を食べ進めていた。


「何でもできるなら戻ってきてくれ」


「いろいろ忙しいので無理です」


「ほらな」


 答えを予想してたらしく特にショックは受けていないような徹だが、残念ではあったようだ。その勢いでジョッキの残りを飲み干して、お代わりを注文していた。


「本気でペース早いな徹。そんなに嫁さんと飲めるのが嬉しいか」


「戻ってこいって言ったらフラれたからな、やけ酒だ」


「浪費家で遊び人のクソ亭主から逃げたってことになってるからな、噂の上では(・・・・・)。当然だっつの」


 そう言いながら新しいビールを置いていく店主の背中を、徹は驚きの表情で見送っていた。


「……紫が話したのか?」


「いえ。でも一部の人は最初から知ってたはずですし、あれから時間も経ちましたからね。そろそろ口が軽くなっちゃう人も出てくると思いますよ」


「そうか」


「なので、私が戻ってくるのはその噂が消えた頃、ということにしておきましょうか」


「気の長い話だなぁ、おい」


「真面目に仕事してれば、そのうち消えますよ」


「碧が頑張ってるおかげで、ここ最近は娘をこき使うクソ親父だったけどな」


「じゃあ私は可哀相な娘をほっぽって仕事に逃げてる冷血女ですね」


「丁度いい組み合わせだな」


「私としてもそう思いますが、世間はそう思ってくれないらしいので」


「なら仕方ない。噂が消えるまで、お互い頑張るとするか」


「はい、あなた」


 今度はお互い心の中で言葉を交わしながら、もう一度ジョッキを鳴らす徹と紫。

 久しぶりに行われた二人だけの酒の席は、そのままゆっくりと時間が過ぎていった。




「冷酒お代わりお願いします」


「俺は芋焼酎」


「お前ら揃ってザルなんだからそろそろ勘弁してくれ……閉店時間とっくに過ぎてんだぞ……」


 ゆっくりとした夫婦の時間は、店主の涙ながらの懇願で終わるのであった。




10/2誤字修正しました。


今話はここまでです。

紫さんをラスボスっぽくしようかとも思いましたが、現実はこうだということで……。



幕間は多分ですが二本。

それから次話に行きます。


結局一度も飛ばずに終わったので、次こそは……。

そんな次話予告。(幕間の予告ではない)


・わからんのか? カラスなんだよ。カッコつけすぎたんだ、お前はな!

・地面へようこそ。

・認めよう、君の力を。今この瞬間から、君はレ(略


の、三本でーす。(サ○エさん風に

ただし予定は状況により変更されます!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ