Falling【8】 師匠と同棲するってどういうことですか
「過去を視ることができるMACが、どこかにあるらしいんです」
フィアにそう言われたのは、カムイ領地からの王都にむかう馬車の中だった。
過去を視る――その真意はわからないが、事実なら、この場所にきた経緯やもとの場所に戻る方法も分かるかもしれない。
そのMACの情報を集めるためと、最弱と笑われる没落貴族の属性を変えるため、しばらく学生寮に入り学校に通ってみないか……とフィアに提案されたのだ。
行くあてのない俺にはこれ以上ないありがたい提案だったので、素直に受けることにしたのだが……
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『上級魔法教育学校』は、王都のやや北側にある。
〝水の都〟と比喩される水路街にほど近い住宅街の北側。その一角を占めている巨大な敷地には、複数の校舎と校庭があり、小さな林まである。この贅沢な敷地を持つ教育機関には、他の街からも通ってくる者がいるほどの魅力があるらしい。
魔法教育学校というのは、将来教師になりたい者はもちろん、私塾、魔術指導、あげくの果てには料理人や騎士志望の若者まで、将来誰かの上に立とうとする者たちが通ってくるらしい。この国の教育機関のなかでは、随一の施設。大学のようなものだろう。
だからこそ、その人数も膨大な数にのぼる。
俺が編入することになったクラスの教室も、かなりデカイ。
クラスメイトの数も多い。
「……はぁ」
ジロジロとまとわりつく好奇の視線にうんざりしながら、俺は教室の隅に座っていた。
学校は秋に始まり、夏に終わるらしい。入学シーズンでもないこの時期に編入してきた俺が物珍しいのか、それとも自己紹介のときに『属性は没落貴族です』と答えたせいか、俺はさっそく注目を浴びていた。
属性は〝スキャナMAC〟を使えばすぐにバレるからいいとしても、魔法や歴史の知識なんてこれっぽっちもない俺がいきなり上級学校なんて無理がある……と思ったが、無償で学生寮に入れるところがここしかないのは聞いていた。なんとか落第しないようにしなければならない。
「トビラ! トビラ=トハネ!」
名前を呼ばれて顔を上げる。
教壇に立っていた若い女教師が、俺を睨んでいた。
「さっさと廊下に並べ! 始業式に遅れる気か!」
クラスメイトたちがいつのまにか、廊下に並んでいた。どうやら校庭で始業式が開かれるらしい。ひとり遅れて廊下に整列したら、やっぱりクラス中の視線を浴びた。
くすくすと笑われて、一層居心地が悪くなった。
「トビラ!」
「ぐおっ」
校庭に向って歩いていると、いきなり後ろからタックルされた。
倒れる俺。首をひねって背中に乗りかかってきたやつを振り返ると――フィアだった。
銀色に輝く薄青の髪を二つに束ねて、女子の学生服を身につけて笑っている。
「驚きました? 私も同じ学校なんですよ。隣のクラスです」
「どいてくれ」
「……驚きました? 私も同じ学校なんですよ。隣のクラスです」
「いいからそこをどけ」
「…………驚きました? 私も同じ学校なんですよ。隣のクラスです」
壊れたロボットか。
「わかったわかった。死ぬほど驚いた。目ん玉でキャッチボールできるくらい驚いた。だからどいてくれ。さもなけりゃ、せめてダイエットしてこ――」
「せいッ!」
背骨をゴリっとされた。
めちゃくちゃ痛かった。
驚いたが、王族直系とはいえフィアは第三王女の末っ子で、王位の継承権はもとより放棄しているらしい。学校に通うことくらい許されるのだろう。
「というわけで、これからもよろしくです、トビラ!」
「おう」
短く挨拶を終えて、フィアは自分のクラスメイトのもとへと歩いて行った。
俺はというと、またもや周囲から好奇の目で見られていた。フィアと話していたのがそんなに珍しいものなのか。
にしても、フィアのせいでかなり遅れてしまった。俺のクラスメイトたちはとっくに先に行っている。急いで追いかけないと――
「どきな」
ドンと背中を押されて、俺はよろめいた。
「邪魔だ、虫ケラ貴族」
やけにトゲのある声。
後ろにいたのは、めちゃくちゃ足が長いやつだった。
腰まで届くほどの深紅の髪に、燃えるようなギラギラした瞳。前髪をあげてヘアピンで留め、後ろに流していた。デコがキランと光っている。
中性的な顔立ちでロングヘアなので、ぱっと見て女かと思ったが、男子用の制服を着ていた。
やけに自信ありげな余裕な表情で、
「フィオラ様と知り合いなのか。でも、あまり調子に乗らないほうがいいぜ、没落貴族くん?」
にっこりと笑ったその美少年は、俺を追い越して歩いていく。
調子にのったつもりはない。
ただのフィアとの会話にそこまで目くじらを立てられるのは、不本意だった。
「……まあ、いいか」
嫉妬にしろ不快感にしろ、それをたいした意味もなくぶつけてくるやつは昔からいた。流されるように生きてきた俺は、流すのも得意だった。
気にしない気にしない。
俺は気持ちを切り替えて、校庭に向かうのだった。
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始業式はつつがなく終え、俺たちはまたすぐに教室に戻った。
少し気になったのは、校庭の前方に並んでいた教師たちのなかに、やけに背の低い子どもがいたことだ。帽子を深くかぶりその顔は見えなかったが、憮然とした態度で立っているのはひと目でわかった。その子どもはほかの教師たちからすこし距離を空けて、ひとり佇んでいた。
学校長の話が長いのは、どこの世界でも変わりはないらしい。
教室に戻ると、担当の女教師が今期の予定表を配り、ひととおり話をしてから、はやくも解散となった。
新学期初日は授業をしないらしい。
「あなたは残っていなさい」
担任に言われ、俺は教室の隅で座っていた。そもそも学生寮がどこにあるのかすら知らないので、帰ろうにも帰れないのだが。
教室から生徒たちが全員出ていくのを待って、担任が腰に提げている革製のカードケースから一枚のMACを取り出した。
青色のMACだった。
「知っているとは思いますが、この学校は『教育科学校』です。つまり将来誰かの上に立つことを志す若者たちが通う場所です。生徒たちはそれ相応のふさわしい清らかな心を持っていて、日々勉学や鍛錬に精を出しています。編入してきたあなたを邪険に扱う者は、ほとんどいないでしょう」
そう言いつつも、担任は眉にしわを寄せて青いMACを差し出してきた。
【☆ 属性:―― 《告発の声》】
「しかし、あなたはフィオラ様のご友人であると聞きました。しかも属性は没落貴族……リッケルレンスの姫君であるフィオラ様に好意を寄せる生徒は、男女問わず多いです。学生生活を送っているなかで、その者たちの嫉妬や悪意があなたに向くこともあるでしょう。この〝告発の声〟は、身につけているだけで常に周囲の音を録音することができる記録系MACです。録音時間は六時間……誰かに直接危害を加えられたときは、これを使って証拠をとりなさい」
たしかに、その意見には一理ある。
それは俺が没落貴族だからってのもあるのだろう。聞いた話、俺は緑色のMACを使えないらしい。緑色は魔術系……もっとも基本的な魔法だ。炎を生んだり、消したり、MACに組み込まれた術式魔法で、なにかを生みだす。闘いにおいては攻撃や防御に使うことが多い。
俺がもし誰かと喧嘩しても、こっちは魔法を使えない。つまり相手にとっては、俺はそういう扱いをしても安全だということになる。
狙っても仕返しをされない相手。最弱の属性。それが没落貴族だ。
担任もそれを心配して、《告発の声》を渡そうとしてくれているのだろう。
……だが。
「ん、いらないっす」
俺は首を横に振った。
「他人の妬み、嫉み、憎しみ、害意……そんなもの、ふつうに生きていても結局どこかで受ける感情っす。自分が弱者の立場だからって、誰かの力を借りて対抗しようなんて虫がよすぎる」
……とかっこつけたが、本音をいえば、俺には使えるMACがあるのだ。その気になれば自分の身くらい守れる。
「……いらないのですか?」
「それに、こっそり録音して証拠にするなんて、あの王女様も嫌いそうな手段っすし」
おどけて肩をすくめると、担任は「そうですか」とうなずいてMACをケースに戻した。
話はそれだけだったらしく、俺は学生寮の場所を聞いてから、教室を出る。
それにしても、MACにもいろんな種類があるようだ。
魔術系の緑色。
道具や装備を変換した黄土色。
召喚獣を呼び寄せる赤色。
記録系の青色。
俺が持っている《X-Move》は移動用の補助魔法。どれでもないから白色らしい。
もしかしてほかにもなにか色があるのだろうか。
いろいろと想像を巡らせながら、俺は校舎を出て中庭を歩く。噴水と植木が設置されている穏やかな空間だ。
校舎と校舎に挟まれたその場所で、植え込みの樹にもたれかかって、赤い髪の男子生徒が立っていた。 さっき俺に絡んできたやつだ。
美少年といっても過言ではない綺麗な顔立ち。その姿勢は絵になったが……
また俺を睨んでいるし、警戒は怠らない。
「……なにか用か?」
俺が問うと、そいつはふらりと近づいてきた。
「編入生……おまえ、退学してくれないか?」
「断る」
いきなりなにを言うかと思えば、そんなことか。俺は即答した。
「痛い目に逢い続けたくはないだろう? おまえ、聞いた話によれば、フィオラ様にずいぶん気に入られてるらしいじゃねえか」
「……さあ、知らねえよ」
無視するべきか迷う。
つまらない感情を受けるために、立ち止まるほど、俺は優しくない。
「たいした用がないなら、行っていいか?」
「今後フィオラ様に近づくな」
「それも断――ぐッ!?」
腹を殴られた。
鋭い拳に、体を折る。
つきとばされ、俺は地面に倒れた。
さっき《告発の声》をわざと受け取らなかったことを知っているのか、そいつは躊躇なく俺の体を蹴ってきた。
脇に衝撃。
息がつまった。
「没落貴族ごときが、調子に乗ってんじゃねえよ」
何度も蹴られる。
最初の拳が効いたのか、思ったように体が動かない。体を丸めたままなすがままに蹴られる。
……理不尽な暴力。
もちろん、受けたことがないわけじゃない。頻繁に受けたことがあるわけでもないので、慣れるとまではいかない。ただ、高校時代の経験から、こういうときはじっとしているのが一番だということは知っていた。
ポケットに入っているMACに意識を動かしたが……やめておく。
まだ手加減しているのだろう。男の蹴りは顔を狙うことはなく、それほど重くなかった。
やがて抵抗しないことに飽きたのか、赤い髪男は舌打ちをして、止まった。
「……次はこんなもんじゃ済まねえからな」
吐き捨てて去っていく赤髪。
どこにでもいるイジメッ子のような台詞。自分の感情をそのまま暴力として表現することを覚えたやつは、そうやって同じことを繰り返す。それが一番、てっとり早いから。それが一番、わかりやすいから。
……でも、なんとなくさっきの赤髪は、ただ俺に嫉妬していたのではないような気がした。
気のせいだろうか?
もっと切羽詰まったなにかが、そこにあったような、そんな感じだった。
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立ち上がって汚れた制服を払い、気を取り直して寮に向かった。
正門とは逆側――学校の敷地内の奥に向かって進んでいく。
校庭の横を通り、さらに奥へ。武道場のような建物のあいだを抜け、木々が乱立している細い道を歩いていく。学校というより、自然公園といったほうが納得できる風景になってきた。どれだけ敷地が広いんだと呆れていると、林に空いた広間のようなところに、学生寮があった。
思ったほど大きくない。
そりゃそうか。街中にある学校の寮に住むやつなんて、ほとんどいないに違いない。
賑やかな寮生活じゃなくてむしろ安心する。騒がしいのは苦手だ。
そう思いながら玄関の扉を叩いた。すぐに鍵があく。
出迎えてくれたのは、黒い帽子だった。
……いや、ちがう。俺は視線を下に落とした。
俺の腰くらいの高さだろう。多く見積もっても十二歳ほどの少年が、目の前に立っていたのだ
その子ども――教師陣のなかで孤立していたそいつは、黒い帽子の縁から睨むように俺を見上げた。
肌は白く、童顔で、やけに冷たい目をしていた。何枚も重ねて服を着ているが、おそらく服の下は痩せているだろう。血色の悪い顔をめんどくさそうに持ち上げて、俺を観察していた。
そういえば、俺が寮に入るって話は通ってるんだろうな――と疑ったとき、その子どもが開口一番、言った。
「キミはマゾなの?」
「は?」
いきなりすぎる質問に、俺はつい声が漏れた。
「さっき、キミはボコボコ殴られていたね。それなのにキミはやり返そうとしなかった」
見られていたのか。
俺は視線を逸らす。
「べつに……やり返す手段がなかったんだよ」
「右のポケットに隠してあるソレは、護身用ではないのかい?」
その子どもは、俺の腰をじっと見つめていた。
なぜか《X-Move》を持っていることがバレている。
なんだ、このガキは。
「どうして使わなかったんだい?」
「どうしてって……」
たしかにこれを使えば殴られることもなかったのだろうけど……
「あいつだって魔法を使わなかっただろ。ひとりの人間として、俺に喧嘩を売ってきたんだ。それで俺は負けた。それだけのことだ」
「へぇ……」
少年は、うっすらと笑いながら、少し後ろに下がった。
入口に立つ俺を、手のひらで奥に誘う。
中に入れということだ。
すこしだけ、躊躇う。
「ああ……なるほど。そういえば自己紹介が遅れたね。ボク名はフルスロットル。フルスロットル=〝マジコ〟=テルー。歴史学を担当する教師で、ここの寮長を務めている。キミはトビラ=トハネで間違いないね?」
「ああ、そうだけど……」
この子ども、やっぱり教師だったのか。
それにしては若すぎる。もしかして実年齢がすごい上だとかいうオチなのかも。
「話はフィオラ様から聞いているよ。ぜひとも、厳しく指導してくれというのも了承済みだ。キミたちの期待に添えるよう努力させてもらうよ……ま、キミがマゾでよかったね。イジメ甲斐がありそうだ」
フルスロットルは、口の端をかすかに吊り上げて、笑った。
「……なんだって?」
「『トビラが没落貴族を抜け出せるよう、手加減なしでご指導願います』――それがフィオラ様からの言伝だ。王女様からの命令だから、しかたないね。ボクもあまり気は進まないんだけど、これからたっぷり可愛がってあげる。……だから、これからはボクのことは師匠と呼びなよ、弟子」
そんな話、俺は聞いてないんだが。
まるで、新しい玩具を与えられた悪戯好きの子どもように、師匠はニヤリと笑った。