Falling【7】 これがメイドのやりかたです
職業・メイド
それは彼女の誇りである。
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セーナ=レティスメティスの朝は早い。
朝日と同時に目を覚まし、すぐに着替えて部屋を出る。
城内の使用人の居住区がまだ静寂に包まれているなか、セーナはひとり正門を目指す。あくびをする夜勤の門兵から手紙を受け取ると、それを宛先ごとに仕分ける。手紙はすでに検閲済みなので開封はしなくてもいい。けど念のために、もう一度確認しておく。……これでよし。
その後、スケジュールのチェックを済ませて風呂に入るのが日課だ。
朝の風呂は格別に気持ちがいい。十九歳の乙女のセーナにとっては、身だしなみはとても気を使うのだ。まんがいち王女様――フィアが抱きついてきたとき、汗臭かったりすれば、自分が許せない。
風呂からあがると、城の居住区からいくつも音が聞こえ始めてくる。使用人たちが起きだして、仕事を始めたようだ。
いつもならここで、セーナはフィアの寝室へ向かうのだが……
セーナはメイドとして、リッケルレンスの王城で働いていた。
フィアの幼馴染ということもあり、彼女の身の回りの世話はすべて任されているのだ。王女の専属メイドとしてはなかり若い年齢だけど、上流貴族のなかでも大きな力を持つレティスメティス家の令嬢、セーナに逆らう使用人はいない。
だからこそ、セーナは自信を持っていたのだが……
「どうしてわたくしが、こんな下賤の者を……っ!」
やってきたのはゲストルーム。
簡素なベッドがあるだけの部屋。
数日前からそこに寝泊まりしているのは、身分不詳の少年だった。とくにぱっとしない出で立ちで、どこから湧いて出たのかもわからない。
彼の世話をフィアから命じられていなければ、ただちに追い出すところなのだが。
しかしそれは許されない。
なぜなら彼はフィアの恩人だ。
彼の属性が没落貴族以外だったのなら、危険の可能性を含ませて追い出せるのだが……
「……属性なんて、属性なんて……」
そう愚痴をこぼしながら扉をあける。
と。
ベッドの上に立つ少年と目が会った。なぜか、上半身裸だった。
目が合って、視線が下にさがる。
……全裸だった。
「きゃああああああっ」
叫び声。
セーナのものではない。セーナは唖然としてなにも言えなかった。
少年――トビラが叫んだのである。
悲鳴をききつけて、すぐさまメイドたちがやってくる。
セーナの後ろに使用人の人だかりができ、あるものは目を隠し、あるものは驚き、ある者はセーナに疑いの視線を注いでいた。
ざわざわと、後ろの使用人たちが「セーナさんが襲った?」「没落貴族と夜を明かした?」と口々につぶやくのを聞いて、ハッとする。
トビラは体をシーツで隠して、わざとらしく、うるうるとした目でセーナを見て(かすかに笑いながら)、
「セーナのえっち……ぼく、もうおムコにいけない!」
「ころすぅうううううううっ!」
隠し持っている短刀を取り出して切りかかろうとするけど、後ろから使用人たちに羽交い絞めにされて止められた。
トビラが城に来て――つまり出会って数日。
セーナはこのふざけた少年を、本気で殺したくなっていた。
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リッケルレンス王国の王都は、平野の中央にその大きな姿をたたえていた。
北にそびえる山脈から流れてくる河が、王都の北部で枝分かれし二本の運河を作っている。その巨大なふたつの運河は王都を囲むように流れ、河の防壁となっていた。さらに、ふたつの運河から枝分かれした水路が、いくつも都のなかを流れている。
細い枝を幾重にも伸ばした水路たちは、街を縦横無尽に巡り、王都の南側で運河に合流してまたひとつの河にもどる。ひとつの巨大な運河にもどったその川は、南の海へと消えていく。
おおきな川に囲まれ、橋を渡った先にあるリッケルレンス王国王都は、またの名を〝水の都〟と呼ばれていた。
その名のとおり、水路の数は石畳の道にも負けないほど多く、街のあらゆるところに、いくつも舟が浮かんでいた。
とりわけ広い水路には『屋台船』が並び、野菜や道具を売っていて、そこはまるで商店街のようだ。
街は水路を中心に作られており、水路の上にはいくつもの石橋がかかって複雑に入り組んでいる。
ただし都の中央部はなだらかに隆起していて、巨大に入り組んだ水路の街の中に、もうひとつ街がある構造になっているのも、〝水の都〟の特徴だ。
そこは水路のない、ふつうの街。内側の街はそれまでの活気ある外側の街とは違い、閑静な住宅地のようだった。家がいちいちデカく、道も広くなっている。
その中央にそびえ立つのが、セーナが働いているこの王城である。
鳥瞰して城を真上から見てみると、『三』の字のように並ぶ三つの建物を一本の渡り廊下が突き抜けている。
つまり城は『王』の字の形をしていた。
正門に近い一番南の建物には広間や謁見の間があり、そこは居住区ではない。兵士こそ常駐しているが、執務をしている国王や家臣以外、基本的には誰もいない。
真ん中の建物は使用人たちの居住区だ。セーナもここに住んでいる。ちなみにゲストルームは、一番南側にある部屋だ。
渡り廊下の厳重な扉の先――一番北の建物が、王族の居住区になっている。
ここに立ち入れるのはごく少数の者だけで、セーナは許可されている数少ないメイドだった。
それだけ、セーナは信用されているってことだ。
それは嬉しい。
とても誉れなこと……なんだけど。
「じゃあ学校が始まるまで、トビラをお願いねセーナ」
行方不明になっていたフィアが帰ってきたとき、彼女の隣にはトビラという少年がいた。
お忍びででかけた先で知り合ったらしい。セーナはなんとなく胡散臭い雰囲気を感じたが、フィアは随分とその少年のことを信頼しているらしかった。
原因は、フィアが通っている上級教育学校が、春休みだったこと。
そしてフィアに信頼されていること。
彼には記憶がなく、この世界のことをほとんど忘れているらしかった。
行くあてのないこの少年を、フィアは学校に通わせることに決めたらしい。たしかに属性が没落貴族であるうちは、働き手として雇ってくれるところもないだろう。学校に通っていろんな知識をつけたり仲間を得たりすれば、属性だって変わるかもしれないし、記憶だって戻るかもしれない。
フィアの寛大な対応に、セーナは「さすがだ」と感心した。
しかしそれまでの世話を頼まれたとき、茫然としてしまったのは、しかたないだろう。
あと数日……学校が始まり、学生寮に入室するまでの辛抱だ。
それまでこの同い年くらいの少年の面倒くらい、見てあげようではないか。
と、決意したのはいいものの……
「なあセーナ。質問いいか?」
空き部屋で、このリッケルレンス王国のことを教えていると、トビラが手を挙げた。
せっかく現国王の人間性がいかに素晴らしいものかをうっとりと説いていたのに、邪魔されてちょっとムッとしてしまう。
「……なんでしょう、トビラ?」
「ウマの弱点ってなんだ?」
「は?」
「いいから、ウマの弱点を教えてくれ!」
なぜかやる気に満ちた表情で叫ぶトビラ。意味がわからない。
セーナは苛立ちまぎれに「後ろから浣腸すれば馬は気絶します」とデタラメを言っておいた。するとトビラが「ようし!」と勇み立って部屋を飛び出していく。
その数十分後、トビラが腹を押さえて死にそうな顔で「……後ろ脚で思い切り蹴られたぞおい」とヨロヨロと帰ってきたのを見て、確信した。
こいつ、アホだ。
「でもリュードのやつに浣腸ぶっこんでやったぜ。いまごろは腹を下して苦しんでるだろうよ。はっはっはごふっ……ふふ」
「リュード様に!?」
青ざめるセーナ。
王女様の愛馬に悪戯するなんてどんな神経をしてるんだ。
「だってあいつ、昨日俺のメシ横取りしやがったんだよ」
「だからって、フィア様の愛馬に……」
「いや、仕返しして気分がすっきりしたら記憶が戻るかと思ってな。まあすっきりしたのはリュードの腹のなかだろうけどな! はっはっは!」
「……頭蹴られてればよかったのに」
フィアの恩人でなければとっくに殴り倒してやるところだった。
そんなトビラがセーナの話を真面目に聞いたのは一度だけだ。
この世界の魔法を司るMACの講義をしているときだった。
「――MACとはなにか」
誰もが知っているようなことなので、新鮮に思いながらも、セーナは話した。
「そもそも、魔法が生まれたのは千年前ほど前です。世界最初の魔導書『グリモワル』が生まれたのが、きっかけでした。そこに描かれてあったとおりの魔法陣を使い、人々は魔力を発見し魔法を作り出してきました。
八百年ほど前、魔法陣以外の魔法の使用を発見したのが『ニコラフラン』という名の学者でした。文字と絵の組み合わせ以外に、音声を使用することで魔法を発動できることを証明し、彼は一躍有名になりました。
字から音へと魔法の媒体が移行し、いわゆる〝魔法を発動するのに道具がいらなくなった〟のは、その頃でした。様々な魔法が開発され、人々の生活は豊かになります。ただ、利便性の裏には危険性が潜むものです。戦争に魔法が多用されるようになったのも、その発見の影響でした。
戦争に魔法が使われるようになり、こんどは呪文の詠唱時間を短縮しようと各国が研究していました。圧縮呪文が生まれたのが、その頃です。呪文の詠唱時間はかつての十分の一になり、戦争はさらに激しさを増しました。
このリッケルレンス王国が生まれたのは、百年以上も続いた大陸戦争の終結後でした。
戦争が終わり、圧縮呪文の必要性は廃れていきます。日常生活ではあまり魔法は使いません。ほとんどの騎士や魔術師はその戦うスキルを活かして兵士として生活することができましたが、経済発展を目指すようになった世界ではそうはいきません。落ちぶれて、盗賊や蛮族になり下がる者たちもでてきます。これはどの国にも当てはまります」
終戦後の治安の悪化。
大陸全土に広がったのは、一般人の不安だった。
「そこで各国は協力して、ある研究機関を立ち上げました。各国が研究していた戦闘用の圧縮呪文を応用し、だれでも身を守れる魔法を使えるようにできないか――と考えて作られたその研究機関は〝中央協会〟と呼ばれ、そこで数百年をかけて研究され作り出されたのが、〝カード型魔術練成端末――通称MACになります。
MACにはある特殊な鉱物が練り込まれてあり、決められた音声を鍵として魔法が発動するようになっています。圧縮呪文を覚える必要や、詠唱時間はいりません。魔力を使用し鍵となる言葉を唱えるだけで、だれでも魔法が使えるようになったのです。MACは、いわば魔法技術の進歩が生みだした、現在の魔法のかたちです。
ただし、だれでもなんでも使えるわけじゃありません。もともと各個人が得意とする魔法はその資質によって変わってきます。使える魔法もあれば使えない魔法もある。それを一目で判別するために作られたのが〝属性〟です。身体能力、魔力、性格、状態など、それらの数値を測定し、適性として区分化することに成功したのが五十年ほど前になります。以来、わたくしたちは〝属性〟という分類を指針に、MACを使い分けています」
「……なるほど。それが属性か」
「たとえば身体能力が高く、魔力が強く、攻撃的で忠誠心が強い者は、〝騎士〟の属性を身につける場合が多いです。絶対的な魔力量と、王としての資質がある場合は〝王〟の属性を持つようになります。現在のフィア様はそのどちらの条件も満たしているため、どちらの属性も適性に持っているということになります。よって使えるMACも、それだけ多くなります」
それがMACと属性の関係だった。
トビラは難しい顔をしていたが、手をポンと叩いて、
「魔法技術の進歩……か。誰でもどこでもお手軽に使える……利便性に、小型化と軽量化……ああなるほど。俺らでいう携帯電話みたいなもんだな。魔法か科学かは違ってもいきつくさきは同じか……」
「ケイタイ?」
「ああ。いや、こっちの話だ。なんでもない」
とにかく、トビラは理解したようだった。
真面目に話を聞いてくれたことにすこし感動に思いつつも、この数日間でちゃんとしたと会話できたのがこれだけになったことに、すこし呆れてしまった。
学校が始まる日。
その日はすがすがしい朝だった。雲ひとつない晴天に、乾いた空気。ゆったりと流れる春の風には、花の香りが漂っている。
トビラを起こしにくるのも、これで最後だった。
「学校まで案内しますわ。はやく起きてくださいませ!」
「ん……なんだセーナか。おやすみ」
二度寝しようとするトビラを叩き起こし、荷物をまとめさせて城門までひっぱっていく。
門の前に止めてある馬車に乗り込んで、学校までパカパカと移動する。トビラは始終眠たそうにしていたが、余計なことをしなければそれでいい。セーナの役目はトビラが学校に通い出すまでだ。そこまでいけば、もう義務はない。
馬車は水の都の外町にほど近い、大きな学校施設の前で停止した。
学生服を着た少年少女たちが、ぞろぞろと門のなかへと入っていく。
『魔法教育上級学校』
セーナは中級学校を卒業して、そのまま城で働くことになったから、ここには通っていない。すこし羨ましく思いつつも、その生徒たちのなかにトビラをぽいっと放り出した。
「ふべっ!」
石畳の地面に顔をうちつけて、ようやく目が覚めたのだろう。トビラは鼻血をたらしながら起き上った。
「おいなにしやがる! もっと丁重に見送ることもできんのか!」
「あらごめんあそばせ手が滑ってしまいました」
まるっきり嘘だが、そんなことはどうでもいい。
これでフィアに言いつけられていたことは終わりだ。
「それではごきげんよういってらっしゃい没落貴族(笑)様」
「おういってくるぜメイド(痛)さん、今度会ったら覚えておけよ」
「それはこちらのセリフです。せいぜい虐められないようにがんばってくださいね没落貴族(憐)様」
「はいはいフィアによろしく伝えておけメイド(毒)さん」
「ええもちろん。伝えておきませんよ没落貴族(励)様」
「正直にどうも。さっさと帰ればメイド(禁)さん」
「言われなくても帰りますわ。没落貴族(終)様」
「わざわざありがとうメイド(滅)さん」
「どういたしまして没落貴族(逝)様」
ふふふふと笑いながら睨みあう、セーナとトビラ。
馬車は出発し、学校の前にトビラを残して駆けていく。
没落貴族は最下層の属性だ。なんの上位属性でもない、資質のない属性。
だからすこしだけ心配していたのだが……。
「……まあ、彼ならなんとかなるでしょうね……たとえ、魔法が使えなくても」
セーナは頭を切り替えて、久しぶりの仕事をする気持ちで、城に戻っていった。
――その後のセーナ――
「……あら??」
トビラを送り終えて城に戻ってくると、ほかの使用人たちの視線がどこかよそよそしくなっていることに気付いたセーナ。
若くしてこのフィア専属メイドという地位についているセーナだ。もともと嫉妬や羨望、様々な視線を浴びることが多かった。だが気を使われているような視線は、初めてだった。
「ねえちょっとあなた」
「は、はいなんでしょう!」
少なくとも十歳は年上のメイドに話しかけると、緊張した面持ちで返事をされた。ふだんは陰口を叩いてくるようなメイドなのに……と不審に思いながら聞いてみる。
「ねえ、なにかわたくしに言いたいことがあるのでしょう? 遠慮しないでくださらないかしら」
「い、いえそんなことはっ!」
そのメイドはモップの柄をギュッと握りしめて、叫んだ。
「け、決して『トビラ様がいなくなってセーナ様も悲しそうだなぁプププ』なんてみんなで言い合ったりしてません! 『文句をいいつつも楽しそうにお世話してたなぁククク』なんて誰も思ってませんからーーーっ!」
ぴゅんっと逃げていくメイド。
……まさか、そんなふうに見られていたなんて……
うなだれるセーナ。その服のポケットから、パラリと一枚のメモが落ちてくる。
いつのまに挟まれていたのだろう。そこにはトビラの筆跡で、こう書かれてあった。
『がんばれ(笑)』
「……つぎ会ったら、絶対シバく」
セーナはメモをくしゃりと握りつぶして、復讐を決意したのだった。